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凍蝶  作者: 八花月
3/18

急変

「ひ、丁さん、大変です!」

「事件ですよっ! ……ご存じですか?」

 レッスン場に雪崩こんできたのは、速未不二子と芦埜三花(あしのみか)の二人であった。二人ともSaltのメンバーである。

「何かあったのですか?」

 仲間に囲まれた白楽丁は、タオルに顔の汗を吸い取らせながら応じる。

 ちょうど今、練習場にいるSaltのメンバー達は自分達の今後について話し合っていたところである。解散か否か、という問題もあるし、丁と不器男の妙な噂も何となく議題の一つのようになっていた。

 メンバーは全員そのような事実はない、と知っているが、誰がどのような目的でこのようなことを触れまわっているのか、とダベっていたのである。

「丁の噂も捨て置けないが……Saltは解散しないまでも、少し規模を縮小して色々落ち着くまでは充電期間とするのもありかもしれないね。汀子(ていこ)ちゃんも近々デビューするみたいだし……。深山さんもしばらくは、今までのように僕達につきっきりってわけにはいかなくなるだろう」

 土佐十子が発言する。汀子とは、不器男の妹である。

この時はまだ、別事務所からタレントして売り出されるらしい、というのは確定事項のように思われていた。

「そりゃおかしいだろ……。汀子ちゃんは、自分一人でオーディション受けてデビューすんだろ? 兄貴だからって、不器男ちゃんがそれに関わるのは公私混同ってヤツになるぜ?」

「目上の人に向かって、ちゃんづけもおかしいでしょう?」

 武音乙女に、姉の乙葉がやんわり注意する。

「わ、わかってるよ。ちゃんとした場では、ちゃんとした言葉遣いしてるだろ? 姉貴もそんな怒んなよぉ」

「まあ、本当に仲がよろしいこと」 

 丁は、花のように柔和な笑顔で武音姉妹に言葉をかけた。彼女は、他人同士が仲良くしているのを見るのが本当に好きなのである。

「丁さんの妹さん……炷ちゃんも近々Saltに加入するのでしょう? その時は私達も眼福にあずからせていただきますわ」

 乙葉が言うと、メンバー達からさざ波のように笑い声が起こった。

「それどこじゃないんですってばぁ!」

 三花が派手に足を踏み鳴らし、全員の注目が集まる。

「本当に大変なんですっ! 聞いてください!」

 不二子も三花に同調し、甲高い声を上げた。

「落ち着いて……。何があったのか話してみて」

 石見海心(いわみうみこ)が穏やかに諭し、改めて不二子が喋り始める。

「あのっ……深山さんが小塚さんを殴って……」

「殴る? なんで?」

 十子が身を乗り出した。

「理由は、ちょっとわからないんですけど、とにかく殴って、深山さん芸能界追放になるかもしれないって」

「はあ?!」

「な、何があったんでしょう? 詳しい話を聞かないと……」

 乙女の後、心配そうな声を上げたのは、八重野七美(やえのななみ)。Saltのメンバー中、この時点では最年少であった。

「まあ、詳しい経緯はともかく、深山さんの進退はいずれ本人から正式に何か、こっちにもお達しがあるだろう。今の時点で騒ぎすぎるのはよくない」

 十子が口を開いたが、三花がブンブン首を振りながら発言を続ける。

「それが……それだけじゃなくって、Saltも解散が決まったって……」

 レッスン場にどよめきが起こった。みな一斉に口を開きかけたが丁が〝静かに〟と言うと、水を打ったように粛然とする。

「何故そのようなことになったのですか?」

「あ、あのっ、詳しい経緯はよくわからないんですけど……。大筋では松山さんの鶴の一声で決まった、ってことみたいで……」

「松山さんが……それはもう……」 

 三花の答えを聞き、高畑君江は絶句した。松山一大は直接関わっているわけではないが、その事務所はSaltの売り出しに一役買っている。業界内では、大変力を持っており、三花の話が本当な

