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天色の倖  作者: 六日
第1章
3/14

蜃気楼のように

 夢をみていた。

 はじめて、この世界で目覚めた日の。




 ——キン、と鋭い痛みで目が覚めた。

 思わず小さく呻いたが、そんなことよりなぜか何かを思い出さないといけない気がして視線を彷徨わせる。


「あれ、なんだっけ……」


 自分が言葉にしたものの、”何が”なんだっけなのかもわからず、ただ不思議な気持ちになった。なんだか、落ち着かない。何かを思い出さないと。何かってなんだろう。堂々巡りの問いを数回繰り返して、ようやく、そもそも、ここはどこだろうという疑問に辿り着いた。

 はたとした瞬間にガバリと起き上がり、辺りを見回す。


 目がチカチカした。目に飛び込んだのは眩いばかりの金色に、鮮やかな瑠璃色。歴史の教科書や美術の本に乗ってそうな煌びやかな日本画が壁に描かれ、壁の間には質の良さそうな木の柱。木の柱を下に辿ると、畳があって、上に辿ると、今度は黒と金色のコントラストが目を刺激した。


 とんでもなく豪華絢爛な和室。和室というよりも、なんていうんだけ、本丸? 御殿? みたいな。普通の和室ではなく、時代劇でもこんなに華美な設えは見たことがなかった。それに、なんだかこの光景に違和感を覚える。


 現実味がみるみるうちに引いていく最中、手中に掴んだのはふかふかの布団で、手触りの良さに驚く。


「え、本当にここどこ。……え?」


 わたし、昨日何したっけ。何って、普通にいつも通りに学校に行って、授業受けて。それで、あ、そうだ確か、雨だから部活休みになって、琴子と一緒に帰ろってなって。


「あれ、それからどうしたっけ……?」


 ぞわり、と得体の知れない悪寒が背筋を這った。なんだろう。なんか、わかんないけど、嫌な予感がする。


 混乱のまま両手を頬に沿えると、当然のように指が生温かい皮膚を撫でて、あれ、もしかして現実では、というなんだか現実味のない疑惑が脳裏を過った。


「ていうか、琴子は?」


 何が現実で、何が夢なのかがわからない。何一つ知っている現実の片鱗がなく、私は困り果てた。


 そうだこれは夢なんだ、なんて都合よく解釈できるようなふわふわした夢心地もなく、ざわざわと胸騒ぎが大きくなるのを感じていた。


 琴子は。もう一度そう呟いたはずの言葉は、わけのわからない恐怖から声にはならなかった。得体の知れない状況に気味の悪さを感じずにはいられない。唯一の寄る瀬であるその名前が、かえってこの並一通りではない事態の深刻さを増幅させていく。


 私は努めて、長く、息を吐き出した。落ち着こう。大丈夫。なんとかなる。落ち着け。吐き出す息はところどころ震えてしまったが、それでも、なるべく長く息を吐く。


 すぅ、と再度大きく息を吸い、吐き出す正にその瞬間だった。


「つばきごぜん」

「ひぃやぁあ……!!」


 タイミングが悪かったとしかいいようがない。本当にタイミングが悪かった。なんの声なのか、なにを言われたのか、全く理解できないまま、私は飛び上がった。


 そうすると、次の瞬間には、「っおんまえ失礼いたします!」との声と共に襖が乱暴に開かれ、私はいよいよ混乱のまま絶叫した。


「ごぜん! いかがなさいました!? 曲者はどこに!?」


 胸の前で両腕がわなわなと硬直しているのがわかる。心臓の音がうるさいくらいにバクバクと鳴っている。

 は、は、と小さく途切れた息を吐いたつもりが、上手く吐き出せずに空気を吸うばかり。しかしながら、鈍く光った日本刀を視界の隅に映して、ここで気を失ったら確実に死ぬ、そんな危機感で息をとめた。落ち着け。まだ死にたくなんかない。なんとかしないと。

 手で撫でるのはふかふかの布団だけ。布団の中で静かに走り出せるように足首を立てる。この布団を、隙を見て被せて逃げられないだろうか、そんな策略を立てていたところで、辺りを見回したその見慣れぬ男が、キン、と金属音を一つ鳴らして、腰の鞘に刀を収めた。


「つばきごぜん、ご無事でございますか。これは一体何事でございましょう」


 つばきごぜん。確かにそう呼ばれた。男の視線の先は他の誰でもない、私であった。つばきごぜん、とは私のことを言っているのだろうか? 思わず眉間に皺が寄る。であるとするならば、私は無事を聞かれている? 殺される心配はない? そう理解した瞬間に今にも走り出そうと準備していた足は、再び布団へと沈み込むことになった。


 あなたは誰、ここはどこ、つばきごぜんって誰。誰のこと言ってるの。たくさん聞きたいことはあったけれども、この訳の分からない状況で下手に口を開くことができず、私は相手を伺う。

