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凍蝶  作者: 八花月
13/18

スノウ Ⅰ

 尾鷹葉子は、いち早く楽屋に引っ込んでいた。ファンのアンコールを置き去りにして、である。別に何か不満があるわけではない。一人くらい抜けてもわからないだろう、と本気で思っているのだ。

 椅子の上に胡坐をかいて、ゴキゲンな様子で鼻歌を歌っている。

「あー、やっぱりここにいた。全く。お客さんに説明するの大変だったんだから。いいかげんにしてよね、本当に」

「ごめんごめん。いや、アタシはそんな求められてないかなー、と思ってさ」

 葉子は全く悪びれずに言う。

「そりゃそうだけど、体面ってもんがあるでしょうが」

「一応否定しろよテメー」 

 ドアのところに立ったまま喋っている同僚のアイドルに、葉子は笑いながら悪態をつく。

「……あんた、またそれやってんの?」

 机上には開かれたクロスワードパズルの本が置かれている。同僚のアイドルはそれをチラ見しながら呆れたように言った。

「いいじゃん、楽しいよ」

 慣れているのか、葉子は特に気にした様子もない。

「あんた、タダでさえ地味なのに趣味がクロスワードってねぇ。なんか他に世間ウケしそうなオタ趣味でもあればアピールできるのに……」

「うるさいよっ!」

 葉子は顔を向け、噛みつくように言った。不機嫌そうに〝ちぇっ!〟っと舌打ちし、再びパズルに没頭しようとする葉子に、

「お客さん、来てるよ」

 と、言い残し同輩は去って行った。

「お客さんって……えっ、誰?」 

 ファンは楽屋に通さないはずだし……と考えながら、葉子は入口に視線を向ける。もっとも、葉子を推しているファン自体、少ないのだが。

「こ、こんにちは。お久しぶりです。あの、私のこと……」

「おわーっ! ゆっきーじゃーん! おひさ~」

 葉子は、パァッっと輝くような笑顔を見せた。

「あ、覚えててくれてたんですね」

 雪枝もほっとしたように、目元に微笑を浮かべる。

「あったりまえでしょ~? 忘れるわけないよ。一緒に室井さんの事件を解決した仲じゃーん」

 葉子がこんなに歓迎してくれたのは、雪枝にとって嬉しい誤算であった。それを伝えると、

「アタシ物覚え良いんだよ? 知ってるでしょ?」

 と、不服そうな様子を見せた。

「おっ! 久しぶりにやるか~? 記憶力勝負」

「あ、いえ、それはまた今度……。とにかく覚えててくれて嬉しかったんです」

 雪枝は、話を軌道修正しようと苦労していた。

「遊びに来たんじゃなさそうだね」

 ニンマリと口角を上げた葉子に、雪枝はええ、と真顔で応じる。

「実は……Saltの仕事を手伝って欲しいんです」

「え? なになに? Saltって解散しちゃったんじゃないの? その、例の事件でさ」

 興味津々で身を乗り出す葉子に、雪枝はかいつまんで今までの経緯を説明した。

「な~るほど~。それならアタシのアシストがあったら、ゆっきー助かるかもねー」

 イヒヒヒ、と品の無い笑い方をしながら、葉子は椅子を前後に揺らしガタガタと鳴らす。

「はい……。今はまだ、葉子さんの特技を生かす仕事はないのですが……」

「あるでしょ」

 葉子は、愉快そうに言い切った。

「必ずくるよ。そういうやつ。この手のケースならね」

「はい。私もそう思うんです」

 雪枝は思わず自らの頬が緩んでしまうのを感じる。新生Saltにも、スノウセクションの現メンバーたちにも何の不満もないが、気持ちが通じやすい相手と話をするのは、雪枝にとってとても心弛びすることだった。

