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時をなくした彼女と森で  作者: ワタリドリ(wataridley)
第二章 不思議の森で
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第13話 疑惑

「どうした、ヴァーユ。何かあった?」


 ヴァーユによる突然の拒否が繰り出された直後、ミナギは彼を連れて店の外へ出た。なぜメドウの加入を断るに至ったのか、断られた本人を前にしてそれを問い質すことは流石に不躾というものだ。


 ヴァーユは浮かばない思案顔で唇を結んでいた。言おうか言わぬか、あるいは何か適当な方便でも探っているのか。何かを逡巡している様子だった。


 だが、やがて諦めるようにしてミナギに口を開いた。


「……あいつ、俺達のことをずっと尾けてたんだと思う」


 予想だにしていなかった言葉を耳にして、えっ、という声が口から漏れる。どうせ子供のワガママみたいな理由だろうと思っていたのだ。


「どういうこと?」


「俺も確証があるわけじゃないんだけどーー」


 それからヴァーユは、今まで時折背後に気配を感じることがあったと言った。初めてにして最も顕著にそれを感じたのは、ミナギとシエルの2人と出会った夜の焚き火にあたっていた時だという。その時はすぐに何も感じなくなり気のせいかと思ったものの、その後4日目ーーつまり動物の一斉避難や霧と遭遇した日ーーにやはり背後に僅かながら葉や木の枝を踏む音や息遣いが聞こえることがあった。そして、例の動物の大群や霧の充満によって偶然にも撒くことができ安心しきっていたところに、メドウが現れた。それがヴァーユの言い分だった。


 だが、ミナギとしては、爽やかで、しかもさりげない気遣いもできるあの好青年が、悪意を持って近づいているとは到底思えなかった。確かに格好こそ変ではあるが。


「うーん、それって本当にメドウさんなのかな? 別の人……っていうか森の動物? の可能性もあると思うよ」


「俺だってその可能性は考えたさ。でも、さっきのあいつの行動でそうとしか思えなくなった」


 辺りの木々がそよ風でざわつく。周囲には暗闇を孕んだ林が広がるばかりで、このカフェと宿を兼ねた建物から漏れている光だけが頼りだった。少ない光の加減により少年の翠眼がいつもより薄暗く見えた。


「さっき、あいつにナイフとフォークを置いてもらったよな」


「うん、紳士だなって思ったよ」


「ミナギは右にナイフ、左にフォーク。カトラリーはふつうそうやって並べて置く。それがマナーだから」


 さっきとは打って変わって料理のマナーの話? ミナギは脈略がないように思える話の切り口に困惑する。ヴァーユはそんなことお構いなしに話を続けた。


「俺みたいな左利きは不便だ。カトラリーの位置が逆だから持ち替えないとならない」ヴァーユは息を整えた。「でも、さっきは持ち替える必要なんてなかったんだ。ふつうとは逆に並べられていたから」


「あ……」


「紳士的すぎるんだよ、あいつ。どうして俺が左利きって知ってたんだ?初対面のはずだろ」


 この子は、今、壁の向こうにいる者を状況証拠をもとに訝しんでいる。しかしそれらを以て直ちにメドウが自分達にとって害のある存在とみなすのは早計な気もする。


 なるべく波風を立てないよう、言葉遣いに気をつけながら、ミナギは説得の言葉を探した。


「こう考えるのはどうだろ? 私達のことを見つけたはよかったけど、向こうも遭難の身でこっちを警戒してた。観察しているうちに、どうやら話しかけて大丈夫そうだってわかって、今日ここで合流することにーー」


「疑わしい理由は、まだある」


 ミナギの仮説を遮り、ヴァーユは声色を尖らせた。自分の考えが理解されていないことに対する苛立ちすらも感じさせる調べだった。


「研究記録を書いてた手帳が……消えたんだ」


「それ、ほんとう?」と、少年の言葉を疑う気持ち5割、その言葉の意味するところへのショック5割から織り成された問いを投げかける。だが、少年からの返答を受けて、少し浅慮だったと後悔することになった。


「本当さ! さっきあの機械のとこで記録して、ここに来る途中も読み返してた! 間違いなくここに来るまであった! それがこの店で入って、バッグを余った席に置いてた隙になくなってたんだ!」


 少年は腫れ物に触れられたみたいに、反発した。これまでの研究を事細かに記した成果を紛失したことで、怒りと焦りを滾らせている。


 だが、ミナギの困惑をその瞳に映してから、取り直すようにふっと息を漏らした。


「……こんなこと言われても、どうしようもないよな。俺の管理不行き届きが発端なんだし」


 鎮火した不安や怒りの波は、今や後の祭りの悲しさと寂しさに変わったようだった。ミナギと交わっていた視線は地へと落ち込み、行き場をなくした拳が力なく震えているのがわかる。しばらくした後、左の手が胸ポケットにあるガラスのペンへと伸びた。


「手帳は、別にどうだっていいんだ。書いたことはぜんぶ覚えているから」声を震わせながら続ける。「ーーでも、これまでなくなったら俺はもう……」


 俯いていたヴァーユの顔が、ミナギに向く。これまでにないくらい、弱々しい表情をしていた。端正なはずの眉は歪んでいて、目に浮かぶ光は滲み出した水分で歪んでいる。下唇は点線のような歯の跡が赤みを帯びて残っていて、さっきまで噛みしめていたことが伝わる。


 ミナギは、最初にヴァーユと出会った時の彼の表情を思い出した。突如として自分の領域に踏み入ってきたミナギに対する、警戒心を包み隠さない強張った表情を。あの時、運悪く車が落ちて、ミナギが助け出していなかったら、一緒に来るように説得するのも時間がかかったのかもしれない。


 そういう意味では、あのアクシデントは運が良かったとも言える。本来、この少年は初対面の者に強い線を引く性分なのだ。特に、彼にとって命にも替えがたい代物として、大事そうに握っているペンが絡むと、その線は容易には消えないらしい。


 メドウにとって不利な状況証拠、そしてヴァーユの痛切な陳情を並べ立てられた今、ミナギにはこの状況を穏便に済ませる手が思いつかなかった。どちらかに不快になる煮湯を飲んで貰うしかない。


 コンコン、と窓を叩くことがした。程なくして窓が開いて、メドウが顔を見せた。


「お取り込み中、ごめんなさい。二人の話は一切聞いていないから安心して」


 彼の安定した声を耳にして、どんよりと沈んだ空気が持ち直されていく予感がした。

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