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凍蝶  作者: 八花月
11/18

錯綜と混迷

「室長~、なんかすげーヤバげな感じになってます~」

 こもったような小声で、通話口の向こうから海原伊予が語りかけてくる。

「待ってください。今周囲はどういう状況ですか?」

 話しながら雪枝は、伊予のスケジュールを確認した。全て記憶はしているが、一応の確認である。

「乙女さんのおうちに来てて~、今トイレ貸してください、って言って~、みんながいる部屋から出てきてるんです~」

 伊予が語尾を伸ばしているのは、小声になる時の癖のようだった。

「それはまずいですね……」 

 雪枝は一人でレッスン場にあるスノウセクションの専用室にいる。今日はレッスンは休みの日なので、ここにいるのは雪枝一人であった。 

「緊急の用件でなければ、集会が終わったあと本部に連絡をくれればいいですよ」

 スノウセクションの要員は外で仕事をすることが多いので、専用室に居るのは雪枝一人、という場合が多い。そのため、いつしかこの部屋はスノウセクションの人員達に『指令室』『本部』などと呼ばれるようになっていた。

「緊急……かどうかちょっと判断つかないんですけど~、なるべく早く室長……っていうか、丁さんとか土佐さんとかのお耳にも入れたほうがいいかも~、ってカンジです~」

 喋り方のせいで、なんとなくのんびりしたように聞こえるが、伊予の気分はなかなか緊迫しているようだ、と雪枝は判断した。

「わかりました。それなら、何か口実を設けて建物を出て、ある程度距離をとってから、また電話をかけてきてください。なんならそのまま、ここに帰ってきてもかまいません。確かそこには真銀さんと一緒に行ってましたよね?」

「はい~。岡ちゃんは残りますから~集会の内容は全部把握できますよ~。じゃ~行きますね~!」

 そう言うと、伊予は通話を切った。伊予なら上手く言い訳を考えて出てこられるだろう。

 みな基準はバッチリ満たしているが、岡真銀は記憶力実習の成績は雪枝の次に良かったはずである。伊予が抜けた後の集会の内容も遺漏無く覚えてきてくれる、と雪枝は安心していた。

 録音、盗聴はバレた時のリスクが高すぎるので、雪枝は一番シンプルなこの方法を採ったのである。

 証拠を掴みたいわけではないので、情報を得るだけならこれで充分であった。

 しばらくすると、勢い良く伊予が指令室に帰ってきた。

「室長! ヤバいです! ヤバいヤバい! なんか乙女さん、メッチャ機嫌悪い! クーデターだよ!」

「落ち着いてください」

 窘めながらも、雪枝はこの伊予の一言でだいたいの状況を理解していた。スノウセクションは、新生Salt内の個々の人間関係や、だいたいの行動も把握していたので想定内の出来事ではあったのだ。

