第136話 幻視
――神様の片割れを助ける?
ロゴスから頼まれた内容を脳内でしばらくこだまさせるも、いまいち実感が沸かない。
「コンゴウは」
固まっているミナギに、ロゴスは構わず続けた。
「コンゴウは今、彼女に取り憑かれた状態にある。君もここまで不可解な事象を目にしてきたはずだ。飼いならしていないマテリアロイドをすぐさま手懐け、下僕にしていたところを」
ミナギは出会った時のことを思い返す。河原でのイールウォーターも、あの水路で沸き上がる不思議な泡も、そこら中に生えているメモリーツリーも自在に操っているようだった。
「この世界の者達に本来そんなことはできない。この世界の自然法則でも説明はつかないことだ。マテリアロイドとシンクロするには本来それなりの手続きがいるのだから。それに――」
「それに?」
「それに、さっき彼の身体に止まった時に感じたんだ。彼女の気配を。僕は彼女に共鳴した。そして、あの光が起こった」
その時のことはミナギも克明に覚えている。廃屋が不思議な光に包まれ、自分達はどうにか逃げ出したのだった。やはりあれは神代の力とでも言うべき物だったのか。
「僕達も依代さえあれば、この世界に干渉できたのだ。彼女はきっと怪我を治療するために、コンゴウの身体に乗り移ることにした。僕はそう推測する」
ミナギは腕を組み、ピアノを引くように腕に添わせた指を弾いた。ここまで聞いた話は、これまでの経験則に照らし合わせても、この異世界に訪れてからの体験と較べても、相当に特殊な現象らしい。言葉はわかるが、その内容も、話している相手の存在も、何もかも異質なものだから、こればかりは時間を掛けて咀嚼するしかなさそうだった。
「あの映像で受けてた傷口はもう塞がっているよね。なのにどうして今すぐ出てこないんだろう」
「出れば死ぬからだろう。老いた狼があの傷を受けて尚精根尽き果てずにいるだけで奇跡のようなものだ。彼女がエネルギーを肩代わりしているのかもしれない」
「一生あのままってわけにはいかないの?」
「コンゴウが耐えられれば取り得た選択肢かもしれないな。しかし、あの様子からしてもう長くは持たないだろう」
「宿主が死んだら、パトスも死んでしまうの?」
「僕もそれを恐れている。彼女のことだ。コンゴウの願いを叶えるまでは、意地でもそこを離れるつもりはないと見える」
「願いって」
「それは僕もわからない。コンゴウに興味があったのは彼女の方だ。だが、そのようなことを言っているのを聞いたことがある」
「それを叶えれば、パトスは出ていけるのかな」
「おそらくは」
「おそらくはって……」
そんなアバウトな、とミナギはかつての知人の姿を象った神を睨んだ。しかし当の神様は人間から向けられる不満などどこ吹く風なのか、涼しい顔でただこちらを向いている。
「ここまでの君の旅路は僕も観察させてもらった。見ている夢の中もね。だから君にこそ頼みたいんだ……」
ロゴスはただただ神妙な顔つきのまま、ミナギの返答を待ち続けていた。その姿は今にも消えてしまいそうなくらいに儚い空気を纏っていた。ロゴスの、いや、カスミの姿の、なにかに縋るような切実な表情に、ミナギは思わず息を呑んだ。
あ、と喉奥で合点の声が漏れる。
あの時と同じだ。
夜風に乱れた髪を撫で下ろし、そっぽを向いて表情を窺わせないようにしていたカスミの後ろ姿を思い出す。
あれは、あの時は――。
機械から噴射され続けていた霧はとうに止まり、徐々にミナギ達を囲っていた木々が顔を覗かせ始めるが、ミナギはそのことに気づきもせず、ただ相手をしばらく見つめ続けるのだった。




