スノウ Ⅳ ―なごり雪―
大江なりはhasのオーディションに受かった、との報せを受け取った時のことを昨日のことのように思い出していた。
なりが合格の知らせを受け取ったのは、オーディションを受けてしばらくたってからであった。hasが二つに分かれる、と発表があってお披露目ライブも終わった後である。
辞退者が出たので繰り上がりで合格と聞いてはいたが、なりは怪しいと思っていた。おそらく、自分がスパイだと薄々感づかれているのではないか? と考えている。
多分、お披露目ライブに触れさせたくなかったんだろうな、と、なりは想像する。スパイなら大事な情報からは遠ざけておきたいはずだ。
にも関わらず、自分が合格したということは……・?
自分の考えている通りの理由だとしたら、願ったり叶ったりだな。
なりは、心の芯がきゅっと小さく、縮んでいくような気がした。
〝おめでとうございます!〟〝うおー、やったじゃん!〟〝あの倍率勝ちぬけるなんて。マジで大したもんだね!〟などと、スノウセクションの同僚たちはみな、口々にお祝いの言葉を送ってくれた。おそらく彼女たちは本心から自分を言祝いでくれたものと、なりは思う。
ってことは、室長は話してないのか……。
雪枝は、自分のこれからの行く末のことを、みんなに話していない。なりは別にそのことについて、特に異存はなかった。
反対する者がいるかもしれないし、引き止める者も出てくるかもしれない。時間の無駄だ。
沙希あたりは、激しく噛みつくだろうな、と思う。真銀は悲しむだろう。伊予は……どうだろう? あいつは、もしかしたら自分がどうするつもりなのかわかっているのではないだろうか? ……もし心づいているとしても、はっきりそれを告げられたら、やはり伊予も寂しがってくれるだろうな。尾鷹葉子は……よくわかんないな、あんまり話したことないし。なんかヘンなヤツだ。
なりは、葉子のあの時折見せる傍若無人な様子や、沙希とケンカしている一幕を思い出し、ちょっと笑った。
自分としても努力が報われたと思い、合格を通知を受け取った時は嬉しかったのだ。単純に人に認められた、ということが誇らしかった。アイドルをやっている者は、みなそのようなところがある。
ただ、自分はあくまでもスパイとして潜入するのである。
hasというアイドルグループで自分がアイドルをやっていく、という未来はない。Saltとスノウセクションを裏切りhasでアイドルを続ける、という道もあるかもしれなかったが、なりはそのようなことを発想したこともなかった。
元々なりは、旧Saltがダメになった時点でもうアイドルを続ける気はなかったのだ。そしてそれが、あの抜け目ない雪枝が自分をこの任務に選んだ理由の中で、大きな位置を占めていることもわかっていた。
未だに苦悩してるんだよね、室長。
フフッと、なりの唇から笑みが漏れる。
おかしな性格といえばおかしな性格だ。自分で立案した作戦のくせに。
「思い出し笑い?」
急にチームリーダーの長部巴に話しかけられたが、なりは慌てず〝はい〟と返した。
「合格通知を受け取った時のことを考えていて……」
ああ! と巴は自分のことのように喜色満面となる。
「繰り上がりの合格だもんね! 一旦落ちたーって思ってたのに、合格通知来たんだから、喜びもひとしおだった?」
「あの、リーダー、あんまりそういう言い方は……」
巴チームの一人が、気遣わしげに容喙してきた。
「ん? なに?」
「繰り上がり、とか、一旦落ちたのに、とかその……あまり言われて気分の良いものではないんじゃないかと……」
話しながら、語尾がだんだん小さくなっていく。どこか他所に巴を引っ張って行き、なりの近くで喋るべきではなかった、と今更後悔しているようであった。
「いえ、全然大丈夫ですよ。ホントに、合格通知を受け取った時は、心臓が口から飛び出るかと思うほど嬉しかったです」
なりがニッコリ笑って言うと、巴は〝だよねーっ!〟とご機嫌な様子を見せる。
「繰り上がりだろうがなんだろうが、合格は合格だもん。一姫ちゃんのチームに負けないように、一緒にがんばろうね!」
