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天色の倖  作者: 六日
第1章
7/14

否定する程に凍返る

「10日目」


 そろそろ見慣れてきた天井を見上げて、呟いた。

 覚めない夢の中で、私は10回目の朝を迎えていた。

 疲労が抜けない身体を起こして、今一度部屋を見渡して、自分の格好を見下ろして、わかりきっていた事実を確認して、くらりと目眩がした。


 代わり映えのない朝を迎えたということは、さっさと準備しなければ、また嫌味の一つ二つ三つ降ってくるぞ。心の内で私ではない神子様に語りかけるようにして、装束以外は元来の生活と大差のない身支度をする。

 三月と呼ばれるお役目にあるらしいあの人たちが控える場所が表なら、この部屋の裏側には更に部屋がいくつかあり、一通りの生活ができる環境が整っていた。神子殿みこでんと呼ばれるらしいこの建物は、予想とは違わず、この神子様専用の住まいだった。

 反対側の襖を開いた先には廊下があり、その廊下を右に歩くと、お手洗い、洗面台、お風呂がある。水場には現代のそれと同じ水道の蛇口があり、捻れば透明な水が流れた。


 ふと洗面台の鏡に、顔色の悪そうな美人が映り込み、覗き込むとどこか虚ろな瞳がこちらを覗き込んだ。疲れた顔をしている。折角の美人が台無しである。やはり他人事のようにそんな感想を抱いて、私は顔を洗い、歯磨きをして、タオルで顔を拭く。夢なだけあって時代設定がよくわからないご都合主義だなと初めは目を眇めたが、夢が続けば続くほど、その恩恵は有り難く感じられた。


 さて、本日も神子装束に腕を通す。着付けはまだ上手くできない。しかしながら、初めての時よりは幾分かましなそれを見下ろして、溜め息を吐く。


「支度が整いました」


 そう伝えたのとほぼ同時に襖を開く。

 そうすると、向かって左膝だけを床につき控えていた涼風さんが頭を垂れたまま、「椿御前、おはようございます」と挨拶をくれた。銀髪の旋毛を眺めて、私も挨拶を返す。もしかしたら、これがこれまでの普通だったのだろうかと思ったが、そもそも普通も何もないなと思い直した。


 跪く傍らをスッと通り過ぎようとして、俯いた顔を上げて、足を踏み出したその時だった。

 一瞬、立ちくらみのような目眩がして、視界が真っ白になる。そうすると、軽やかに着地するはずだった足は予想と反して、ずる、と衣摺れの音を鳴らした。この夢においてこの長い裾の設定を採用したやつをしばきたい。とっさの思考はやはり斜め上を向いていたが、着地ならぬ着布した足に力ぐっと力を入れて、なんとか転びそうになるの堪える。間もなく視界も復旧したので、私は何事もなかった顔を貼り付けて、ゆっくりと歩みを進めた。後ろに控えた涼風さんの顔を見ることは遂になかった。


 はいはい、ご神託ご神託。

 誰の案内がなくとも、もう自らの足で儀式殿までの道のりは歩くことができた。儀式に必要な装備品たちも、自らの手であるべき位置に配置ができるようになっていた。そうして、今日のご神託は何をそれらしく伝えようかと考える。10日目にもなると、まるで、今朝の献立はどうしようか、くらいの気軽さがあった。所詮、夢である。大した意味もない。


 ——秋流あきながるの国に禍の気有り

 ——早急に、秋流に使者を出すよう、殿下に進言致しましょう。楸御前ひさぎごぜんがご不在のこの十数年で、随分国の情勢はよろしくないとは伺っておりましたが、心配ですね……。我が国は国境を接していないとは言えど、警備を強化するに越したことはないでしょうか……。夏羽なつは冬照ふゆてらすにも、ご神託の件は伝えるよう手配致します。


 残されたメモ、斯波さんの進言を繰り返し繰り返し、言い換えるだけの作業だ。


 そういえば、秋流には十数年神子がいないとも言っていた。楸御前とは、おそらくこの椿御前様と同じく、秋流の神子のことだろうということは簡単に想像がついた。しゃもじをそれらしく両の手で握り締めながら、今一度それらの言葉を思い返して、新たな観点に思い当たる。神子が、現れることにしてやろうか、と一体何への当てつけかも不明であったが、やさぐれた思考が頭をもたげた。


 特に躊躇いはなかった。何の力もない私で務まってしまうくらいの、形式的なもので、最早、本物の神子様も本当に聖なる力とやらが使えたのかも疑わしかったからだ。

 一息吐いて目を開くと、涼風さんを手前へと呼び、告げる。


「秋流に神子が現れますが、禍々しい気を感じます」


 どうでもよかった。夢が覚めてくれればそれで。

 目の前で信じられないと言わんばかりに見開いた涼風さんの目を視界に入れて、今日もアニメみたいな綺麗な顔だなと思った。


「……秋流から神子召喚の儀の予定は聞いておりませんが、しかし、先日遣わせた使者から誰かを匿っているような報告は上がっておりましたね。まさかとは思いますが……いや、椿御前の叡眼でまみえたのであれば、疑いようもないですね。直ぐに殿下へと報告致しましょう」


 それらしく会話が繋がるのだから、ここばかりは都合よくできているなと感心すらした。まさか、そういう能力だろうか。ご神託で発した言葉が、現実になるとか。そこまで妄想力を発揮して、そんなことあるわけないか、と静かに苦笑して目の前の人物に適当に頷いてみせた。だって、そんなことが起こるのであれば、他のことがこんなに上手く行かないはずがないのである。