ら最早打つ手はないかもしれない、というのが大半のSaltメンバーが、この時思ったことであった。

「丁はどうせ辞める気だったんだろ? ちょうどよかったんじゃねえの?」

「乙女、どうして憎まれ口をきくの?」

乙葉がやんわり窘める。

「僕も、今言うべきことではないように思えるね」

 十子も言ったが、

「あたしは丁に聞いてんだよ」

と、乙女は嘯くばかりである。

「……わたくしは確かに、約束通りSaltは解散したほうが良いと思っています。ただ、それはあくまでわたくし個人の考え」

 丁は、乙女を見るでもなく視線を宙空に漂わせながら語り始めた。

「わたくしが辞めたあとに皆さんが、Saltを続けても、別のグループを作るのも、どこかの事務所に移籍するのも、自由だと思っていますよ。それに」

 微かに語気に力が篭る。

「みなさんには異論があるかもしれませんが、Saltは不器男さん……」

 丁は一瞬言葉を切った。

「不器男さんが作り上げたものだと思っています。無くなるとしても、このような外部からの強制的な力で終わってしまっていいものとは思っていません」

「だよなー!」

 乙女は妙にはずんだ声で同調の声を上げ、丁の肩を叩く。不審げな丁に向かって、

「あたしこういうシチュエーション、わりと好きなんだよ。知ってるでしょ?」

と、乙女は笑いかけた。

 丁は、表情を変えずに短く〝ああ〟とだけ呟く。

「しかし……深山さんはやってくれましたね……。何があったか知りませんが、よりによって小塚さんに暴力沙汰とは……」

 爪を噛みながら言ったのは、太里(おおさと)九瑠璃(くるり)というメンバーだった。

 丁、十子と並んで最古参で、現段階のSaltでは、実質NO.2といえる人物である。

「そんな言い方をするべきじゃないと思います!」

 君江が声を上げた。

「ご自身が仰ったように、詳しいことがわからない今、悪戯に士気が下がるようなことを言うべきではありません! それにどうしようもない事情があったのかも……」

「士気ったってよお、解散は決定事項だろ?」

 乙女はあっけらかんと口を開く。

「解散にも種類があります。場合によっては再結成出来るかもしれないし、メンバーを入れ替えながら新しいグループを立ち上げる方法もあるでしょう。今はみんな、冷静さを保ちましょう」

 丁が言うと、Saltのメンバーはだんだん落ち着きを取り戻してきた。

 まだ終わりって決まったわけじゃない、様子を見ながら今は前向きに……等、漏れ出てくる言葉にも明るさが滲んでくる。

「とにかく、今日は私達も解散しましょう。じきに正式に何か通達があるでしょうし……。それまではあまり勝手に噂話などしないように……それでいいですよね? 丁さん」 

 丁は黙って頷くことで、九瑠璃に同意を示した。

「丁よぉ」

 大半のメンバーがレッスン場を出た後になって、乙女が唐突に丁の肩に手を回し、低い声で語りかける。

「気合入れてこーぜ」

「……ええ」 

 丁は、まっすぐ乙女の瞳を見つめながらにっこり笑って返事をした。

「アンタ、そういうとこ、ホント〝アイドル〟だよなあ」

 半ば呆れるように言うと、乙女は丁の肩をポンポンと軽き叩き、おつかれー、という言葉を残し去って行った。

「丁、さっきの言葉」

 もう、部屋には丁と十子しかいない。

「本当は〝Saltは不器男さんと私が作り上げたものだと思っています〟って言いたかったんだろう?」

 丁は沈黙を持って十子の問いに答えた。

「いいんだ丁。もう誰にも気を使う必要はないんだ。こうなってしまった以上」

「……………………」

「僕ももう行くよ。気がすんだら、君も早く帰りなね」

 十子は、黙している丁の背中に向けて語りかけ、練習場を出て行った。


数日後、悶々としている丁達に届いた第一報は、不器男が体調不良で入院している、というものだった。

「それは……マスコミ関係をシャットアウトする、という意味ではなく、なんでしょうか?」

 九瑠璃が生真面目な様子で、疑問を口に出す。

「どうかわからないけど……体調自体悪いのは確からしいよ、かなり」

 十子がため息とともに漏らした。

 Saltメンバーの大半が、再び松山一大に提供を受けているレッスン場に集まっている。不器男が正式に引退になりSaltが解散になれば、当然ここは使えなくなるが、まだ少しだけ猶予は残されていた。

