スノウ Ⅲ
空気が乾燥し、肌寒い季節になってくる。そろそろ年末のフェスが現実のものとして迫ってきていた。
「こーれはやられたねー」
葉子は軽い調子で嘆息したが、雪枝は眉一つ動かさず無言を貫いている。
「私が気付くべきでしたね。……十子さんと丁さんには私から報告しておきました」
「いや、今からでもわかって良かったんだよ。それに、私ら全員必要なデータは共有してたのに誰も気付かなかったんだからさ。急にメンバーの増員したりとか」
葉子が言うと、この場の全員が同意を示した。
今回、真銀が持ち帰った資料でhasが二つのチームに分かれる、という事実が判明したのだ。年末のフェスの前に、お披露目ライブで発表するらしい。
「年末のフェス、どうするつもりなんでしょう? 一位を取れなければ解散ということでしたよね? 二チームあるとすると、どちらか一方は必ず解散ということになってしまいますが……」
真銀が心配そうにこう発言するのには理由があった。丁の性格を考慮しているのである。
「本来なら私達に有利になるんですけど」
かすかに、雪枝は眉間に皺を寄せた。
「当然の話ですが、二チームに分ければ確実に票も二つに割れます。私達が一位を取れば、二組とも解散ということになり、万々歳なのですが……」
「こっちも二つに分ける、って言い出したんだね。丁さん」
葉子が後を引きとって言うと、雪枝は難しい顔で頷く。
「ええ……。私達Saltが一位、二位を独占すれば完膚無きまでに、言い訳出来ないほど叩き潰せる、と仰ってました。既に編成も初めてますよ。こちらは『表』と『裏』に分割するそうです」
〝おっ、それはちょっとカッコイイ〟と、葉子は雪枝に人差し指を突き出した。
「まあ、アタシは悪くないと思うけどね、そのやり方。どうせさあ、hasが二つに分かれるのも、一位取れなかったほうが解散ってのも、あからさまなテコ入れじゃん」
「それはそうでしょうね」
hasは近頃持ち直してはいるものの、人気は伸び悩んでいるままだ。少なくとも小塚の立ててい
る目標には全然届いていないことは間違いない。
おそらく新リーダー、水前寺一姫を中心とするチームと、旧リーダーを中心とするチームに分け、それぞれのファン同士の争いも煽らせる構図を取るだろう、と雪枝は踏んでいる。
「正直、わりと上手い手法だと思います。発表のタイミングもなかなか」
「まあキラコーの場合、ちょっとワンパターンではあるけどね……。でもさ、そこに乗りこんでって、アタシらで一位二位取っちゃったら、痛快な気はするよ。そうなったらあいつら、最高でも三位四位じゃん。丁さんの言う通り、そうなると言い訳も難しいでしょ」
『言い訳』というのは、解散後の再結成や再挑戦の流れを指している。KILLER CORPORATION発のアイドルは、厳しい試練を課されることが多く、達成出来なければ引退やグループの解散等を促される、というプロモーション戦略を取ることが多かった。
ただ、人気があるのに何かのはずみで試練に失敗しまったり、小塚が〝まだ辞めさせるには惜しい〟と考えた場合、割と簡単に救済措置が取られ復帰することも多いのである。
「それもこれも、勝てれば、ですよ」
この流れ自体は悪くないのだ。流れは。この計算外の出来事も上手く自分の考えている流れに合流されることが出来れば……。雪枝は漠然と最後の詰めについて考えを巡らせていた。
どうするにしても向こうに合わせてSaltも編成をやり直さなくてはならない。必要な資料は用意しなくてはいけないが基本的には丁と十子の仕事なので、スノウセクションには関係の無いことではある。しかし、もう一つの問題はそうはいかなかった。
「室長―、これはー?」
雪枝に呼びかけながら、沙希はクシャクシャになったメモ用紙をひらひら振って見せる。紙片にはなにかの文字列が規則正しく並んでいた。
「ただの落書きじゃないの? ひまつぶしの遊びとか……。そんなもんにいちいち真面目に反応してたらキリないよ」
伊予が呆れたようにごちる。
「いいや! これはなんかの暗号だね! 絶対に勝負の鍵を握ってるね!」
「あんたさあ……そういう考え方押し進めてくと、陰謀論に行きつくんだよ。最近こんなことばっかやってるからしょうがないけど」
強情に言い張る沙希に伊予が言い含めていると、横からスッと葉子が紙片を奪っていった。
「まあ、暗号ってほどのもんじゃないと思うけど、いいよ。アタシがやる」
「やるって、何をやるの?」
訝しげに問う沙希に、葉子は〝解読〟と事も無げに答える。
「そういうの得意なんですか?」
「スゲー得意だよ。自分で言うのもなんだけど」
そう言うと、葉子は真銀に少し胸を張った。
「いいの? 室長」
伊予は不安そうに雪枝に呼びかける。この忙しい時期にこんなことに時間を取っていていいのか? という主張を言外に含んでいる言いかたであった。
「そうですね……」
雪枝は小首を傾げつつ、今は葉子の手の中にある紙を覗き込んだ。文字は横書きで二列に渡って記されており、一列目に
『まごあかごう にちにちおし ぐるひらごう がんとくちよ ぎよがりろは くがふかさん ぎよがりうか たろとろどん ひらおしはん さんごうきら ばりしのちよ』
二列目には
『さんすそおし たろごうぎよ たろごうこだ すそうかおげ ひらとくどん さんにちごう ろはがんがん さんこだごう しぶおげはん がんとんおし しんきらいれ』
と、ある。
正直、雪枝もそこまでこれが重要なものだとは思えない。葉子にまかせれば、これが何を意味しているかは分かるようになるだろうが、それが何かの役に立つだろうか?
