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天色の倖  作者: 六日
第1章
9/14

飜るは桜衣

「椿御前、体調はいかがです?」

「……」


 布団を頭まで被る。鬱々とした思考はずっと消えなかった。帰りたい。そう思うと、あれほど泣いたというのに、まだ飽きもせず涙は零れて、枯れることを知らない。あれ以来、目を開けば涙でぼやける風景しか見えない。

 斯波しば篤ノあつのしんとも涼風すずかぜ瀬七せなとも違う男性の声であったが、最早誰であろうが関係なかった。


 私はあれからというものの、外からの呼びかけを無視し続けて部屋に閉じこもっていた。倒れてから3日後には熱も下がり、医者にももう大丈夫だと告げられて、それから更に3日が過ぎていた。


 幸いにも、無理矢理、部屋に入ってくるということはなかった。医者だけは渋々承知したが、それも完治してからは部屋に入ることを私が承知しなかった。食事だけ、部屋の前に用意され、それを人がいないのを見計らって部屋に引き込み、食したり、食さなかったり、引き篭もり同然の生活が続いた。

 倒れて目が覚めたその日に訪れた女性が言っていた通り、それはそれは大事件だったらしく、誰もが強く言えないような様子らしかった。咎められないのを良いことに、ただただ帰りたいと祈り嘆くだけの日々が続いていた。


 諦めた足音が遠ざかるのを確認して、布団から出る。障子から柔らかい光が広がっている。私の心は晴れない。当たり前の日常が、当たり前ではなかったのだと痛感するばかりだ。もう二度と会えないのだろうか。そんな悲観的な考えしか浮かばず、目尻に涙が滲む。

 しかし、こんなことをしていても、仕方ないとはどこかでわかっていて。膝を抱え込む。

 私は一体どうすれば良いのだろうか。どうすれば、帰れるだろうか。その先を考えるには、何かが足りなかった。ただぼんやりと空虚を見つめる。


 どれだけそうしていたかわからない。

 不意に、徐々に近付いてくる足音を耳にして、膝に顔を埋める。本日、二度目の誰かの訪問だ。


「神子殿、私だ」

「……誰」


 膝に埋めたまま声を出したため、くぐもった声が出た。


「……失礼した、第一皇子の義乃よしのだ」


 第一皇子。とうとうお偉いどころが出てきてしまったらしい、ということには直ぐに気が付いていた。この神子様にタメ口をきいた人物は初めてだったからだ。ご神託を報告すると言っていた際に殿下と呼ばれていた相手だろうか。随分と女の子みたいな名前だな、とささくれ立った心が雑な悪口を叩いた。

 しかしながら、神子様にタメ口をきけるくらいだから上の立場になるだろう第一皇子がお出ましだとすると、私はそろそろ怠慢を叱られるのだろうか。膝を抱え込む腕に自然と力が篭る。脅えるというよりは、どちらかというと芽生えたのは反抗心。なんで、私がこんなわけのわからないところで、わけもわからないことをしなければいけないのか。お務めとやらをしなかったとして、怒られる道理はない。だって私は神子様なんかじゃない。違うのに。


「見舞いが遅くなってすまない。その場で構わないから、少し話をさせてもらえないだろうか」


 神子様へのお見舞いなんか、欲しくない。胸の内でぼやく。

 そのまま黙っていると、襖がガタリと小さく揺れる音がした。慌てて顔をあげるものの、襖が開かれることはなく、その後に続いた皇子の言葉が少し遠くなる。どうやら、襖を背に凭れかかっただけらしかった。


「体調はもう良くなったと聞いている。気にしているのは、禊の件だろう? あれは、君の失態ではない。皆にもそう伝えてある。だから、もうそろそろ機嫌を直してはもらえないだろうか」


 思わず、は、と間抜けな声が零れ落ちた。何を的外れな、素直にそう思った。襖を睨んだ顔が、露骨に怪訝な顔をしているのが自分でもわかった。


 この皇子様は神子様に仕事をしてもらえなくて仕方なくご機嫌取りに来たのか。

 神楽季咲という人間の心配なんて、ここの誰にも期待はできない。そんなことはわかっている。しかしながら、神子様も相当不憫だ。その肩書きだけが必要なのであれば、いっそ代わりの神子様でも立てたらどうだろうか。私がしているのは、所詮真似事だ。私でもできるなら、誰だってできる。

