付喪神
昔の人間には物を粗末に扱うという事は絶対にできない風潮があったもので、曰く「器物百年を経て化して精霊を得てよく人を化かす」と伝えられていたのでございます。物を大切にしないと幽霊よろしく化けて出るよ、という事で恐れられていたのですが、そんな言い伝えも現代ではすっかり廃れてしまいました。
大量生産、大量消費が当たり前の時代。布切れ一枚を惜しがる人間さえいなくなってしまったでしょう。だから今の時代、物は口を揃えて「あーあ、生まれる時代を間違った」なんてぼやいているのかもしれませんが。
「あ痛っ!痛いなあもう……」
「あ痛っ!痛いなあもう、酷い事しやがる。放り投げる事はねえじゃねえか。自慢の芯が折れちまうよ。何だいここは、えらく暗いねえ。色んなものが置いてあるな。おやおや、これは物差しかい?それも竹でできてやがる。えらく時代がかってるね。あら、よくみりゃ先っちょが折れてやがらあ。こんなんじゃ使い物にならねえや」
「おや、新入りかね」
「何だいお前、物差しのくせして喋るのかい?物が喋るもんだから驚いちまった」
「お前さんだって鉛筆だよ。それも手に持てるか持てないかのちっこい鉛筆だ。お前さん、主人に愛想尽かされたんだろう」
「馬鹿言うなよ。何故俺が愛想尽かされなきゃならねえんだ。いくら鉛筆がちっこくなったってなあ、使えねえわけじゃねえんだぜ」
「そんな事言ったって、ここにいる奴は皆主人に愛想尽かされた連中だ」
「ここはどこだい」
「ここは落とし物箱だ」
「落とし物箱ォ?俺は主人にここへ放り込まれたんだ。何だって俺はこんな所に放り込まれたんだ」
「お前さん何年この小学校にいるんだ。自分の置かれた状況も分からんのか」
「俺の主人は入学したばかりだ」
「そりゃあ知らんのも無理はない。大きい声じゃ言えんがの、今時の主人達は頭が良い。節約だかえころじいだか知らんが、公に物を粗末にできなくなったというので、使えなくなった物を落とし物のふりしてここに厄介払いするんだ」
「何だって!という事は、俺は厄介払いされたって事かい。そりゃねえよ、今まで主人の為に身を削って、文字通り身を削って働いてきたんだ。最後まで使ってくれなきゃ、鉛筆削りの箱に捨てられた俺の半身が草葉の陰で泣いてやがらあ」
「鉛筆とはそういうものだ。それを言うなら私だって、ちょっとばかし折れたくらいで厄介払いだ。乱暴な話だよ。まだ十二センチメートルまで測れるのに」
「おいおい、竹の物差しってなあ随分長いものだぜ。十二センチじゃ短すぎるよ。そりゃあ愛想尽かされてもしょうがねえや」
ぶつくさ言いながら鉛筆が辺りを見回すと、他の物達も口々に喋り始めた。
「また新入りか。本当にこの小学校の主人は物を粗末にする奴らだ。ちゃんと先生はしつけてんのかな」
「お前は誰だい?」
「俺は消しゴムだ。MONOだぜ。へへ、ブランド物だ」
「MONOがブランド物かは知らねえが、お前も大変だな」
消しゴムの隣で、にょろにょろと憤慨している物もいた。
「小学校ってなあ物入りだからなあ。次々と新しい物を買わなくちゃならねえから、古い物は有無も言わずにポイッなんてよくある事だぜ」
「お前は誰だい?」
「俺は靴紐だ。まだ新品のような真っ白だぜ。靴紐に使えねえんなら、電灯の紐にでもすりゃ良いんだ」
「真っ白かどうかは暗くて分からねえが、お前も大変だな」
靴紐の奥で、きびきびと動きながら憤慨する物もいた。
「いいや、主人だからって甘やかしちゃいけねえぜ。ちょいと釘差しとかなきゃ、俺達を大切にしてくれねえや」
「お前は誰だい?」
「俺はハサミだ。ちくしょう、俺を捨てやがった主人に次会ったら、五本指全てを付け根から切り取ってやらあ」
「おい、危ねえ奴だな。こいつだけは外に出せねえや」