「これは、沙希さんが見つけたんですよね?」
うん、と素直に頷く沙希。
「事務所じゃなくて、hasのレッスン場のほう。会議室のクズかごの中にこれだけ入っててさ。ピーンときたわけよ」
自慢げに言う沙希に、なるほど、と神妙な様子で雪枝は頷いた。
見られて困るものならシュレッダーにかけるなりなんなりするはずで、そのままクズかごに捨てたりはしないだろう。そこから考えても大したものではないような気がする。
「沙希さんがこれを取得した時、会議室に入った時には、誰もいなかったんですよね? その前に会議室を使っていたのは誰かわかりますか? レッスン場を使うのはhasだけではないですよね?」
指摘を受けて、沙希は短く〝うっ〟と呻く。
「まあ、それはそうなんだけど……。あの小会議室使うのは、ほぼhasの関係者だけだよ。正式のミーティングみたいのじゃなくて、こう……なんていうのかな、兵藤千里が個別にメンバーを呼んでちょっとした面談する時とかによく使ってる感じ。だから前に誰が使ってたのか特定はちょっと難しいかな」
「それは沙希の言う通りだよ」
伊予が付け足した。
「加えて言えば、前日にレッスン場に入ったのは私だけど、その時にはその紙切れ無かったね。小会議室も一応ざっと見たけどさ」
なるほど、と雪枝は再び口に出して沈思する。
「……兵藤千里の筆跡がわかる物、いくつかありましたよね?」
雪枝が言うと〝ほーい〟と答え、沙希が金庫から報告書のバインダーを取りだした。そして中に挟んでいる紙切れを机の上に置く。宅配便の宛名の書き損じであった。
「うーん……。似ているように見えますが」
他にもいくつか並べられたが、正直それらと比較してみて紙片のものを兵藤千里の字、と断じることは雪枝には出来なかった。特徴のない、端正な字体なのだ。
「誰かこの中に筆跡鑑定とか出来る人……いませんよね」
さすがにね、と伊予が微苦笑する。みな同じ意見のようであった。
「いや、発想は良かったよ、ゆっきー。兵藤千里が書いた物なら重要度が跳ね上がる」
「これ、分かるようにするのに、どれくらいかかりますか?」
雪枝が訊ねると、葉子は指を動かして遊びながら〝うーん〟と五秒ほど紙片を見つめる。
「わかんないけど、どっちみちそんなにはかかんないよ」
「今日と明日いっぱい、尾鷹さんの時間をこれの解読に当てます。それまでに解読出来なければ諦めましょう」
沙希は〝えー?〟と不満そうな声を漏らしたが、伊予は
「ま、優先順位からいけばそんなもんでしょ」
と、納得している様子である。真銀も特に異存はないようだった。
「だーいじょうぶだよ、沙希ちゃん。そんだけ時間あったら余裕だって」
自信満々の葉子に、
「私も手伝います。早めにすませましょう」
と、雪枝が声を掛ける。
「え~。折角お鉢が回ってきたのに~? 一人でやりたいな~」
「尾鷹さん、遊びじゃないんですよ? 忘れないでくださいね」
わ、わかってるよう、と応じながら、葉子は笑顔の雪枝から眼を逸らした。
雪枝と葉子の作業机は、ミーティング用のラウンドテーブルとは独立している。スノウセクションの中で独立した作業机を持っているのは、この二人だけであった。
「あの、お茶でも淹れましょうか?」
しばらくのち、真銀が立ち上がると、沙希と伊予が〝お願い~〟〝ウチも~〟と片手を上げる。
「……気ぃ使わなくていいんだよ?」
葉子がふり返って言うと雪枝も、
「そうですよ。みなさん、もう帰っていいんですよ」
と、呼びかけた。
「いやあ……それはちょっと……」
「やっぱさあ、ねえ……? なんか手伝えることもあるかもしれないし……」
沙希と伊予は、何やら曖昧なことをモゴモゴと言いながら、顔を見合わせている。
「私は正直、暗号の解読ってどんなことするのか興味あって……。お邪魔でなければ見せていただきたいなあと……」
真銀が言うと、他二人もそれそれ、と声を合わせた。
「野次馬かよぉ」
「まあまあ、そんな邪険にしないでさ。今どんなことやってんの?」
舌打ちしている葉子に、伊予と沙希が近づいていくと〝しょうがねーなぁ〟と言いながら身体を開き二人を迎え入れる。
「今はまだなーんもしてないよ。どういう風に攻めるか考えてんの」
「えっ? もう結構時間経ってんのに? 眺めてただけ?」
沙希が唖然とした様子で言うと、葉子は嬉しそうに口を三日月の形に歪めた。
「暗号の解読はこの時間が一番楽しいんだゾ~? あ、いやいや、冗談冗談!」
雪枝の目が笑ってないことに気付き、葉子は慌てて手を振りながら自らの言葉を否定する。
「そ、そうだなあ。どうせアイドルっていうか、芸能界関係の語嚢かなんかだろうから、当てはめるべきモノはそんなにないはずなんだよ。だからこそ、事前に方向性を定めておくことが重要なんだよね……」
「尾鷹さん、とりあえず頻度分析をかけてみませんか?」
雪枝に言われた葉子は、露骨に〝え~?〟と眉を顰めた。
「ゆっきーそれ好きだなあ~」
「基本じゃないですか。それじゃ準備しましょう」
へ~い、と行儀の悪い返事をしてPCの前に向かった葉子を確認してから、雪枝もディスプレイに向かう。
「頻度分析ってなんですか?」
お茶を淹れたのち、いつのまにか戻ってきていた真銀が、素直な質問をする。
「暗号文内に出てくる文字の頻度を調べるんです」