声を励まし、なりを元気づけて巴は他所へ行ってしまった。チームの人間の状態を一人一人見ているらしい。
「巴さん、明るさの権化みたいでしょ? あれ、悪気全然無いんだよ」
巴に意見した娘が、なりに話しかける。
「私、口出さないほうが良かったかもね。変な感じになっちゃってごめん」
「いえ、気を使ってもらったのはわかりますので……」
なりが話し始めると〝敬語なんて使わなくていいよ~〟と、娘は掌を振った。
「あ、でも気にする人はすごい気にするからさ。観察しながら覚えていくといいよ。あと、チームリーダーには、たとえ親しくなっても敬語のほうがいいかもね」
「巴さん、そういうの気にする人なんですか?」
なりは、少し意外に思ったからそう言ったのだが、娘は微妙な顔をしている。
「っていうか、周りがね……」
「ああ、取り巻きが」
シーッと言いながら、慌てて娘はなりの口を抑えた。
「そんなの大きな声で言っちゃダメだよ。あと、向こうのチームリーダーの水前寺一姫さん。あの人はマジで怖いからね。まあ、別チームだしあまり話したりすることはないと思うけど……」
なりも噂には聞いていた。とはいっても、hasで収集した情報ではなくスノウセクションであらかじめ予習してきた知識と、昔コンビを組んでいた武音乙女に聞いてきた話が大半である。
「あいつ、悪いヤツじゃねーんだけどなぁ……」
一姫のことを話している時の乙女は、珍しく何やら遠い目をしていた。
「なんか今、イジけてんだよ。なりのことは知らねーと思うけど、妙なカンジで絡んできてうぜえから必要なかったら、近づかねーほうがいいと思うなあ」
これだけ言ったあと、仏頂面でしばらく黙っていたが、
「まあでも、またアイドルやってるってことは、少しはマシんなったのかもな」
と、ポツリと呟いた。
なりにとって、一姫は個人的には大変気になる人物である。むしろ少し親近感を抱いていたが、別チームに配属されたことだし、接触することはないだろうと考えている。
どうせそれほど長くここにいるわけではない。
「その、巴さんとは違う意味でなんか圧力が凄い人だって話は聞いてます、一姫さん。確か兵藤さんが以前マネージャーをしてた長尾伊都さんと少し似てる、って」
これは、hasに入ってから他のメンバーに聞いたことである。なりがこう言うと〝以前っていうか今でもホントは長尾さんのマネージャーらしいんだけどね〟と前置きして娘は話し始めた。
「うん……まあ、似てるっちゃあ似てるかな。ただし、素の時の長尾さんね。その、ちょくちょく来るから知ってると思うけど、長尾さんって、その……。ちょっと喋り方とか独特でしょ?」
「いえ、まあ、バラエティとかで見る時と全然違うんだなあ、とは思いましたけど……」
「うんうん。私もそう思った。一姫さんは喋り方とかは普通なんだけど、雰囲気が少し近い、かも。なんか時々情念みたいなの感じるっていうか」
なりとしても、その印象に異存はなかったので、素直に相手を肯定する。
そろそろレッスンが再開されようとしていた。所定の位置に戻りながら、なりは娘に声をかける。
なに? と振り返る娘になりは
「ありがとう」
と伝えた。あまりにシンプルな言葉に、娘は照れて笑いながら〝いいっていいって〟と手を振った。
みなに混じりレッスンを受けながら、なりはそれとなく周囲の風景を観察する。
巴の影響もあるが、このチームには底ぬけの明るさがあった。なりは練習に参加してからこっち、驚くほどこの場所を好意的に見ている自分を発見している。
レッスンに参加している、全員の表情が輝いていた。みな、未来に進んでいるのだ。hasのメンバーは全員、未来に向かって立っている。
唯一の例外が一姫なのかもしれないが彼女も周囲に影響を受け、少しずつ変わっているのではないか? と何の根拠もないが、なりは思っていた。
なりは当然新生Saltのレッスンにも参加していたが、やはり雰囲気がだいぶ違う。勝っても負けても、目的が達成されようがされまいが、彼女たちには先がない。
「ぼーっとしてちゃダメよ。あら、あなた新しく入ってきた人よね? まだ緊張してる?」
問われてなりは〝いえ、すいません。少し考え事をしてて……〟と答えた。
