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天色の倖  作者: 六日
第1章
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束の間の鬼縛の花

 で、これからどうしろと。


 難しいことはわからないし、考えたところでわかりそうもない。

 とうの昔に私の脳はメモリ不足を起こしていたのだと思う。

 そこに、予測不能の生お着替え、だ。


 考えることを放棄しても無理はないだろう。そうだろう。私は悪くない。

 下着姿を見られたことのショックなどはなかった。なにせ、私の身体ではない。それに、隠す必要もないどころか羨ましい程のプロポーション。そもそも、下着が、私の勝手知ったる下着と同じなんだとぼんやり思ったくらいだ。

 あれ、もしかしなくても、やっぱりこれは夢なのだろうか。一周回った結果、私は在り来たりな結論を導いた。


 そこからの私は自分の身に起きることを他人事のように達観し、悟りを開き始めていた。

 とりあえず、なるようにしかなるまい。


「……それで、私は、どこへ向かえば?」


 しっかりきっちり見ず知らずの男性に神子装束らしきそれを着付けられてしまった私は、それ以降、背後で大人しく控えるのみになった男性——斯波篤之進しばあつのしんと名乗る彼に声をかける。

 思いの外、凛とした声が出た。着替え前とは打って変わったように、私の心は凪いでいる。


 今度はどんな冷たい言葉で刺されるかと思ったが、彼は一つ間を置いた後に、静かに私の前に歩み出た。

 その際に盗み見た横顔から感情は伺えなかった。


「儀式殿にございます。ご案内致しましょう」


 その言葉に対して、するりと「ありがとう」という言葉が滑り落ちた。相手は特に反応を示さず、私の前方を歩き始める。私もその後に倣う。


 部屋を出ると、そこがただの一室ではなく、一つの建物であったことに気付いた。私専用の住まいらしい建物から繋がる渡り廊下の先に、更に大きな建物が見えた。建物全体が、まるで神社のようだった。神子様が住むには似つかわしい場所なのかもしれない。

 ほうと関心していると、足に履いていた足袋が綺麗に磨かれた床を滑った拍子に、長すぎる袴の裾を踏みつけた。

 ああ、やらかしたな、という諦めの感情で、スローモーションのようにも感じるゆっくりとした重心移動に抵抗せずにいると、その異変に気付いたらしい斯波さんに素早く受け止められる。

 人様の腕の中で、素晴らしい身のこなしだな、と思った。


「……椿御前、まだお戯れは続くのでしょうか」


 そっくりそのまま同じ台詞を返したかった。この世界に。

 お戯れって。そんな言葉エンタメのような娯楽の中でしか聞いたことがない。

 それに、大真面目に躓いた相手に向かって、何を真顔で言っているのだろうか。と考えたところで、ゆっくり解放された。


「私が三月に選ばれたことに、ご気分を害されてらっしゃるのだろうと心中お察ししますが、こればかりは代わりが効きません。どうぞ、ご容赦下さいませ。神子様がどれだけ横暴に私を侮辱しようと、その地位が揺るがないのと同じように、どうにもなりはしないでしょう」


 悪意の無い偶然の私の言動だったが、どうして相手を追い詰めたらしかった。

 それはまるで子供を嗜めるような丁寧な言葉で、しかし、はっきりとした嫌悪の意思表示であった。

 私は首を横に振ることしかできず、これも勘違いさせてしまうかもしれないなあとそんな自覚を覚えた。


「……差し出がましいことを失礼致しました。急ぎましょう」


 居心地の悪い空気を肌に感じつつ、私は今度こそ、足元に細心の注意を払って、シャンと伸びる背中を追った。


 辿り着いたのは、告げられていた儀式殿という場所だろう。

 真っ青な支柱に支えられたそこに、私は足を踏み入れる。

 私は、ここで神託とやらを受けなければならないのだろうか。受け取れもしないのに。


 先程は自身で否定してみせた「小間使い」のように、斯波さんはあれこれと前もって準備をしてくれていた。椅子を引いてくれたりだとか、冠を被せてくれたりだとか。おそらく、本人としては当てつけなのだろうと察するが、こちらとしてはどこ吹く風だ。助かったとすら思う。


