次は俺のターンな!
久しぶりにしんみりして、それぞれ違う具のおにぎりを平らげた俺は、感謝の気持ちをスカッと忘れ、ミッションに入ることにした。
もちろん、昨日決意した「次は俺のターンな!」的な、家庭訪問である。
引っ越す前には、頻繁に行き来したが、あれから五年の歳月が流れているし、もはやあの二人も小学生ではない。
なにかこう、得体の知れない背徳感と、ドキドキ感があった。
しかし、別にこっそり侵入するわけじゃなくて、鍵の交換を前提とした堂々としたものなんだから、特に問題はあるまい……ないと思う。
朝食の皿を返しに行くという、一応の用事もある。
ただ、いつも部屋着としているジャージでは怪しすぎるので、ラフなズボンと薄いシャツに着替え、そっと部屋を出た。
普段はそんなことしないのに、今日はなぜかドアを開けた途端、廊下の左右をそっと窺ったりしてな。
まあ、皆さんお仕事なのか、誰もいないが。
ちなみにうちは七階建てのマンションの七階なのだが、隣へ行く前に大きく深呼吸もしておく――と。
たまたま目線がマンションの向こうの歩道に向いたのだが、そこに妙な奴がいた。
年齢は多分、俺とそう変わらないだろうと思うんだが、ひょろっとしていて、全身が黒く見えるほど、暗いトーンの服装をしていた。
ズボンが黒でセーターが灰色という具合で、あまりにも地味でかえって目立つ。
しかも、なぜか手に持った大画面のスマホと、周囲の景色をしきりに見比べている。
なんだ、あれ?
もう見るからに怪しいので、俺はいつしか廊下の手すりに手を置き、じっと観察していたのだが……そいつがふと見上げた瞬間、こっちと目が合った。
途端に、棒でも飲んだみたいにぴーんと背筋が伸び、せかせかと歩き出す。
しばらくしてまたこちらを見上げ、まだ俺が見ているのに気付くと、もう本格的に早足になって、姿を消した。
ますます……なんだ、あれ?
観光旅行でもなさそうだが……と数秒ほど考え、俺は肩をすくめた。
まあ、見知らぬ誰かの、ましてや男のことなんぞ、どうでもいい。
このマンションの各部屋は、鍵を開けてから暗証番号も必要という、めんどくさいタイプである。
もちろん俺は、念のためにチャイムを連打した後、預かった複製キーと教えてもらった暗証番号で、すんなり入ったが。
ただ、入った途端「うわぁ」と声が出て、玄関口で立ち止まってしまった。
なんかこう……甘い香りが漂っていたりして。
しかも、まだ荷ほどきが完全に終わってない様子だが、とにかく部屋の色が明るい!
同じ間取りなのに、うちの殺風景な部屋とは大違いである。もうリビングからして、薄いピンクの絨毯が敷いてあったりしてな。
施錠をきちんとしてから、俺は靴を脱ぎ、「お邪魔しますよ~……お皿返しに来たんだが」などとわざと連呼しつつ、片手の皿をキッチンのテーブルに置く。
それから奥の二部屋をそれぞれ見て回ることにした……なぜか意図せずして、抜き足差し足になってしまう。
それにしても、女の子の部屋を見るというだけで、むちゃくちゃいけないことをしている気になるのが不思議だ。
「し、しかし……ここは非情にいかないとな。薄い本の屈辱を忘れるな、俺」
みみっちいセリフを吐き、己を鼓舞する。
どうやら奥の六畳二間を、二人で一部屋ずつ分け合っているらしく、完全に部屋の趣味が分かれている。イヴの部屋は本棚と衣装が多く、ぬいぐるみが多め……そして、マリアの部屋はアニメポスターと衣装が多く、ぬいぐるみが激多め、という具合だ。
……冷静に考えると、共通点多いな。
片方が水色基調の部屋で、片方がピンク色基調ってだけだ。
そのうちの、水色が目立つイヴの部屋を先に探索することにした。
どうでもいいが……窓際にでんっと置かれた、天蓋付きのベッドがやたらと豪華に見える。薄い水色のヴェールまで掛かってたりして、おまえは王女様かと。
この水色ベッドのせいで、部屋自体が水色基調に見えるのだな、さては。
なぜか無性に寝転がりたい衝動に駆られたが、なけなしの自制心で我慢した。いや、ベッドのそばに近付くだけで、昨晩のイヴの香りがどっと立ち籠めるので、気になること、気になること。
しかし、今日の目的はベッドに転がってすーはーすることではない。
というわけで、自制心を総動員して、まず本棚を見る。そういや、この本棚も水色だ。
まだ本を完全に並べ終わっていないようで、段ボールが横にあったが、既に並んでいるタイトルはほぼ、声優関連の本と、衣装の本、それに演技の教本や童話など、根が真面目なあの子の性格を表したようなタイトルばかりだった。
重そうな百科事典まであったりして……て。
「――待てよ」
本好きなイヴなのに、やけにこの百科事典だけ、古びている。古本を買うことなんて、まずなかったと思うんだが。
俺は多少気になって、なにげなくそのゴツい百科事典を引っ張り出してみた。
「見た目は、別に普通の古本か?」
なんだ、つまらん。
また戻そうとして、その前に何気なくパラパラとめくってみる。
そこで初めて気付いた!
この分厚い古本、中身がくり抜いてあり、その真ん中に填め込むようにして、小型の鍵付き本があるじゃないか!
薄い本ではないが、これはちょっと怪しいかほりがすぞ? しかも、隠し方がいかにもあいつらしい。よく言えば慎重、悪く言えばやり過ぎである。
取り出すと、表紙に英語でDiaryとあった。つまり、日記である。鍵付きだが、これくらいなら、ドライバーとかでも開けられる気がする。
俺はその日記を見つめたまま、しばし悩んだ……さて、中身を見るべきか、見ないべきか。