「あ、でも今のお仕事もあることですし、どうしても葉子さんのお力が必要な時だけでも……」

「いいっていいって。こっちの仕事は休むからさ。どうせアタシそんな人気ないしね」

「でもそれじゃ」 

「スノウセクションの同僚たちや、丁さんとかとの兼ね合いもあるでしょ? 今から行くよっ」

 勢いをつけて、葉子は立ち上がる。そのまま傍らのバッグを手に持った。

 今からって、今からですか?! と動揺している雪枝の背中を押しながら、葉子は楽屋の出入り口に向かう。

「あらっ、友達と一緒に帰るの?」

 どやどやと、葉子の同僚のローカルアイドルたちが楽屋に入ってきた。

「と、友達といいますか……」

「そこで引っかかるのかよ! ……あ、うん。これからしばらく休むけどごめんね~。詳しくは後日お知らせするから~」

 律儀に雪枝につっこんでから、葉子は仲間たちに手をヒラヒラさせる。

「ちょっとアンタ、これ忘れてるよ」

 同輩の一人が、葉子のクロスワードの本を振りながら声をかけた。

「それ、だいたい終わったからもういらな~い。欲しかったらあげる~」

 葉子と雪枝は、呆気にとられているアイドルたちを尻目に駆け足で去って行く。

「だいたい終わったって……あいつこれ、朝ここに来る途中で買ってたんだよ?」

 同輩の一人が、ブツブツ言いながら本を開いた。

「うわっ、本当にほとんど終わってる! あいつ、どんだけクロスワード好きなんだよ!」

 上がった声を聞いて、アイドルたちの中から〝マジ?〟〝すごーい〟等の歓声が起こる。

「葉子って変わってるよね~今更だけど」

 一人が声をあげると、笑い声とともにその場の皆が同意を示した。


 その弁当屋は、外から見るほど狭くはなかった。

 常に二、三人の従業員と、店長である佐神(さがみ)虎弥太(こやた)が忙しく立ち働いており、大変活気がある。

「おじさんただいまー……ちょっと上行っていい?」

 佐神沙希は帰ってくるなり、人差し指でちょいちょいっと天井を指しながら虎弥太に言った。

「ああ……いいぜ。ちょっと早いけど休憩ってことでな」

 ありがとー、と言いながら沙希はフラフラと奥の階段を昇っていく。

「お嬢さんがた、上で何やってるんですかね?」

 その後ろ姿を見ながら、アルバイトの男がボソッと呟いた。

「ああ……兄貴の娘なんだがなあ、店手伝うから二階の部屋貸してくれって言われてな。別に空いてるからかまわねえんだが、何やってんのかは俺も知らねえんだ……。いつも二、三人集まってるが溜まり場って感じでもねえしなあ。悪いこたぁしてねえみたいだし、どうでもいいよ」