 そんなわけで、あれよあれよという間に、朝のお務めとやらの準備が整ってしまったようだ。その証拠に、今度こそ、斯波さんは入り口付近に控えるのみとなってしまった。声をかけるのにはやや遠い位置だ。


 仕方なしに、傍らに置かれたしゃもじのような木の板を手にする。確か、雛人形のお内裏がこんな感じの板を持っていた気がする。それを手に取って初めて、裏面に白の紙が貼り付けられていたことに気が付いた。

 メモでもするためのものだろうか。だとしても、書く物は無い。

 首を傾げて、それを両手で持ち、なんとなしに目を閉じる。


 そうして、暫くの時が流れた。


 やはり、私には何も降ってくるものなどなく、勝手に書き込まれる形式もあるかもと確認した紙にも、ファンタジーらしく浮かび上がる文字は無い。目を開いた先には一切代わり映えの無い空間があるだけだった。

 ふぅ、ともう本日何度目になるかわからない溜め息を吐いた。


 ――春の神子、叡眼えいがんを授けられし。

 神託を生業とし、国を豊かに導きたり。


 確か、あの本には、叡眼という文字があった、ような気がする。

 眼だ。聞くというよりは、見る、が正しいのかもしれない。

 そう思って、目を擦って、瞬いて、見開いて、閉じて、目を凝らして、何度繰り返してみても、見えるのは同じ景色のみ。

 いや、もう無理でしょ、無理無理。そう思って、握っていたしゃもじみたいなそれを、目の前で実にぞんざいに振ってみた。その時だった。


「本日の先見はいかがでしたでしょうか」


 そう問われて、ギクリとした。

 ついさっきまでは入り口に控えていたはずの斯波さんが、いつの間にか儀式用のしゃもじだとか冠だとかが置かれていた台の向こう側で、片膝をついて、こちらを見上げていた。形式的なものだろうが、淡々と本日の成果を聞いてくる端正な顔に、そんなものは無い!と叫んでやりたがったが、ふと、先見と言われて、咄嗟に脳裏を過ぎった。


 ”秋流の国に禍の気有り”


 部屋で見つけた謎のメモだ。そういえば、同じような形の紙であったような気がする。


「秋……の国に、まが……禍々しい気が、有り、と」


 フリガナを振っておいてほしかったなと遠い目になりながら、やけくそでそう告げると、サッと顔色が変わったように見えた。


「早急に、秋流あきながるに使者を出すよう、殿下に進言致しましょう。楸御前ひさぎごぜんがご不在のこの十数年で、随分国の情勢はよろしくないとは伺っておりましたが、心配ですね……。我が国は国境を接していないとは言えど、警備を強化するに越したことはないでしょうか……。夏羽なつは冬照ふゆてらすにも、ご神託の件は伝えるよう手配致します」


 何やらいくつもの新たら情報が舞い込んだが、どうやら強ち突拍子もない発言でもなかったらしい。思案したような素振りで、つらつらと述べられた意見の全部を理解できないうちに、私は適当に頷いた。そうすると、斯波さんはこの儀式殿の入り口付近で誰か伝令らしき人を呼び寄せ、託けたようだった。


 そうして、これで私の役目は終わりかと安心したのも束の間、私は次々と神子業らしいお務めにご案内されるのだった。

 神子のお務めは、朝の神託に始まり、奉納された絵馬の確認、祈祷、お札の文字入れ、奉納された絵馬の確認、奉納された絵馬の確認、奉納された絵馬の確認、お守りの作成etc.とういう重労働だった。どれもこれも見様見真似で頑張ってみたが、目覚めた部屋に戻ってきた時には疲労困憊でもう一歩も動きたくなかった。

 神子様って大変。


 しかしながら、眠りにさえつけば、はちゃめちゃなこの夢ももういよいよ終わりだ。

 私は漠然とそう考えていて、それからの日々も、眠りにつく時には、毎日毎日毎日、毎日、漠然ともう終わりだという直感に任せて、言い聞かせて、眠りに落ちた。

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