 ただ、ここまで事態が急変するとは雪枝も予測出来なかった。

 伊予は生唾を飲み込みながら、乙女の家で自分の見聞きしてきたことを身ぶり手ぶりを交えて語る。

 話を聞きながら、雪枝は忙しく頭を働かせていた。

 まさか乙女さんがここまで拙速な行動をとるなんて……。多分何かイレギュラーな出来事が起こったに違いない。

 やがて真銀も帰ってきて双方の話を聞き、雪枝は確信した。事態は非常に切迫している。

「わかりました。しばらくの間、こちらに割く人員を増やしましょう。丁さんと十子さんには私から伝えます」

 雪枝の言葉を聞きながら、二人とも不安そうな顔をしている。直接現場を見ているだけに、受けた衝撃も大きいようだった。

 雪枝は、何か自分に対してもどかしい気持ちを抱えている。

 情報に関することのみが職域であるし、今のところその役目は果たしているが、結局最終的な判断や対処は丁と十子に任せるしかない。

 二人のことは信用しているし、きっと上手くやってくれるだろうとは思っているが、自分がそこに関われない、ということに対し焦燥感に似たものを感じる。

 雪枝は、大きく深呼吸して胸に手を当てた。目を閉じていると少しは胸の動悸が治まってくる。

 よし、大丈夫。

 憂いの影を切り捨て、雪枝が再び目を開くと、すぐ目の前に心配そうな真銀の顔があった。

「室長、大丈夫ですか?」

 恐る恐るこちらを刺激しないように、気遣ってくれている声。雪枝は、自嘲気味に薄く笑った。

「いけませんね。こんなことでは……」

 なおも不安気に訊ねてくれる二人に、雪枝は静かに〝平気です〟と伝えた。


 幾日か過ぎたのち。レッスンのちょっとした合間、休憩時間にそれは起こった。

「丁よぉ、ちょっと言いたいことあんだけどいいかなあ?」 

 いつもより心なしか低い声で、こう言いながら乙女が皆の前に出てくる。事情を知らない者達も、なんとなくピリピリした空気を感じ取っていた。

「いいですよ。聞きましょう」

 おう、と応える乙女に向かって丁は〝どんなことでしょうか?〟と丁寧に訊ねる。

「あ、いや、丁だけじゃなくって、みんなに聞いて欲しいんだ」

 なんとなく調子を崩されながら、乙女は答えた。姉の乙葉が心配そうに見ている。

「確認しときてーんだけど、あたしらの目的って、小塚のオッサンが主催するフェスに出場してhasをブッ倒す。そんで小塚を引退に追い込む、ってことだったよな?」

「まあ……」

「うん、そうだったと思うけど」

 ざわついていたが、皆乙女の言っていることに概ね賛意を示した。

「でも、不器男ちゃんの妹がデビュー出来たら、この話無しになるんだよな」

「ええ」

 これには、丁が一人で答えた。

「汀子さんがデビューできるとは、即ち松山さんのご不興が解けたということ。そこにわたくしたちが勝手なことをして、松山さんも後押ししているhasを解散に追い込んだ、とあってはただでは済まないでしょう。わたくしたちはもとより覚悟の上ですが、汀子さんにまで類が及ぶのは避けなければいけませんから」

