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凍蝶  作者: 八花月
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祭りの日

 その日、深山不器雄はある感慨に耽っていた。

 もうすぐ幕が下りる……。

 ステージの上で全力を尽くしている少女達を見ながら不器雄は、目頭が熱くなるのを感じる。

 今日という日は、自分のやってきたことの集大成のような日だ。

 今後Saltというアイドルグループがどうなるかはわからない。しかし、一つの区切りであることだけは間違いないのだ。

「盛況だな」

 肩を叩かれ振り返ると、一大のにこやかな顔が目の前にある。

「これは松山さん……。ご無沙汰しております」

 不器男は反射的に深々と頭を下げた。松山一大(まつやまかずお)は業界の者なら、知らぬ者のない大手芸能事務所の代表であった。不器男はフリーのプロデューサーであったが、何かと世話になっている存在である。

「俺の方はいいよ。ステージを見てやんなよ」

 一大に礼を言い不器男は再びステージに目を遣る。 アンコールも終わり、そろそろ本当に今日の舞台が終わりそうであった。

 するすると幕が下り、客席とステージが遮断される。観客たちの騒ぎはまだ舞台袖まで聞こえてくるが、もう違う世界のものだった。ついさっきまで、ここまで届いていた熱気はいったい何だったのか? 幕が下りただけで、確実に世界には壁が出来てしまっている。

 実際にはここも客席も楽屋も、無限に広がる外の世界もまた、何事もなく連続している世界なのだが、もうそのようには感ぜられなくなっている。アイドル達の力なのか、観客達の力か、そこには何か魔術的な作用があるように、不器男には思えた。

「お疲れさまです」

 アイドル達が舞台から降りてくる。

「いや、君達こそ大変だっただろう」

「いえ……。平気ですよ」 

 白楽丁(しらくひのと)は、自然に微笑みを浮かべ答えた。

「まだ、いけますから」

 丁は冗談のように言ったが、隣の土佐十子(とさとおこ)は流さなかった。

「無理はするな、丁。これでアイドルを辞めるってわけじゃないんだろう?」

「ですかね……? わたくしは終わってもいいと思ってるんですよ」

 丁が本気なのかどうなのか、この場の誰もわからない。彼女たちのプロデューサーを務めている不器男にさえわからないのは少々問題であった。Saltは主に学生を集めて結成された、ノンプロのアイドルグループである。 元々、白楽たち第一世代が高校を卒業したら解散、という合意の下に活動していた。しかし、予想以上の成功を収めてしまったため、少し揉めているのだ。

「相変わらずお堅いな、丁」

 十子は苦笑した。

「お前はそれでいいかもしれないが、他のメンバーはどうするんだ?」

 十子が『お前』というのは、丁に対してだけである。なかなか際どい発言に思えた不器男は、思わずこの場の人間の顔を見渡した。

「あたしは別に、どうでもかまわねーよ」

 誰ともなく、武音乙女(たけとおとめ)がぼそっと呟く。本人は意図していなかったようだが、かなり大きい声である。十子の発言には反応しなかったメンバーたちの中にも、ぎょっとしている者がいた。

「少し軽率だね、乙女」

 十子が、笑顔で肩をポンポンと叩きながら諌める。

「あ、ああ、そうだな。わりぃ」

 バツの悪そうな顔をして乙女が頭を掻いているのを見て、やっとメンバー間にほっとした空気が流れた。

「先のことはまだわからないが、まだしばらくSaltは活動予定なんだ。あまり士気を下げるようなことは言わないでくれよ」

 不器男が言うと〝わかってんよ〟と、ため息混じりに乙女は返す。

 武音乙女は、現メンバーの中では参加は遅いほうだが、実力は滅法高い。仮にここを抜けることなっても、他のアイドルグループから引く手数多だろうと言われているだけに、その発言はSalt内でも注目されるのである。

「十子もだぞ」

 不器男は十子にも釘を刺すのを忘れない。

「すみません」

 十子は、素直に頭を下げた。これでこの場は一件落着かと、皆が思ったその時、

「……そんなに続けたいのですか?」

 と、再度丁が口を開いた。

「正直、続けたいね」

 十子ははっきりと告げる。

「僕個人としてもSaltを続けたい気持ちはあるが、それよりも売れてしまった責任を果たさなければならないと思うんだ」

 Saltのメンバーは、固唾を呑んで十子の言葉を聞いていた。

「丁や僕みたいな初期からのメンバーは、高校で……まあ、言ってしまえば部活動を引退するくらいのタイミングでSaltは解散、というのは、もう前提の約束事として了解済みだっただろう? でも、新しく入ってきた娘たちはそうじゃない」

「正直、事務所としてもここまで注目されているグループを解散させてしまうのは惜しいと思っている」

 不器男が口を挟んだ。

「ただ約束は約束だからね。俺としては丁達の脱退後、残ったメンバーで新しいグループを再結成、ってセンが妥当だと思っているんだ」

「わたくしも、それが適当だと思います」

 丁が静かに同意した。

「元々、Saltは深山さんが作ったようなもの……。深山さんがプロデューサーを降りるなら、それはもう別物でしょう?」

 新しくグループを立ち上げるにしても、深山不器男はもうその頃は別のプロジェクトに移ることになっていた。丁はそのことを言っているのだ。

「こんなことを持ち出すのはなんだが……(くゆり)は入ってくる気なんだろう?」

 十子が口を開くと丁は、僅かに顎を上げた。

「姉妹で共演する時期があってもいいんじゃないか? 素敵なステージだと思うけどね」

「……あの娘はきちんと自立しています。わたくしがいようがいまいが、関係ないですよ」

「そういやスウもまだ帰ってきてねーよなぁ」

 乙女が不器男のほうを向いて言う。

「なあプロデューサーよぉ、解散する前に一回くらいはあいつもステージに上げてやろうぜ? 許してやるわけにはいかねーかなあ」

 乙女のいうスウとは、以前メンバーであった縁間数凪(えんまかずな)のことである。能力は高いものの、素行が非常に悪く事務所のスタッフと揉めたため謹慎処分となっていたのだ。