「言語によって頻出する文字の比率ってだいたい決まってるからさ。単純な換字式の暗号なら当てはめていけば元の文字を割り出せるんだよ」
二人の説明を聞いて真銀は、へえ、といかにも感心した様子を見せた。伊予と沙希も興味深げに耳をそばだてている。
「……出来ました」
しばらくして、雪枝がそう宣言し、暗号文内の文字の頻度を記した文書をプリントアウトしはじめた。わざわざ印刷するのは、真銀たちのためであろう。
「こっちも~」
葉子も椅子を回して言った。こちらは書き込み用の表を作っていたらしい。
『ん16 う9 し8 ご7 が7 お6 ろ5 ち5 さ5 ら5 は4 と4 か4 ひ3 ぎ3 よ3 に3 く3 り3 た2 こ2 だ2 す2 そ2 げ2 ど2 き2 よ2 い1 れ1 ま1 ご1 あ1 ぐ1 る1 ふ1 ぶ1 ば1 の1』
「『ん』が〝16個〟。『う』が〟9個〟『し』が〝8個〟ね。まあ、ここまではいいとして、四位が同率 で二つ。『ご』 『が』で〝7個〟か。めんどくせーなあ……」
「五位が『お』で六つ。六位も同率で四つ、七位も同率で三つありますね」
真銀が葉子の傍で相槌を打つ。
「八位以下なんて目も当てらんないなあ……。だいたい日本語の仮名は数が多いから、アルファベットほど頻度分析が効かないんだよ。漢字とかもあって複雑だし……。今回サンプルも少な目だからなあ……」
「『ん』は『い』ということで、ひとまず仮に置いてみませんか?」
雪枝が口を開いたが、葉子は黙ったまま何かを考えている。
「『い』は出てくる確率が高いんですか?」
「ええ……当然ブレはあるんですが、日本語だと『い』『う』『ん』の順に出現頻度が高い……はずです。あ、ほら」
雪枝は、真銀に答えながら葉子の机上からクリアブックを取り、あるページを開いた。
「それアタシが作ったんだぞ」
仏頂面で言う葉子を、雪枝は〝まあまあ〟と宥めている。
「焦りすぎだよ、ゆっきー。らしくないな。良く見てみなよ。ゆっきーの言う通り日本語の仮名の出現頻度は三位までは『い』『う』『ん』の順番。でも、この暗号文―仮に暗号文ってことにしとくけど―の中の 仮名の出現頻度も……」
「『ん』『う』に『し』……。二つも被ってますね。一番の『い』こそ、暗号文の中では一つしかありませんが。個別のブレを考えるとこれはちょっと……」
雪枝が後を引きとって呟いた。
「ん? 換字式ってのは……文字を入れ替える、ってことだよね? 仮名を他の仮名に入れ替えてるのに被るってことは……?」
伊予が難しい顔で考え込んでいる。
「いえ、入れ替えていない、転置式の暗号ということですか?」
雪枝が問うと、葉子は益々眉間に深い皺を刻んだ。
「現時点では、ゆっきーの言う通り、換字式よりはスクランブルがかかってる風に見える。でも、そうとも言い切れない。まだ決めつけるのは早計だよ。焦りすぎだってば」
「あのー、転置式ってなんスか?」
沙希が挙手して質問する。
「文字列を一定のルールに従って並び変えるの。ルールを知ってるもの同士なら復号……正しい順番に戻せる。まあやってみるのが早いか。たとえば……」
喋りながら葉子は、メモ帳を一枚切り離し〝くろすわあどだいすき〟と書きつけた。
「これをあるルールに従って並び変える。そうだね、三、二、にするか。『三、二』って鍵を暗号文を使う者同士で予め示し合わせて置く。三、二、ってのは三番目の文字を二つ戻すってことね。そうすると……」
葉子は〝くろすわあどだいすき〟の下に〝すくろどわあすだいき〟と記す。
「これを〝スクランブルをかける〟って言うの。あとは、逆の手順をやれば元の文章が出てくるってわけ」
「なるほどねー。こりゃお手軽でいいね」
沙希は感銘を受けているようだが、葉子は思案顔でため息をついた。
「ただ、確かにこんくらいのだとお手軽だけど、鍵を探すまでもなくて単純に順列組合せを繰り返してれば解読出来ちゃうから……。長文で複雑なスクランブルをかけると受信者の復号が面倒だし、今回それはちょっと……」
葉子は煮え切らない様子でモゴモゴ言っている。
「まあ、じゃあやってみようよ。順列組合せ」
伊予が口を開いたが、葉子は〝まあ、一応やってみてたんだけどさ〟と、これまたあまり乗り気でない表情だった。
「まず、この暗号文の書き方に注目してみるよ。左の列は横書きで『まごあかごう にちにちおし……』って感じで続いて、少し空けた右の列は『さんすそおし たろごうぎよ……』って続いてる。この書き方って多分、一連の文章ってよりもなんかのリストじゃないかと思うわけ」
「だとすると、『まごあかごう』で一旦切って何かの単語『にちにちおし』で切って何かの単語……という風になってるわけですね」
「それならなおさら簡単じゃん。たった六文字の単語を並べ替えてるだけなら……」
真銀と沙希が口々に言ったが、葉子は〝だからさあ〟と嘆息する。
「やってみなよ『まごあかごう』を並び替えてなんか意味のある言葉、出てくる?」
問われて沙希は、しばらく試行錯誤して音を上げた。
「ごまうかあご、うごかあごま、ごごうまあか……。ちょっと難しいね」
「漢字にしてみるとか? たとえば」
伊予はその場でノートの切れ端に『孫、赤、号』と書きつけた。
「順番はまんまだけど……」
「おお! なんか意味があるっぽい気がする!」
沙希が身を乗り出す。
