よりにもよってアイドルと浮気とかっ
「またまた……相手は俺ですよ」
俺は声に出してそのまま、思っていることを言ってやった。
「特にイケメンでもないし」
「ハンサムな人なら、芸能界にはたくさんいますけど、私は今までにそういう人達に惹かれたことないです」
朝日奈さんは諭すように言う。
「それに、時間の長短はあまり関係ないと思いませんか? 十年一緒にいても、ついに離婚しちゃう夫婦だって、珍しくないですし」
「そりゃまた極端な――ととっ」
わー、テーブルに載せた俺の手を握るのは、反則だー。
俺は肉体的接触に、極めて弱いんだってっ。
「お笑いになるかもしれませんけど、私は貴方との出会いに運命を感じていますわ」
バラ色に染まった顔でそんなことを言われて、俺は絶句しちまった。
なにしろ、俺だって別にこの子が嫌いなわけじゃないし。
しかし、そうは言いつつも、こうして手を握られていると、なぜか脳裏にあの二人の顔が浮かぶのも否定できない。
他人から見りゃふざけた話からもしれないが、こりゃちょっと困ったな……。
未だに手を握られたまま、俺は一人で困惑していた。
……その少し後に、オーディション会場となったスタジオでは、ようやく順番を終えたマリアが出て来たところだった。
先に終わっていたイヴは、待合室で立ち上がって彼女を迎え、「どうでした?」と小声で尋ねた。まだ周囲には順番待ちの子達がいるので、うるさくできない。
「い、いやぁ……途中で二度もストップかけられて、やり直しさせられたのよ。これは期待薄かもしれないね」
「まあ……実はわたしも、緊張のあまり、リテイクを何度か出してしまい」
「イヴもかー」
イヴとマリアは二人で顔を見合わせ、ため息をついた。
「とにかく、もう終わったのは確かだし、とっとと帰ろうか……予定よりは早めだけど」
「そうですわね、後は結果が出るまでなにもできませんし、愚痴っても仕方ないです。電話でお兄さまに迎えに来てもらいますか」
「うんうん、慰めてもらってさ、ついでにご馳走してもらおうっ」
ようやくマリアはいつもの調子が戻り、二人してスタジオを後にした。
……事件が起こったのは、駅へ向かう道中、イヴがスマホで迎えを頼む電話を入れた時だ。意外にすぐ繋がったのはいいのだが、なぜか後ろの方で小さい音で曲が流れている。
(お兄さまは、どこかの店に入ってらっしゃいますか?)
そう思ったイヴは、「外出中ですの?」と尋ねると、『お、おお。ちょっとな。今、駅なのか?』と慌てたように尋ねてきた。
「もうすぐ着きますが……なんだか怪しいですわね」
イヴがこう述べたのは、別になにかに気付いたせいではない。
日頃から「お兄さま」を失うことを恐れているので、つい口をついて出てしまったのだ。
ところが、今回に限っては、気のせいではなかったらしい。
というのも、微かに他の声が割り込み、『お知り合いでしょうか?』としっとりと尋ねたからだ。
「お兄さま!」
途端にイヴは立ち止まり、声のトーンもだいぶ上がってしまった。
「女の人がそばにいますねっ」
「え、なにっ。にーちゃん、あたしらが落ち込んでるのに、他の女といちゃいちゃしてるのっ!?」
たちまちマリアが、スマホに顔を寄せ、自分も聞き取ろうとする。
「ちょ、ちょっとマリア、それじゃ余計に聞こえませんわっ」
『あー、落ち着けって。ほら、この前たまたま図書館で会った女の子に、今回も偶然で出会ったんだよ。すぐにそっち行くから』
辛うじて相手の声が届いた。
「図書館での女性……というと、朝日奈桜子というお名前の――」
そこまで思いだした途端、イヴは絶妙なタイミングでぱっと閃いた。
いや、最初にその名前を聞いた時にも、「どこかで聞いたような?」とちらっと思ったのだ。しかし、結局思い出せずにいたのに、よりにもよって今、びたっと思い出したのである。
「朝日奈桜子さんって、アイドルの霧島英美里さんじゃないですかーーーーーーっ!」
「えぇえええええええっ」
そばで聞いていたマリアが飛び上がるような勢いで驚く。
「まさか、にーちゃんはそれ、知ってたのか!」
『いや、今日初めて知ったんだよっ、俺も! 書店でサイン会やってるの見てっ』
スマホの向こうで微かにお兄さまの声はしたものの、イヴはロクに聞いていなかった。マリアは言うに及ばず。
「ちくしょー、よりにもよってアイドルと浮気とかっ、いい度胸じゃないぃぃぃいいい」
「ひどい、おにいさまっ。わたし達を捨てる気ですね!」
周囲では、通行人が驚いたようにこちらを見ていたが、イヴもマリアもそんなことは、もはやどうでもよかった。




