病室で
丁に見舞いを頼まれた二人は、不器男の入院しているという芝村医院に来ていた。
総合病院ほどの大きさはないが入院設備も整っており、パッと見た感じ病院として不安になる要素はない。
「ふおぉ……ちょっとレトロチックで……お高そうなイメージありますねぇ」
石見海心は少し緊張しているようだった。
「病院に外観を求める人って、案外いるんかねえ」
双岡静香も目を細めて、医院の建物を眺めている。
芝村医院は木造二階建て、戦前戦中、衛生色と呼ばれた水色で全面を塗られた、一見映画のセットにでも使われそうな風情のある建物だった。
「お見舞いですか?」
二人が建物に入ると、すぐに女性の看護士に声をかけられた。
「え、ええ? そぉですけど……・」
「花持ってるだろ、って。落ち着け」
静香が指摘すると、〝あ、そうか〟と言って海心は手元の花束を見遣った。
「別に慌ててるわけじゃないよ? ちょっと疑問に思っただけで……」
「どなたのお見舞いですか?」
看護士はニコニコしているが、有無を言わさぬ口調で訊ねてくる。
「はい、こちらに入院している、深山不器男さんのお見舞いに……」
「申し訳ございません。深山さんは現在面会出来ない状態なんです……お引き取りください」
相変わらず看護士は頬を緩ませていた。
「ど、どうしてできないんですかぁ?」
「治療の都合です」
「いつならできそうなんです?」
静香が問うと、看護士はますます笑顔になる。
「さあ……こればっかりは人間のことですので……いつになるかはちょっとお知らせいたしかねますね」
「そんな、えっと……だいたいの目安くらいは……」
「あ、お見舞いのお花はお預かりしますよ。あと、お名前を教えていただければ、深山さんにお伝えいたしますが」
抗議の声をあげようとした海心を、静香が押し止めた。
「海心、この人に花を渡して帰ろう」
「えええっ? 静香ちゃん、だって折角……」
いいから、と言って静香は、看護士に花束を渡し、海心を引っ張って外に出た。
「静香ちゃん、あんなに簡単に引き下がっていいの? 丁さんにあんなにお願いされてきたのに」
「迂闊だった、九瑠璃さんも言ってたのに……。ここ、完全にそういう病院だよ」
「そういうって……?」
静香が差し出したスマートフォンの画面を見て、海心は小さく〝あっ〟と声を上げる。
芝村医院は、政治家や芸能人が問題を起こした時に、よく雲隠れするのに利用される病院の一つ、とそのホームページでは紹介されていた。
「深山さんの証言を、表に出したくないって、ってことだろうね。マスコミのシャットダウン用に入院させられた、ってことだ」
「わ、わたしたち、マスコミじゃないのに……」
「あたしらの口から、マスコミに伝わるかもしれないじゃん? まあ、あの看護士は誰が来ようが完全にシャットダウン、って申し渡されてるんでしょ……。間違った判断だとは思わないよ。どこかの記者に聞かれたら、あたしも黙ってるつもりないし」
静香は、フン、と小さく鼻を鳴らす。
「じゃ、じゃあ、諦めて帰っちゃうの……?」
「冗談!」
問われた静香は、ピッ、っと中指を立てた。
「どっか、こっそり入れるとこ探すよっ」
「うんっ!」
海心は両の拳をぎゅっと握って応じる。二人が駆け出そうとすると、
「ちょ、ちょっと待ってください」
と、背後から遠慮がちに声をかけられた。振り返ると、薄緑色のナース服を身に着けた若い女性が立っている。
「あ、いや、えっと……」
海心が何か取り繕おうとして口を開きかけたが、すぐに〝違うんです〟と否定された。
「あの、深山不器男さんのお見舞いに来られたんですよね?」
「そうですよ」
「違ってたらすいません。お二人はアイドルで……『Salt』のメンバーの、双岡静香さんと、石見海心さんじゃありませんか?」
ギョッとした顔で身構える二人に、
「ご、ごめんなさい、違うんです! 私、怪しい者じゃありません! この病院で働いてる看護士で、八木夕子って言います」
と、自己紹介して深々と頭を下げる。
「何か御用なんですか?」
「はい、あの、深山不器男さんに会いに来られたんでしょう? プロデューサーの。それで門前払いになってしまった……」
八木と名乗った看護士は、自らの気を落ち着けるようにすぅっ、と深呼吸した。
「私、ご案内出来ますよ、病室に」
海心と静香は、顔を見合わせる。
「あのぉ……いいんですか? バレたら怒られるんじゃ……」
「大丈夫です。裏口から入りますから。それに、私も納得いってないんです。深山さんと小塚さんの間の諍い……。とばっちりを受けてSaltまで解散しちゃうなんて」
ありがとうございますっ! と、海心は喜色満面で夕子の手を取った。
「やったね、静香ちゃん! 味方になってくれる人もいるんだ!」
「ちょ、ちょちょ、待って……。なんでSaltの解散まで知ってるわけ?」
振り返って同意を求める海心を差し置いて、静香は夕子に問う。
「あ、ごめんなさい。私、以前からSaltのファンで……関係者の人達が病院に来て色々話してるの、聞いちゃったんです。深山さんが小塚さんを殴っちゃったことや、それが小塚さんの流した丁さんと深山さんの、事実無根の噂が原因ってことも……HP載ってた以上に詳しく。Saltももう、解散は規定路線だろう、って関係者らしき人達が話してました」
〝この人、もしかしてあたしらより今回の事情に詳しいんじゃない?〟〝……そうかも〟と静香と海心がアイコンタクトで会話していると、夕子は話しながら感情が激してきたらしく、声が高くなってきた。
