とあるOL視点の恋愛事情
某短編のプロットを練っている時に生まれた話。
気が付いたら書いてしまったので投稿します。
正直なところ、恋愛感情というものが私には今一つわからない。
彼氏なし=年齢という典型的な非モテ女というのもあるが、何より私にそこまでの情熱がなかったともいう。
更に言えば私が雑食系オタなのも問題があっただろう。
三次元より二次元を愛し、暇な時間は漫画や小説読んで妄想したりゲームにはまったりしていた。学生時代ならともかく、社会人になってから更に深みにはまったとか洒落にならない。
しかし残念ながら、私はこの歳になっても生身の男にときめいた記憶がない。二次元ならばしょっちゅうあるのだが。
もう生涯独身でもいいかな。と、最近思い始めている。
恋愛は、当人達はともかく、傍から見ると非常にイライラするものだということに最近気づいたからだ。
職場で営業事務をしているのだが、先輩の橋本さんが最近、他部署の香月さんにやたら絡まれている。
ああ、絡むといっても悪い意味ではなく、わざわざこちらの席にきて橋本さんに話しかけるくらいである。
香月さんは所謂モテ系の男子である、らしい。笑顔が素敵だと新人ちゃんが騒いでいたが、どうだろう。非常にわかりやすい営業用スマイルだと思うのだが、乙女フィルターでもかかっているのかもしれない。だとしたら私にはわからない。
まあ確かに上背もあるし背広だと爽やかな印象を受ける。だが何故だろう、漫画の読み過ぎだろうか、やたら腹黒そうな印象を受ける。私だけだろうか。
そしてこの香月さんに絡まれてる橋本さんは、ちょっと不思議系の人だった。
占いが趣味とかで、その手の講義を受けているとか先日言っていた。まあ趣味は人それぞれだから「そうなんですか、頑張ってください」と社交辞令は伝えておいたが。
まあ、ちょっかいかけるだけなら、仕事時間外ならば特に文句はないというか私には一切関係ないので二人で好きに盛り上がってくれればいいと思う。
だというのに、この香月氏何故か、仕事中に橋本さんに話しかけている時やたらに私の方へ視線を向けてくる。
反応が乏しい橋本さんとの会話を少しでも長引かせるために協力してほしい、という意味だろう。やだよ面倒。
それだけならまだよかったのだが、最近香月さんはやたらと私をごはんに誘ってくるようになった。懐柔して橋本さん攻略の先兵に仕立て上げたいのだろうか。
勿論断っている。私は最近買ったゲームに夢中なのだ。一分一秒でも時間が惜しいので、仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰ることにしている。
さて、イライラする原因はもう一組いる。
といっても、こちらの二人もやはり恋人ではない。だったら怖い。不倫になるじゃないか。
昨年結婚したばかりの桜木係長は、自他共に厳しい人として有名だ。だが非常に愛妻家でもある。机の上に奥様との結婚式の写真が飾ってあったりする。
よって、邪魔者が入る余地が全くないというのに、いらん情熱を燃やしている人がいる。野原さんだ。
係長が婚約する前から狙っていたのに、結局奥様にかっさらわれたらしい野原さんは、どうしても諦めきれないらしい。
しかし野原さんは香月さんより理性的で、仕事中に私事は一切持ち込まない。時折視線が係長を貫くだけである。
係長も多分気づいているが、見られているだけなのでスルーしているようだ。藪蛇は怖いもんね。
勿論うちの事務所には他にも人はいるけれど、面倒なのはこの四人であり、私が「恋愛って面倒くせぇ」と思う原因でもある。
とりあえず香月さんはもう少しガンガン攻めてとっとと橋本さんを攻略してほしい。そして野原さんはさっさと未練を捨てて他の男を見てほしい。
じゃないと、係長の隣りで尚且つ橋本さんの正面の席に座っている私の胃に、そのうち穴が開く気がする。