「まあ、あのくらいの娘は難しいですよね」

 あっけらかんと話す虎弥太に対し、バイトの男は曖昧に応えた。

 二階の部屋には、佐神沙希、海原伊予、岡真銀、の三人が雁首を揃えている。

「いやー、きついわ。弁当屋。予想以上に」

「ですね……」

 沙希のぼやきに対し、実直に相槌を打つ真銀。

「配達だけやるってわけにもいかないもんねえ……。どう、やっぱ無理かな?」

 海原伊予が軽く伸びをしながら、沙希に訊ねた。

「無理だよ。だってその理由をどう説明すんの? あからさまに怪しいじゃない」

「現状でも私達、かなり不審だと思いますが……。店長があまりこだわりのないかたで助かってますね」

 真銀が言うと沙希は、うんうんと大袈裟に頷く。

「おじさん大雑把だからね……。そういや最近室長に会ってないなー。なりちゃんにも」

「三日に一回くらい会ってるでしょ」

 伊予が言うと、沙希は不満そうに頬を膨らませた。

「前は毎日会ってたのに~」

「室長はスノウセクション全体の動きを統括しないといけないし、なりさんは別任務という話ですからしょうがないですよ」 

「岡ちゃんは真面目だねぇ」

 真銀が宥めると、沙希は一応落ち着く素振りを見せる。

「でもなりちゃん、私達にもどんな任務なのか言ってくんないの寂しいよね。……あと、最近いっつも室長にくっついてるヤツ。なんなのかな?」

「そうそうそう! それ! あの尾鷹とかいうの! どういう経緯でウチにきたわけ?」

 折角平静さを取り戻しそうだった沙希が、伊予の余計な言葉のおかげで再びヒートアップしはじめた。

「こっちが気ぃ使って話しかけてもろくに返事もしないしさあ……。そのくせ室長とはミョ~に仲良さげなんだよな~」

「なに沙希? ジェラってんの?」

 険呑な様子を察知してか、伊予が冗談めかして言うと〝そういうわけじゃないけどさあ……〟とブツクサ言いながら沙希は口ごもる。

「まあ、仲間の和みたいのも大事だし、今度本部に帰った時にあの尾鷹ってコが何者で何してんのかくらいは聞いてみようよ」

「ええ、そうですね。なるべく友好的にコミュニケーションを取りましょう」 

 伊予がまとめると、真銀は急いで同意を示した。

「それがいいね。……さて、私は休憩のうちに少しでも報告書をまとめとくよ。あんたら、今日はないの?」

「私は夜。事務所のほう。岡ちゃんは今日は無し」

 沙希の問いに、伊予は簡潔に答える。

 三人は、ここでアルバイトのようなことをしながら、小塚幸生の事務所とhasのレッスン場に調べを入れている。元々沙希の親戚の弁当屋が、小塚の事務所の目と鼻の先だったこともあり、お得意様だったのでこれ幸いと乗りこみ、スノウセクションの支部のようにしてしまったのだ。

 沙希と伊予は、人見知りしない性格もあって、弁当を届けながら雑談を交わしたり、ちょっとしたことを手伝ったりといったことをよくしていたので、わりとこの情報収集のやり方が向いていたが、真銀のほうの成果は今一つといったところだった。

「メールで送れれば楽なのになあ……」

 沙希は文机に向かってルーズリーフに書き込みながらぼやく。

「しょうがないよ、室長の方針だから」

 笑いながら伊予が返した。スノウセクションのみなが思っていることであるが、雪枝の決定に反対する者はいない。

 この三人のうち、誰か一人は必ず一日一回は本部に赴くことになっていた。それぞれが書いた報告書のルーズリーフも、その際に雪枝に提出することになっている。 報告書のファイルは本部に置かれており、コピーは取らず電子化もしない。原則としてこの世に一部しか存在せず、門外不出という徹底ぶりであった。

「さて……私はもうちょっと休憩時間あるから、休ませてもらっていい?」 

「うん。休んどきなよ。夜が本番なんだから」

 伊予は、沙希にありがと、と呟くように言って、壁に凭れて目を瞑る。

「修行僧みたいだね」

 沙希が笑うと、真銀は大真面目に頷く。

「本当……でも、私から見ると、お二人とも泰然自若としてて羨ましいです。私はどうしても、潜入してると緊張しちゃって……」

「大丈夫だよ」 

 えっ、と驚き真銀が顔を向けると、伊予が瞼を閉じたまま喋っているようだった。

「岡ちゃんは岡ちゃんしかできないことがあるからさ。その時まではあんまり気張らずにやればいいと思うな」

 そうでしょうか……? と自信なげに応じる真銀に、伊予は微笑んで見せた。


「チワーっす」

「弁当のさがみでーす」

 伊予は他の配達員一緒に、事務所に入って行った。適当に声をかけながら注文のあった人間たちに弁当を配っていく。

「そういや設営の会社、変えたんだって?」

「そうなんだよ。小塚社長の独断でさあ……。そりゃトータルで見たら今までのとこと比べて安いんだけど、大丈夫かな、って思っちゃうよな。ずっと一緒に組んでやってきたとこだったら、ある程度うちのやり方も知ってるし、ノウハウもあるわけだから」

 伊予は素早くこの会話を聞きつけ、耳を集中させた。

「また社長、ケンカでもしたのかな?」

「いや、本当に値段とサービスだけで決めたらしい。社内で反対の声もあったんだけど〝我々は常に挑戦する姿勢を取り続けるのが社是だから、慣れているからという理由だけでは答えにならない〟って全部却下されたんだってさ」

