第15話 墜落飛行機①
ここは死後の世界。そう思えば、今まで説明がつかなかった数々のことが納得できるようになる。そんな思考がすっかりミナギの頭を支配していた。
シエルという名の喋る動物。親切にも私達を出口へ案内してくれると言うが、つまるところ正式なあの世へと連れていく水先案内人なのではないだろうか。黒い服を着たような格好が今になって怪しく映る。
それだけではない。あの墜落飛行機から漂う死の匂いを嗅ぎ取ってからというもの、見てきた全てが現世ではないが故の神秘の表象に思えてくる。
けれども、これはまだ憶測の域を出ない。この目で確かめなくてはならない。
雨上がりのむんむんとした空気を浴びてただでさえ汗ばんだ体が、興奮で熱を帯びてくる。
ミナギは、この疑念を確信へと変えるべく、墜落飛行機を目指して歩き始めた。
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湿原には歩行用の細い橋が設けられていた。橋は奇妙にも墜落飛行機へと伸びている。おかげで、足場に苦労する事なく、目的地へ直行できた。
昼間とはうって変わって、湿地帯に溜まった水は黒く染まっている。それはミナギにとって、ひとたび足を取られれば底まで沈められてしまうのではないかという程の不気味な色に映る。月や星が映る角度になれば、その不気味さも消え失せたが、夜の水辺というのはどうにも慣れない。
時折、足場の板が沈み、軋んだ音が鳴る。それは何にもかき消されることなく、邪魔されることなく、夜の湿原にこだました。
周囲を見渡すと、同じような橋があと数本はあり、いずれも墜落飛行機目掛けて設けられている。ミナギはこの橋を便利に感じつつも、同時に不審感を覚えてもいた。
近くにたどり着いても、それは飛行機以外の何物でもなかった。内心、蜃気楼が見せる幻だとか、はたまたそういう趣向のアートだといった具合に、自分の勘違いである事を仄かに期待していた。だが、見れば見るほどに非常事態に遭遇したものの残骸でしかない。
昼間に見た、腹のあたりの穴から入ろうかと視線を巡らせた時、後方部の窓から光がちらついているのを目にした。
ーー誰か、いる?
唾を飲み直し、深呼吸をする。心の準備は万端、とは言えないまでも、心臓に居付くこの黒い靄を晴らすためには腹を括るしかない。
ミナギは恐る恐る真っ暗闇の穴から中を覗き込むようにして、第一歩を踏み出した。
機内はしんとしていた。灯りは窓からの月光のみで、規則正しい感覚で並んだ小さな四角形が暗闇の中で浮かんでいる。その光によって辛うじて大量に並んだ座席の輪郭を確認できた。
近くに誰もいないことを確認すると、機内へ全身を乗り出した。
まず目指すべきは、後方にあるらしい光の正体だ。
ーーあれは、死者の狐火というやつなんだろうか。
事故に遭った飛行機で夜に遭遇するものと言えば、それしか思い浮かばない。
そんなことを考えながら、座席の間に出来た通路を歩いた。座席は等間隔で所狭しと並んでいるが、いくつかの座席は外されていた。墜落の衝撃で座席ごと剥がれたのか、損壊したのかまではわからない。
奇妙なのは、その外された場所に、段ボール箱や布を被せた物が置かれていたことだった。調べてみると、箱には服や化粧品、カツラ、眼鏡や付け髭といった道具が納められていた。
何故こんなところにこんな物が置いてあるのだろうかと疑問を抱きながら、別に被せてある布を取り払う。するとーー
人が、無言のまま突っ立っていた。
「ーーッ!」
心臓が跳ね上がる。音なき叫びを発して後退りする。だが、いっこうに反応が返ってこないことから、コンマ数秒を経てそれはマネキンだと気づいた。
他にも、犬や狸といった動物の剥製が置かれていた。窓からの月光でギラついた目が、こちらを見つめているようだった。
ーー独りで来るんじゃなかった……。
かといって、シエルに相談すべきだっただろうか?いや、ここまでの彼の様子を見ていると、真実をそのまま告げてくれるとも思えない。制止することだってあり得る。
ヴァーユにはーー
ーーあの子には、妙な心配事を負わせちゃダメだ。
通路を歩いているうち、カーテンに突き当たっていた。客室乗務員用の作業スペースやトイレがある場所がカーテンで仕切られているみたいだった。周囲に馴染まない取り付け部品が、それは後から取り付けられたものであると物語っている。
誰がこんなものをつけたんだろうか、と考える間もなく、またしてもカーテンの向こう側から光がちらついた。
ーー近い。
おずおずとカーテンに手をかける。指先が意志に反して震えているのがわかる。
身に覚える緊迫感からやや硬直した手の筋肉は、妙なタイミングで引きつった。空気に反響するほどの摩擦音を立てて、カーテンは開かれてしまった。
ミナギの顔に、光が直射された。恐怖を感じるのと同時に、光の加減に違和感を覚える。狐火といったスピリチュアルとは無縁の、機械由来の鋭い光だ。その正体に目をやると、恐怖はすっかり消えた。
光の源ーー懐中電灯を握っていた主はーー
「なんでこんなとこにいんの?」
ヴァーユだった。
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「なるほど、夜中に1人抜け駆けというわけか! 良いご身分だね、君は」
安堵が胸に広まり、思わず声のボリュームが上がった。
「あんたが言うな」
呆れ顔で少年がライトを振るうと、暗闇の中でレーザービームが踊った。