「孫、赤……孫の赤ちゃんが……号? 名前なら『豪』とか『轟』とか? 漢字にしてから順番を入れ替えて……うーん」
「あんた『まごあかごう』だけじゃないんだからね? 『にちにちおし』とかも考えなきゃいけないんだから」
「『にちにちおし』……『日日推し』? 『日々アイドルを推し続ける』って意志表明? 『ニチニチ』ってニックネームのどっかのアイドルを推してるとかかな……」
真面目にやんなさい、と伊予は沙希にツっこみを入れる。二人のやりとりを聞いていた真銀は堪え切れ無くなって、とうとう吹き出してしまった。
「でもこれ、なんか面白い語感の言葉多いですよね。『しんとろどん』とかちょっと美味しそう」
「『豚トロ丼』みたいな……。カロリー高そう」
「『ひらとくどん』は『平徳どん』とかかな。『西郷どん』のノリだね」
「『ろはがんがん』とかもすごい。『ロハでガンガンいく』みたいな」
一頻りみんなの笑い声が響いたあと、葉子が
「今の指摘はなかなか有益だね」
と、語り始める。
「『しんとろどん』を食べ物の○○丼の亜種と連想したのは○○+トロ+どんって区切りの物が世の中にあるからだよね。『豚トロ丼』もそうだし『ねぎトロ丼』とかさ。伊予ちゃんが『まごあかごう』を漢字にする時も自然に『孫、赤、号』になったでしょ? なんかここに出てくる六文字の並び、全部二文字区切りだとしっくりくる気がしない? 『にちにちおし』『ろはがんがん』みたいな『にちにち』『がんがん』とかの繰り返しのフレーズが入ってるやつも、もちろんそうなんだけど」
「なるほど、二列目に『たろごうぎよ』『たろごうこだ』と、『たろごう』の並びが連続するのが気になっていたんですが、ここも、たろ+ごう+○○が二つ並んだ、と考えたほうがいいかもしれませんね。『ごう』は他にもよく出てくる並びだし……」
雪枝が言うと、葉子はニコッと笑みを見せた。
「『ごう』は七回も出てくる並びだよ。最多。ろはがんがんの『がん』も結構出てくる。四回」
「二文字区切り……二文字で何かを表しているとすると、六文字だとそれが三組。三組で表される何かのリスト……」
雪枝が考え込んでいると、沙希が〝ハイッ〟と元気良く手を上げた。
「あのさあ、ちょっと話ズレるかもしれないんだけど、これなんかの数字なんじゃない? 三組って考えるとなんとなく。三ケタの数字のリスト。特に根拠は無いんだけど……。」
「数字をリストにするっていうのは、なんかわかる気がします。何かの量とか、物の値段とか……重さとか力とか、数字で表現出来ることってたくさんありますよね」
真銀はすぐに同意を示す。
「数字は確かにそれっぽいけど……二文字で一組にしても、種類が多すぎない? 最低0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、の十個あればいいわけだし……。なんなら二進法なら0、1だけで表現できちゃう」
伊予が疑義を呈すると〝まあね〟と葉子は一定の賛意を表した。
「ただ、符牒だと数字を表すものも十以上あったりする。そのほうが0~9の組合せで作るより便利みたいよ。青果市場の符牒だと『1チョン、2ブリ、3ゲタ、4ダリ、5ゴットリ、6ロッポー、7セイナン、8バンド、9ガケ、10チョン、11ドウグ、12チョンブリ、13サンモン、14シモン、 15チョンガレン、16ソクロン、17 チョンシチ、18ソクバン、19ソッキュウ……』って続いてくみたい」
「でも、それだと二文字一組とか、三組で表されるものっていうのが、全く意味をなさなくなっちゃいますね」
真銀が言うと、葉子は腕組みして大きく息を吐いた。
「うーん……アタシねえ、これ暗号っていうより、符牒みたいなもんじゃないかと思ってんの。さっきも少し言ったけど、暗号って強力になるとその分復号に手間がかかるからさ……。あんたらだって、仕事とか任務の最中に紙と鉛筆持ってコチョコチョやってらんないでしょ? これ書いたのが兵藤千里として……相手はhasか小塚幸生か長尾伊都か……まあhasだと思うけど、そこまで本格的な暗号を使うと思えないんだよねえ。もっとこう、パッとわかる符牒みたいな……」
「まあ、はっきりしてるのは、これが暗号だったとしたら、何か外部には知られたくないことがある、ってことですよね」
雪枝が口を挟むと葉子は、それ、と言いながら人差し指を向ける。
「暗号ってのはクイズやなぞなぞじゃないからさあ、関係ないヤツに対してフェアである必要は全然ないんだよ。そいつらにはヒントをやる必要はない。ただ、わかって欲しいヤツには、必ずわからせなきゃいけない。ここのせめぎあいなんだよなあ……。誰かには必ず伝えなきゃいけないけど、他のヤツには知られたくないこと。その辺からアタリをつけていくのが今回近道じゃないかと思う」
「あの、遊びでやってて、単なる日常会話みたいのを暗号にしている可能性も……?」
沙希が恐る恐る手を上げて言うと、
「そりゃその可能性もある。そん時はアタシのカンが外れてたってことだね」
と、葉子は肩を竦めた。
「あんたがやるって言い張ったから、みんな付き合ってんだよ!」
伊予が叱ると〝そうだけどさあ……〟と沙希は弱気な声を出す。
「日常会話のようなものなら、解読出来なくても問題ありませんし、どっちみちタイムリミットを過ぎれば止めますから気にすることないですよ」