本日も香月さんのお誘いをお断りして家路についた。ゲームが私を呼んでいる。
実家暮らしなので、基本的に家事は親がやってくれる。実にありがたい。ごはんおいしいです。拝んでしまいそう。
しかしその分家には6万入れている。まだ就職三年目に突入したばかりの薄給では結構痛い。
別に料理ができないわけでもないので、気が向いたら作る。しかし今のようにゲームにはまっている時の私に家事は期待できないと母は諦めていた。ごめん。
食事や風呂も済ませたので、早速家庭用ゲーム機を準備する。
そういえば、ネット上で多人数でできるゲームがあるらしいが、そもそもそんな長時間ネットを接続したら料金がとんでもないことになるので手はだせない。
テレホーダイに入るという手もあるが、時間が固定されているので間違いなく回線がパンクしてそうな予感がする。
よって、私はコレでいいのだ、と、スーパーファミコンを撫でる。あ、プレイステーションやセガサターンは高すぎて手だしてません。ちょっと気になるけどまだ心揺れるソフトがないんだよね。
カセットを差し込み、電源を入れる。さて、やるか。
「牧田さんは、本当に絶対OKしてくれないよねぇ」
香月さんが困ったように首を傾げる。そういわれてもこちらとしても困る。
「用事があるのです」
期待以上に面白くてついつい寝不足の原因になっているRPGのことを思い出す。いつも思うがあのシリーズは最高だと思う。
香月さんが「つれないなあ」とかいってるけどスルーして席につく。こちとら仕事しにきてるのだ。あんたの愚痴など知ったことか。他人をあてにする前に自分の恋くらい自分で何とかしやがれ。
その一部始終を見ていた橋本さんにまで「つれないわねぇ牧田ちゃん」と言われた。何故だ。そもそもつれないのは私ではなく橋本さんだと思う。
パソコンを起動して、LANPLANを選択する。これは表計算用ソフトだ。これを使用して色々と資料を作成する。
文書はLANWORDになるが、正直使い勝手が悪い。個人所有しているワープロの方が遥かに使いやすくていい仕事をする。
ふと、就業時間になったというのに、桜木係長がいまだに出勤していないことに気付いた。
どうしたのだろうと思っていると、ちょうど係長からの電話を受けた。課長に変わってほしいという。
係長との電話が終わった課長は、ホワイトボードの予定表に『桜木:年休』と書き込んでいた。確かに声はやたらと暗くて力なかったが、病気なのだろうか。
「大丈夫かしらねぇ、桜木さん」
「まあ病気だとしても、あの綺麗な奥さんが看病してますよきっと」
このときは呑気にそんなことを考えていた。係長が修羅場の真っ最中だったと知ったのは後になってからだ。
いやだって、まさか、新婚で一年もたってないんですよ? しかも係長は奥さんにだけはべた甘だったという話だし。
まさか、奥さんの浮気発覚で離婚騒動が発生していたなんて、思いもよらなかったのだ。
実は係長は泊りがけの出張の予定だったが、思ったより早く用事が終わったらしく、そのまま帰ってきたらしい。
そして、家に帰ってきてみたら、奥さんと間男がベッドの上でいたしているところに遭遇したらしい。
なんとこの二人の関係は婚約前から続いていたらしく、経済力のない間男の代わりに係長と結婚し、財布扱いにして、子供ができたら係長の子供として育てる気満々だったらしい。
なんてこった。大人しそうな顔してとんでもない悪女だったようだ。
その後、義実家の両親と自分の両親と間男の両親を呼び出して大騒ぎになった挙句、奥さんと間男にそれぞれ慰謝料請求して離婚することになったそうだ。
奥さんは泣いて縋ってきたらしいが、今更である。係長は冷めきってしまっていたようで、あっさりばっさり切り捨てた。まあ当然だよね。