「ま、ここはお互い様ということで、深夜徘徊不良少年には特別に恩赦をくれてやろう。でも、てっきり私はぐっすりお休み中だと思ってたんだけどな。まさか、あんな古典的なトラップに引っかかるなんて」
ヴァーユが言うまでもなく、ミナギはこの事態から逆算して、彼が寝ていたはずの布団の正体には察しがついた。適当な服やタオルで布団を膨らませ、安眠中と錯覚させる簡易デコイ。ミナギ自身も子供の頃に何度かやったことがある悪戯だ。
「引っ掛かったなら、やった甲斐はあったな。夜中に近づかれたことはなかったけど、念には念を」
「よい子は、寝る時間だよ」
「気になりすぎて寝ようにも寝れないね。ここは、今までの落とし物とはレベルが違う」
大人の立場を利用して咎めようとするも、少年の率直な好奇心に腰を折られた。ミナギとしてもその言葉には、根っから賛同せざるを得ない。今ここにいることがその何よりの証明だ。
言い返せないでいると、ヴァーユはそそくさとライトを反対側に向けて探索を再開した。見せ付けるようにため息をつき、ミナギも後に続く。
「何だか墜落飛行機ではないみたい」
さっきからやたらと目につく、道具箱を開けながら、ミナギは語りかける。
「まるで誰かが住んでいるみたいだ。まだ後方しか見てないけど、服、化粧品、装飾品、どれも放置されてる感じがしない。よく手入れされてる」
少年の声はいつもより音色が上ずり、早口になっていた。顔を見なくても、物珍しがっているのがわかる。
「あっ! あれ何だろう」
窓沿いに並んだ座席に膝をつき、窓へと身を乗り出しながら、ミナギは声をあげた。
窓を覗くと、ミナギ達が来たのとは反対側の右翼が見える。そこに、いくつもの照明器具がくくりつけられていた。翼の上をライトアップするためのようだ。翼の付け根と尖端部分には、背の高い仕切りが設けられていて、地上から見上げた際に両端が見えないようになっている。
それらを眺めるついでに、もっと異様なものも映り込む。その翼が見下ろす先、草が生えた地べたにソファーがびっしりと並べられているのだ。それも100はくだらぬ人数がそこに座れるのではないかと思われるほどの大量に。どれも質の良い生地や皮で出来たソファーだと言うことが当目からでも伝わる。
「……廃墟カフェ……かな?」
「どーだろ。飛行機見学、にしてはあそこに寄りすぎてる」
2人は更に奥へと進んだ。座席を外した跡地に置かれている道具箱も、種類が変わっていく。翼に取り付けられていたものとは別の照明器具、電源コード、その延長ケーブル、ホース、バケツ等々の設備品も置かれていた。
天井近くの荷物収納スペースにもびっしりと道具が敷き詰められている。試しにひとつの袋を取り出してみる。中には、とんがり帽やライオンのタテガミの被り物、はたまたアルミ製の底の抜けたゴミ箱といったものがまとめて入っていた。
とにかく、色々な物がここに集められているのだ。
誰が何の目的でこんな飛行機に集めているのか。ミナギ達の好奇心はどんどんとそこへ向かっていった。
そうしてついに2人は、飛行機の最後部に突き当たった。エコノミークラスのエリアらしく、今まで辿ってきたビジネスクラス以上に、座席が所狭しと並んでいる。
そこは物が収納されているスペースではないようだった。誰かがそこに住んでいる。そんな雰囲気が漂っていた。それは、小さい物では床に敷かれているラグだとか、中くらいの物では壁に立てかけてあるクローゼット、大きい物なら椅子を外したスペースにドカンと置いてあるキングサイズのベッドに由来していた。最も目立つ部類では、プロジェクターを投影するためのスクリーンが壁にかけられていたりもする。ここでお構いなしにビデオでも見ているのかもしれない。
しかし、何よりも鮮烈なインパクトを与えるのは、最後部に立っているコート掛けだった。コート掛けそれ自体は何の変哲もない木製の品だ。木の幹から伸びる枝のように、柱から曲線的な肢体を八方に伸ばしている。そして、その先に漏れなく虎の毛皮がかけられている。
「何だかキケンな匂いがするね。もしかして密猟品とかだったりして」
「まさか」
見たところ、オモチャや仮装グッズというには、あまりに毛並みがしっかりしていた。黄褐色でごわごわとした毛に、黒いストライプが重力を無視した山脈のように横断している。
順当に考えれば、持ち主は相当の資産家のはずだ。もっとも、何もかもがそこらに落っこちているこの森では、通用しない理屈かもしれない。
ミナギとヴァーユが飛行機の最後部を一瞥し終えた瞬間、機内の電気が一斉に点灯した。
ミナギは眉間に深いシワを作り、目を細めた。人工灯に囲まれてから、最初こそ薄気味悪がっていた暗闇に、すっかり慣れてしまっていたのだと気づく。
続け様に、飛行機前方から細長い通路を通じて音が伝わってくる。
耳をすませるほどにそれは鮮明に、やがてそれは耳をすませずともはっきり聞こえるようになった。
複数人の怒号にも近い叫びだ。
その中から紛れ聞こえてきた「泥棒」や「忍び込んだ」という単語に反応して、全身が粟立つ。ミナギは即座にヴァーユに顔を向けた。
「誰かいる? それに、私達、バレた?」
「そんなはずは……いや、バレるにしたって一体どうやって?」
互いに顔を見合わせていると、飛行機の前方から、何かが猛スピードで駆けてくるのが見えた。
その影が、口らしき部位を大きく開き、飛行機全域に響き渡る声量で叫んだ。
「のわあああああああああああっ! ばれたあああああああああああっ!」




