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凍蝶  作者: 八花月
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新たなる力

 海心と静香が不器男を見舞った日から、一週間程経っていた。

 今日は正式に松山一大から、レッスン場を使えるのは本日までと言い渡されている日である。

「本日はなんの集まりなのかしらね」

 小城龍珂(おじろるか)は、レッスン場の入口を見つめながら呟いた。ポツポツ来てはいるが、矢張り今日は集まりが悪い。

「丁さんから何か発表があるとからしいですが……今更何を発表しようっていうのか」

 太里九瑠璃が嘆息しながら応じた。さあね、と言いながら龍珂は目を瞬かせた。瞼に合わせ、長い睫毛が揺れる。

「まあ、今日は丁のワガママ聞いてやってもいい、って思って私は来たのよ。ほら、ぶっちゃけSaltって、丁と深山さんが二人で作ったようなとこあるじゃない?」

 龍珂の言葉を聞いた九瑠璃は、あからさまに渋い顔をした。

「おつかれおつかれー」

 武音乙女の声が、部屋中に響きわたる。

「二回言わない」

「そ、そんな厳しく言わなくてもいいだろぉ」

 乙女は姉の乙葉と連れだって来ていた。〝まったく、姉貴はこんな時でも厳しいんだよなー〟と乙女がぼやくと、この場にいる皆から朗らかな笑いが漏れる。

「丁は?」

「おうっ。十子と一緒に、もうすぐ来るっつってたぞ」

 龍珂の問いに、乙女は屈託なく答えた。

「今、こちらへ向かっている、と仰っていたのよね? 乙女」

 乙葉に答えて、うん、と素直に頷く乙女。乙葉は、乙女とは対照的になにかピンと張り詰めたような空気を身に纏っていた。

「乙葉さん……乙女も、丁や十子から今日のこと、何か聞いてたりするんですか?」 

「私達は何も聞いておりませんよ。……ね?」

「え? う、うん。まあな」

急に振られ、乙女は言葉を濁す。が、龍珂は特に二人が何か隠している様子はない、と判断した。

「私も何も聞いていません……。丁さんと十子さんが二人で何か考えていることがあるようですが……。正直こういうやり方はあまり好きにはなれません」

 九瑠璃が、子供のように頬を膨らませて言う。

「まあ、泣いても笑っても、私らがSaltとして集まるのは今日が最後だからね……大目に見てやろう? ね、九瑠璃?」

 龍珂は、苦笑しつつ宥めた。

 九瑠璃は謹厳実直を絵に描いたような人物で、その性格から自然SaltのNO.2のようなポジションに納まっていたのだが、その役目柄かどうしても嫌われ役のようになることが多かった。

 今、リーダーである丁は、ほぼ土佐十子と行動を共にしており、九瑠璃はほぼ蚊帳の外のような状態である。丁も、人の気持ちには敏感な性質なので、九瑠璃をないがしろにはしないように気をつけているようなのだが、どうしても九瑠璃は気にしてしまうようだった。

 それでこのように拗ねて見せているのだが、龍珂はどうしてもこの九瑠璃の素直な人柄が嫌いになれないのだ。出来ることなら、Saltとしての縁は切れてしまっても、時々連絡が取れないかな、と考えている。

 多分今ここに集まっている者は、みんなそう思っているのではないかな、と龍珂は思っていた。

「……少し遅れました」

「やあ、ごめんちょっと話しこんでて」

 白楽丁と土佐十子が姿を現すと、自然とその場は静かになっていった。

「本日は、わたくしの勝手な希望で集まっていただいて、本当に感謝しています」

 丁は深々と頭を下げた。丁はこういう時、周囲が拍子抜けするほど素直に、誰に対しても分け隔てなく深くこうべを垂れる。

 いつか、龍珂がそのことを褒めると、十子は笑って〝ただ妙なこだわりがないだけだと思うよ〟と言っていた。 躾のせいなのか、本人の性格のせいなのかよくわからないが、それが当然だと思っているだけだ、と言うのだ。

 そうかもしれないけど……、と龍珂はその時のことを思い出しながら、丁を見ている。

 確証はないが、これから丁が言わんとしていること、しようとしていることは、丁が当然だと考えて、自然に行うことではない。おそらく、今まで自分が見てきた自然体の丁なら絶対にしないようなこと、何かしらの覚悟が必要なことだろう、と龍珂は考えていた。