「でもでも、やっぱりヘンです、おかしいです! 深山さんは入院してて……相手の小塚幸生は姉さまのメチャクチャな噂流してたのに、御咎め無しなんですかっ?」

 鼻息も荒く発言したのは、丁の妹、白楽炷である。

 以前は研修生であったが、正規メンバー入りは内定していたので、どうしても会議に加わりたいと言って聞かなかったのだ。それでやむを得ず丁がここへ連れてきた。

 幸生が丁と不器男のあらぬ噂を流していた、というのはもうメンバーの間では常識となっていた。

 Saltメンバーだけではなく、今やアイドルファン達や、それ以外の人口にも膾炙している。

 不器男が幸生を殴ったあの事件は、Twitter等でちょっとした話題になってしまったのだ。Saltは一般への認知はそれほどでもないものの、アイドルファンの中ではかなり知られていた。当初は、アイドルファンと関係者の間でのみ話題になっていたものが、もののはずみで拡散してしまったのだ。

 これがさらに発展し、ちょっとした炎上騒ぎになってしまったのは、小塚幸生自身が、何を思ったのか自身の事務所の公式HPで声明を発表してしまったからである。

 権高な心根がそのまま出てしまったのか、こうした発表に慣れていなかったのは判然としないが、幸生の発表は、驚くべきものであった。

 不器男の暴行を責めつつも、〝彼と、彼が担当していたアイドルグループのリーダーとの恋愛関係というスキャンダラスな噂話を真偽不明のまま多くの人間に伝えてしまったこと自体は事実であるが〟という文面で自身の過失を認めてしまったのである。

 正直な人柄だ、と擁護する向きもあったが、大半は恋愛、という女性アイドルとしては致命傷になりかねないスキャンダルを真偽不明のまま喋りまわった非常識な人間、とアイドルファンには認識されてしまった。

 炎上してからのちは幸生サイドからは何の音沙汰もなく、アイドルファンのコミュニティは未だ騒然としている。

 不器男は緊張の糸が切れてしまったのか、あの日事務所に帰ることも儘ならずTV局で倒れてしまい、そのまま病院に担ぎ込まれてしまった。

今までの心労が祟ったのか、ストレスで内蔵がやられてしまっているらしい。幸生が訴えなかったので、刑事事件にならなかったのはもっけの幸いである。

 そこにきて芸能界のドンとも目されている松山一大直々の〝不快である〟〝二度と芸能に関することに携わって欲しくない〟との不器男の行動に対してのコメントが発表されてしまった。

 最早不器男の引退は確定したと言って良いだろう。

「深山さんだけが手を出している以上、両成敗は難しいですし……。私はある意味仕方のないことと受け止めていますが……」

 九瑠璃が炷を宥めるように口を出した。

「松山さんのコメント、見て下さいよ! ……〝深山氏がこのような非常識な行動に出たのは極めて遺憾であるが、対して小塚氏がまるで手向かいせず、事を最小限で治めたのはまことに殊勝な心がけである〟って! 先に姉さまとのヘンな噂を流したりして、意地悪したのは小塚さんのほうなのにっ!」

 炷の怒りは九瑠璃の説明では治まらないようである。

「小塚さん本人も仰っている通り、それはその通りなのですが……。それでも暴力を振るってしまったのは深山さんですから」

 九瑠璃は、肺の中の空気を全て絞り出すように、長い嘆息をした。

「それにしても、このような暴行事件でSaltを解散に追いやったのみならず、そのまま体調不良で入院とは……。この混乱を私達に押し付けたようなものじゃありませんか。最低限ご自身の責任は果たしてほしいものですよ」