雪枝は慰めるように言ったが、葉子は気に入らなかったようで、軽く舌打ちした。
「大丈夫だよ~。このぐらいのもんなら今日中に解いてやるって」
葉子は口を尖らせながら、椅子をグルグル回転させた。
「ねえ、ちょっとあのライブ映像見てみようか? あの、hasを二つに分けた後のお披露目ライブのやつ」
「えっ? なんで今?」
「なんかこのまま勧めてもドツボにハマりそうだしさ。そういう時は周辺情報から洗っていくといいんだよ」
伊予が問うと、葉子は嬉しそうに指を動かしながら答える。
「それに沙希ちゃんがこの紙切れ持ってきたの、お披露目ライブの前後じゃなかった?」
「あ、あー……あ、そう。確かライブの次の次の日くらいが、そうだったはず」
沙希がそう言うと雪枝は〝確認しましょう〟と言いながら、資料棚からファイルを一冊抜き取った。
「はい。間違いありません。沙希さんが暗号メモを持ちかえったのは新生hasのお披露目ライブの次の次の日です……そこで使われた暗号だとすれば、ライブ映像を確認してみる価値はありますね」
雪枝が言うと、決まりっ、と声を張り葉子はPCに向かう。
「ライブ動画とかある? ファンが撮影した動画とか?」
「うーん……おっ! ちょうど期間限定で公式がUPしてるぞ!」
「ああ、丁さんと十子さんにも報告しておかないといけませんね」
葉子が動画サイトを検索すると、割と簡単に目当ての動画は見つかった。よし、と言いながら、椅子をPCから離し、真銀が淹れた茶に口をつける。
しばらく、全員で熱心にhasのライブ動画を注視していた。
「やっぱ上手いなあ……」
「新しく入ったコ達ってのも、遜色ない感じだね」
雪枝と葉子以外は、口々に感想を言い合いながら画面を眺めている。
「なりがいないね」
伊予がぼそっと呟いた。
「ああ、そうだよ! 合格したんじゃないの?」
沙希が続いて言う。確かについ先頃なりがhasのオーディションに合格したという報告が上がっていたのだ。
「辞退者が出たことを受けての繰り上がり合格、ということらしいので……。この時はまだ所属していなかったんですよ。確かまだ事務所に顔見せにも行ってないはずです」
淡々と答える雪枝の横顔を、葉子がちらっと見遣る。
「しかし、これなんか変だね」
「何が?」
沙希が訊ねると
「チームが二つあるから、ってのはなんとなくわかるんだけど……。なんか編集おかしくない? ザッピングしてるみたいに頻繁に他のチームに切り替わってさ。通しで流したほうがいい気がするな。動画も二つに分けて」
葉子は難しい顔で答えた。
「そりゃまあ、やっぱ臨場感みたいのを重視してるんじゃないの? 珍しい試みだし」
沙希が答えても、葉子は妙な顔をしたままである。
「尾鷹さん、この日のライブはそれぞれのチーム、同時刻に別々のハコでおこなわれているんです。二つのチームを競わせる、というテーマを徹底しているカタチですね」
雪枝が言うと〝あー、なるほど〟っと葉子は素っ頓狂な声を上げた。
「もしかして知らなかったの?」
「いや、ちょっと忙しくて……そこはカバーしてなかった」
雪枝は、沙希と葉子とやりとりを意に介さず、顔をグッとモニターに近づける。
「ちょっと、止めてくれませんか? はい、この人」
一旦動画を止めさせ、雪枝はある一人のメンバーを指差す。みなが注目したのを確認したあと、
「はい、再生してください。あ、止めて……。この人とこの人。なんだかとても似てますね」
別のチームに切り替わった画面を再び指差し、指摘した。両人とも耳の上に大きなリボンをつけている。
「ああ、これ双子なんだよ。新規メンバーで、確か……ナオとマコト、かな」
聞いた雪枝は、すぐさまスノウセクションで作成した名簿を確認した。
「ああ、〝大林直〟に〝大林真〟確かに姉妹っぽいとは思っていたのですが」
「どったの?」
瞬き一つせず凝視している雪枝に、葉子が視線を向ける。
「せっかくの双子なのに、分けないほうがいいと思いませんか? やっぱり並ぶとインパクトがあるし……」
〝ああ〟〝まあ確かに〟 等と、みな相槌を打ったが、あまりピンときていないようだ。
「ん~、でもそれは演出の一部なんじゃないの? ほら、どっちかが必ず引退することになるんだからさ。双子の人生の道が分かれちゃったら、なんか悲壮感が出るじゃん」
「それはもっともだと思うんですが……。しかしそれにしても勿体ないと思うんです。このかたたち、新規メンバーじゃないですか? 悲壮感を出そうとするなら、それなりに活動して物語を作ってからのほうがいいと思うんですが」
「いやでも、こういういきなり試練がくる! って感じも今の流行りじゃないの?」
「ちょっと、生々しい話ストップしてここ見て」
葉子がみなに言い、注目を促した。いつの間にか同じ動画を二つ同時に再生している。
「小さくて見にくい……」
「デュアルモニタにしたいけど、部屋狭いしねぇ」
話しながら、葉子は画面を指差した。
「MCのたびに、ナオさんもマコトさんもリーダーのところに行ってますね」
雪枝が指摘したとおり、ナオとマコトはそれぞれのチームのリーダー、水前寺一姫、長部巴の元に走り寄っている。軽く耳打ちするような仕草をし、他に特に何をするでもなくそのまま所定の位置に戻っており、何の意味があるのかよくわからない動きだった。
「ゆっきー、みんな。これ当たりかもしんない」
