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天色の倖  作者: 六日
第1章
6/14

仕掛けもしない絵踏

 さあ、今日こそ終わりだ。

 根拠のない自信と切実な願望で塗りたくられた終わりの予感に裏切られ続けて、一週間の月日が流れようとしていた。


 深く物事を考える隙も無いほどに、私は神子様としての日々に忙殺されていた。

 ようやく眠りについても、直ぐに朝はやってきて、当たり前のように目覚めてしまう。

 そして決まった時間に問答無用で神子装束を着付けられ、神子業務に勤しむわけだ。ここに来てからそんな毎日を繰り返している。奴隷のようだと誰かが耳で囁いた気がした。


 二日目以降の神託だって、もちろん神からのお告げなどは1ミリも滴り落ちてくることはなく、その場その場で適当なことをのたまった。


秋流あきながるにやはり良くない先見が見える」

「秋流との国交は慎重に見極めた方がいい」

「秋流に暗くて黒い気がある」

夏羽なつはは秋流の国境警備を強化した方がいい」

冬照ふゆてらすも秋流との国境警備はこれまで以上に警戒した方が良い」


 なんて、一日目言った言葉と同じようなことを繰り返し言っているだけだ。そんなもので務まってしまうのも如何なものかと思ったが、斯波さんは神子業務に関しては毎日真剣に向き合って話を聞いてくれた。神子様との関係性は良くないにしろ、元来は真面目で誠実な人柄なのだろう。


 今日も今日とて代わり映えのない天井を見上げたということは、本日もそんな一日が始まってしまうのだろう。

 そろそろ着付けかなと構えていたところ、本日は特に声がかからないことに疑問を覚えた。


 真っ先に浮かんだのは、もしかして、神子様にもお休みは存在したのでは、というごくごく当たり前の発想。そりゃそうだよね、こんな生活毎日していたら過労死しても不思議ではない。

 七日目にして、初休日か、と乾いた笑いが洩れたところで、いつもとは違う声がかかる。


「椿御前、お目覚めですか」


 斯波さんの声よりも幾分か高い男性の声だった。声が目に見えたなら、透き通ったガラスでできた四角い箱にきっちりと綺麗に収まったような、そんな印象すら覚えるクリアでハキハキとした声だった。


「誰ですか」


 顔を見て問いかけてしまうとまずい、ということはこの前から学んでいたので、真っ先にそう声をかけた。これなら、自然かもしれない。先手必勝だと、我ながら名案だったと思った。


 しかしながら、どうやら今回も見込みは甘かったらしい。

 返ってきたのは、斯波さん以上に嫌悪を隠す素振りすらない鋭く研ぎ澄まされた氷柱のような反応だった。


「なぜ分かり切ったことを問われるのですか。睦月むつきの次は如月きさらぎが訪れるのは当然ですよね。涼風すずかぜ 瀬七せなと申せばご満足ですか」


 自らの指で触れた自分のものではないふっくらと膨らんだ唇の間から、私はひゅっと空気を吸い込んだ。

 それ以上何も言うことができず、私は無意識のうちに髪を撫でていた。いや、どうしろと。どうにもならない会話に、思わず胸で笑う他なかった。


 暫くの沈黙が流れた後に、「御仕度が済みましたら、お声がけ下さい」と淡々とした声がかかった。


 そして、私は、その言葉で瞬時に悟る。あ、もしかしなくても、休みなんかじゃない、と。

 何故、人が代わったのかはわからないが、もしかしたら斯波さんから嫌われ過ぎたのかもしれない。あるいは、斯波さんが休暇という可能性もなくはないが、まあ、どちらにせよ、やることは変わらない気がしたので、諦めに似た感情で神子装束を取り出した。


 これまで毎日されるがままに着付けられるのを眺めていたのだから、ある程度はできるだろうと根拠のない楽観的な思考があった。斯波さんの所作を思い出しながら、順番に布を巻いていく。