 ひぃ、ふぅ、みぃ、っと……と、呟きながら十子がこの場にいる人数をかぞえている。

「半数以上……。いや、もっとか。思ってたより多い。まあ、こんなものかな」

 言い終わったあと、十子は一歩下がり、壁際に立った。丁の邪魔をしないように、という配慮のように、龍珂には思えた。

「今日集まっていただいたのは、わたくし達でSaltの解散にけじめをつけると言いますか……ラストライブのようなものを開催したいと思うのです」

 丁が口を開くと、室内に大きなどよめきが起こった。

「しかし……私達はみな、今日で松山さんとの繋がりは切れてしまうのでしょう?」

「ええ。ですので、松山さんの支援は全く期待できませんね。かかる費用は全て参加してくださる方々の持ち出しということになると思います」

「持ち出しって……?」 

 白楽野乃瀬が手を上げながら質問すると、隣に座っていた姉の奈々が

「参加する、私達アイドルが負担するってことよ」

と、答えた。二人は、丁の従姉妹にあたる親戚で、姓もそのまま『白楽』で同性である。

「ああ、いいんじゃない? あたしは賛成」

 奥次雅子が、真っ先に発言した。

「このままなし崩しでSaltが解散、ってのもスッキリしないし、ファンも喜ぶんじゃないかな」

 〝確かに……〟〝なんかあっさりしすぎてるな、って感じはしてた〟と、雅子に追随するかたちでぽつぽつとメンバーから声が上がる。

「ちょ、ちょっと待ってください! お二人でそんなことを勝手に決められては困ります!」

 九瑠璃が吃とした声で発言すると、一気にレッスン場内は水を打ったように静かになった。

 どうぞ、と十子が言うと、九瑠璃はわざわざ立ち上がり皆に向かって説き始める。

「みなさん、よくお考えになってください。不祥事に近い事件が発端になったとはいえ、Saltはそれなりに名が売れ、松山さんがこれから売りだそうと考えていたグループです。こんなに簡単に解散が決まり、なおかつ松山さんの事務所のフォローは何もない状態。それこそ関係者から解散に合わせてラストコンサートなりなんなり提示されてもいいじゃありませんか。おかしいと思いませんか? 何故でしょうか?」

 丁は何も言わず、おとなしく九瑠璃の主張を聞いている。

「それはひとえに、今回の事件の被害者である小塚さん、それに芸能界で絶大な力を持っている松山さんに睨まれる可能性があるからです。それなのに私達が勝手にライブなど企画したらどうなると思います? 関係者の方々の心証まで悪くなってしまうかもしれません。今までお世話になった方々にご迷惑をおかけしてまで、それはしなければいけないことなんでしょうか?」

「そこまで卑屈になるこたねーんじゃねえの?」

 乙女の抑制の効いた声が、突き刺さるように教室内にこだました。

「感情で物を言ってもらっては困ります」

 九瑠璃はピシャリと応じる。

「関係者の方々だけじゃありませんよ。これは私達自身の今後にも関わることです。この中でどのくらいの方がそうなるのかわかりませんが……」

 九瑠璃は話しながら、初めて躊躇した。

「Saltが終わっても、芸能活動を続けようという方はいないのですか? そういう方々は、このラストライブとやらに参加すれば、確実に今後芸能界ではやっていきにくくなるでしょう。……中にはもう、他事務所から打診のある方がいるかもしれませんね。特に人気のあった方々……。乙女さんや丁さんならそういう話があってもおかしくありません」

「今んとこあたしにはそんな話ねーし、あったとしても、もうアイドルはやんねーよ」

 真っ先に乙女が答える。乙女はSaltに入る前、一度他のアイドルグループでいざこざに巻き込まれ自らグループを脱退した経緯がある。それを踏まえての言葉だった。

「……わたくしは、元々Saltはそろそろ解散すべきと思っていましたし、解散したあと、芸能活動に関わる気もありませんでした。今もその気持ちは変わりません」

 丁の答えを聞くと、九瑠璃はかすかに眉を曇らせた。

「そうですか……。お二人の気持ちはよくわかりました。決して私に揶揄するような気持ちはなかったということを分かってください」

 そう言うと九瑠璃は、生真面目な顔で軽く頭を下げた。

「気にしてねえよ」

 乙女は、片手をひらひらさせながら応える。

「太里さん、勘違いなさってるかもしれませんが」

 語り始めた丁の声音には、いたわりの心が溢れていた。

「わたくしは、皆に賛成してくれと言うつもりはなかったんですよ。参加するご意志のあるかたは、それを示していただければ、後日ある場所をメールでお教えいたしますので、そこに集合してもらって、ラストライブの詳しい打ち合わせをするつもりだったのです。この場所はもう使えませんから……。お嫌な方々を巻きこむつもりなど、毛頭無かったのです」

 やっと〝そうですか〟と漏らした九瑠璃は、何事か思い出すように、俯いてしまった。

「私、Saltのこと、好きでした。本当にみんな続けたかったんです。丁さんや深山さんのことを、悪く言う気なんてありませんでした。ごめんなさい」

 でも、と言って、九瑠璃は顔をぐいっと上げた。

「これだけは、最後に言わせてください。ここにいる人達も、我慢することはないんです。自分の気持ちに正直になって良いと思います。だって、だって……折角アイドルになったんですから。他のグループに移りたい人は、遠慮しなくていいと思うんです」

 それだけ言うと、九瑠璃は〝失礼します〟と言って、足早に部屋を出て行く。

 近くを通る時、龍珂は横目でちらと、九瑠璃の目元を見た。

 泣いてる……かな?