葉子は真顔でみなの顔を見渡す。
「ねえ、兵藤千里とこの双子の細かい経歴わかる資料持って来て」
その言葉に応え、沙希が資料の束の中から該当の物を持ってきたが
「ちょっと、何してんの?」
沙希はひょいっと寸前でかわし、葉子の手は空を切った。
「なんか言うことないか?」
「な、ないです」
「いや、よく考えてみろ……。ここらへんの資料は、全部私らが危険を犯したり、なんか気まずい思いをしたりしながら苦労して集めてきたもんだ……。なあおい?」
「まあ……」
「そのノリに付き合わなきゃいけないの?」
真銀と伊予に呼びかけたものの、特にそれ以上触れるわけでもなく、沙希は葉子に話を続ける。
「それを使わなきゃ、お前はお得意の暗号解読とやらも出来ないわけだ……。さあ、わかるだろう?」
「いや、別になきゃできねーってワケでもないんだけど……」
尾鷹さん、と声を掛けながら雪枝は肩に手を置いた。
「ここは一つ……」
「えーっ!? マジでー?」
葉子は仏頂面で椅子を回し、沙希に正面から向き合う。
「あの、どうもありがとうございます……」
「はーっはっはっはっは! 実に気持ちいいな! ほうれ! くれてやろう!」
「おい、ドヤ顔するな」
伊予が強めに沙希の後頭部をハタいた。
「か、感謝を求めるくらい、いいじゃんかよー!」
「いや、顔がムカついたから……」
「ゆっきーも言えよ!」
「私は普段から感謝の言葉は口にしているので……。でも、時にはこういうのもいいでしょう?」
その微笑んでいる様子を見て、真銀は何か雪枝の内面の変化を感じていた。
「はい、仲直り仲直り。それじゃ本筋に戻りましょう」
雪枝はパンパンと手を鳴らし、葉子もブツクサ言いながら資料を繰り始める。
「いや、マジでこれだけ集めたのは凄いと思うよ……。表に出てないプロフィールだし……」
んー、と奇妙な声を発しながら、丹念に資料をチェックしている葉子の動きが止まった。
「うん、これ怪しいな。このセンで行ってみよっか」
どれ? と言いながら集まってきたみなに、葉子は指で示し始めた。
「〝兵藤千里、父親が文楽の重要無形文化財保持者〟〝大林直・大林真、兵庫県淡路島出身。小、中学生時、ふるさと浄瑠璃倶楽部に所属し人形浄瑠璃の練習に励む〟」
「それが……?」
「文楽と人形浄瑠璃ってだいたいおんなじもんなんだよ。確かねえ、人形浄瑠璃の関係者だけが使う隠語みたいのがあったはず」
葉子は机上のブックスタンドから『隠語辞典』という分厚い本を手に取る。
「あ、あった。これこれ……〝せんぼ・(江戸時代に大阪の)操り人形師が楽屋で使った隠語《これが我が国の隠語にかなりの影響を及ぼした。楽屋で少人数の間で生れたため、固有名詞から生れた語が多く、語源がほとんどわからないのが特徴》〟おー! 由緒正しいじゃん」
葉子が満面の笑みでヘタクソな口笛を吹いた。
「この、〝まごあかごう〟とか〝にちにちおし〟とかが隠語なの?」
「いや、隠語を直接は使ってないでしょう。それだと全てピッタリ六文字では納まらないでしょうから」
それ~、と言いながら葉子が人差し指の先を雪枝に向ける。
「まあそうだね、じゃ『隠語辞典』のお世話になりながら〝にちにちおし〟〝ろはがんがん〟あたりからいってみようか」
「二文字で一組だとすると、〝にちにち〟〝がんがん〟の箇所が二つ同じものが続いていることになりますからわかりやすいし、復号に成功した場合他の箇所も考えやすくなりますね」
雪枝が言うと、
「穴を埋めていく感じ?」
と沙希が問い、葉子が〝そうそう〟と嬉しそうに頷いた。まず~、と節をつけて言いながら、葉子は辞典の索引ページを開ける。
「にちにち……おっ! にち、で始まる人形浄瑠璃の隠語……『せんぼ』は二つしかないよ。〝にち〟と〝にちりん〟……あ、これ二つとも同じ意味じゃん。〝火〟だってよ」
「じゃあ〝にち〟の場所は〝火〟……〝ひ〟ってこと?」
「うーん……。まあ、一応今んとこ〝ひ〟を置いておこうかね」
葉子はPC上の表の該当箇所に〝ひ〟を入力した。
「〝にちにちおし〟の他に〝にち〟が出てくるのは〝さんにちごう〟だけですね」
「うん。次は〝おし〟ね……。うん、これも〝おし〟で始まるせんぼで辞典に載ってるのは一つだけ。〝おしぐすり〟唐辛子のことだって。うーん……頭文字を取ってこれは〝と〟って感じかな?」
「じゃあ〝にちにちおし〟は〝ひひと〟ですか? このままではちょっと意味が……」
真銀はこう言ったが、葉子は軽く笑いながら手を振る。
「まあまあ、まだ結論を出すのは早いから。一応〝おし〟=〝と〟で置いてみよう。次は〝ろはがんがん〟。〝ろは〟は……あ、せんぼで〝ろは〟は動物の馬のことだって。これも一つしかないからまあ〝ろは〟=〝う〟で置くか。〝がん〟は……おう、三つもある。〝がんど〟=〝脇差し〟〝がんどお〟=〝御屋敷者、侍〟〝がんどおまえびき〟=〝武士〟全部お侍さん関係の語彙だけど……ちょっとわかりづらいね。これ後回しにしようか」
「二文字一組だとすれば……最初の二文字が他とかぶらない語彙を探して、取りあえずそれから当てはめていきませんか? 何か意味がわかる言葉が出てくるかもしれませんし」
そうだね、と葉子は雪枝の提案を簡単あっさり受け入れ、辞典のページを繰った。
「じゃー、〝くがふかさん〟いってみっか」