「り、理不尽ですよね! それは手を出しちゃったのは、深山さんが悪いかもしれないですけど! 小塚さんのほうだって、ご自分の非は認めちゃってるんですから、喧嘩両成敗じゃないですか?! それを一方的に深山さんだけ処分が降されて、その上Saltまで解散……! こんな非道が許されるんですかっ? こんな不公平なこと続けてたら、他のアイドルの皆さんだってやる気がなくなっちゃいますよね!? 私、アイドルには夢を持って、キラキラ輝いていて欲しいんですよっ! だのにこんな……」
「ま、まあまあ……お気持ちは伝わりましたので……」
静香は早口でまくしたてる夕子を、小声でたしなめる。
「あ、ご、ごめんなさい……。私、Saltのことになると我慢出来なくなっちゃって……。一番辛いのは当事者の皆さんのはずなのに……。あれ? もしかして、Saltの皆さん的には、そこまでショッキングなことでもなかったり……?」
「そんなことないですよぉ!」
「騒がないで!」
声を張って否定する海心を、静香は慌てて諌めた。
「あの、見つかっちゃうかもしれないので……本当に申し訳ないんですが、早く病室に案内をお願い出来ますか……?」
「そ、そうですよね!」
ではこちらへ! と言われ、二人は案内されるままで芝村医院の裏手にまわった。
職員の通用口のようなところを通り、三人は中に入る。
「ふおぉ……なにか、病院の関係者になった気分ですね~」
海心は無駄口を叩きながらキョロキョロしているが、幸いなことに人目は無かった。
病室の前に着くと、夕子はスッを後ろへ下がる。
「私は外で、誰か来ないか見張ってますから……」
「ありがとう、夕子さん」
「恩に着ます」
海心と静香は、深々と頭を下げ病室に入った。
「あら……?」
不器男の病室は個室と聞いていたのに、他の者の声が聞こえたことに、二人はまず驚く。
「ああっ…………!」
「あの……ご無沙汰してます」
中の者の正体に気付き、二人はより一層度を失った。
不器男のベッドの傍ら、窓際に置かれた椅子にその女性はゆったりと腰かけている。
「丁さん……は、いないんですね」
「丁は今……色々な対応に追われてて」
静香は何故か、完全に部外者の者に話す時のように、構えた喋り方をした。座っている彼女、深山瑤未は立っている静香と海心を交互に見た。
そうですか、と言い、瑤未は視線をベッドの不器男に移す。意識は無いようだった。
「ふ、不器男さんの容態は……?」
「お医者様のお話ですと、現在は小康を保っているようですね」
瑤未は目線を動かさない。
「色々思うところもあるでしょうけど……お身体が弱っているのは本当なんです。起こすのは勘弁してあげてね」
「は、はい。もちろんです」
静香は、磨き抜いた氷の針のような気配を感じていた。瑤未は、何を考えているのか、今回の事件についてどう感じているのか、全く読み取らせない。
丁が会いたがらないはずだ、と静香は考えていた。
「今日はお見舞いに伺ったんですが……時間が悪かったですね」
「でも……」
帰る素振りを見せる静香を、海心がとどめようとする。
「仕方ないよ。お見舞いにきて具合が悪くなるんなら本末転倒だもの。また来よう」
静香の言葉を聞き、少しの間海心は考えていたが、やがて小さく頷いた。もちろん静香も、海心の気持ちは理解できる。二人はSaltの代表として来ているのだ。門前払いされなかっただけマシだが、このまま帰ったのでは申し訳がない気分なのである。
「お待ちになってください」
瑤未が二人を呼び止めた。
「あなたがた、そう何度もここに来ることは出来ないでしょう?」
「まあ……」
静香が曖昧に言葉を濁していると、
「これを丁に渡してください」
と、瑤未に掌を差し出された。
「これは……?」
それは、奇妙な形状のものだった。金属製で、皮膚に触れると冷やりと温度を奪っていく。
「五十鈴といって、奈良の由緒ある神社のお守りだそうです。なんでも、芸能の神様らしいですよ」
はい、と生返事をしつつ、静香はお守りを眺めてみる。三つの球状の金属を、それぞれ棒が結んでおり、三角形を形作っている。
鈴になっているらしく、振るとコロコロと涼しい音が鳴った。
「不器男が何かの折に手に入れたものを、丁に渡したがっていました。普段はあまり、験など担がない人なのですがね」
瑤未は、ふう、と一息ついた。
「私もすっかり忘れていたのですが……あなたがたが来たので思い出しました。これも奇しき神縁の巡り合わせと思いましょう」
「へぇ~なんかきれい……」
海心が顔を近づけ、五十鈴を仔細に眺める。
「わ、わかりましたっ。必ず丁に渡します!」
何か言いたそうな海心を引っ張って、静香は慌てて病室を出た。外にいた夕子に、丁重にお礼を言ったあと、二人は足早に芝村医院を後にする。
「丁ちゃんにお土産ができて良かったね」
海心は素直に嬉しそうだった。まあね、と静香はあまり気乗りのしない返事をする。
「瑤未さん、忘れてたって言ってたね。でも、さっき持ってたってことは……身に着けてたってことかな? どういうことなんだろう? いつごろ不器男さんに渡されたのかな……」
「忘れてなかった、ってことだよ」
「えっ?」
海心は、目を丸くして静香の顔を見つめる。
「ほら、余計なこと考えなくていいから。行くよ!」
静香は海心を急かしつつ、Saltの皆の元へと向かった。