「そうだよな」

 乙女は大きく頷く。

「事前に聞いてた通りだ。確かにそういう話だった」

「はい。ここに居るみなさんにはご納得いただいたと思っていましたが……」

「うん。そうなんだけどな、今になってこんなこと言うのもなんなんだけど、やっぱあたし、納得いかねえんだ」

「乙女! 何を言い出すの?」

 乙葉が立ち上がった。

「いや、悪い。姉貴の顔潰しちまった。本当に申し訳ない!」

 勢い良く頭を下げられた乙葉は、虚を突かれたようで一瞬息を呑んだ。その後、ひとまず何を言うのか聞いてみようと考え直したようだ。

「でもこれは、あたしだけの意見じゃねえんだ。なあ?」

 乙女が呼びかけると、バラバラと同調した者達が立ち上がる。

「聞いていたより少し多いですね」

 丁は、こっそり隣の十子に話しかけた。

「いやほら、スノウセクションの人員も入ってるんだよ」

 十子の囁き返した言葉を聞き、丁はなるほど確かに、と目立たないように頷く。

「納得いかないのはわかりましたが……それでは何か、他に考えがおありなのですか?」

「ある!」

 力強く言い放ったあと乙女はちょいちょい、っと手を振り、高畑君江を傍らに呼んだ。

「これ! これを見てくれ!」

 君江から渡された紙は折り畳まれていた。乙女がそれを開き、ホワイトボードにマグネットで留めるとB2くらいの大きさになった。

 紙面にはどこかのホームページを印刷してきたらしく、派手な色遣いのCGと文字が躍っている。

「これは手の込んだことを……らしくないですね」

「ノートパソコンとプロジェクターあるの知ってるだろう? 言ってくれれば貸したのに」

 丁と十子がかわるがわる言うと、乙女は嫌な顔をして〝あーっと〟と低い声で唸った。

「お二人、真面目に聞いてください」

 キッと睨みながら、高畑君江が挑戦的な物言いをする。

「真面目ですよ」

「はいはい、聞きましょう」

 丁は微動だにせず、十子は腕組みをしておとなしく黙った。

「最初に断っとくけど、あたしは別にケンカ売ってるわけじゃねえからな。そこは理解してくれ」

 頷く二人を確認し、

「よし! じゃあここに注目! なんと書いてある?」

 と、元気良く喋り始める。

「ええ……〝ナマウタ! アイドル大感謝祭~地下、地上、ご当地アイドル総出演! ライブ生放送7時間ぶっ通しスペシャル!〟ですかね」

 誰も言わないので、しょうがなく丁が読み上げると乙女は嬉しそうに指差しながら

「それだっ!」

 と言った。

「書いてある通り、これは生放送の特番だ。三日後に野外コンサート会場でやるらしい。これに小塚のオッサンがPやってるhasも出演する。これにあたしらも参加する!」

「今からじゃ無理じゃないか?」

「飛び入りだよ飛び入り! ナマだぞ。聞いてなかったのか?」

 十子に向かって噛みつくように乙女は言った。

「参加してどうするのです?」

 丁が聞くと乙女は、その質問を待ってましたと言わんばかりの満面の笑みを浮かべる。

「無理矢理hasと対決する流れにする! そんで勝つ! その後どうせ、小塚のオッサンもその辺にいるだろうからとっつかまえて、あたしとスウでボコボコにする! それで今回のことは終わり! 一件落着! どうだ?」

「どうだって君……それじゃメチャクチャじゃないか」

 十子は心底呆れているようだった。

 十子には信じがたいことだが、乙女がこんなことを言い出し、それに同調する者が現れたのも理由のないことではなかった。

 乙女は、その類稀なパフォーマンス力もさることながら、客を煽ったり場を盛り上げたりするのが異様に上手いのである。

飛び入りで生放送をしているところに押しかけていき〝無理矢理hasと対決する流れにする

〟などと素っ頓狂なことを言い出したのも、そう出来る自信があるのであろう。

「私は乙女さんに賛成です。少なくともお二人の考えた案よりは、筋が通っていると思います!」

 君江が声を張って乙女に加勢すると〝私も!〟〝そっちのほうがいい!〟と、支持の声が上がった。

「非常に申し訳ないんだけど、今聞いた限りだと筋もへったくれも、って感じなんだが……」

「じゃあ、お二人の案はどうなんですか?!」

 君江は明らかに興奮していた。

「毎日私達は必死にレッスンしてるのに、汀子ちゃんがデビューできるようになったら、全て無駄になってしまう。年末のフェスはまだまだ先だし……。こんな状況で毎日練習ばっかりしてて、みんなにどれだけフラストレーションがたまってるか、わかってるんですかっ?!」

「まあ一理ある」

 十子は大袈裟に頷いて見せる。

「そうでしょう?! それならいっそのこと、ここで終わらせてしまったほうがスッキリしていいじゃありませんか? だいたい私達は、Saltが解散させられたことに対し怒っているのであって、深山プロデューサーの恨みを晴らしたり、汀子ちゃんに協力したりする義理はありません!」

「あー……あたしは別に不器男ちゃん嫌いじゃないし、あの人が悪ぃとも思ってねえんだけどよ」

 乙女が声のトーンを落として語り始めた。

「汀子も子供ってわけじゃないんだし、あたしらがそこまで気ぃ使うのもおかしくないか? って思うんだよ。まあ、個人的に応援したいってんならすりゃあいいと思うんだけど……汀子は汀子で、頑張りゃいいじゃねえか。ここはあたしらが我を通してもいいんじゃないかな?」