しばらくして葉子はそう言い、表に書き込んでいく。結果、〝くが〟→〝くがつ〟=〝耳〟、〝ふか〟→〝ふかす〟=〝通じる〟、〝さん〟→〝さんがつ〟=〝鼻〟or〝さん〟→〝さんしょ(ことば)〟=〝せんぼ((江戸時代に大阪の)操り人形師が楽屋で使った隠語)〟となった。
「耳、通じる、は一つずつしかないから、〝くが〟は〝み〟〝ふか〟は〝つ〟として〝さん〟は二つあるね。鼻かせんぼ……〝は〟か〝せ〟か。〝みつは〟〝みつせ〟。なんか両方とも取りあえず意味にはなってるっぽい。〝みつせ〟にするとなんか名字みたい」
葉子は喋りながら、手元のメモ用紙に〝三瀬〟〝光瀬〟とすらすら書きつけた。
「〝みつは〟は……まあ、漢字を当てるなら素直に〝三つ葉〟かな……」
〝三つ葉〟と記したあと、葉子の手が止まる。
「ゆっきー、これ……!」
「はい、これなら〝ひひと〟も……当てはまりますね!」
葉子と雪枝は、互いに見合わせている顔をパッと輝かせた。
「え? なに?」
「わかったんですか?」
他三人はまだピンとこないようで、目をパチクリさせている。
「まだわかんないの~? しょうがないにゃ~」
「尾鷹さん、他をこれに当てはめてみて……そうですね〝さんすそおし〟あたりがいいんじゃないでしょうか?」
「そうだね。〝さん〟〝おし〟もわかってるから。〝すそ〟は……おう。〝すそく〟=〝足〟だって? バッチリだね」
沙希、伊予、真銀はまだ黙りこくったままだ。
「わっかんないかなー。〝さん〟は、〝は〟、〝すそ〟は、〝あ〟、〝おし〟は〝と〟だよ。は、あ、と。はあと。二列目の最初が〝はあと〟」
あーっ! と伊予が素っ頓狂な声を上げる。
「わかった気がする! ちょっと、動画確認させて」
伊予は身体を割り込ませ、何やらライブ動画を確認しはじめた。
「よーし、それでは教えてあげよー」
葉子は新しいメモ用紙を切り取り、何やら書きつける。しばらくして、出来あがったものを沙希と真銀が覗き込んだ。
『1Mosaique 2Vivid Monsters 3オリーブ 4ランキンガール 5少女公団アパートメント 6三つ葉 7JOB&JOY 8ネガポジ 9リトル・リトル・アリス 10廃校ドールズ 11また教室で』
『1ハートオブtheガール 2青春過剰Sisters 3セイナルメグミ 4A FAKE PARADISE 5Limbo 6Happy Trail 7うらら 8ハナイロ 9チェルシー 10ラストピア 11ねこのひたい』
あーっ! と沙希と真銀は大声を上げる。
「セトリかぁーっ!」
「新生hasお披露目ライブのセットリスト……。しかし、なんのために?」
真銀の当然の疑問を受け、雪枝は厳しい表情を見せた。
「お披露目ライブでこんなことをする意味は薄いので……年末のフェスに向けての予行練習だと思うのですが……」
考え考えしながら、自分の意見を開陳する雪枝。
「hasは二組とも曲順を知らされずに、ステージに上がっていたのでしょう。あの双子……ナオさんとマコトさんを通じ、符牒を使って途中で入るMCの時に次の曲を指示していたものと思います。おそらくあの大きなリボンはイヤホンを隠しているのではないでしょうか?」
なーるほど、と言いながら葉子はパチンと指を鳴らす。
「予めセットリストを決めとくんじゃなくて、その時その時の会場の雰囲気だとか、他のステージでやってるアイドルとかの状況を見つつ臨機応変で決めてくわけね」
「ええ。一旦会場内の情報を集めて、兵藤千里が次の曲目を判断。そして、双子に知らせる、ということだと思います」
「あの、こう言っちゃなんなんだけどさ、これ暗号にする意味ある?」
沙希が右手を挙げて言った。
「いや、私も多分これで間違いないとは思うんだけど……。さっき室長も言ったみたいに暗号にするってことは、人に知られたくないってことでしょ? ただのセトリなら別に知られても問題ないかなーと……」
「セトリがどうこうってか、多分そういうことやってるってこと自体知られたくないんじゃないかな?」
葉子が両手を組んで、頭の後ろにやる。
「他のアイドルグループの動向も見ながらやるわけだからさ。たとえば、近くでやってるアイドルのステージがちょっとテンション下がり気味の時に、hasがキラーチューンぶつければ、客が移動したりするかもしんないじゃん? そういうことされたら良い気はしないよね」
「でも、それ自体は別に違反ってわけでもないんじゃ?」
「問題は、hasの事務所『KILLER CORPORATION』主催のフェスでそれをやるのはどうか? ということですね。主催者側の特権をフルに行使しているカタチなので、対外的な印象は悪いでしょう。加えて今回、会場運営にヒラエーが食いこむわけですから」
雪枝が言うと、一同納得した様子を見せた。
「なるほどー! 会場中の情報が集まる場所、運営本部に兵藤千里はいるわけか! 今回、運営本部にはヒラエーのスタッフもいるってことだから……」
「そうそう。彼らに疑念を抱かれたらマズいわけ。賢くなったじゃんか沙希ちゃーん」
からかうように言いながら、頭を撫でに行った葉子の手を振り払い、沙希は素早く相手の鼻をつまむ。
「いだっ。いだだだだ……」
「いいかげんにしろよテメー」
「あのー、『にちにちおし』の『ひひと』は二番目だから『Vivid Monsters』でビビッド・モンスターズの『ビビッド』→『ひひと』っていうのはわかったんですけど、『ろはがんがん』はどうなるんでしょう?」
