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凍蝶  作者: 八花月
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邂逅

 武音乙女は、遠くに乱立する高層ビル群を望みながら歩いていた。

 海風が心地良く髪を揺らし、耳の奥に低く潮騒の音が届く。

 この埠頭の公園は乙女が好きな場所で、時間が空いた時には時々散歩に来る場所であった。

 厳密に言えばこの公園というよりも海の側ならどこでも好きではあるのだが、昔通っていた時期もあり、馴染みの場所なのでついつい足が向いてしまうのだ。初めての場所や慣れない道は色々目新しいし、帰りのことも気にしなくてはならないので、のんびり出来ないというのが乙女の持論である。

「さて、どうすっかな。これから……」 

 風の中で、乙女はふと呟いた。

 今日この場所に来たのも、一人で考え事をしたいからなのだ。考えている最中は、なるべくメンバーには会いたくないし、ここはある意味乙女の原点のような場所なので、今の迷いがある自分がもの思いに耽るにはちょうどいいかと思ったのである。

「……乙女?」

 誰かに呼びかけられた。乙女は用心し、振り返ろうかどうか一瞬迷った。

乙女はSaltの中で、名も顔も売れているほうである。知らない人間に声をかけられることも珍しくなかった。

 今はあまりファンと話したい気分ではなかったのだ。

 ただ、何となく聞いたことのある声音のような気がしたことと、その調子が知り合いに話しかける時のものに聞こえたのがふり返った理由である。

「一姫? ……一姫か!」

 答える声に喜色が混じる。乙女に呼びかけたのは古い友達の水前寺(すいぜんじ)一姫(いちひめ)だった。

「やっぱり乙女! 何してんのこんなとこで!?」 

「こんなとこ、とか言うなよ」

 乙女は思わず苦笑いする。ここは乙女と一姫にとって、意味のある場所なのだ。

「私にとっては、いい思い出ないからね、ここ……」

 僅かに目を逸らせながら、一姫は言う。乙女も、そっか、と言葉少なに応じた。

「あんたにとっちゃそうでもないでしょうけど」

「どういう意味だよ?」

 乙女と一姫はかつて、この公園で路上ライブをおこなっていた。

 かつて二人は、ある芸能事務所に所属していたアイドルデュオだったのだが、先輩と揉め事を起こしたためクビになってしまったのだ。

 その後しばらく、あまり金をかけずにネットで宣伝しつつ、二人で再起をかけてこの公園で定期的に路上ライブを敢行していた時期があるのである。

 その最中、乙女は先にSaltに入っていた姉に説得され、オーディションを受けに行った。

 そして、不器男は受け入れてくれたのだ。

「だってあんたはあの後、Saltに加入して人気も出たじゃん。私にとってはここでの活動だって、挫折の一ページでしかないもの」

案の定一姫は、何か言いたいことが湧いてきたらしかった。あまり気が進まなかったが、乙女は付き合うことにする。

「お前もSaltのオーディション受けりゃよかっただろ。あたし、あの時誘ったぞ」

 一姫は、口を開けてハッ、と皮肉な笑いかたをした。

「あんたのおまけでオーディション受けて、お情けでSaltに入れてもらえって? 冗談じゃないわ」

「なんだそれ? お前なんか誤解してないか? あたしは別に姉貴のお引きでSaltに入ったわけじゃねーよ。ちゃんとオーディション受けて合格したんだから」

「手心はなかったの?」 

 うっ、と呻いて、乙女は一瞬言葉に詰まってしまう。

「なかった……と思う。多分」

 乙女は律儀に、当時のオーディションの様子を思い出していた。

 そういや不器男ちゃん、あの時いやに愛想良かった気もするな。初対面だったのに……。もしかしたら姉貴になんか言われてたのかもな……。

 考えていると段々自信がなくなってくる。

 あはは、と一姫は大口を開けて笑った。

「嘘よ、嘘。あんた実力あるじゃない? Saltに加入してからの人気が何よりの証拠でしょ」

「お、お前だって実力はあんだろ。二人で組んでた時、歌でもダンスでもお前に完璧に勝ったって思ったことないぞ」

 乙女が口走ると一姫は急に、ふっと冷めたような顔を見せる。

「……やめましょ。お互いに褒め合うなんてダサすぎ」

「そうか?」

 乙女はピンとこなかったのでこう返事をしたのだが、一姫は真顔でまじまじと見つめ返してきた。

「とにかくあんたにくっついてSaltに入るなんて、私のプライドが許さなかった。それだけよ」

「そんなのお前の都合だろ。知らねえよ」

 ほぼ反射的に言い返してしまい、乙女はすぐに後悔する。

「……いや、あたしも今色々あって余裕ねえんだ。お前のそんなのまで背負いきれないんだよ。悪いな」

「そっか。Saltも解散しちゃったんだもんね。あのなんとかいうバカなプロデューサーのせいで」

「あー……まあな」 

 ちょっと考えて、乙女はこの曖昧な返事で応えた。

「怒らないの? あんたも深山とかいうPを恨んでるんだ?」

「恨んでねえよ。まあ……もう過ぎたことだからな」

 しばらく、一姫は眉間に皺を寄せ乙女の瞳を覗き込んでいた。

「そう……よっぽどいいグループだったのね。あの暴れ馬みたいだったあんたが、こんないいコになっちゃうなんて」

 一姫の表情に、ふっと寂しい陰が浮かんだ。

「私ね、正直乙女がSaltに入ったって聞いた時、上手くいくわけないって思ってた。どうせまたすぐケンカしてやめちゃう。あんたみたいな裏表なくズケズケ物を言っちゃう性格の人間が、あんな人気のある大人数のグループでやってけるわけないって。どうせすぐ」

「何が言いたいんだよ?」

 苛々した調子で問われ、一姫は言葉の継ぎ手を途中で切ってしまった。

「……別に。あんたも芸能界で揉まれて、少しは大人になったってことかな、って思っただけ。そりゃ、いつまでもバカで気っ風が良い乙女姐さんじゃいられないわよね」

「突っかかってくんなよ」

 乙女の大きい舌打ちを聞いて、一姫は小さく〝そうね〟と、言う。

「ごめんね。運がなかったね、私達」

「まあな」

 ぞんざいな返事をしてしまった自分に対して、また腹を立てている乙女に、もう行くね、と言葉を残し、一姫は去って行った。

 あんなヒネた言い方するヤツじゃなかったのにな。

 乙女は目の前に広がる茫漠とした海原を見つめながら、珍しく物憂い気分になっていた。

 悪いヤツじゃないんだけどな。

 同じような思考がグルグル頭の中で回って、ちっとも前に進まない。

 人間は変わってしまうのだ、という、ただただ重いだけの事実が、乙女に圧しかかっている。 なんとなく知識としては知っていたことを、まざまざと見せつけられたのだ。

「んだよ、クソッ!」

 つい、何かの感情が激発してしまった乙女は、目の前の鉄柵を思い切り蹴りつけていた。

「あの人……あれ」

「ほら、乙女さんじゃない? 武音姉妹の……」

「ほんとだ! Saltの武音乙女! なんか機嫌悪そう……」

 ひそひそと話している声が、耳に入った。

「うわっ、ヤベ」

しまった、と思うが早いか、乙女は駆け出している。

「ちぇっ。締まらねえなあ、もう……」

 逃げながら乙女は、心中の昏い澱みに向かって深い深いため息をついた。


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