ただまあ、事態の決着に二週間ほどかかったようだ。中には離婚までに数年かかることもあるし、まあスピード解決といえよう。
最近、隣りの係長の眉間の皺がとても深くなり、ため息が多くなった。お疲れの模様。そりゃそうだ。
仕方ないので、自分のお茶をいれるついでに、係長の好きな紅茶を入れてみた。
「ついでです」
といって出すと、少し驚いてから、力なく微笑んで感謝された。がんばれ係長。そしてそろそろ野原さんの存在に気付いておくれ。
野原さんは今が好機だというのに、傷心の係長に付け入るのはよろしくないと思っているらしく、近寄ってこない。
そうじゃないだろう野原さん。敵(?)は今弱っている、ここで攻めなくてどうするよ。
個人的に野原さんには非常に好感がもてる。もてるが、だから今まで片思いのままなんだよと思わなくもない。うう。イライラする。
さて、一方。香月&橋本コンビの話をしよう。
流石の香月さんも、隣りの係長の修羅場は知っているらしく、このところ自重しているらしい。
そらそうだ。浮気されて離婚騒動の真っ最中の人の前で橋本さんを口説くとか、喧嘩売ってる以外の何物でもない。
お蔭で私も平穏な日々…でもない。隣りに気を使うので日々緊張を強いられる。
件のゲームは既にシナリオはクリアした。後はアイテムとスキルと職業をコンプリート、そしてエンディング後のオマケ要素をやりつくすのみ。
オタ心をよくしっているゲームだよなとつくづく思う。あ、オタ心を掴んで離さないゲームといえば例の悪魔召喚系のゲームだろうか。
ファミコン版をやったときは、姉と二人ではまった。自力でマッピングする必要があったので、わざわざそのためだけに方眼紙を買ってきて、姉妹でマッピングした。
お蔭で第一作は目を閉じててもラスボスまで行きつけるくらいにはやり込んだ、2Dダンジョン式のRPGである。
ちなみにそんな姉は先日結婚をした。
職場の人との出来ちゃった結婚である。
ある日、突然姉がケーキを買って帰ってきたので、その上機嫌ぶりに疑問を抱きつつもケーキをおいしく頂いた。
その数日後、炬燵で寝っころがる父に対し、
「赤ちゃんできたので結婚します」
という衝撃発言をかましたのである。
哀れな父は、姉の話が終わっても、全く同じ姿勢のまま目を剥いて固まっていた。そらそうだろう。
母は、嬉々として私の部屋に飛び込んできた。
「ちょっとちょっと美弥子、あんた知ってたー?!」
声が弾んでいる。どこかの噂好きなおばさんを連想していただければいい。しかしその話題は実の娘のことだとわかっているのか母よ。
「ああ、うん、結婚するという話はチラと聞いてたけど、妊娠は初耳だった」
私の反応が非常に冷静だったので、母はがっかりしたようだ。一緒に興奮してほしかったらしいが知ったこっちゃない。
「なによう、この間ケーキ買ってきたじゃない。あれ産婦人科いった帰りに買ってきたのよ、お祝いに」
成程、あのケーキはそれでか。納得。
姉の旦那、つまり私の義兄になる人は、姉より一つ上で大学の先輩でもあったそうな。
「つまり義兄さんの後を追って同じ職場に就職したと」
「え、違うわよ偶然よ」
事実は藪の中ではあるが、義兄さんはとてもよい人柄なので特に家族からは文句はでなかった。
むしろ衝撃から立ち直った(?)父は、あんなのと結婚して大丈夫なのかと、義兄さんの未来をひたすら心配していた。それもそれでどうかと思うぞ父よ。
まあ、そんなわけで先日おなかが大きい状態で結婚した姉は、9月には出産予定日が来る。
その時はしばらく我が家に帰るらしい。
うん、何となく私がベビーシッターに任命される気がする。まあいいんだけど。赤ちゃんカワイイし。
話がそれた。そもそも本題が何処だ。
まあ、そんな感じで、私の周囲の恋愛事情は姉以外はぐだぐだな感じになっていた。
梅雨の時期だしある意味納得? 早く梅雨が明けて欲しいところだ。
