第137話 謁見
「アークが起動しただと?」
ホルツの眉間に微かに皺が寄るのを見て、カイムは予想通りの反応だと思った。
「樹海に埋もれていた二台からね。あれは旧式でエネルギータンクが空のはずだけど、起動信号があった」
ふうむ、とホルツは息をついて顎に手を添えた。真っ黒なバイザーで覆われた瞳から感情を察することはできないが、さすがの彼も想定外の現象に人間らしい好奇が湧いているようであった。
「例の委員会とターゲットは? 樹海に踏み入ったのか」
「それなんだけど、起動信号が発信される前に、迷い人の女がはぐれて先に森へ入っていったと見張りから報告が。委員会達の間で少し騒ぎになっていたらしい。それとなにか関係があるのかな」
「迷い人ごときにそんなことができるとは思えん。気がかりだが、旧式ならば放っておいても特に影響などはないだろう」
「あ、そ。まあ、報告はしたからね」
「ああ」
ホルツとカイムは木立を抜けて、見晴らしのいい高台に出た。眼下には黒黒とした森の樹冠がびっしりと敷き詰められた樹海が広がっている。時折そのひび割れたような隙間から虹色の光が漏れているのが僅かに見えた。日はすっかり傾いており、樹海は夜の顔へと移り変わっていく最中にあった。
高台では既に話し合っている一団の姿があった。その中で、豪奢なコートを身に纏い一際目につきやすいシルエットがこちらに気づき、片手を上げた。
「よう、遅かったじゃないか」
豪奢なファーコートに身を包んだラーテルが笑みを浮かべ、白く鋭い歯を覗かせている。金や宝石をあしらったアクセサリーが腕や首でじゃらじゃらと主張しており、見るからに華美な印象を与える女だった。強い香水を纏っているようで、風上にいる彼女からの匂いがここへ来たばかりのカイムの鼻に伝わってくる。
「これは失敬。色々と立て込んでいたもので」
ホルツは慣れた様子で応じた。
カイムは会合に集まっているメンバーを一瞥した。いずれも物々しい雰囲気を隠すことのない獣達ばかりだった。初対面のカイムに蔑視や挑発の色を包み隠さない者もおり、堅気の集団でないのは明白だった。
ーーこいつらがブルータルズの首魁とその取り巻きたちってわけね。
カイムは浴びせられる視線を無視しつつ、ここへ来る前にホルツから聞かされていたことを思い出す。
「おい、なんだそのガキは」
猜疑に満ちた眼差しの中からハゲワシが顔出した。黒いコートを身に纏い、鋭い目つきでいるが、その年季の入った声音や、目尻に寄る皺から壮年ぐらいだろうと思われる。じろりとカイムの形をみてまた一言。
「ここは子供が来るところじゃない」
端的にそう言い放った。
――ま、そう来るわな。
カイムにとってその反応は想定済みだった。もはやこんなやり取りこれまでに何度も経験しているのだ。
「まあまあ、デリンジャーよ、そう堅いこと言いなさんな」
そこへラーテルが横槍を入れた。
「大事なお客様のお連れ様なんだ。警戒することはないさ。この計画にも協力してもらうことになっているはずだ。だろう?」
彼女はホルツに頷きかけた。彼は何も言わなかったが、それが彼の肯定の合図だった。
あのラーテルは親切心からそう言っているのではないのだろう。庇い立てしている最中も言葉とは裏腹に、取引相手の一員を品定めしているような目つきだった。
「は、ウラガン様がそう仰るのであれば……」
デリンジャーと呼ばれた男は、見慣れぬよそ者への警戒心を即座に引っ込めた。
ーーこいつがブルータルズの首魁、ウラガンか。
今度はカイムがウラガンを観察する。ファーコートを重ねた体躯はカイムの記憶する通常のラーテルよりも遥かに厚い。尻尾から背面、そして頭までをも覆っている白い毛はさながら白髪のように見え、裏の世界で狡猾に生き抜いてきた者の経験値を思わせる。体の前面を黒い体毛が覆っているが、顔に浮かぶ二つの眼はそれに負けじと深い闇を湛えているようでもある。
その闇の目がこちらの視線に重なる。カイムはその静かな迫力に目を逸らした。
ウラガンは白い歯を覗かせながら、これまで話していた内容をホルツとカイムにかいつまんで説明した。
「部下を送り込んだ所、お前さんが教えてくれた抜け穴から樹海へ侵入できたよ。それで、こいつらの言うところでは、外とは比較にならんほど珍品が落ちていて、野生のマテリアロイドも豊富に確認できた。ここ最近委員会の奴らも見つけられてないって噂のスプラッシュファウンテンの泉まで見つけたということだ」
「それは何よりだ。やはり樹海は捜索のしがいがある領域のようだ」
ホルツが感心するも、その様子はいやに白々しい。
「で、ここからが問題なんだが、樹海の中で委員会のお邪魔が入ったようだ。奴らも“イカロスの翼”を探しているというお前さんの情報は確からしいね」
「信じてもらえたようで何よりだ」
ホルツは言葉とは裏腹に、喜びを浮かべている様子はどこにもない。こちらを信用して当然だと言わんばかりの直立不動ぶりだった。