 さて、それでも、神子様のご機嫌を取りに来たというのなら、どんな言葉で慰めてくれるのだろうか。思わず笑ってしまいそうだった。笑ってしまいそうなほど、残酷だ。いっそ叱られた方が、ましだったかもしれない。


「……禊の儀の最中ではなかったと言っている。あれは、禊の前に熱で倒れただけだ。君のことだ、儀式の失敗など、矜持が許さないのだろう? 気持ちはわかる。……だが、考えてもみてほしい。ここで君が塞ぎ込めば、それこそ君の神子としての矜持が傷付くだろう。堂々としているべきだ。俺の言っている意味が、聡明な君には、わかるはずだ」


 しかしながら、そこには覚悟した、言葉通りの上っ面のご機嫌取りはなく、かといって嫌味のような刺々しさもなければ、無関心ともまた違うように感じられた。

 聞けば聞くほど、内容は見当違いも甚だしい。発される言葉は、神子、みこ、ミコ。呆れるほど神子神子うるさい。私は神子じゃないんだってば! 声には出さずに口だけでなぞって、膝を抱え込んだ腕に自らの爪が食い込んだ。しかしながら、ただ、それでも、目頭が熱くなったのは、なんだか、初めて、この世界で、人の温度に触れた気がしたのだ。神子と声をかける先に、きちんと一人の人間がいるような。そんな錯覚。


 神子様は、きっと、神子としての自分に崇高な矜持とやらを持っていたのだと思った。その言葉が、神子様への気遣いだと気付いたからだ。それに触れて膝を濡らす私は、果たして、本当に神楽季咲なのか、この身体のどこかに神子様が残ってでもいたのか。


「君がそうしている間に、秋流に向かった使者から神子召喚が確かに強行されていたとの報告が上がっている。そして、随分と、無理な召喚をしたようだ。召喚された神子は——穢れているらしい。全部、神子殿の先見の通りだった」


 そんなの、適当だ。何も考えずに言っただけだ。それがたまたま当たっただけで。そんなことを報告されたところで、偽物には神子様としてのプライドなんかない。そんな期待を寄せられても、困るだけだ。知らない。そんなの知らない。


「さて、いつまでそうしている? それはただ君に与えられた役ではなく、自ら望んだ役だろう。違ったか?……こんなことを、俺なんかに言われっぱなしで黙っていられるほど気位の低い神子殿ではないと思っていたが、買い被りだったか?」


 小さく笑う声が聞こえた後に、「それでは、失礼するよ。明日は報告を待っている」と言いたい放題で去ってしまった。


 ああ、この皇子様は、もしかしたら、神子様としてのこの神子様を信用していたのかもしれない。ストンとそんな考えが腑に落ちた。

 でも、残念ながら、その中身は、皇子様の信じた神子様ではない。

 となると、そんな言葉、響くはずもない。

 私は、神子様なんて役を望んでなんかいない。私が望むのは、家族の元へ、元の日常に帰ること、ただそれだけだ。

 それだけのはずだ。私には関係がない。知らない知らない知らない。激励されたところで、知らない。帰れるまで、ここで引き篭もるだけだ。誰かがなんとかしてくれる。誰かが助けてくれるはずなんだ。


「ははっ、誰か、って誰って話よ。本物の神子様かな……」


 思わず自分でも笑ってしまった。


「誰も助けてくれないって、わかってるのに……神様も神子様もいない……」


 帰りたいのであれば、私が、私で、なんとかするしかないのだ。

 着物の裾で涙を拭う。帰りたいなら、考えろ。帰る方法を。泣いていても、帰れない。

 誰かに期待して泣いても、帰れない。帰りたいなら、私が、神楽季咲を助けるしかないのだ。


 ——頑張れ、私。

 ——帰るために頑張れるのは、私しかいない。


 また一筋溢れた涙をもう片方の袖で拭って、一度深呼吸した。久しく、インクや絵の具の滲んでいない光景を見た気がした。

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