須藤の美学
名護さんが話終わった。
「まあ、バレないほうがいいっていうのはあるよなあ」
羅実さんが言った。
「彼女の場合は殺人があった事自体ばれないようにするっていうのが特徴的ですね」
久留呉さんが指摘する。各自しばらく今の話について感想や意見を言い交わす。そしてしばらく経ったところで冴さんが問い聞いた。
「次は誰が話しますか?」
これに対して須藤さんが応答した。
「次は男性陣から私が話すということでいいですかね?」
みんな異論はなかったようでうなずく。
「それでは始めますよ。私はね、殺人というのは対象が一番幸せな気持ちになっているときに行うのが最も効果が高いと思うんですよ」
須藤さんが話し始める。
死というのは今まであったものが無に帰すわけです。幸せな状態からこの無の状態におちいる落差がたまらない。私の話を聞くと一般の人なんかは「何てひどいことを言うのか!」と思うかもしれない。でもですね、見方を変えれば対象は一番幸せな時に死ぬことができるんです。
あっそうだ、ですから私の想定している殺しはその「過程で」幸せな状態から絶望に落とすということをしない。死それ自体、或いは、結果が対象にとっての絶望であることはいいんですが、幸せな状態からわざわざ絶望する状態に落として、それから殺すということはしないんです。どういうことかわかりますかね?
幸福状態、絶望状態、死亡状態の3つの状態があるとします。このとき対象がその順でこれらの状態を経て死んだとして、絶望状態と死亡状態がほぼ同時であればいいのですが、絶望状態と死亡状態の間の時間的間隔が大きいと駄目なんです。幸せの鮮度が失われるからです。絶望に陥った人間を殺すというのは、よぼよぼになった腕相撲チャンピオンを両手で捻り潰すのと同じです。実につまらない。絶望状態から死亡状態に移行するというのは、時に救いにも成り得るということも、いけませんね。
幸福状態から絶望状態と死亡状態がほぼ同時に訪れるケースが一番良いのか、それとも、絶望状態を経ず幸福状態から死亡状態に移行するケースが一番良いのかは難しいところです。要は即死か数秒生きさせるかということなのですが、具体例を出して考えましょうか。
ある車のおもちゃを買って欲しいと考えている少年がいて、それを手に入れることが最大の幸福だと思っているとします。ある日その少年が欲しがっていた車のおもちゃを手に入れた時、致命的だが即死には至らない攻撃を加えて、念願のおもちゃを手に入れた喜びや、そのおもちゃを使って遊ぶはずだった楽しい日々までもが無くなってしまったと少年に絶望させて、その瞬間に死ぬようにさせるのが一方の例です。少年がおもちゃを手に入れた時に幸せな気持ちのまま、何の痛みや絶望を与える間隙なく即死させるのがもう一方の例です。
落差を重視するなら絶望状態を経由する場合の方が良さそうに見えますが、いくら絶望状態と死亡状態との間隔を短くしてもそこに間ができてしまうのは事実であり、そうするとこの場合の死の瞬間というのは、ほぼ同時だとかいう言い訳をいくらしても、結局絶望状態から時間的間隔を大きくおいて死亡状態に移行した場合と同じような、つまらない死の瞬間になるのでないかという批判も十分に有り得るところであり、一筋縄ではいかないところです。
あまりこの問題が起きにくいケースというものもあるんですけどね。例えば私はワインが好きで、1945年制のロマネ・コンティが飲めさえすれば死んでもいいと思っているのですが、その場合殺すならワインを飲んだ時に殺せば、即死でも、即死ではないが致命的な攻撃で殺しても、そう大きくは違わないんです。
なぜならもう口にした段階で満足してしまっていますからね。一口しか飲めなかった、もっと飲みたかったという後悔くらいはありそうですが、先程の例に比べるといくらか問題は小さくなっているんです。何かを得てこれからそれと共に幸せな日々を送るんだというものと、とりあえず一回それができれば満足というものとの違いですかね。
ちなみに殺人を行うときがワインを飲んだ後というのは良いですよね? ワインを飲む瞬間なども結構な幸せの瞬間に見えるのですが、やはり飲んだ後のほうが幸せの絶頂というに相応しいでしょう。