「あら、大物」
講師が発した言葉に、はじけるような笑いが巻き起こる。なりも思わず吹き出してしまった。
周りのみんなは良くしてくれる。居心地もいい。でも自分はここには溶け込めない。違う世界の人間なのだ。
レッスンが終わるタイミングで、声をかけられた。
「ねえ、なんか兵藤さんが呼んでるけど……」
え? 兵藤さんが? と聞き返すなりに、
「うん。なんか特別な用事があるんだって」
と、無邪気に伝えてくるメンバー。
指定された小会議室に向かいながら、なりの内を空虚な感情が満たしていく。
室長、あんたこれ、最高の人選だよ。
なりは、廊下を歩きながら心中で呟いた。
「よく来てくれましたね」
部屋に入ると、兵藤千里がにこやかにこう言った。呼ばれたから来たのである。なりは、おかしなことを言うな、と思ったがすぐに
「hasに来ていただいて嬉しい、と意味ですよ」
と千里は付け足す。
「合格通知をいただいたので……」
「隠さなくてもいいんですよ。丁さんに言われておいでになったんでしょう?」
なりは反論するでもなく黙っていた。
「少し調べさせてもらいました。あなたがたのこと」
千里はかまわず話を続ける。
「Saltは一旦解散したあと、再結成されましたよね? そしてそれにあなたも加わっている。今までのところ、なんの活動もしていないようですが……。これは少しおかしな話ですね。それとも何か活動してらっしゃるんですか? 私が知らないだけ?」
なりは暗愁を奥に秘めた瞳で、ただ凝っと見返していた。
「乃木天毬さんに貸与を受けたビルのワンフロアを拠点にしていますね? 中で何をやっているんですか? とはいってもレッスンくらいしかすることもなさそうですが……。しかし、それにしても何を目的にしてレッスンをしているのでしょう? 再結成を告知するでもなく、ライブをおこなうでも、どこかのイベントに顔を出すでもなく……。と思っていたら」
千里は、A4の紙をなりの前に置く。
「先日こんなものを発見しました。期限ギリギリでエントリーされていたようですが……。これ、あなたがたですよね?」
紙は、年末のフェスへのSaltのエントリーシートであった。
「名前は変わっていますが……えー〝AcCord 表・裏〟ですか。しかしこのグループが、ほぼほぼ旧Saltのメンバーで構成されていることは調査済みです」
千里はなりの目前にエントリーシートを見せつける。
「やっとわかりましたよ。あなたたちの目的が。フェスで優勝したいんでしょう? そうすれば公約通りhasを解散させ、小塚さんを引退に追い込める。そう考えているんですね?」
愚かなことを、と千里は深く嘆息した。
「キラコーのアイドルの〝○○を果たせなければ解散〟なんて宣言は口約束以下です。人気があれば救済措置は取られますし、小塚さんの引退だって、また復帰すればいいだけの話。なんの意味もないんですよ」
「私、やっぱり辞めなきゃいけませんか?」
やっと口を開いたなりに向かって、千里は優しく微笑んだ。
「いえ、そんな必要はありません。あなたのことは、高く評価してるんです。それに私、頑張ってる女の子を見るのが好きで……。だから、こんなバカバカしいことで夢を捨てて欲しくない」
千里はそっと、なりの手を取った。
「大江なりさん。Saltを離れ、正式にhasに加入してくれませんか?」
俯いて視線を外したなりに、千里はさらにたたみかける。
「先に言っておきますね。Salt……〝AcCord〟は、フェスへの参加を取り消します」
「そんな……! 参加の受付通知がきたって……」
「丁さんが言ってましたか? 正式に参加受付したあとでも、いくらでも理由はつけられますよ。ましてあなたがたは、乃木さんという金銭的なうしろだてこそあるものの、どこの事務所にも所属していません。芸能界では地盤を持っていない浮き草のような存在ですからね。どうとでも料理出来ます。あなたが私の申し出を受けようが受けまいが、もうAcCordはおしまいなんです。沈む船ですよ」
千里は、せつなそうに目を細めた。