「そうですよ!」

「どうして汀子ちゃんにそこまで振り回されなくちゃいけないの?」

 喧々囂々と騒ぎだす乙女の一派に十子は、

「深山さんが可哀そうだと思わないか?」

 と一言いった。

 その途端、みな口を噤んでしまう。

 深山不器男は、未だ入院している。退院してきて事情を聞いた時、手塩にかけて育ててきたSaltも消滅し、さらに妹のデビューまでなくなった、と聞いた時の心中はいかばかりであろう、とこの場の全員が想像できたのだ。

「で、でも……」

 君江が何か言おうとした時、

「少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 突然丁が口を開いた。同意を得られたのを確認し、話を続ける。

「先程、乙女さんは〝ケンカを売っているわけではない〟と仰っていたはずですが……その感じで乗り込んで行くと、どう考えてもケンカを売っている態になると思うのですが」

「なんだ、静かだと思ったらそんなこと考えてたのか。乙女は今ここでの話をしてるんだろう?」

 十子が呆れたように口を開くと、散発的な笑いが起こり、やがてその和やかな雰囲気はレッスン場全体に広がった。

「茶化さないでください!」

 君江が叫ぶように言うが〝真面目に話してるつもりなのですが〟という丁の返事で、更に穏やかな空気になってしまう。

 場が落ち着くのを待って、乙女が話し始めた。

「どっちにしても、終わりだろ?」

 全員の顔を見まわして語りかけるように言う。

「丁が言うように、フェスに出てhasを解散させて小塚のオッサンを引退させても、三日後に乗り込んで行って、派手にブチ上げてもそれはおんなじ。どっちにしてもあたしたちはそれで終わり。それは変わんない……。結果が同じなら、もうやっちまってもいいじゃないか。なあ?」

 最後は丁に向かって、真っすぐ顔を向けて喋った。

「その二つは全く違います」

 丁は即答する。

「乙女さんのやりかただと、溜飲は下がるかもしれませんが、それだけでしょう? わたくしたちがただの無法者になってしまうではありませんか。向こうの用意した場で、向こうのルールにのっとって、その上で小塚さんとhasを完膚無きまでに叩き潰すことに意味があります。それでこそわたくしたちは前に進めると思いますが」

 毅然と言い放つ丁。真っ向から反対されたにも関わらず、乙女は嬉しそうに破顔した。

「いいね! 叩き潰すってか。いいじゃん、そのノリ」

 笑ったまま、言葉を継ぎ足していく。

「でもさあ、そこまで言うんならもう、あたしのヤツでよくないか? 良く考えてみろよ。汀子がデビューしたら全部ムダになっちまうんだぞ? お前のその想いはどうするんだよ。宙ぶらりんのまんまじゃないか。そんなもんを抱えたまんま生きていくのかよ。辛いぞ」