以上で私が言いたかったことというのは大体言えたように思うのですが、世の中には私と同じような考えをもった人がいるらしくてですね、噂なのですが、その人が実際に事を成したんじゃないかという具体的な話を聞いたことがあるんですよ。せっかくなので、最後に、その話をしたいと思います。
彼はウエディングプランナーをやっているのですが、高校生の時から好きな女性がいたのです。同じ部活動に所属していた仲間です。その女性は元々ウエディングプランナーを目指していたのですが、結局地元の企業に就職しました。実は彼がウエディングプランナーを目指したきっかけというのは学生時代に彼女の話を聞いたからなのです。当時の彼女はウエディングプランナーになることについて凄い熱意をもっていましたから、彼は彼女の夢と情熱に魅せられたんでしょう。ただ、彼女の方は再び別の夢を思い描くようになり、他にやりたいことが出来たと言って、先ほど申しました通り地元の企業に就職して、別の道を歩くことになりました。
学校を卒業してからも二人の交流は続き、彼が彼女に告白をして、付き合い始めました。2人は順調に愛を育み、月並ではありますが夜景の見えるレストランで彼がプロポーズをして、彼女は受け入れました。
そして結婚式をどうするのかという話になります。お互いに最高のものにしたいと思っているはずです。彼女はウエディングプランナーを目指していましたし、彼は現役のウエディングプランナー、良い結婚式になると誰もが信じていました。
そんな中、些細な揉め事が起きました。何てことはありません、結婚式をいつ行うのかということです。彼は秋が良いと思っていました。過ごしやすい気候で服装にも困らないし料理だって旬のものが出てくる。しかし彼女は夏がいいと思っていた。夏の快晴の下で結婚式を行いたかったのです。夏は暑さが大変なのですが、できるだけ涼しい時季を選んだり、色々と対策を講じるということで、結局彼女の意見を通すことになりました。
長年一緒にいれば時には小さな反発というものは起こり得るものでしょう。そして、小さな問題が大きな問題に発展して、しまいには2人を引き離してしまうということもあります。しかし、この問題はそういった肥大化を起こすことなく、収束し、解決された。これで万事うまく行くとお思いになるかもしれません。
しかし、この時の彼はそうではなかった。実はこれが彼と彼女の初めての対立だったというのも大きかったのかもしれません。彼はこれから始まる結婚生活が果たして幸せなものとして続いていくのか疑問をもつようになりました。幸せな時に死ぬことが出来れば不幸せな時はやってこないのに……。
彼がそれらの思いを大きくしながら働いていたある日、ある発見をします。彼が働き、式を行う予定でもある教会で上を見上げるとシャンデリアの一部が老朽化していて、大きめの地震でも起きると壊れて落ちてきそうだったのです。よく見つけたものです。彼は運命だと思いました。彼は幸福的な計画を思いつきその日からその計画を実行するための準備をし始めました。
遠隔操作で爆発させられる小型の爆弾を用意し、結婚式の退場時にはゲストにクラッカーを使用してもらうようにしました。シャンデリアに爆弾を取り付ける際には長い紐を用いればなんとかなりました。紐の片方に小石を結んで投げればシャンデリアに紐をかけることができるので、その後、紐に爆弾を括りつけて紐を小石の方から引っ張っぱれば、シャンデリアのいい位置に爆弾を設置できました。爆弾には接着剤をつけておき、紐は後で引っ張ればとれるようにしておきました。
そしてついに結婚式当日を迎え、結婚の誓いを終えた二人は退場します。彼女は今までに見たこと無いくらい幸せそうに見えました。彼も、この幸せな時を固定したまま彼女が死んでいくのかと思うと幸せな気もちが溢れだしていくようでした。彼はタイミングを計らいクラッカーの音を背景に忍ばせた爆弾の起動ボタンを押します。そして――
重いシャンデリアが脳天に落ちた音と悲鳴が聞こえました。成功です。彼は遺った証拠物の回収も忘れません。結局式は中止となり、彼女の死は、老朽化していたシャンデリアがたまたま引き起こした事故が原因とされました。
彼女は即死でしたが、もしかして数秒意識をもたせるよう具合を調整すべきだったのか、果たしてどちらが良かったのか? それが今も彼を悩ませている問題です。