「大人って汚いでしょう? あなたたちはこれだけがんばったのに、勝負の土俵に上げてすらもらえない。私もこんなことはしたくないんですけど……。伊都様に頼まれてますからね」
千里は、握っている手に力を込める。
「悪いことは言いません。hasに加入してください。キラコーは大きい事務所ですし、小塚さんも老いたりとはいえど、まだまだ芸能界では力を持っています。hasで活動すれば、少なくとも今回のような理不尽には合いません。当然実力、人気がなければ辞めてもらうことになりますが……。それは他の業種でも似たようなものです。ここなら、結果を出せばちゃんと周りは評価してくれる。自分の責任で自分を成長させることが出来るんですよ」
なりは俯いたまま、微動だにしない。
「仲間たちを裏切ることに抵抗がありますか? それなら参加を取り消す代わりに、AcCordが今後も活動を続けられるように、私から小塚さんに頼んでみましょう。聞いて貰えるかどうかは、確約出来ませんが……。これでいかがです?」
なりは、思わず顔を上げ目を見開いた。
「小塚さんは自分に歯向かう者に容赦しません。AcCordが今後アイドルとして活動を続けることは難しいでしょう。私は義務として今回のことは小塚さんに報告しますから。でも、AcCordが自ら参加を取り下げた、という形にすればもしかしたら見逃して貰えるかもしれません。どうですか?」
どうして、と、なりは呟く。
「どうして、ここまでしてくれるんですか?」
「さっきも言ったじゃありませんか。私はがんばってる健気な女の子が大好きなんです」
千里はこぼれるような笑みを見せた。
「あの……少し考える時間をくれませんか?」
なりは、やっと絞り出すようにこれだけ言う。
「考える時間ですか。かまいませんが、あまり余裕はないですよ。私が小塚さんに報告に行くまで、ですから」
「それってどのくらい……」
「あと三十分……一時間といったところですかね」
多少取ってつけたようだが、千里は腕時計を確認しながら伝えた。
なりはしばらく逡巡していたが、やがて
「あの、加入、します」
と、切れ切れの言葉で答えた。
「良く考えましたか? もしAcCordが存続出来たとしても、あなたはもうそこには戻れませんよ。形はどうあれ昔の仲間たちにとって、あなたはもう裏切り者です。偶然どこかで会っても会話さえしてくれないかもしれませんよ?」
「……よく考えました」
よろしくお願いします、と口にしながら、なりは深々と頭を下げる。
「よかった!」
まるで幼い少女のような純真さで、千里は嬉しそうに一つ手を叩いた。
「こちらこそ、これからよろしくお願しますね! なりさんの決断を高く評価します。AcCordだって悪いようにはしませんから」
「あの、一つお願いがあるんです」
なんですか? と千里は上機嫌に応じる。
「一度、小塚さんに会わせて貰えませんか?」
「どうしてですか?」
「一度正式に挨拶しておきたくて……私はhasに途中から入ってきているので。プロデュースしてくださる方には礼を尽くしておきたいんです」
〝それはそれは。殊勝な心がけですね〟と言いながら、千里はなかなか明確な返事をしなかった。
「あの、一言挨拶するだけでいいんです……。兵藤さんの報告が終わってからでいいので」
「そうですねえ……」
しばらく宙を見つめたあと、
「まあ、いいでしょう。でも、本当に一言挨拶するだけですよ。小塚さんは忙しいかたですから」
千里はなりの申し出を承諾した。
なりを伴い、千里は『KILLER CORPORATION』の事務所に向かう。
小塚幸生の部屋は、ビルの最上階であった。
「では、私の報告が終わるまで、ここで待っていてください」
なりは諾了し、壁際に身を寄せる。聞き耳を立てようかと思ったが、やめておいた。意味のないことだ。
自分でも驚くほど、なりは冷静だった。これからほんの数分後には小塚幸生と会うのだが、まるで緊張がない。
ただ、臓腑を抉るようなせつなさが、身の内でのたうっているのを感じていた。そのせつなさは同時に黒い愉悦ともなり身体の芯を痺れさせる。このような感覚そのものが、裏切りの本性なのかもしれなかった。
「報告は終わりました」