 あくまで明るく、乙女は説いた。〝これが怖いんだよな乙女は〟と、十子は心中で舌を巻く。乙女のこの明るさはどこからくるのか。

 どうでもよいと思っているのである。

 丁が賛成しようがしまいが、仲間がいなかろうが、一人でもやる気なのだ。この単細胞というか、猪突猛進というか、片道燃料っぷりにみな惹かれてしまう。

 乙女はこのような性格なので頻繁に人と衝突したし、時にはキツい言い方をすることもある。しかしその割には人に好かれやすい人物であった。

 少なくとも旧Salt内で、乙女を心底嫌っている人間はいなかった。

 十子も丁も、このような面倒ごとを起こされても、困ったことに乙女のことが大好きなのだ。

 だからと言って、ほっとくわけにはいかないんだよな。

 十子は、人知れず苦笑する。そろそろか。

「ねえ、さっきの乙女達が乗り込んでいく、っていう番組の話なんだけど……。あれ、生放送っていってもネットオンリーのものだよね?」

 何気なく、を装い十子が放った言葉により、途端に室内がざわつき始めた。

 乙女は、ええっと、と言いながら頭を掻いている。

「ほ、本当なんですか?」

 君江が狼狽を隠さず、乙女に詰め寄った。

「ネット配信だけでもいいだろ、別に。差別すんなよ」

 乙女はチッ、と小さく舌を鳴らしながら目を逸らす。その様子を見て、途端に今まで乙女に従っていた者たちの間に動揺が広がった。

 こんなことさえ、自分で調べて確認していなかったのか……。

 十子は胸中で、乙女側についた娘たちに対し呆れ果てていた。と、同時に煽動者としての乙女の能力の高さに感服している。

「まあ、最近は配信サイトも増えてるし……ネットオンリーってのもありだとは思うけど……。やっぱりこういうのは地上波で放送されたほうが事件感出るよね」

「それに、当日は会場の警備も厳重だそうですよ。ざっとしたところでも、松山さんの系列の王国警備、新王国警備が配備につくようで……。いずれも強面で名高い警備会社です。いくら乙女さんと数凪がいても突破は難しいのでは……?」

「昨今は物騒だからねえ。去年も握手会で刃物を持った危険人物に襲われたアイドルもいたそうだし……そのくらい厳重になってもしょうがないんじゃないかな」

 十子と丁が、次々とまくしたてると、みるみるうちに立っている者達が意気消沈していくのがわかった。

「な、なんだよお前ら、なんでそんなに詳しいんだよ?」

「一応、近場で行われるアイドルイベントについては、概要くらいは知っておくことにしているのです」

 しれっと答える丁に対し、十子は〝よくいうよ〟と忍び声でぼやく。

「お、乙女、やっぱさすがにこんなカチコミみたいなのはやめとかないか?」

 数凪が声をかけると、

「お前ノリノリで賛成してただろうが!」

 と、乙女が答える。

 よし、これで大丈夫。

 十子はよくやく一息つけた気分であった。おそらく、Saltの中で一番短気で無鉄砲な縁間数凪が転べば、趨勢は一気にひっくり返るだろうと丁と二人で話し合っていたのだ。

「いや、改めて考えてみると……」

「あー! やめたやめたやめた! 気勢が削がれちまったな」

 乙女はいきなり大声で叫ぶように言うと、坐りこんでしまった。

「ちぇっ! そこまで調べがついてるんならしょうがねえや。もうご破算だな。やめだ」

 前の二人に顔を向けて、

「丁ぉ、今回はお前の勝ちでいいや」

 と、不貞腐れた様子で宣言する。

「勝ち負けの問題ではありませんが……。今回、というのは?」

 丁は何でもないような口調でありながら、追及の手を緩めなかった。乙女は顰めっ面で返事をしない。

「乙女! なんですか、その態度は!」

 乙葉が後ろからポコン、と頭を叩いた。

「ってぇなあ! わかったよ! 丁に従うよ! もうこんなことはやんねえってば」

 乙女がはっきりこう言ったことによって、やっとこの場の空気に一段落がついた。乙葉が安堵の微笑を丁に送る。

「しかし……さっきの言い方だと、君は警備のことは知ってたように聞こえたね」

 十子が言うと、乙女はさも当然というように頷いた。

「そんぐれえは調べるよ。あたしはスウみたいにバカじゃないもん」

「そんな言い方するなよぉ!」

 数凪は乙女の肩を掴んで揺さぶる。

「知っててあんな提案をしていたのか?」

 タチが悪いな、と付け足そうとして、十子は寸でのところで思いとどまった。

「なんとかなるって思ってたんだよ……。やりようによっては」

 ガックンガックン首を揺らしながら、乙女は答える。

「だけどよぉ丁、問題は根本的には解決してねえぞ。それは覚えとけよ」

「とは?」

 丁はきょとんとした顔で問い返した。

「汀子の進退に、あたしらの去就が依存してるってこの状況だよ。それでみんなに不満が溜まってるんだからな」 

「それは……まあ、辛抱していただくしかありませんね」

「お前なあ!」

 乙女が呆れ果てて頭を抱えた時、ちょっと失礼します、という声が後方から聞こえてくる。

 雪枝だった。どうやら、緊急のようである。全身からその緊張が滲みでていた。

 丁と十子の二人に顔を寄せ、何事か囁きかけ、また帰っていく。

 ああっ……!