「好きだよなあ、挑戦……。せめて年末の大きいフェスが終わるまで待てなかったのかなぁ」

 これは急ぎの仕事だ。伊予の直観がそう告げている。

「設営ってぇ、どんなことするんですかぁ?」

「ん? あ、ああ伊予ちゃんか。普通はセットの組み立てとかだけど……今度ウチが組む会社って、かなりこっちの職分にまで喰い込んでくるみたいなんだよなぁ」

 喋っていた男のうちの一人が、伊予のほうに向いた。

「興味あるの?」

「ライブとか好きだから、ちょっとでも関われるバイトだったら楽しいかなーって……」

「そっかぁ。ウチは今バイトの募集はしてないしなぁ」

 そんなことは言われなくても知っている。だからしょうがなく弁当屋なのだ。と考えながら、伊予は〝そぉなんですかぁ〟と残念そうに応じた。

「ああいうの力仕事だから、女の子は厳しいんじゃないの?」

「いや、だからさ。設営や撤去だけじゃなくて、会場の警備やら案内やらグッズの販売やらまでトータルでやるんだって。こんどのとこ」

「年末のフェスは、色んなアイドル呼ぶんだろ? 物販は直接やりたいとこが多いんじゃないのか?」

「その辺は上手く調整するんだろ……。噂だと運営にも関わってくるらしいぞ」

 えっ?! ともう一人の男は大袈裟に驚く。

「そりゃまずいだろ。ウチが運営まで責任持つ、ってことで参加するグループもいるのに」

「いや、イベントの仕切り自体はウチがやるんだよ。会場の運営をそこと連携して、ってことじゃないのかなあ……多分」

「あの、その会社ってどういう……?」

「ああ、プラス・ヒラエーってとこだよ」

 軽く伊予に教えた男に向かって〝おいっ!〟と相手の男が注意した。

「別にいいだろ。これぐらい」

「まあ、そうなんだけど……。なに、伊予ちゃんそこでバイトする気なの?」

「いえ、私は今のところこのアルバイトも気に入ってるから……。参考に聞いてみただけですぅ」

「そうかぁ……まあ、新興の会社らしいし、ああいうとこはだいたい常時バイトの募集してるから気になるなら行ってみてもいいんじゃない?」

 そう言うと、また男同士で話し込み始める。

「外部委託の割合がどんどん増えてくるなぁ」

「またリストラがあるかもな……。まぁ俺らは大丈夫だろうけど……」

 伊予は、残りの弁当を配りながら、早く雪枝にこのことを伝えなければ、という思いに駆り立てられていた。


「大変貴重な情報ですね」

 六ツ院雪枝は改めて伊予の報告を聞いて、眉根に力を入れる。この場にいる全員にそこはかとなく緊張が走った。

 今日は久しぶりに大江なり以外のスノウセクション全員が本部に集合していた。伊予の報告を受け、雪枝が緊急招集をかけたのだ。

「一応室長に言われた通り、伊予の報告にあった会社に焦点を合わせて調べてきたけど……」

 呟く沙希に向かって、雪枝はお疲れ様です、と頭を下げる。

「プラス・ヒラエーか……。ライブの運営そのものをサービスとしてパッケージングしてトータルで安くあげるって手法で最近伸びてきた会社みたいだね。アイドルビジネスに便乗して商売始めたみたいだから、アイドルライブの運営には強いみたいだよ」

 葉子が一人、専用の席から振りむいて口を出した。他のメンバーは皆ラウンドテーブルについている。

「ヒラエーにも誰か行くの?」

「わ、私が行きます。行かせてください!」

 伊予の後を引きとるように、真銀が声を上げ全員の注目を集めた。

「私、あまり知らない人と喋ったりするの、得意じゃないからお弁当を届けながら情報収集するのは難しいんですけど……。アルバイトで入るのなら、少しは周りの人と話したりできると思うんです!」

 ヒラエーは常時アルバイトを募集しているので、真銀はその気になっているのである。

「ま、ま、肩の力抜きなって~」

 葉子はニコニコしながら、両手で肩を揉むジェスチャーをした。

「そんだけ気負って面接行って落ちたら恥ずかしいゾ~?」

 あ、そ、それは……と口籠る真銀に、大丈夫だって、と声をかけながら沙希が葉子を睨む。

「ま、まあ、真銀さんなら、面接でハネられることはないと思いますが」

 雪枝も多少非難がましい目を葉子に向けながら、わざとらしく咳をした。

「どなたがにせよ、ヒラエーには潜入が必要ですね。こちらを経由すれば、私達が得たい情報がかなり手に入るはずです」

 スノウセクションの目下の目標は、当面の敵であるhasの各メンバーの配置、曲目、曲順、衣装、MCを担当するメンバー、出来ればそのだいたいの内容、等を調べることであった。