千里がドアを開け廊下に姿を表す。早かったですね、となりは応じた。
「では行きますか……。本当に挨拶だけですよ。短くお願いしますね〝これからお世話になります〟程度で」
千里はしつこく念を押してくる。なりは首肯しつつ、僅かに口の端を歪めた。
「ああ君か、挨拶したいとか言う……。手短に頼むよ」
初めて小塚幸生と対面したなりは、少し拍子抜けしていた。目の前にいるのは、小柄で少し頭髪の薄くなりかかった初老の男である。横柄さは感じられないし、むしろなりに対してはにこやかに話しかけてきた。違う未来があったのかもしれないな、となりは考えている。
全く、深山不器男さえバカなことをしなければ……。
なりは、小塚に対し微塵も憎しみを抱いていなかった。それは以前から自覚していたが、もしかすると丁にしても十子にしても、乙女にしても、それから雪枝にしても、もう恨みなど抱いていないのではないか? と、漠然と思う。
みなで集まって、陰謀など巡らせているうちに、熱気に当てられてしまったのだ、きっと。
なりは、大きく息を吸い込み、一世一代の大芝居に向けて気合を入れた。
「小塚さん、本当に申し訳ありませんでした!」
「はあ?」
幸生は間の抜けた声を上げ、控えている千里もきょとんとしている。
「私たちSaltは、年末のフェスでhasに戦いを挑もうとしていたんです! それのみか、少しでも有利になるように私みたいなスパイを送りこんで……。本当に申し訳ない気持ちで」
「なにを言ってるの?!」
慌てた千里が、なりの腕を引っ張った。
「も、申し訳ありません。この娘少し疲れてるみたいです。今日は帰りますので……」
「待て」
幸生は強い声で千里を黙らせる。
「続けてみなさい。何やら興味深いことを言っていたな? Saltがどうとか……。確か深山君のプロデュースしていたアイドルの名ではなかったかな?」
「はい。小塚さんにバカなおこないをした、あの深山不器男がプロデュースしていたアイドルグループです。私はSaltの一員なのに、スパイとしてここに潜入したんです。兵藤さんにはバレてしまったんですけど。完全に深山が悪いのに、小塚さんを逆恨みして……。フェスでかたき討ちをしようとしていたんです。本当に反省しています!」
「もう行きますよ! 申し訳ありません。後日また改めてこのことは説明いたしますので……」
千里は強引になりを引っ張って部屋を出て行こうとするが、幸生の〝待ちなさい!〟という一喝で動きを止められた。
「Salt? Saltだと? あの深山不器男の?」
幸生の瞳がギラギラと光っている。
「面白いじゃないか! 最高だよ! これだよこれ! フェスまでもう少しというタイミングでこんな事実が発覚するとはな。hasは持ってるよ!」
兵藤くん! と呼びかけられ、千里は一応返事はしたが、その顔面は蒼白だった。
「何故すぐに私に知らせなかったんだ? こんなに面白い物語を。私がツブしたアイドルグループの亡霊が、わざわざ敵地であるフェスに乗り込んできて復讐戦を挑む……。これほど面白い物語はないぞ! すぐに告知するんだ! よし、今回のフェスの目玉はこれで決まりだな! 大盛況間違いなしだ!」
満面のエビス顔で喋りまくる幸生。
「執念で食らいつくSalt、正々堂々と迎え撃つhas……。ステージの位置も真向かいがいい。そうだ、ポスターも作り直せ! より対決ムードを盛り上げるようにな! 出来ればSaltの面々も写したい……。君、話をつけてくれんか?」
問われたなりは即座に〝はい〟と返した。
「お待ちください!」
千里が悲鳴のような声を上げる。
「罠です! これは罠なんです! 全て計算づくで、この娘はここに来ているんですよ! こんなことをするくらいだから、当然Salt……AcCordは完璧に準備を整えているはずです。やれば100%hasは負けます! 覚えてらっしゃらないんですか? 負ければhasは解散、小塚さんは引退ですよ!」
「兵藤さん、報告したんじゃなかったんですか?」
しれっと言うなりを、千里はキッと睨みつけた。
「あなた……こんな、自分の未来を棒に振るような……!」