葉子は答えようとしたが、鼻が塞がっておりフガフガした声しか出せない。やっとのことで沙希の指をどけ、
「いてて……冗談じゃんかよう、マジんなんなよ……。えー『うらら』だから『う』は『馬』で確定でしょ。問題は『がん』か。あー……あっ『がんどう』で『侍〝さむらい〟』だね。『ら』に当てたんでしょ。ら、で始まる元になる言葉が無かったんだろうね」
と答えた。
「へえぇ……。本当に一つ鍵が解けちゃうとスルスルわかっちゃうんだね。面白い」
伊予が言うと、葉子は本当に嬉しそうに破顔する。
「だろ~? うん。まあ、これ結構面白かったよ。スモール・スケール・メリットを上手く生かした暗号だったね」
「ス、スモール・パッケージ・ホールド?」
「面白いなー、沙希ちゃん」
アタシが勝手に言ってるだけなんだけどね~、と葉子は鉛筆を指でクルクル回している。
「〝規模の優位〟って知ってるでしょ? スケール・メリット」
「ええ……。製造業などで、生産の規模を大きくすることによって、結果的に生産物一個あたりのコストを下げることですよね」
雪枝の答えは、周囲への説明を兼ねていた。
「そう。製造業に限らず、経済において依然として規模の優位で押す戦い方は有効……。アイドルだって、なんだかんだ言いながらやっぱ潤沢な資本があるところは強い。人も集まりやすいから、良い素材も見つかりやすいわけよ……ただ!」
葉子は何故か胸を反らせる。
「暗号においては否! 〝規模の優位〟は存在するが、それは小さければ小さいほど有利! たとえば英語なんて世界中で使ってる人は多いし、ネイティブじゃなくても勉強するでしょ? 日本でもさ」
うんうん、とみな頷いている。
「商売したりする上では、英語読み書き出来るほうが有利なわけよ。だからますます英語を勉強する人口が増える。英語コンテンツは売れやすくなる。これも一種の規模の優位なわけだけど、そうなると英語をベースにした暗号ってのは弱くなっちゃう」
どうしてですか? と聞く真銀に〝単純に分かる人が多いからだよ〟と簡単に答えた。
「語彙も文法も周知されちゃってるからね。解読を進めていく時に、とっかかりがたくさんあるわけさ。だから世界中で少人数しか使ってない言語を使えば簡単に強力な暗号が作れちゃうの。歴史上極めて有効だったのが、その名も高き『ナバホ暗号』」
「この話長くなるの?」
誰ともなく疑問を発した沙希に、雪枝は〝まあまあ〟と宥めているが、葉子は気にしている様子もない。
「北アメリカの先住民族、ナバホ族の言語を使ったアメリカの『ナバホ暗号』は第二次世界大戦時、ついに難攻不落だった。ただ、強力な暗号の宿命として、兵士たちに一からナバホ語の暗号を習得させるには時間がかかりすぎる。そこで、ナバホ族の人達を暗号兵として各部隊に配置したの。……彼らは後年機密扱いを解かれた後、正式に合衆国政府から『ナバホ・コードトーカー』としてその栄誉を讃えられたのであった」
「今回で言えば、双子がコードトーカーだったわけですね」
雪枝の言葉に、うん、と葉子は飾り気のない返事をした。
「ゆっきーが気付いてくれたおかげでだいぶ時間短縮出来たよ。正直こんな凝ったことしてると思わなかったからさあ」
「文楽の人達の業界用語を使ってるってわからなかったら、お手上げでしたよね。あんなマニアックな隠語……」
真銀が嘆息すると、葉子は〝そうでもないよ〟と嘯く。
「まあ今回、沙希ちゃんがこの暗号メモを手に入れたのが、お披露目ライブの日の近くだったから、その場で使われた暗号かも、ってのは察しがつけられるでしょ? それに、二文字一組ってのはなんとなくわかってたからさ。たとえば『ごう』が出てくるのは、最多で七回。さて『ごう』は何だったでしょう?」
あっ、と伊予が大きく口を開けた。
「『まごあかごう』が『Mosaique』、『モザイク』だから……『もさい』で『ごう』は『い』か! 頻度分析!」
「そうそう。ただずっとそれでいくと、他はダメなんだけどさ。でも『にちにちおし』『ろはがんがん』なんかは少なくとも『○○+×』って語彙だろうってアタリはつく。ゆっきーが注目してたみたいに『たろごうぎよ』『たろごうこだ』の並びも鍵になる。お披露目ライブのセトリの通りに並んでるリストだったから。えー『たろごう』は……『青春過剰Sisters』『セイナルメグミ』の並びで『せい』だね。『せい』に当たる二文字が連続で続くリスト、とかそういうのを手掛かりにしていけば、いつかはセトリに辿りつくよ。時間はもうちょっとかかっただろうけど」
にっこり笑った葉子は軽く身体を伸ばし、再びPCに向かう。
「アタシはもう少しやることあるからさ。諸君らはもう本当に帰っていいよ」
何すんの? との伊予の問いに
「一応この暗号、わかるとこは全部埋めとこうと思って。多分必要になるから」
と葉子は答えた。
「あとは、なりさんが上手くいけば完璧なんですが」
「まあ……あんま思い詰めないようにね。なるようにしかなんないよ」
葉子の慰めを聞き、雪枝の顔に深い陰が差す。
「そうですね。全てが思い通りにいくことなんてないですよね」
そういうのをやめろっつってんのに、という葉子のツッコミを受けて、雪枝はかすかに微笑んだ。