 急に大きな呻き声を発し、丁は天を仰いだ。目を固く瞑って、深呼吸している。

「ど、どうしたんだよ、丁。泣いてんのか?」

 その尋常ではない様子に、乙女は今までのいきさつも忘れたようで、顔には純粋に心配の色が浮かんでいる。

「ダメだったようです」

「何が?」

「汀子さんがダメだったようです。柳光様というお坊様に頼んで、松山さんにお願いしていたのですが……。結局デビューはままならないと……。汀子さん本人はもう、芸能界を引退すると言っているらしいです」

 丁は本気で落ち込んでいるらしく、大粒の涙が二滴、三滴と頬を伝っていた。

「お、おう。そうか……」

 さすがの乙女も、何も言えない。ごくりと生唾を飲み込み、丁を注視している。

「ま、まあこれで、汀子ちゃんがデビューして僕たちのレッスンが無駄になる心配だけはなくなったわけだ。はい! じゃあ休憩終わり。練習練習!」

 十子は、手をパンパン鳴らしながら言った。

「十子さん、ちょっとまとめかたが雑すぎるんじゃ……」

 数凪が遠慮深げに口を出す。

「いえ、みっともないところを見せました……レッスンを再開しましょう」

 丁はこう宣言し、屹度前を見据えた。

「こうなっちゃったからには、やることやろう。ほら、君江たちももう、これで不満は無くなったでよね?」

 小城龍珂が前に出た。

「今日は私が一人でやるよ。いいでしょ? 乙女」

 専門の講師が来れない日は、龍珂と乙女がみなのコーチのようなことをしているのである。乙女も快諾したので、龍珂が前に出て練習が再開された。


「……なるほど。このような状況ですか」 

 その日のレッスンが終了した後、丁は雪枝の提出した報告書を精査している。雪枝はそれに答えず黙って控えていた。

 今回の件に関しては調査、報告までが雪枝の仕事であり、意見を言う必要はない。

 報告書には乙女邸での会談の様子が記載されていた。誰がどのような発言をしたか、ということが細かく活写されている。量としてはかなりのものなので、全て読むには時間がかかる。

 丁も十子もまだざっと見ただけだが、この段階でもう、ある結論に達していた。

「やっぱり、ここまで絞っても全員は難しいかな……」

 十子の呟きに、丁は黙って首肯した。


 数日後、丁とその妹の炷は深山家を訊ねていた。不器男宅ではなく、汀子のいる実家のほうである。

 力になれなかったことに対する謝罪と、今後のことについて相談をしようと思ったのだ。

 炷は、自分から付いて行きたい、と強硬に主張して強引にくっついてきた。丁は何度も来なくて

良い、と言ったのだが〝一人で行くなんて姉さまが可哀そう〟といってきかなかったのだ。

 まさに、だから来させたくなかったのだけど。  

 丁は、密かに心の中で苦笑する。なんとまあ、優しい娘。

「帰ってもらって! 帰ってもらってよ!」 

 玄関先に控えている二人に、家の奥から汀子の声が届く。

 不器男と汀子の母親が、丁と炷に対し申し訳なさそうに対応してくれているのが、かえって二人の心に刺さった。

「ごめんねえ、折角来てもらったのに」

「いえ、押し掛けるように参りました、わたくしどもの不手際です」

 丁と炷は、深々と頭を下げた。

 もちろん事前に連絡はしているのだが、汀子に返事は貰えなかったのだ。

「玄関から先には、上げてもらえなさそうです……」

 炷は、丁にしか聞こえないようにぽつりと漏らした。乙女をはじめ、Saltメンバーの中でも何人かは〝もうほっとけば?〟と露骨に言う者もいたが、丁はそれを振り切ってきたのである。