「その件については善処するよ」

 不器男はそう答えたものの、内心では途方に暮れていた。

 実は不器男も不憫に思い、復帰させてやろうと何回かコンタクトはとっていたのだが、一向に反省の色が見られず困っていたのだ。 また問題を起こしそうなので、正直復帰するならラストコンサートかな? と不器男は考えている。

「どうしたの? 意見の食い違いかな?」

 羽振りの良さそうな、初老の男が近づいてきた。

「いえ……ちょっとした反省会のようなものですよ。小塚さんの気になさるようなことじゃないです」

 不器男は急いで言った。この小塚幸生という男と喋る時は、気を付けたほうが良い、と不器男は思っている。あからさまではないが、どこか人の不幸を喜ぶようなところのある人間なのだ。

 正直、不器男はあまり好きではなかった。

 そろそろ撤収……と言いかけて、不器男は不意に口を閉じる。携帯にメールが届いたのだ。確認のため画面を見ると、妻の瑤未(たまみ)であった。今日は大きな仕事であるし忙しいのは承知しているが、体に気をつけ出来るだけ早く帰ってくるように、というような内容だ。

『御仕事、順調なようで結構なことでございますが、道行き快調な時ほど、足下の石に躓くことも多いと存じます。好時魔多しという言葉もございますので、何卒ご身辺にお気をつけあそばしませ』

 長々としたメールの最後は、このような文章で締められていた。俯き加減の不安そうな瑤未の顔が、不器男の脳裏をよぎる。

ここまで自分を心配してくれるのも、結婚して間もないからだろうか? と考えていると、

「深山さん……?」

 丁が怪訝な様子で、顔を覗き込んできた。

 ああ、と曖昧な返事をしていると、松山が取り繕うように肩を叩いてくる。

「まあ、最近働きづめだったしな。一区切りがついたってことで深山君も気が抜けて、ぼーっとして

しまったんだろう」

「そうですね。今回で……」

 不器男が開きかけた口が、そのままポカンと開いた。

 下りたはずの幕が、再びスルスルと上がりはじめたのだ。帰りかけていた客のボルテージが、また一気に最高潮に達している。

「どういうことです? こんなことは予定にないはずですが……」

 不器男は松山に詰め寄った。アンコールに応えるという話はなかったはずだ。Saltのメンバー達の中には、まだ体力的に余裕がある者もいるだろうが、当然もう厳しい者もいる。最初から聞かされていれば、ペース配分して体力を残すこともできるが、今さっきまで全力疾走していたようなものなのだ。

 メンバーはともかく不器男は、はっきり言って不愉快であった。

「いや、すまんね。僕が便乗させてもらったんだよ」

 何か言いかけた松山の横から、幸生が口を挟む。

ほぼ同時に、ステージ上にSaltとは別のアイドルグループが姿を現した。Saltほどではないが、こちらもなかなかの大所帯である。

「あれ……〝has〟じゃないか?」

 十子が、またぞろ点いたステージの照明に目を細めながら呟いた。

「どういうことですか?」

「いやすまんね。ちょっと〝has〟のお披露目にね。この場を拝借させてもらったんだ」

 不器男の重ねての問いに、幸生は鷹揚に答える。

hasは、小塚幸生がプロデュースし、近日デビューすると噂のアイドルユニットである。

「一言仰っていただきたかったです」

 不器男は不快であった。

 Saltはノンプロのアイドルとしては、トップクラスの動員数を誇っている。それに幸生もプロモーターとして、Saltのイベントには何度も関わってきていた。Saltのライブでhasのお披露目をしても違和感はない。だから幸生の狙いはよくわかったし、本当なら不器男もここまで嫌悪感を抱くことはなかったのだ。

ただ、事前に言ってくれていれば。

「スウがいなくて良かったぜ。いたらあのオッサンブン殴ってただろうな」

 乙女がボソっと呟く。

「やめなさい、乙女」

 乙葉が窘めると、乙女は黙って首を竦める。武音乙葉は乙女の姉。Salt最年長のメンバーであった。

「まあまあ、そう肩を怒らせるな。小塚さんも、最近調子が悪いみたいだし……Saltの人気にあやかりたかったってとこだろう。ねえ?」 

 松山一大が不器男を宥めにかかったが、今度は小塚の顔が少し引き攣っている。確かに音楽プロデューサーとしての小塚は、最近ヒットが出ず不調だ、というのは業界の共通認識であった。

「だからって、こんな小判鮫みたいなやり方は……」

 不器男は、吐き出しかけた言葉を中途で呑みこんだ。

 怒気に歪んだ幸生の顔が、今にも破裂しそうにヒクヒクしていたからである。彼は恥をかくことに慣れていない。それも超大物である一大の前のことである。

 一大はすかさず間に入り、取りなし始めた。上機嫌なので普段はやらないこういう役も、自然に買って出る気になるのだ。

 一大は、ここまで人気になったのだから、当然Saltは自分の事務所からメジャーシーンに打って出るものと思っている。不器男が一大の便宜を続けて受けたいばかりに、Saltの内部で今後の進退については意見が割れている、ということをまだ知らせていないのも悪かった。

 結局この日は、一大のおかげで事なきを得、おひらきとなる。

 しかし、この日のこの時が全ての始まりであったことを、この場に居たSaltのメンバーたちは後々まで繰り返し思い出すことになるのであった。


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