 どこにいても、居心地の悪さしかない悪夢の中で、何もかもスカスカの中身をすり抜けていくようだった。

 廊下を歩けば、そこらにいた女中やら、神職らしき人たちが、シンと静まり返り、廊下の端で膝までついて大袈裟に頭を垂れた。早々と通り過ぎられればまだ良かったが、この通り、長い裾に邪魔をされてそれも叶わない。


 背後で唯一付き添うその者は、顔を合わせれば真顔か怪訝そうな顔。口を開けば不愉快であるか冷たい表情を露わにした。私のご神託が嘘なのがバレていたなら、それも納得する理由の一つにでもなったかもしれないが、そこに関してだけは、皆一様に真摯なのだから、相変わらず理解不能だ。


 神子様はどんな気持ちで生きていたのか想像してみたところで、何もわからない。せめてお休みくらいほしいよね、と空想の神子様に問いかけたが、それを望んでいたのは間違いなく偽物の方で。


 本日もこれからいつも通りの神子業務を無心でこなして、床に就くのだろうという予感は、本日のお務めの最後に裏切られることになる。


「本日はみそぎの儀がございます」


 儀式殿とも本殿とも別の方角へと歩いていく。渡り廊下をずっと歩くと、やがて屋内から屋外へと変わった。青い柱に青い屋根で渡される廊下の側には、いつも窓から見下ろす鬱蒼とした森の様子が滲んできて、やがて完全に森の中へと入ったらしかった。ぞわり、と背筋を這い上がり続ける寒気は、霊山と呼ばれるその神秘さにか、それとも私のなけなしの霊感が感じ取っているのか。右を見ても、左を見ても、深い緑が騒めく森を暫く進むうちにドドドドド、という水音が聞こえてきて、やがて予想に違わぬ立派な滝が見えた。


 私はこれから自分の身に起こることを察して、素直にだるいなと思った。

 後ろを振り向きもしない涼風さんは気付いていないだろうが、ここに歩いてくるまでの間でも私の疲労はピークにさしかかっていた。物理的な体力の限界を感じる。もしこれがRPGなら、私の体力ゲージは真っ赤で、ピコンピコンと何らかの警告音を発していただろう。心なしか、思わず吐き出した溜め息も熱がこもっているように感じた。


 禊という言葉は私にも聞き覚えがあった。服を着たまま滝に打たれる、あれだろう。漠然とした記憶の中では、巫女は白い装束だったような気がしたが、着替えでもするのだろうか。そう予想をつけたところで、ご神託の際の冠とはデザインが違う金色の冠を渡されて、ああ、そう、と内心呟いてそれを装着する。


 それ以降は、再び傍らで控えられるだけだったので、そのまま行けと解釈した。

 真っ青な袴の裾を持ち上げるとその重量に早くも嫌気がさしたが、観念して、底が見通せる程も透き通ったそこへそろりと右足を浸ける。

 その瞬間、予想以上に極寒の水に思わず叫びそうになった。そこで、初めてこの国に季節はあるのだろうかという疑問が浮かんだが、今はそれどころではなかった。


 死ぬ死ぬ死ぬ無理死ぬ、と喉の奥までせり上がる泣き言を無理矢理飲み込んで、秒で終わらせようと決意を新たにして左足に挑む。だぱん、と袴の裾が水面を弾き、重みのある音の鳴らした。

 腰元まで水の中に飲み込まれて、這い上がる冷たさに身震いが止まらない。


 水を吸って尚重くなった裾を手で掴み直して、意を決して、だばだばと鈍い水音を立てて、滝壺に向かう。

 一歩一歩が驚く程重い。私の感情とは相反するように、視界の端には掴み切れなかった袴の裾が尾ひれのように優雅に泳ぐ。

 どんな拷問だと、ここに来て初めて涙が出そうだった。私はなぜ、こんなことをさせられているのだろうか。私が一体何をしたというのだろうか。何のバチが当たったというのか。神様とやらが本当にいるのなら、教えてほしかった。


 ——果たして、これは本当に夢なのだろうか。


 決して考えてはいけないと思っていた疑問が、ついに言語化されてしまった。

 こんな嘘みたいな、夢みたいな話、あるわけないだろう。あっていいはずがない。視界がぼやけるのは滝からの水滴だろうか。苛立ちに任せて踏み出した足が、派手な水飛沫をあげる。それと同時に、心の奥底でずっとずっと燻っていた理不尽を恨む感情が弾けたようだった。

 嫌だと身体中が叫んでいた。絶対に嫌だと。そんなの絶対に嫌だと。信じたくないと。あるわけない。何度も何度も繰り返してみても、疑いようもなく肌を刺すような冷たさは確かにそこにあって、嘘だと否定する傍から更にそれを否定していく。


 次に足を踏み出した時に、ずっと鼓膜を震わせていた音が上から降ってきて、その衝撃をガクガクと震える足では支えきれずにそのままズルリと足袋が川底の石を滑る。両手はしっかり袴を掴んでおり、私は何の抵抗もできずに、ばしゃん、と派手な音を最後に全てを水の中へと落とした。

 直ぐに起き上がろうとしたが、上からの水が重くて更に沈み込む。足が着くはずなのに、混乱した頭では底がどこかわからない。袴が重くて、上手く足が動かない。息ができない。苦しい。ぶくぶくと泡が視界を横切っていく。手から放れた袴がそのうち視界の自由も奪い、焦った私の口からごぽりと泡が吐き出されて、もう温度のわからなくなった水が押し寄せて、そこで私の意識は完全に途切れた。


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