 しかしながら、出来上がりは、それはもうお世辞にも綺麗とは言えない有様だった。

 不恰好なそれを見下ろして、思わず頰が引きつったが、いや、こんなの自分で着たことないんだから、仕方ないだろう。むしろ、一人で形になっただけ上出来だ、と言い訳混じりに自らを慰める。

 斯波さん、着付けるの上手だったんだなあとそんな感想を抱いたところで、外の相手に声をかける。


「仕度が済みました。伺います」


 襖が開かれ、私は酷く冷たい印象の相手の顔を見やる。


 一瞬、女の子かと見間違えるほどの美青年がそこにいた。

 神子様と張るほどの雪のように白い肌に、目を奪われるシルバーの髪。左寄りの分け目から真っ直ぐに髪が垂れていて、切れ長で冷たい寒色の瞳が見え隠れする程度の位置で切り揃えられている。また、内巻きのおかっぱのようなサイドの髪は、神子様同様姫カットよろしく綺麗に整えられており、後ろから肩にかかった髪は胸元あたりで垂れ下がっている。

 男性にしては華奢ながら、首はしっかりと男の子らしい。

 その姿を視界に映して、私は息を飲んだ。


 思わず目を見張っていると、同じくして驚いたようなまん丸くなった目がこちらを向いていることに気が付いた。そして、バチリと視線がかち合う。


「椿御前、その無様な着付けはご自身で?」


 それは、声に似つかわしい凍えそうな程冷たい眼差しだった。綺麗な顔にありありと浮かぶ侮蔑の色に、思わず声もなく笑ってしまう。

 いや、そうですよね。私も不恰好だなって、そう思いました。でも、私、あなたたちの知っている神子様じゃないんですよね。残念ながら。羞恥を嚙み殺しながらも、胸の内ではどこか趣返しのように見下すような思考がぷかぷかと湧いてくる。


 にしても、この神子様、本当に嫌われすぎじゃない?

 あまりの嫌われっぷりにある種の面白みすら覚えてしまう。この1週間、私は誰からも友好的な態度を取られた試しがなかった。チリツモの嫌悪に塗れる神子様が、最早不憫でならない。そんなに嫌われるような、酷い人間だったのだろうか。この美貌で帳消しにできない程の性格の悪さなんて、想像もつかなかった。しかも女性相手ならまだしも、男性相手に、だ。

 高嶺の花こそ似合う居場所だろうに。


 なんて、神子様のために少しでも印象を良くしてあげられたら、という感情すら芽生えていた私は、間違いなく、こんな現実を鼻から拒絶していたし、見ない振り、気付かない振りを決め込んでいたのだと思う。私は本当の神子様ではない。と。


 神子様のこれまでの人物像がわからない以上、あまりに突拍子なこともできない。もし、神子様を騙っているとバレてしまった場合を想像すると、流石に肝が冷えた。これだけ高位の神子様だ。最悪、死刑、なんてことも否定はできない。と、そんなことが不意に頭を掠めたりすることもあったが、あまり現実味はないし、それに、実際そんなことをゆっくり考えている暇も今のところない。


 つい笑ってしまったことが癪に障ったのか、長い睫毛に縁取られた氷のような瞳がすぅっと狭まった。

 じと、と何かを値踏みするような視線を寄越されて、これはまた勝手に何かを察して勘違いされるやつだろうという予感があった。

 間も無くその予感は的中し、こんな予感が当たったところで何も嬉しくはなく、もう夢が終わりだという予感がそろそろ的中してほしいものだと思った。


 無言で袂をサッと正されて、首筋にぞわりと悪寒が走った。


「椿御前の気品が疑われますと、その御代の三月まであらぬ疑いがかかりますから」


 彼は最後に淡々とそう述べて、それ以降は特別口を開かぬまま、私はこれまでの日々と変わらぬ神子業務に務めた。

 今日こそ、流石に終わるだろう。そんな楽観的な予感を胸に抱いて、7日目の夜も滞りなく過ぎていく。

 明くる朝、同じ天井を眺めて、私はまた落胆する。


 そして、更にこう思うのだ。疲れた、と。

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