 そうすると、先程まで鬼気迫る様子で相対していた男は、程なくしてその顔から感情の色を落とす。


「私相手には口も効いていただけませんか。つばきごぜんは誠に誇り高いみこ様でございますね。おんまえをお騒がせ致しまして、申し訳ございませんでした。何事も無いようなので、失礼致します」


 最後に口元に皮肉げな笑みを浮かべて、その男は踵を返す。

 つばきごぜんとは、椿御前と書くのだろうか。おんまえ、とは、御前のこと? それに極めつけは、誇り高きみこ。みこって、巫女だよね? であるならば、椿御前と呼ばれる者は、身分の高い巫女なのだろうか。なんでそんな人と勘違いされているのかは謎だが、私はその男からもたらされた情報の欠片を精一杯かき集めると、慌てて口を開いた。

 下手な真似はできない。が、このまま静観したところで、事態の把握もままならない。


「……っわ、たしの声が驚かせましたか? 申し訳ありません」


 賭けだった。これで全く見当違いの現状の把握であれば、この身がどうなるかはわからない。ただ、頭の中で今しがたの出来事を再生した中では、そこにしか繋がらない。


 私の言葉を受けて、ゆっくりと振り向いたその男は、よくよく見るとアニメや漫画に出てきそうな絵に描いたようなイケメンで、そこで漸く、どこか肌で感じていた違和感に気が付いた。


「え……」


 目の前の人物は、本当に、絵に描いたような姿であった。目を凝らせば部屋の様子もそうだ。現実の質感と異なるというか、そこに確かにあるはずなのに、絵に描いたような光景なのである。


 その男性は、人間、というよりも、キャラクターと呼ぶ方がしっくりくる。


 深い藍色に艷めく髪は、両サイドの髪を残して、やや無造作にハーフアップにされている。長さは肩に付くくらいだろうか。服装は髪色とよく似た藍色の雅やかな和装であり、金色の帯や紅色の紐がところどころ結ばれている。どこからどう見ても大変煌びやかである。歳は、私よりも幾分か上だろうか。頭の中で考えを巡らせれば巡らせる程、随分と目の前の景色がファンタジーに見えてきてしまい、少しだけ緊迫感が遠のいた。何これ本当に。


 視線を感じて見上げると、訝しそうな顔がそこにあった。薄いグレーの瞳が細く伸びている。失言を察したその時に、形の良い唇が再度開かれた。


「恐れながら申し上げますが、一体何を企んでいらっしゃるのでしょうか? 私には神子様の意図が全くわかりません」


 私のことをその得体の知れない巫女様と間違えていることに間違いはなさそうで、言葉の端々には棘が仕込まれており、椿御前さんとやらはかなりのヘイトを買っているらしい。

 そして、私の言動が確実に彼の中の何かの疑念を深めたらしかった。


 不意に脳裏を掠めるのは、先程の日本刀。しかしながら、アニメのように描かれた世界だと気付いたことで、現実味が遠のいた結果、普通に返答できる程度には危機感は薄れていた。一周回ってキャパオーバーしたのかもしれない。


「いや、突然の声に驚いただけで、何も企んでなんかは……」


 そんな私のことなど知る由もなく、まるで私の話など鼻から聞く気もなさそうな彼は私の返答に眉根を寄せたまま、心無く謝罪を口にした。どう見ても、納得などしていなさそうである。


 最後にこれみよがしに呆れたように首を捻った彼は、今度こそ踵を返して室から出ていった。

 

 その場に一人残された私にわかることと言えば、私はどうやら椿御前と呼ばれる位の高い巫女様と間違われていること。おまけに、その椿御前は極めて評判が悪そうだということ。


 そして、目の前の景色の全てが、私には到底受け入れ難い光景であるということ。


 私は、椿御前などと呼ばれる者ではない。ごく普通に令和の時代に生きていた女子高生である。

 一体、こんな小娘を捕まえて何を言っているんだろうか、と知らず知らずのうちにびっしょりと冷や汗を握っていた自らの手のひらに視線を落とす。


 そうすると、自然とツヤツヤの黒髪が視界に入った。はたとした。


「え? なんで、黒」

「え、なが、え?」


 恐る恐る指を通してみると、見た目通りサラサラと通っていき、やがておへその当たりまで辿り着いた。

 私の髪の毛ではない。私の髪はカラーリングしたブラウンで、パーマをかけている。


 慌てて立ち上がると、布団にもつれてすっ転んだ。ぼすりと再度布団に突っ込んでしまったものの、頭の中は真っ白で、無我夢中で立ち上がると、何か自分の姿を確認できるものを探す。


「あった……! 鏡……!」


 立派な鏡台を覗き込んで、今度こそ開いた口が塞がらなかった。

 見たこともない、美女が唖然とこちらを見返していたのである。

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