「太里さん、いいかげんにしてください!」

 高畑君江が、ピシャリと九瑠璃に抗議の言葉を叩きつけた。

「深山さんは、あの日だって私達のために噂の出所を調べてた、って月坂さんも言ってたじゃないですか! 充分Saltのために尽くしてくれましたよ!」

「まあ……不器男ちゃんの悪口は、今言ったってしょうがねえよ」

 乙女が同調するように言うと、九瑠璃は〝わ、私だって別にそんなつもりじゃ……〟と言葉を濁す。

「わたくしとしては一度、不器男さんの見舞いに行くべきだと思うのですが……」

 やっと、丁が重い口を開けた。

「それって、あたし達の今後について深山さんの意見を聞きに行くってこと?」

 訊ねたのは奥次雅子。丁や九瑠璃、十子と並ぶ、Saltの古参メンバーの一人である。

「いいえ……わたくし達の進退はもう大筋では決まっていますし、そもそも最早不器男さんはもう口出しできる立場にはいません」

 丁は、唇の端を微かに歪めた。

「なんでしょうか……純粋に今までお世話になったから、お見舞いという意味合いもありますし……一つのけじめのようなものだと思うのです。ただ、これだけの大所帯で病室に行くわけにはいきませんし、誰かに代表で行ってもらうことになるかと思いますが」

「? 自分が行けばいいだろう? どの面から考えても君が一番相応しいと思うが……」

 十子は、何を言っているんだ、と言いたげであった。

「それは……あまり上策とは言えないのです」

 丁は、話にくそうにぽつぽつと言葉を紡ぎ始める。

瑤未(たまみ)さんが……その、あまりわたくしに会いたがらないので……」

 十子は不審そうに聞いていたが、やがて丁の喋っている内容の意味を理解した。

「そ、それは噂を信じてるってことか? 瑤未さんから直接そう言われた?」

「ちょ、ちょっと落ち着いたら?」 

 雅子が慌てて駆け寄る程、十子はちょっと度を失っていた。

「丁が落ち着いているのに、あなたが慌ててどうするの」

 十子は〝そうだね、すまない〟と取り繕うように返事をし、深呼吸する。

「勿論噂は真実ではありませんし、瑤未さんから面と向かって言われたわけではありませんけど……何となくわかるのですよ。いずれは会わなければいけないでしょうが」

「まあ……そうだね。今下手にこじらせないほうがいい。藪蛇になりそうだ。見舞いは誰か別の者が行ったほうがよさそうだね」  

 十子は顎に手を当てて言った。やっと頭がまともに働き出したようだ。

「でもよぉ、瑤未ちゃんが本当に丁と不器男ちゃんがデキてる、って思ってるんなら、ほっといたらマズくないか? 記者とかに余計なこと喋っちまったら、噂を裏書きすることになっちまうだろ?」

 乙女が、無遠慮に口を開く。

「そ、それはその通りですね。早く瑤未さんに口止めを……じゃなくて、口裏を、でもない……」

 九瑠璃がモゴモゴ言っている内に、

「やめてください!」

 と、炷が声を上げた。

「少しは姉さまの気持ちを考えてください! その……言い方を考えてほしいです!」

「乙女……」

 乙葉も、やんわりと窘める。〝ああ、まあ、悪かったよ〟と、悪びれずに乙女は応じた。

「ま、まあ、その、わたくしの気持ちは別に……。それほど斟酌していただかなくてもよいのですが」

 丁はコホン、と一つ咳をついて話を続ける。

「あの方は、そんな人物ではありませんよ。瑤未さんには機会がありましたら、わたくしから連絡いたします」

 これ以上、この話題を続ける気はない、と丁の顔が語っていた。

「えええっと、それでは人選はわたくしに一任させてもらってよろしいでしょうか?」

 丁が全員の顔を見渡す。異論などあろうはずがなかった。

「それでは双岡静香さん、石見海心さんのお二人におまかせしようと思います」

「ハイッ!」

「わかりました」

 静香と海心は、丁から見舞い役を仰せつかった後、顔を見合わせ小さく頷いた。

 二人は、Saltが結成される以前から不器男の世話になっていた、いわゆる生え抜きである。付き合いの長さだけでいえば、丁よりも上だ。

 誰から見ても納得の人選であった。 

「よろしくお願いしますね」

 丁は二人に近寄り、そっと手を握る。静香も海心も、本当なら丁は自分が、今からでも不器男の病室に行きたいのだ、ということはよく理解していた。

「わかりました」

「……確かに」

 言葉少なに返事をし、二人は少し力を入れ、丁の暖かい手を握り返した。


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