「そんなもの……hasは解散を惜しむ声が大きければ、適当にメンバーをピックアップして新しいグループを作ればいい。私は復帰すれば済むじゃないか。もちろんフェスが終わればSaltもおしまいだ。あらゆる手を使って私が業界から締めだす」
「それならせめて大々的に宣伝するのをおやめください! どことも知れないグループに負けたのなら、まだ格好はつきます。でも、我々が派手に対決ムードを盛り上げれば盛り上げるほど、負けた時の世間の目は厳しくなりますよ? 松山さんが介入する可能性だって……」
「くどいな、君は!」
幸生は、とうとう癇癪をおこした。
「リスクくらい、君に言われなくとも承知しているよ! 罠? 罠だと? それくらいのこと、この私が気付かないと思っているのか? わかっているさ。わかっていて敢えてのってやるんだ! 虎穴に入らずんば虎児を得ずのたとえを知らないのか? 全く小娘どもにビクビクして。君もまだまだだな。伊都がうるさく言うから使ってやっていたが……」
わざとらしく、幸生は大きなため息をつく。千里はそれを絶望的な顔で眺めていた。
「敢えて向こうの仕掛けにのってやるのが、大人の態度というものじゃないかね? ドンと構えているのが横綱相撲だよ。君が何故hasが負ける前提で話しているのか理解に苦しむね。レッスンや細かい宣伝戦略等、君に任せていたはずだが……そんなに自分のことを無能だと言いたいのか?」
千里は唇を噛み、何も答えない。
「まあ、私も言い過ぎたな。大人げなかったか。とにかく冷静に考えてみてくれたまえ。hasの人気が伸び悩んでいるのは君も承知しているだろう? これは絶好のチャンスじゃないか。鴨がネギを背負ってくるとはこのことだ。日頃から言っているように、アイドルを売り出す上で一番大事なのは物語だよ。背景となる共有出来る物語にこそ、客は金を払うんだ。歌やダンスじゃない。場合によっちゃ容姿ですらない。この因縁の対決を利用しない手はないよ」
「……私は」
ゆっくり、咽喉を震わせながら千里は話し始める。
「私は無能と言われればそうかもしれません。でも、言わせてください。彼女たちは、二つに分かれたhasのみんなは、本当にがんばってきました。最近では一姫ちゃんも、昔からのファンに受け入れられてきて……。フェスを楽しみにしてくれるファンの声も届いてます」
千里のまなざしが、まっすぐ幸生を捉えた。
「そんなやり方をしなくても、彼女たちは必ず立派なアイドルになれますよ。ただでさえ、ファンのみなさんには、hasが二つに分かれて争うことでストレスを与えているんです。こういうやりかたは業界全体を疲弊させますよ。地道に一つ一つ成長を積み重ねていきませんか? ファンと共有出来る物語というなら、それこそが本当の〝物語〟ではないでしょうか?」
ハハハッ、と幸生は大口を開けて笑う。
「うんうん。わかるよ。私も君のように考えていた時もあった。君の意見は頭の片隅に留めておこう」
「聞き入れては、いただけないんですね……」
陰鬱な千里の声を聞き、幸生は愉快そうに目尻を下げた。
「いや、なんだね。君はなかなか純なところがあるんだな。伊都が気に入っている理由が少しわかったよ。さあ、これから忙しくなるぞ。フェスまであまり時間はないんだ! さあ行った行った! 自分のやるべきことを為せ!」
千里となりは、追い出されるようにして、部屋を出た。
「……報告なんてする気、無かったんでしょ?」
ビルの外で出たところで、なりが千里に話しかける。
「小塚幸生なら大喜びでのってくる、ってわかってるもんね。AcCordはテキトーに理由つけて参加させない。全部あんたの手の中で揉み消して終わらせるつもりだったんだよね。まったく、大した忠臣だよ。ホントに感心してる」
でも、そうは問屋が卸さなかったね、となりはぽつりと吐き出すように言った。
「あなたはバカです。大バカですよ」
千里の口調は断定的だった。
「あなたは利用されているだけです。わからないんですか? あなたはスパイですらない。ただの回路……。丁さんが望む情報を、丁さんの望むタイミングで小塚さんに知らせる、ただそれだけの役目を負わされたんですよ? 使い捨ての道具のように扱われて……」