 ただ、現状では丁や十子が満足するほどの、それらに関する情報を手に入れるのは正直難しい、と雪枝は考えていたのだが、ヒラエーの件でだいぶ状況が変わってくる。

 小塚の事務所は、兵藤千里がマネージャーに入ってからやたらガードが固くなってしまったのだ。

それに沙希と伊予は優秀だが、哀しいかな出入りの弁当屋では限界がある。

「なりちゃんが成功すれば、知りたいことはほとんどわかると思うんだけど……」

 伊予はため息をつきながらぼやいた。

「なかなか難しいんじゃないかなあ。競争率すごいし」

 沙希も浮かぬ顔で伊予に相槌を打つ。 

 hasは、千里の連れてきた新リーダー、水前寺一姫の元、新体制を引きつつあった。その動きと連動して新規メンバーの募集をかけているのである。 年末のフェスにこの新規メンバーたちが出るかどうかはわからないが、なりはこのオーディションに受かるべく現在猛レッスン中なのだ。

 確かに、なりさんが相手の懐に入ることが出来れば……と、話しに入ってきた真銀を、

「いえ……なりさんの役目は他に色々あるんです」 

 と、雪枝が遮った。何か、重く沈んだ気配を漂わせている。

「それよりさ、ちょっと私訊きたいことあるんだけど。いい?」

 伊予が声を上げると、雪枝はハっとしたように顔を向け、何でしょう? と応じた。

「あの、新しく入った人。尾鷹さん、だっけ?」

「えっ? アタシ?」 

 椅子の背凭れに顎を乗せ、リラックスしきった姿勢で居た葉子が、目をパチクリさせる。

「室長自らスカウトしてきたって言うし……。丁さんや十子さんも納得してるみたいだから別に文句はないんだけどさ、ちょっとどういう人なのか気になって」

「あれ? 挨拶で言わなかったっけ? ……いや、別に何か含むところがあって言ってるんじゃなくて、今回フレンドリーにいこう、って注意してたからさ。ちゃんと挨拶と自己紹介してなかったんなら謝ろうと思って」

「大丈夫です。尾鷹さん、きちんと挨拶してましたよ。正直昔の葉子さんを知ってるので、驚きました」

 雪枝が言うと、葉子はヒヒヒッと歯を見せて笑った。

「アタシも色々あって変わったってワケよ~。ゆっきーはどうかな~?」

 軽口を叩きながら、葉子は指先でつんつん雪枝の脇腹をつつく。ちょ、ちょっと、やめてください、と雪枝が葉子の手を払いのけていると

「そういうことじゃない!」

 と、大声を出した者がいた。沙希である。

「素姓とか、ローカルアイドルやってるとか、室長とは旧Saltの研修生時代に知り合ったとか、そういうことは聞いたけど、肝心なことがなんにもわかんない。ちゃんと説明してほしい」

「さ、沙希さん、穏便にいきましょう」

 宥める真銀に向かって、なによ~岡ちゃんだって気にしてた癖にぃっ、と沙希はほっぺたをふくらませた。

「肝心なことって、たとえば?」

 葉子はメガネ越しに、くりっとした瞳を沙希に向ける。臆する様子もなく、キョトンとしていた。

「たっ、たとえば、室長と二人でいつもここで何してんのか、とかさ……」

「何してるか? ってよ~? ゆっき~!」

 葉子は待ってましたとばかりに、目をキラキラさせながら雪枝の背中から両手を回す。そういうところですよっ! と叱りながら雪枝は力を入れて葉子の手を解いている。

「その質問の仕方はないわ~。沙希」

 伊予に言われ、沙希は〝う、うるさい!〟と言いながら顔を真っ赤にした。

「あ、うん。ごめんごめん。ちゃんと答えるよ」

 葉子は、きちんと椅子をみんなのほうに向け、真顔になる。

「アタシは、主にゆっきー……六ツ院さんの助手みたいなことしてんの。六ツ院さんは、ここでみんなが集めてきた情報を統合、分析してこれからの方針を決めたり、丁さんに報告をまとめたりしてるんだけど、それの手伝いだよ。主に分析の補佐。アタシ、そういうのちょっと得意だからさ」