他にも色んな奴が文句を言っていたが、全部聞いているとくたびれるので鉛筆は無視した。
「しかしこう鬱憤ばかり溜めてここに居座っているのもつまらないねえ。何かこう、気分の晴れるような事はねえのかい?」
「それがあるんだよお前さん。私らがこうして居座っているのはわけがあるんだ」
「おう、物差しの爺さん。どういうわけだ」
「何だい物差しの爺さんって」
「だってお前、そんな時代がかった見た目だからよ」
「何だ図々しい奴だな。いいかい?私らの主人は今でこそ私らを粗末に扱うが、昔はそんな事はなかったんだ。何故かと言うとね、『器物百年を経て化して精霊を得てよく人を化かす』と俗に言われていたからなんだよ」
「何だいそりゃ。鉛筆に難しい言葉を使うなよ」
「要は物を粗末に扱うと化けて出るって事だ。私らは今でこそ路傍の石ころのように動けねえでいるが、百年経つと魂を持つようになる。原理は分からんが持つものは持つんだよ。そうすると私らも生き物のように手足を生やして動けるようになる。路傍の石ころも盆踊りを踊れるようになるんだ」
「へぇーっ、気持ち悪いねえ。俺達から手足が生えんのかい?そりゃ物じゃねえや、化け物だ」
「そう、化け物になるんだ」
「そんな気持ちの悪いものにはなりたくねえよ。手足を生やすくらいなら俺はここで一生を終える」
「まあ待て、これには目的があるんだ」
「目的って何だ」
「化け物というのは誰かを脅かすものだ。脅かすものがなけりゃ化け物じゃなくなっちまう。それじゃあ誰を脅かすんだっていうと、私らを捨てた憎き主人だ」
「主人に復讐するってのかい?ちょっと待てよ。話が合わねえぜ。百年経って化け物になるって、ここは小学校だぜ。そんなに待ってたら主人は卒業しちまうよ。進学先まで足生やして追うのかい?」
「そうじゃないよ。私らってのは心持ちで意外と早く化けれるって事が、最近の研究で分かったんだ」
「最近の研究って、誰が研究してんだよ」
「私だ」
「何だいそりゃ。信用ならねえな」
「それが本当なんだよ。気合入れれば三年で手が生えて、もう三年で足が生える。残りの九十四年経つと、絵巻なんかであるようなおどろおどろしい化け物になれるが、まあ六年ありゃ動けるようにはなれるんだ。主人が卒業するにはギリギリ間に合う」
「何だかオタマジャクシみたいだな。そういうものかい?それならちょっと待ってみるかな。俺だって捨てられた恨みはあるぜ。手が生えた段階でバッと飛び出して襲い掛かってやるんだから」
「せっかちになってはいけないよ。見ろ、私は三年待って手が生えた段階だ」
「本当だ。爺さん手ェ後ろに回して隠してやがったな」
「そして今まで二年待ったんだ。あと一年で足が生えて動けるようになる。私が一番古いから、一番に飛び出していける。それをお前さんよーく見て、勉強するんだよ」
「しょうがねえな。分かったよ、それまで辛抱するよ」
そういうわけで落とし物箱にとどまった鉛筆だったが、月日が経つうちに他の連中とも仲良くなり、一緒に恨みを晴らすため物差しの爺さんの指導の下、手足を生やす特訓に明け暮れた。そして一年経ち、物差しの爺さんが足を生やしたので、その門出を皆で祝った。
「皆、今までありがとうな。私もようやく積年の恨みを晴らす事ができる」
「何だか祝いの場にゃ相応しくねえ台詞だが、とにかくめでたいね、爺さんよ」
「おう、鉛筆よ。お前さんも頑張るんだぞ。私はこれから妖怪竹物差しとしてこの小学校の七不思議になるかもしれないが、その時は頼んだ」
「任しとけ」
などとよく分からないやりとりをした後、物差しの爺さんは落とし物箱の縁に立った。
「それじゃ皆達者でな。それっ、あ痛っ!」
