第114話 ワダツミ作戦:決行⑥
巨人の肚に風穴が開いたのと同時に、砂が後方へ勢いよく噴出する。巨人の叫び声が鳴るはずの衝突音をかき消す。
痛みでも覚えているのか、巨人は蹲ろうと上体を曲げようとしている。
『噴射!』
管制室からの指示を受けて、トンネル内に待機していた整備員がスイッチを押す。
貫かれたリニアの扉と窓が開き、巨人の体内で水が飛散する――はずだった。
しかし、巨人は自らの上半身を両方の拳で思い切り叩きつけた。上体に飲み込んだ異物に対する違和感と、かねてから見せていた胸部に対する攻撃への警戒意識がそうさせたのだろう。
勢い余ってリニアもろとも巨人の上半身は弾け飛んだ。甚大な衝撃を喰らったことで、巨人の首は転げ落ち、肩は崩れ、続いて主を失った下半身もしばらく千鳥足を刻むとついには転ぶように転倒した。
「やったか!?」「機体は?」「あのバイクは何だ?」「メドウ委員を見た者はいないのか!」「給水は確認できていません!」
管制室はまたも混沌とし始める。
モニターの中は一際濃い砂煙で埋め尽くされていたが、倒れたかに思えた巨人の破片はすぐさま液体のように形状を変え、再び最も大きな下半身の残骸により集まろうとしているのが観測された。
「まずい! あのままだと給水が」
ラオブが齧歯を大きく見せながら飛び上がる。
見れば給水装置を載せたリニアは、弧を描いて空中を飛び、そのまま目標である巨人から更に遠ざかろうとしていた。
青空を飛ぶリニアは、巨人に立ち向かったときの勇姿とは真逆に今や頼りなく地に落ちるのを待っているようだ。
「あ、あのう」
「ん?」
自信なさげな声でオペレーターの一人がラオブに話しかけてくる。
「先程不審なバイクが接近しているのを目撃したのですが、あれは作戦部隊のひとつでしょうか?」
「え、バイク? そんなの聞いてないですよね、主任」
「ええ。ライカからの報告は受けてないけど」
はあ、と応じてオペレーターがカメラを切り替える。遠方の監視所から捉えられた映像には確かに小さな黒い粒が作戦区域に接近しているのが映っている。速度やサイズからバイクに間違いない。
「あれはー……迷い人さん!?」
「と、クルム委員だ」
モニターを拡大表示すると、たしかにそれはライダージャケットと長い髪をはためかせてバイクを駆るミナギと後部座席で彼女にしがみつくクルムの姿があった。
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ごおごおと時折砂の混じった乾いた風を切りながらミナギは負けじと声を張る。
「来ちゃったはいいけど、ここからどうするの?」
「あの丘! 斜面になってるところがあるだろ。そこを勢いよく飛び越えてくれるか?」
「無茶な注文。でも、やってみる」
「あ、そうだ。これやるとしばらく動けなくなるだろうから先に言っておく」
「うん、何を?」
「ご協力サンキューな」
それから大きく息を吸う音が聞こえてきた。肺活量ギリギリまで空気を取り込んでいるのが背中でわかる。
ハンドルバーを握りしめ、ミナギはバイクを加速させる。飛んだ後のことを考えると否応なく頬が強張り、奥歯が軋みそうになる。
だが、これもうまくいきかけていた作戦を成功へと軌道修正するため。もはや飛び越えた先のことなど考えないことにした。
斜面を駆け上がり、体が傾く。この坂を越えた先に例の巨人がいる。そしてメドウもそこにいる。
砂粒を撒き散らすタイヤの振動に耐え、坂を飛び越える瞬間、ミナギは全速力でアクセルを踏みしめた。
「いっけえええええええええ」
気づけばそう叫んでいた。叫びに呼応するかのごとく、バイクは重力に逆らい空を駆け上がる。
クルムもまた、その全力に応えるようにしてバイクから飛び上がった。
クルムが飛んだ先は、ちょうどリニアが飛んでくる先との交点だった。そのままなら激突は免れないはずのクルムがなぜか自信ありげにリニアを見据えて飛びかかろうとしている。
リニアをこんなに間近に前から眺めるのはそういえば初めてだな。いやそもそも空中で浮いているリニアモーターカーを生で見ることなどこの先あるのだろうか。ミナギの思考は一瞬だけ横道に逸れる。脳が真剣な思考を放棄したくなるほどに、目の前には奇妙な光景が広がっているのだ。
クルムは溜め込んでいた息を大きく吹いた。瞬時に彼女の目の前に大きな風船が膨らんだ。
以前に黒豹と対峙した時よりも遥かに大きなそれは、リニアの前面を丸ごと包んでしまいそうだ。ミナギはその丸くて大きな球体を見て、かつてバイクでツーリングした際に遠方に見えたガスタンクを思い出していた。視界に突如として飛び込んでくるきれいな丸はどうしてこうも不気味なのか。しかし今はこの不気味さが、空飛ぶリニアという怪奇に打ち勝つために必要不可欠に思えてならなかった。
尖ったリニアの先端部分が風船にめり込む。風船の他の部位が猛烈に膨れ上がる。頭の中で破裂音がこだまする。
しかし、風船は無事だった。
風船は前方から受けた衝撃に屈することなく、めり込んだリニアを押し返す。
車体はまるで時間を巻き戻すかのように後方へと加速し、戻っていく。
大きな鉄塊を跳ね返した風船はそれから無駄な反動を起こすこともなく、何事もなかったかのようにきれいな球体へと回復する。
運動エネルギーをものの見事に返却した風船はゆっくりと萎み始める。クルムも力を出し切ったように風船とともに落下する。小さな体は半分砂に埋もれ、クルムは薄目で空を仰いでいた。
どうだ、とクルムが訊くと、リニアが不時着する大きな音が響いた。
ばらばらになった巨人の近くに車体は水を噴射して落ちている。
「クルム、大丈夫か!」
ブライトの声がした。振り返ると彼は車から降りてくるところだった。
「ウチらのこと見張ってたのかよ、ブライト……」
「ああ、無茶するんじゃないかって隊長に言われてな……結局見逃してしまったが」
「それで正解」
「お二人サン、水入らずのところごめんだけど、あれは誰が回収するの」
ミナギが二人の会話に割って入り指をさした。
その先には、倒れたリニアがある。窓からは水を噴射するホースが何本か垂れ下がっている。しかし、それを回収する者が現れる気配がない。
「こちらブライト。誰か応答せよ。巨人近くに給水装置がある」
『こちらライカ。先程の攻撃で従来の作戦従事者は範囲外に押し出されたものと思われる』
ブライトの無線連絡にライカが応じた。
『かくいう私も戦車ごと転覆して今すぐには動けない……動ける者がいればすぐにでも回収を求む』
無線連絡から聞こえてくる声には無念さがにじみ出ている。しかし、チャンネルをいじっても応じるものは一向に現れない。
その間、ミナギの目にはうごめく巨人の破片が着々と互いに結合していく様子が映っていた。
巨人の残骸はそれぞれが意思を持っているように地を這い、足りない部分を周囲の砂を吸い上げて補っている。
放置された車体の近くの地面が揺らめき、車体が不安に軋んでいるのを見た。ミナギの脳に電流のような直感が走った。
「待てっ、ミナギさん」
ブライトが鋭い声で制止するそばで、ミナギはアクセルを回した。