 葉子は一片の曇りもなく破顔した。

「まっ、雑用だよ、雑用。ほら、ゆっきーいつもここで一人で仕事やってるしさ。やっぱ、座り仕事でも一人でやってたら煮詰まっちゃうし、大変なんだよ。……その、みんなも現場で大変なのはわかってんだけどさ」

「まあ、悪い奴じゃ……」

「なさそうですね」

 たどたどしく説明する葉子を見て、伊予を真銀は顔を見合わせる。

「いーや! 私はまだ納得いってねー!」

 沙希はまだ一人で息まいていた。

「あんたも強情だねぇ」

「もういいじゃないですか」

 伊予と真銀の両人はあやすように言ったが、沙希は首をぶんぶん振って〝まだダメだーっ!〟と絶叫している。

「私たちはなあ、ここにいる全員、室長も合わせて一週間地獄のような訓練期間を置いてここにいるんだぞ!」

「くんれん、ってなに? どんなことしたの?」

「まあ色々……」

「こっち向けーっ! 私と話してんだろーがー!」

 雪枝と言葉を交わしている葉子に、沙希が人差し指を突きつける。

「あんたがスノウセクションに所属することについてはまあ、文句は言わない。みんなが外で仕事をこなしてる時に本部で室長とイチャイチャしてることについても、まあ目をつぶろう」