「ほら、見ろよ皆、爺さん元気に飛び出したぜ。ベキッ!なんて生きのいい音たてて。余程恨みが溜まってたんだな。思えばここじゃ一番古い物だ。誰もいない昔から頑張って居座り続けたんだなあ。暑い日も寒い日も、主人への恨みだけをひたすら考えて、艱難辛苦いかばかりと耐えに耐え、ついぞ動き出せるようになったんだ。見上げた根性じゃねえか。竹物差しだからってなめちゃいけねえや。これから主人達の間で聞こえてくるよ、先の折れた竹物差しが夜の廊下を歩いていたって。名付けて妖怪竹物差しってな。へへ、爺さん名付けのセンスはいまいちだ」
「誰がいまいちだこんちくしょう。ベキッ!なんて生きのいい音があるかい」
「おや、爺さんが戻ってきたぞ。足がなくなってらあ」
「足がなくなったんじゃないよ。下が折れたんだ」
「折れた?本当だ、よく見りゃ十二センチが五センチになってらあ。これじゃ市販の物差しにも及ばねえや」
「追い打ちをかけるような事言うなよ。ちくしょう、足がなくなったら動き回れないよ」
「また足は生えてこないのかい?」
「ナナフシじゃないんだよお前さん」
そこに駆けつけたものがいた。
「どうしたどうした、爺さん負けたのかい」
「ああ、ハサミか。爺さん折れちまいやがった」
「折れた?ふん、余程古くなってたんだな。この爺さんには前から期待してなかったんだ」
「何だと、ハサミ。爺さんに反旗を翻す気か」
「おうよ。こんなぼろっちい爺さんが主人に恨みを晴らせると思うかい?俺を見ろよ、鋭利な刃物だぜ。これで誰彼構わず斬りつけてやるんだ。俺が飛び出していったら主人達が噂するぜ。血の滴るハサミが夜中に歩いていたってな。名付けて妖怪人斬りバサミだ」
「お、爺さんより名付けのセンスがあらあ」
「そんな所に感心している場合じゃないよお前さん」
「ああ、爺さんまだ生きてたか」
「馬鹿言うなよ。死んだんじゃねえんだ」
「そんな事よりこんなハサミを野放しにはしておけねえや。俺達は主人を襲っても、無差別殺人はしねえんだ。そこが俺達の矜持よ。おう、靴紐。お前このハサミ縛っとけ」
「何を!この野郎、靴紐!俺を縛るんじゃないよ!生意気な事しやがって。切るよ!」
「へへ、あんな事言ってやがらあ。俺達は知ってんだ。あいつは主人にふざけてアラビックヤマト塗りたくられたから切れ味が落ちてやがるんだ。切れるもんなら切ってみやがれってんだ」
「おい、鉛筆」
「何だい爺さん」
「あそこ見ろよ。誰か近づいてくるぜ」
「本当だ。また新入りよこしにきた主人か」
「いや、違うようだな。ありゃここの近くの教室の担任だ」
「爺さん知ってるのかい」
「ああ。あの先生は良い先生だよ。今年入ったばかりなんだが、若いのに物を大切にする先生だ。教室でもそうやって教えているらしい。私らの希望だよ」
「そうかい。そいつは良い事だ。ここに来るような俺達の仲間が減れば良いがなあ」
「おやおや、こっちに手を伸ばしてくるぞ。あ、鉛筆!」
「うわっ!何だいこの先生、俺を掴みやがった」
「お前さんの短さじゃ掴めねえよ。つまんだんだ」
「うるせえな。そこぐらい見得張らせろってんだ。あ、この先生が何か言ってるぜ。何、もったいない?この鉛筆もまだ使える?おい、どういう事だ。あ痛っ!何か被せやがったぞ。尻の辺りが窮屈だ。良く見えねえな。爺さん、この先生何してるんだ」
「おやおや、お前さんの尻が長くなったぞ。おまけに銀色に光ってやがらあ。新手のイボ痔か」
「馬鹿言うなよ!ははあ、分かったぞ。この先生、俺に補助の軸被せやがったんだ。それで長くして使おうって魂胆だな」
「ああ、そりゃ良かったな。また使ってもらえるぞ」
「冗談じゃねえぜ。これから手足生やして復讐しようって時に、また使われちゃしょうがねえや。一体どうしたら俺は化け物になれるんだ!」
「今度は軸がすり減るまで百年待て」