「わかってるよ」
なりは、千里の話を遮る。
「人のことバカにすんのも大概にしてよ。私は使い捨て。そんなのわかってる。Saltが解散した時点で私はもう、アイドルなんて続ける気はさらさらなかったんだよ。多分、あの中でアイドルなんて商売に一番ウンザリしてた。だからこれに選ばれたし、私は受け入れたの」
絶句している千里に、言葉を続ける。
「言っとくけど私、深山さんのことは嫌いだよ。良い大人がさ。あんなことして……バカにもほどがあるでしょ。だから私はかたき討ちなんて考えてない」
「そ、それならどうして……」
「意地ってもんがあるんだよ!」
なりは全身を震わせた。
「私はずっと研修生だったけどさ、それなりに一生懸命やってたし、充実してたよ。それがこんなしょうもないことでぜーんぶ取り上げられてさ。一方の責任者はのうのうとしてる。それが気に食わないから、一泡吹かせてやりたかっただけだよ。やられっぱなしは性に合わないの。それだけ」
しばらく黙って見つめていたが、やがて千里はなりの肩に手を置いて語りかけ始める。
「気持ちは聞かせてもらいました。その上で言わせてもらいますが、やっぱりあなたはバカです。せっかく、幸せになれるかもしれなかったのに……」
「あんた、さっき〝自分の未来を棒に振るような〟って言ったね」
なりは、フン、と鼻を鳴らした。
「明るい未来なんて望んでないヤツもいるんだよ。それを知らなかったのが、あんたの敗因さ」
肩に置かれた手をゆっくり解き、なりは歩き始める。
「……キツい言い方してゴメンね。あんたは本気で私のこと考えてくれてたよね。それは伝わったよ。ありがと」
それだけ言い残して、なりは夜の街に消えていった。
負けた。完全な敗北。
千里は呆然と立っている。
まさか、丁がここまで非情になれる人間だったとは……。
思わず天を仰いだが、灰色の空に星は見えなかった。
大江なりは久しぶりに本部に帰っていた。雪枝も、葉子も、沙希も、伊予も、真銀も、居る。
全員それぞれ顔は見知っていたし言葉を交わしたこともあるが、一同に会するのははもしかすると初めてのこともしれなかった。
「うわっ、すごいね。対決ムード盛り上げてくれるの? 願ったり叶ったりじゃん!」
「ステージも真向かい……。これ以上は望めない環境ですね」
口々に褒めそやす同僚たちに向かって、なりは
「たいしたもんでしょ?」
と、冗談めかして応じている。
「ゆっきーの作戦、図に当たったね~。やったじゃん」
葉子が肩を叩くと、雪枝は〝ええ〟と返した。
「私たちから率先して発表すれば、小塚さんも警戒するでしょう。しかし、自分たちが捕えたスパイから情報を得ることが出来た、と信じ込ませられれば小塚さんを上手くノせられる、と思ったんです……。結局、人間の一番の敵は自らの慢心ですから」
「ゆっきーって、時々えげつないよねー」
葉子の言葉を受け、雪枝は力無く笑う。すぐに葉子は自らの失言に気付き〝あ、いや〟等とへどもど言っていたが沙希にコラッ、と一喝され
「ごめん……」
と、素直に謝った。
「あの、やはり考えは変わりませんか? フェス参加の件は……」
雪枝は、意を決したようになりに問う。
「ああ……うん。遠慮しとくよ。丁さんに伝えといて」
目前に迫ったフェスにAcCordの一員として、ステージに立つ資格を持っているのは、スノウセクションでは大江なりただ一人なのだ。以前、十子から正式にその旨伝えられていた。
他の者は任務に忙しく充分レッスンが出来なかったのに対し、なりはhasのオーディションに合格するため猛特訓していたというアドバンテージがあったのが大きかった。
「その、もう行くよ。私は今日でAcCordは辞めるし、スノウセクションも抜ける約束だったからさ」
色んな意味で、困難で辛い任務を背負わせてしまった自覚はある。雪枝はなりの決定に対し何も言えなかった。
「わがまま言ってごめんね。やっぱり私には、アイドルのキラキラは似合わないよ」
どこか痛々しく見える笑顔を残し、なりはスノウセクションを去っていった。