「せっかく来てもらったんだから……」

「あーもう! わかったってば!」

 奥から凄い勢いで汀子が走り出てきた。

 母さんは奥行ってて! 早く早くと急かされ、

「はいはい」

 と返事をしながら、汀子の母親は奥へ追いやられる。

「で? なに?」

 深山汀子は眉間に盛大に皺を寄せ、不快感をあからさまに前面に出した対応であった。

「はい、まずはわたくしの才覚が足りず、汀子さんのお力になれず、大変申し訳なく……」

「いいっていいってそんなの。ハナっから期待してないからさ」

 汀子は五月蠅そうに手をひらひらさせる。

「もういいわけ?」

「いえ、今少しお話するのを許していただきたく」

「早くしてよ」

 丁は顔を上げ、汀子の不機嫌そうな顔を見つめた。

「汀子さん、これで全てが終わったと考えるのはあまりに早計です。汀子さんの力を認めてくれているかたがたはたくさんいます。また気持ちを改めて一から」

「いいかげんにしてよ!」

 汀子は丁の頬を平手で打った。

「何をするんですか!」

 前に出ようとする炷を、丁は押し止める。

「私は兄さんやあんたらのせいで、未来を断たれたのよ? どのツラ下げて人に説教できるわけ?」

 噛みつくような勢いで、捲し立てる汀子。

「私は芸能界に入る時も入ってからも、兄さんの力も誰の力も借りてない! 今度のデビューの話だって、実力で勝ち取ったのよ? それがあんたらと小塚さんが揉めたせいで……。お願いだからもう、くだらないことに巻き込まないでよ!」

「姉さまは、まだ喋ってる途中じゃないですか」 

 炷は、怒りで目の端をピクピク痙攣させている。口調は静かだが、爆発寸前のように見えた。

「な、何よあんた」

「炷、やめなさい」

 丁は炷の正面に立って両肩を掴み、後ろへ下がらせた。

「わたくしたちの不始末に関しては、申し開きできません。本当に、心から謝罪します……。ただ、ご自分のことは、もう少し大事になさってください。やけになってもいいことはありませんから」

 丁は、乱れた髪の直しもせず、汀子に懇々と説く。

「月岡さんは、本当に今回の件については御尽力いただきました。いずれ何かご連絡はあると思いますが、その時にはあまり(こわ)い物言いはなされないようにお願いいたします」

「ま、まあ月岡さんには別に何もないし……」

 それと、と丁は、言葉を切り一瞬間を置いた。

「お気持ちはわかりますが、不器男さんにもあまりキツく当たらぬようにお願いします。まだお加減もあまりよくないようですし、此度のことはあのかたなりに考えあってことですから……。わたくしから頼むのも筋違いかもしれませんが……」

「わかった! わかったわよ!」

 叫びながら、ほとんど押し出すようにして汀子は二人を帰らせる。

 鍵を掛けながらまだ息が荒い汀子に、

「ああいう風に言ってくれる人は大事にしたほうがいいんじゃないの? アンタ友達いないんだから」

 と、母親が呼び掛けた。

 うっさい! と怒鳴りながら、廊下を踏み鳴らし自室に帰ろうとしている汀子は、ふと足を止める。

「どうしたの? 反省した? 今からでも追いかけてお詫びする?」

「しない! ……私が反省することなんて何もないから」

 汀子は、目を伏せ母親から顔を逸らせた。

「あいつ、兄さんのこと、名前で呼ぶのね」

 床に向かって呟いたのち、汀子は何事も無かったように家の奥に歩を進めた。



 兵藤千里は、少し気が重かった。

 面識があったわけではないが、本人に過失があったわけでもないのに、こんなことになるのは気の毒だ、とずっと思っていたのだ。千里は性格の癖のようなもので、こういう時自分に関係無い事柄でも、タレント側に肩入れして考えてしまう人間であった。