「イチャイチャって……」

「あんた、本当に人間が小さいねぇ」

 真銀と伊予のツッコミは完全に無視し、沙希は話を続けた。

「でも、訓練を免除されてるのは納得いかねーっ! 室長や丁さんが許しても私は許さないぞ!」

 あの、それは……と話しかけた雪枝を制し、葉子が口を開く。

「いいよいいよ。訓練。やるよ、アタシも。なにすりゃいいの?」

 軽く鼻歌を唄いながら、見るからに上機嫌な葉子を見て、一瞬沙希は鼻白んだ。

「え、えーっと、やっぱ一番キツかったのは記憶力のやつかな……」

 記憶力の訓練! と、葉子は喜色満面で声を張った。

「いーじゃーん! 記憶力の訓練! サイコー! ねえ、ただの訓練じゃつまんないからさ、沙希ちゅわんとアタシで勝負しない~?」

 ニコニコ笑いながら、葉子は椅子をガタガタ鳴らして小躍りしている。

「お、おう、やってやらあ!」

 承知した沙希を見て、葉子は益々嬉しそうだ。

「そのかわり負けたほうは一週間、何でも勝ったほうの言うこと聞くんだぞ! ……任務に支障の出ない程度で」

「いいヨ~。アタイこういうノリ大好き~!」

「尾鷹さん! いいかげんにしてください! あの、沙希さん、やめたほうが……」

 必死で止めさせようとしている雪枝に声を掛けたのは、意外にも伊予と真銀であった。

「いいじゃん、先に吹っ掛けたのは沙希のほうなんだからさ」

「その……一度こういう形で発散したほうがいいんじゃないでしょうか? 私もちょっと興味ありますし……」

「そうだぜゆっきー。雨降って地固まる言うだろ?」

 葉子がしれっと口を挟んでくる。 

「テメー、絶対ほえ面かかせてやるからな! えっと、あの訓練に使った音声データは……?」

「あっ、そんなのいらない。じゃ、アタシからいくよ?」

 不審そうな沙希に向かってこう言ったあと葉子は、うーん、と暫し考えるような素振りを見せ、

「えーっと……じゃあ最初だからサービスね。このビルの前面にある窓は何枚?」

「え? ま、窓? ぜんめん?」 

「窓だよ、窓。ウィンドウ。前面……大通りに面してるぶんだけでいいからさ」 

「え、えっ? ちょっと待って! ええー」

 戸惑う沙希を尻目に〝はい、十、九〟とカウントダウンを始める葉子。

「ブッブー。はいダメー。タイムアウトー。正解は55枚でした~」 

「ちょっ、ちょっと待って、それ本当なの?」

 確認すれば? と葉子に言われ、沙希は外に駆けていく。

「あいつ、元気だなあ……」

 伊予がぼそっと呟いて十分くらい経ち、息を切らせた沙希が戻って来た。

「合ってたでしょ? 次はそっちがなんか問題出していいよ」

「い、いや、ちょっと……このルール、嫌だ……」 

 ぜえぜえ言いながら、沙希は掌を葉子に向ける。

「えっ、そう? そっちがなんでも問題出していいんだよ?」

「すぐ……答え合わせ……できる、やりかたがいい……」

「なるほど~それもそうだね~。じゃあどうするかな……。あっ、そうだ、じゃあ報告書にするかっ!」 

 喋りながら、葉子は雪枝から金庫の鍵を借り、報告書を取り出した。そして、ほいっ、と沙希に投げ渡す。投げないでください、と雪枝に苦い顔で言われ、〝ゴメンゴメン〟と葉子は頭を掻いた。

「そ、それでどうすんのさ」

「誰の何日、って指定してくれたらその内容言うよ。さあこい!」

 両手で、来い来い、と葉子はアピールする。

「いや、その……」

「報告書はみんな目通してるから公平でしょ? あ、アタシがずっとここにいるから、何回も見たかも、って思ってる? 一回通りしか見てないよ。ゆっきーが証人。ね?」

 そうですね、と雪枝は仕方なく相槌を打った。

「あ、またアタシが問題出す側やろうか。どっちがいい?」

「あの、その……」

「もういいんじゃないの? 負けで」

 伊予が口を開くと、うんうん、と真銀も横で頷く。

「うるせーっ! まだ終わってねー!」

「あ、あの、もうやめませんか? 今こんなことしてる場合じゃないし、ノーコンテストということで……。どうしても決着をつけたいなら、色々落ち着いてからもう一回やれば」

「だめだよ、室長。沙希は情けをかけられたら余計傷つくタイプだよ」

 伊予に指摘され、雪枝は〝そんなつもりじゃ〟と、反論しかけたが、真銀に制された。

「室長、負けるとわかっていても戦わなければいけない時、ってあるのかもしれません。私にはとてもマネできませんけど……。私は、今の沙希さん、かっこいいと思います」

「いや、確かにそういう場合はあるかもしれませんが、今はその時じゃないでしょう?」

「『八月十三日・昼 佐神沙希 事務所内、人まばら。社員の吉野(メガネ、短髪)、島崎(鼻の横にほくろ、ちょい太め)に話しかけられる。他愛のないこと。それとなく小塚周辺の人間関係について訊ねてみるも特に得ること無し。新人らしい。前のホワイトボード、後ろのスケジュール表確認。スケジュール表、今月二十五日書き足しあり。二十五日、静岡のサンシャインフェスティバルにhas、ゲストとして出演。それ以降しっかりと確認できず。他にも書き足しがあるかもしれないので岡ちゃんに引き継ぎ……』」

 葉子が、目を瞑って念仏のように何事か唱えている。それに気付いた沙希は急いで手元のファイルを確認した。

「あの、沙希さん」

「チキショー! お前がなんかヘマしたらいびってやるからなー!」

 沙希は報告書を机の上に置いて、部屋外に駆けていく。

「フッ……アタシは誰の挑戦でも受けるぜ」

 〝尾鷹さん、後で話がありますから〟と言い含め、追いかけようとする雪枝を、伊予が止めた。

「大丈夫だって、沙希もあれはあれで色々考えてやってることだからさ。私達も新入りの人となりとか、色々わかってよかったよ。ね?」

 真銀は、はい、としかつめらしく答えて頷いた。

「アタイも今回のことを通じて、なんか溝が埋まったような気がする……」

「尾鷹さん、今日はじっくり納得いくまで話合いましょうね。お互いに」

 口調は柔らかだが、雪枝の目は笑っていない。

「ゆ、ゆっきー、そんな怒んなくてもいいじゃんよ~、ごめんってば~」

 慌てて謝意を表明する葉子に対し、雪枝はため息で応じながら

「とにかく……。調べなければいけないことを、調べてしまいましょう。それから後も仕事はあります。敵も体制を変えてきているようですし、ここからが私達の正念場です。気を引き締めていきましょう」

と、訓示した。

 小塚の事務所、及びアイドルグループ、hasのことを雪枝が明確に『敵』と呼んだのはこれが初めてであった。



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