 良く視認できず、確信は持てなかったが、龍珂にはそのように見えた。

 辛そうだったのは、確かね。

 そう考えていると龍珂は、否応なしに自らの目頭が熱くなってくるのを感じた。

 ああ、やっぱり、私、九瑠璃は嫌いになれないな。

 おそらく、もう二度と会えないであろう仲間に対し、想いを巡らせていると、

「あいつ、どっかから誘いがきてんのかな?」

 という乙女の声が聞こえてきた。

「余計なことは言わなくていいの」

 乙葉が、コツンと乙女のひたいを叩く。

「な、なんだよぉ、姉貴だって思っただろ?」

 慌てて抗弁する乙女の肩を、龍珂はぐいっと引き寄せた。

「あっははは……らしいね、乙女。私、あんたのそういうところ、良いと思うよ」

「な、なんだよいきなり」

 急なことに度を失っている乙女に、皆くすくすと忍び笑いを始め、やがてレッスン場全体がにこやかな空気に包まれた。

「あーっと、ちょっといいかな?」 

 笑い声がおさまってきた頃、ようやっと十子が手を挙げて発言する。

「このラストライブなんだけど……丁と話し合って決めたんだが、汀子ちゃんの今後についての提言もしようと思うんだ」

「提言……って?」

 野乃瀬が、緊張した面持ちで問う。先程までのなごやかな雰囲気はなくなっていた。

 汀子というのは深山不器男の妹であり、近々ある映画の重要な役で、デビューするという話のあった人物である。

 今回の事件で、折角のその話もお流れになってしまうかもしれない、という噂があるのだ。

 月坂も色々動いてはいるが、情勢は厳しいと言えそうだった。

「そんなに大々的に何かやろうって気はないよ。あくまで主題は僕達の解散だからね……。ただまあ、この事件のとばっちりを受けたのは可哀そうだろう? 汀子ちゃんはあくまで僕達とは関係無いんだ、ってアピールを何らかの形でやれればいいと思ってね……。アイドルファンがそれをSNSで発信してくれたりすれば、少しでも良い変化があるかもしれないと思うんだ」

 十子の話を聞いたメンバー達の一部は、微妙な表情で顔を見合わせている。

「上手くすれば芸能マスコミの関係者も来てくれるかもしれない。なんせ今回の事件は話題になってるからね」

 十子は苦笑しながらこの話題を締めくくったが、この部屋にいる者の内何人かは、明らかに動揺していた。芸能マスコミまで来るなら、もしかしたら自分を拾ってくれるところもあるかもしれない。

余計なことをしたくない、と幾人かの顔には書いてあった。

 汀子の味方をするアピールまでしてしまったら、完全に小塚や松山達から睨まれてしまうではないか。丁や乙女はもう、完全に芸能界に未練はないかもしれないが……。

「はーい」

 気の抜けたような声を上げ、龍珂が手を上げる。

 その意味が掴めない、大部分の人間はきょとんとした表情で、龍珂のほうを見た。

「んん? ラストライブに参加する気のある人は、それを示すんでしょ?」

「あ、あたしもー」 

 乙女も手を上げ何人かが続こうとした時、十子がそれを止めた。

「いやいや、挙手ってのもなんだからね。用意してきたんだ」

 喋りながら、手提げから何か取り出す。

 筒状のそれは、巻きついている紐をほどくとはらりとほどけ、会議机の上に広がった。

 まっさらな紙が、皆の注目を集める。それは時代がかった巻物であった。

十子は、静かに筆ペンを机上に置いた。

「すまないね、こんなものしか用意出来なかったんだが……。参加する意志のある者はここに記名して欲しい。僕達がいると色々やりにくいかもしれないから、出て行くよ。紙はきちんと回収して、書いてくれた人には後日連絡するから安心してほしい」

 十子と丁は言葉通り、レッスン場の出入り口に向かう。

「ありがとう、龍珂」

 すれ違いざまに、十子は耳元で礼を述べて行った。

 何か返そうかとも思ったが、最早二人は戸を開けて出て行こうとしている。龍珂は、十子が自分に礼を言った時点で、こちらの意図は察しているのだから、これ以上のやりとりは不要かもしれないな、と思い直した。


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