 汀子の再起は露と消えたことを千里が簡単に報告すると、長尾伊都は軽く鼻を鳴らした。

「さもあらん。あいつは性格が悪すぎる。いや、悪いというか、幼いというべきか……。もし私が頼まれたとしても、あれの世話など御免蒙る」

「境遇事態は可哀そうだと思いますが……」 

「捨て置け。ああいう者にあまり気を遣るな。庇い甲斐のない奴に親身になってもつまらぬぞ」

 伊都は苦笑いして、千里に諭した。

「父上はなんと申されていた?」

「汀子様のことですか? 一応ご報告はしましたが、正直あまりご関心がない様子で……。伊都様が御心配なされていることも再三お伝えしているのですが」

「さぞ煙たがられているだろうな、千里」

「いえ……」

 千里は返事に困ってしまう。小塚幸生は、娘の伊都のことを溺愛しているので、あまり露骨に千里を邪険に扱いはしないが、何を言っても暖簾に腕押し、聞いているのかいないのかわからないようにあしらわれるのは、いい気分ではなかった。

 ただ、小塚の事務所の他の人間達は、同情もあってかだいぶ千里に良くしてくれる。千里は仕事も出来るので、わりと重宝されており発言権はそれなりに確保できている状態であった。

「すまんな、もう少し辛抱してくれ。時に丁のほうはどうだ?」

「はい、それなのですが……。ここ数日の調べでわかりましたことといえば、あるビルの一フロアをそのまま借りて、Saltの中から希望者を募り何かの練習らしきことをしているらしい、ということくらいですね。おそらく、歌や踊りであろう、ということのようですが」

「ビルの一フロアか……。なかなか豪勢な話だな」

「はい。どうやら乃木さんが無料で貸しているという話です」

 ああ、と伊都は低く声を上げた。

「乃木天毬、か。Saltの熱心なファンだったと聞いたことがある。良いパトロンを見つけたな」

 くくくっ、と伊都は唐突に咽喉を鳴らす。

「おかしな話ではないか? 千里。Saltの連中は、汀子以上に再起など及びもつかぬ状況だ。父上はまだしも、松山様の蒙っている勘気も尋常一様のものではないという噂。このような状況で、いったい何の練習をするというのだ?」

「それは……。ほとぼりが冷めれば他の事務所から再デビューできるかも、とお考えになっているのかもしれませんし……。Saltという形では無理でしょうが、バラけてしまえば可能なのではないでしょうか?」

「同じ場所で、一緒にレッスンをしているのだろう?」

「ラストライブといいますか、ファンとのお別れ会のようなものを企画しているという噂もありますね。どこの事務所も通さず自分達で企画し、どこかのハコを確保すればお父様や松山様といえど、手の出しようもないかもしれません」

 なるほどな、と一応肯定するような相槌を打ったが、伊都の顔は笑っていた。

「まあそうかもしれないが、やはり私は納得がいかない部分がある」

 しばらく含み笑いで肩を揺らしていたが、大息して急に真顔になる。

「ふん。目くらましとすれば、やはりくえん相手よ。丁」

 伊都は腕組みし、千里に鋭い目線をやった。

「そうだ、丁に会うのは来週くらいだったか?」

「ええ……」

 伊都が手を回し、月坂幽からの紹介という態で来週、ある個室付きのカフェで千里は丁と会うことになっていた。

 千里は出向という形で、小塚の事務所に行っているだけなので、所属は伊都の事務所の社員である。

 表向きは、丁をスカウトしたい、という理由になっていた。

 向こうはおそらくスカウトにのる気などないであろうから、お義理で会ってくれるだけであろう。

 正直、千里はあまり気が進まなかった。

 気の毒な境遇にいる人間に会うのは、心が痛むのであまり好きではないのだ。その後二、三日は気が重くなるのを覚悟しなければならない。

 特にそれが女性アイドルならなおさらである。


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