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いざとなれば、わたし達がお仕事でがんばって、お兄様の面倒を見ますから

「ところでお兄様、今日はお仕事はお休みなのですか」


 こそっと、不適切本のことを考えていたのに、いきなり不意打ちがきた。

 いやホント、ゆっくりとコーヒーを味わって飲んでいたイヴがなにげなく俺に尋ねた瞬間、時間が止まった気がした。


 左隣のマリアはもう察しがついているのか、関心なさそうな振りして俺の一挙一動に注目している。この際、言い訳じみたことは言わず、俺は真っ正面から答えることにした。


 なるべくさりげなく答えて、即座に話題を変えると……これだなっ。





「ああ、実は先月、肩叩きにあってね」


 予定通りさらっと口にすると――おぉおお、予想に反してさらに嫌な沈黙がっ。なにか、なにかしゃべってくれぇえ。

 心の中で頭を抱えていたら、いよいよ迫ってきたイヴが不思議そうにまた尋ねた。


「肩叩きって……普通の意味じゃないんですよね?」

「くっ、知らんのか! 当然、ばーちゃんとかに奉仕するアレじゃないぞっ。上司から、やんわりと退職を勧められたってことだ」


 イヴは今でこそ問題多い家庭で、身内は祖母のみだが。

 遥か昔にうちの隣に引っ越してくるまでは、両親も健在だったし、割と名の知れた実業家の家系で、大金持ちのお嬢様だったらしい。


 言葉遣いがやけに丁寧なのも、その頃の名残だろう。

 ちなみにやたらとマリアと仲が良いが、ご近所さんというだけで、他には特になんの繋がりもなかった。ただ、当時から片親だったマリアと同じ小学校に編入したので、いつのまにか仲良くなっていたらしい。


「まあ、そういう意味でしたか」


 たちまち同情して眉を下げたイヴは、気安く俺の腕を抱え、優しく言ってくれた。


「気落ちなさらないでくださいね、お兄様。いざとなれば、わたし達がお仕事でがんばって、お兄様の面倒を見ますから」

「それじゃ、ヒモだろっ」


 自分の家が急速に没落した経験を持つだけに、本気で同情の目つきだった。

 俺としては、逆に傷つくんだが。


「そうだよ、にーちゃん」


 とっとと話を変えようとしたら、マリアまでため息をつき、リアルで肩を叩きやがった。


「あたし達がついてるじゃないさー。落ち込んじゃ駄目だって。生きてればいいこともあるからね?」

「いや、死ぬ気なんかないしっ」


 俺は思わず唾を飛ばした。


「おまえらに慰められるまで、別に落ち込んでもなかったよ!」


 しかし今や、自分が本気で中学生女子に助けてもらうヤバい立場な気がしてきただろっ。


「きっかけはあったけど、どうせ辞めるつもりだったし、今は失業保険も出てるから、そんなひどい状況じゃないぞ」

「わかったよ、わかった。もうこの話はやめようね。平日でも、いつもフリーダムで良かったね、にーちゃん」


「だから、可哀想な奴を見る目つきをやめろっ」

「お食事の用意をしましょうかっ」


 わざとらしく、イヴが笑顔で立ち上がった。


「夕飯の支度をして、一緒に食べましょう。その後、わたし達は隣へ戻ります。ただ、冷蔵庫にはさして材料がありませんでしたので、オムライスなどでいいですか?」

「それなら、あたしも手伝うよ」


 牛乳パックを空にしたマリアが、自分も立った。


「イヴはともかく、マリアは料理とか出来たっけ?」

「やだなっ。にーちゃんのために、あれから料理もがんばったんじゃないっ」


 照れ笑いを浮かべて、ばばーんっと俺の背中をぶっ叩く。

 ……さっきから思ってたが、こいつ昔よりさらに剛力になったな。




 マリアは知らんが、イヴが当時からちょこちょこ料理の真似事をしてたのは知ってる。二人はまたキッチンでガヤガヤと談笑しつつ準備を始め、てきぱきと調理し、本当にオムライスを三人分皿に盛ってキッチンのテーブルに置いた。


「お兄様、こっちへ来てお召し上がりください」

「あ……うん」


 誰かに飯作ってもらうのって、久しぶりだな。

 ここにあるテーブルには椅子が二脚しかないので、俺の部屋から急遽、椅子を運んできて一つ増やした。


「あー、こんどからちゃんと三脚いるねぇ。あたしがなんとかするよ、うん」

「まだデビューして一年未満だったろ? これからが、忙しいだろう?」

「今のところは、アニメソングやキャラクターの声の吹き替えなどが中心なので、暇とまではいきませんが、目が回るほど忙しいということもないですわ」

「あたし達、メジャーってほど名前売れてないし」


 ……売れる売れないはおいて、どちらかといえば、アニソン系か。

 うわぁ、アニメ好きな俺としては、そう聞くと一気に、凄い仕事をしているように思えてきたな。

 などと感心して席に着くと……オムライスの表面に、ケチャップで赤い文字が描かれていた。



「お兄様にーちゃん大好き」



 わざわざ括弧書きでマリアも描いてくれたのか。

 鼻の奥がちょっとつんとしちまったじゃないか、くそっ。


「わー、イヴっ。やりすぎたらしいよっ。いい年して、にーちゃんが泣きそうになってるっ」

「――まあ、今後はもっとご奉仕しますのに!?」

「ば、馬鹿っ。ただちょっと出来具合に感心してただけだっ。いいから食うぞっ」


 照れ隠しに、俺は無闇にスプーンを動かした。



 ……なんだかんだいって、今日はいい日だったかもな。


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