イブ
「ねぇ、いいかげん出てきてくれない?」
水原茜は、弟の部屋の前で言い募った。
「姉ちゃん明日、大事な日なんだ。その前にちょっと話したくてさ」
少し迷ったが茜は弟、智の部屋の戸を何回か叩いた。
「……頼むよ」
返事はない。しょうがないね、と寂しそうに呟き、茜は智の部屋の前から去った。
しばらく経ち内側からそっとドアが開いた。
「なんだ、出てきたのか」
父親から声をかけられた智は素早く戸を閉めようとするが、その手を掴まれてしまう。
「別にお前が姉ちゃんと顔合わせたくないってんならかまわんがな。ケンカもほどほどにしとけよ」
智の起こした事件を、両親は知らなかった。彼はある決して軽いとは言えない罪を犯したのだが、何故か関係者たちに許されたのである。何やら姉の後輩とか、姉の通っている学校の副生徒会長だとか名乗る女たちが押し掛けてきて、色々と言い含められた。彼女らの言っていることはよくわからなかったが、智が頼むと事件のことは秘密にしてくれると約束してくれた。
茜も、事件のことを両親に秘密にしてくれたのである。あの真面目な姉が。
それは智にとってありがたくはあるが同時に不気味でもあり、茜に対し何かどうしようもない引け目を感じさせた。それ故、あれ以来どうしても姉と顔を合わせづらくなってしまったのだ。
「なんか姉ちゃん、明日大きいイベントかなんかに出るらしいぞ」
父親に言われるまでもなく、それは智も知っていた。おそらくこのイベントの故、自分の罪が隠されたのだろうということも、なんとなく察しがついている。
「えらい思い詰めた様子だったがな」
父親が手を離すと、智は素早く部屋の中へ引っ込む。
「会ってやればいいものを」
父親は大息し、階段を降りていった。
窓際に立っている少女の横顔を、兵藤千里は見つめていた。ついさっきまでこの少女、長尾伊都に事態の経過を説明していたのだ。伊都は、ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らし、
「そのやり口は丁のものではないな」
と、一言漏らした。
「と、申されますのは……?」
「十子か……いや、多分他のヤツだ。人材豊富で羨ましいことだな」
千里の質問には直接答えず、伊都は小さく舌打ちする。
「べ、弁解しようもございません。伊都様のご申しつけを……」
ああいや、とすぐに伊都は、千里の謝罪を否定した。
「丁のやつは、おそらくあの事件が起こった直後から戦いを初めていたのだろう。私がお前に命じた時点で、既に遅きに失していたということだ。気にすることはない」
伊都は〝ハハッ〟と思いの外さっぱりした笑顔を見せる。
「まあ、父上も潮時ということだ。少し仕事をしすぎたな。引退後は田舎にでも引っ込んでゆるりとご休養いただこう」
千里は伊都の言を聞き、瞳を丸くした。
「それは……諦めが良すぎではありませんか? お父上も〝また復帰すればいい〟と申されていましたが……?」
伊都様らしくない、という言葉を千里は咽喉で止める。
「それは無理だ、千里。アイドルグループの解散詐欺も父上の引退詐欺も、内輪でやっているからこそ通用するのだ。今回のフェスは他事務所であろうがフリーのアイドルだろうが、ローカルアイドルだろうが参加可能の開かれたもの。言い訳はきかぬ。それに、今回運営に外部の業者が喰い込むのだ。票の操作もやりにくかろう」
「しかし……」
「況や、自ら対決ムードを煽りポスターまで作った。わからんか? 千里。これは最早売られた喧嘩ではなくなってしまったのだ。この上約定をたがえるような薄みっともないことは、松山様もお許しになるまい。何より……」
ファンが許さんさ、と伊都は小さく嘆息した。
「もう良い。おぬしもしばらく休め。苦労をかけてすまなかったな」
「いいえ」
千里は、力強く伊都の慰撫の言葉を否定する。
「私はまだ諦めていません。明日のフェスで勝てばよい話です。それなら何の問題もないでしょう?」
ほう、と伊都は感嘆の吐息を漏らした。
「好きにするがいい」
失礼します、と頭を下げ千里は部屋を出ていく。
「丁……うつけめ。父上と刺し違えて心中など……。お前にはまだ他の可能性も……」
外を眺めていた伊都は、ふと、何かに気付き窓を開けた。
空から、何かちらちらと白いものが降ってくる。雪であった。
「ふん。寒到来、か」
伊都は呟いたのち一瞬だけ天に目を向け、窓を閉めた。