“イカロスの翼”などという聞き慣れない単語に引っかかりを覚えつつ、ホルツがブルータルズの首魁に仕掛けた取引が円滑に進んでいるらしいことを横目で見ていた時、すぐ近くの木陰から誰かが近づいてくる気配がした。
「ウラガンはいるかっ」
その名を乱暴に呼ぶ声がして全員が振り返る。
見るとそこでは他の者達の静止を振り切るクロヒョウの姿があった。たしか、砂漠の一件でホルツが仕事を斡旋していたダガーとかいう幹部だ。あのあと委員会の追跡を躱してなんとかここへ辿り着いたというところか。
そのダガーが全身で息をしながら、ウラガンの元へ駆け寄っていく。
「あんたが寄越した依頼人どもの仕事で、バレルの奴がしくじった」
息を切らしながら訴えているダガーとは対照的に、それを聞いているウラガンは至って平静だった。怒声混じりに迫られているウラガンを庇うべく今にもダガーに飛びかからんとする部下たちを片手で制する余裕すらあった。
「バレルとその側近がしょっぴかれて、もうじき収容施設へ入れられる頃合いだろう」
「ふむ、それは災難だったね」
「任務で会敵した着流し姿の委員会、奴は只者じゃない。あんたは依頼の危険度を承知していたはずだ。そこにいる依頼人どもとはずいぶん懇意にしていたようじゃないか。バレルにうってつけの環境に送ったと見せかけて、どう考えても犠牲ありきの人員配置だったんじゃないか?」
ダガーの訴えは加熱していく一方だったが、当のウラガンは近くのミニテーブルに置かれたティーカップを緩やかに手に取り、一口啜ってから「面白い推理だ」告げた。
「しかし、私が人を使い捨てる前提で仕事を与えているだなんて、人聞きが悪いね。拾ってきた子はそれぞれのやり方で可愛がってきてやったつもりだ。お前さんにしても、その腕を買ってこれまで報酬に色をつけてきてやったんだ。愛情なんか欲しがるようなタイプに見えなかったからね」
言い終えるとウラガンは、ギザギザの牙を剥き出しにして笑い声を上げた。ウラガン派らしい配下達も幾人か合わせて肩を揺らすか、笑みを浮かべるかしてそれに同調する。
「けども、ま、惜しい損失だったね」
ひとしきり笑ったあとでウラガンはぽつりと呟くように切り出す。
「あー、そのバレルってのはあの指輪組で合ってるか? アーセナル」
「さようでございます」と傍らで静かに佇んでいた黒いジャッカルが答える。頭から飛び出した尖った耳とその長身痩躯のフォルムは、どこかの壁画に刻まれていそうな雰囲気を醸している。彼がウラガンの側近兼世話役と見える。ウラガンが手にしているお茶も話している最中に彼が用意していたものだった。
「砂漠地帯で拾った孤児ですね。数々の貴重物資の回収・献上に、Aランク任務の成功、ロアーズをはじめとした数々の敵対勢力の討伐作戦における功績等、同じ時期に拾った子の中でも組織への貢献度は著しく、昇格の際にウラガン様から褒美に金の指輪を賜与された――そう記録されております」
アーセナルは手にしていたタブレット端末に目を落としながら淀みなくそう答え、ウラガンの方にタブレットの内容を見せた。ウラガンは耳の裏を掻き、明後日の方向に目を向け大きく頷いた。
「やっぱりな。やっとはっきり思い出した思い出したよ。あのくたびれたコートをいつも着てた図体のデカブツの熊か。最近会ってなかったからな。組織の長ってのはヤだね。いろんな奴に会うから顔と名前があっちこっち混ざっちまう」
饒舌な口ぶりでそのまま弁明するかに思えたが、次に出てきた言葉はダガーの神経にいたく障った。
「あの馬鹿正直さ加減はもっといい使い所があったろうに」
悪びれた様子でもなく、事も無げに放った一言を耳にした瞬間、ダガーは背中に纏っていたカンニングペーパーの一群に神経を巡らせる。一条の紙が人知れず刃先のように鋭く尖り、眼の前の獣に差し向けるビジョンがダガーの脳裏に過った。
「――威勢がいいな」
内心を見透かしたような一言にダガーは身を強張らせた。ハゲワシの横に立っていた鉄仮面を被った剣歯虎が、冷たい金属の反響音混じりに呟いていた。
ダガーにはそれが牽制の合図と聞こえた。背中と眼の前の標的に一時集中させていた意識は、今やその剣歯虎に釘付けになる。本来なら十分なはずの間合いはあるが、いつでもこちらを殺せるかのような気迫を放っていた。鉄仮面から漏れ出ているドライアイスの煙はさながら闘気のようだった。
「そいつ、暇になったのならば、こちらの仕事を手伝ってもらって構わないか?」
「ああ、構わんよ。疲れて気が立っているようだが、腕は確かだ」
ウラガンはたったの今まで自身に向けられていた敵意にも気づいていたのか、それとも気付かないフリをしたのか、「せいぜいジャベリンのところで頭を冷やすんだね」とダガーに語りかけたのだった。
ダガーは大人しく引き下がった。