隣家の莫迦息子こと水無瀬亮介が今度久々に帰国するらしい。そのまま外国に行っていればいいのに。
そんな不愉快な情報が母からもたらされたので、私はその日不機嫌だった。
帰国の正確な日時は不明だが、あれが帰ってくると、面倒をみさせられるのは私である。鬱だ。たまたま同じ歳なだけだというのに。
実に不機嫌にキーボードを叩いていたので、必然的に音が大きくなって先輩に窘められた。すみません。
そんなある日、新聞のニュースで衝撃の事実が発表された。
うちの会社、同業他社と合併するらしい。
勿論事務所全員初耳である。支店長が本社に問い合わせるのを、全員耳をダンボにして聞いている。
電話もひっきりなしにかかってくるが、何分地方社員には全く知らされていないので答えようもない。
その日一日混乱が続き、何の仕事をしたか全く記憶にない。
とりあえず合併のために色々と仕事が忙しくなりそうだということは、平社員の私にもよくわかった。
連日残業が続くなか、幼馴染の莫迦息子はふらりと帰ってきた。
ちなみにこいつは、何とかと天才は紙一重、というやつである。
神様は不公平だ、ということを、こいつを見るたびに痛感した子供時代。
幼い頃からその尋常ならざる美貌と音楽方面に突出した才能で、こいつは常に大人にもてはやされた結果の我儘ぼっちゃんだった。
幼稚園の頃はその異質さ故にいじめられており、私は隣人でもあったし弱い者いじめというものが大嫌いだったので、一応こいつを庇って戦ったこと数知れず。
その後で、お前も悪い、とこいつを殴ったことも数知れず。うん、あの頃は怖いもの知らずだったよ自分。
まあ、こいつを殴ると私が漏れなく親に殴られるというオマケがついてくるのだが。
そしてこいつは子供の頃からヴァイオリンの英才教育を受け、その才能を幼少時から開花させていた。
尋常ならざる容姿に天賦の才が加わって、奴は最強だった。当時で既にパトロンもついていたというから本格的だ。
小学校は同じだったので、低学年の頃は異端故に幼稚園とにたような状況になったが、四年生を過ぎたころには、女子達の見る目が変わっていた。
そのせいで理不尽なヤッカミを受けることになった。
「みやちゃんばっかり水無瀬君にくっついてずるい」
正確には奴が私にくっついてきているのだが、嫉妬に狂う相手に正論など通じない。
私は靴を隠されたり集団で無視されたりするようになった。今でいうイジメである。
しかし、その当時の私も莫迦だった。
彼女たちの言い分が全くわからなかった。理解できなかったのである。
なので私はHRにて堂々と先生に質問してしまった。
「真理ちゃんたちが、私と亮介が一緒にいるからずるいといって私を突き飛ばしたり無視したりするのですが、ずるいことなんですか?」
……うん、莫迦だったよ。
真理ちゃんたちはその後親まで呼び出される羽目になったらしい。
そして責められて靴を隠したこととか教科書を捨てたことも正直に話してしまったらしく、親子で家まで謝罪に来られた。
真理ちゃんは最初不貞腐れていたが、親に叱られて泣いて「だってみやちゃんがわああああん」と更に泣いていた。
「ずるいのはあんたでしょうが! それまでちゃんと水無瀬君を守っていた美弥子ちゃんと、逆にいじめてたあんたとで同じ扱いされるわけないでしょう?!」
別に守っていたわけではないのだが。そして真理ちゃんは別に奴をいじめてはいない。避けて遠目でみていただけだ。
だってだってとぐずる真理ちゃんは更に頬をたたかれ、頭を強制的に下げさせられた。
「うちの莫迦娘が本当に申し訳ありませんでした」
いやそこまでしなくとも。
私も母も、真理ちゃん親子のあまりの激しさに言葉を挟めず、茫然と玄関で突っ立っていた。
それ以後、私は何故か周囲から少し遠巻きにされるようになった。自業自得なので何も言えない。
真理ちゃんは転校してしまった。真理ちゃんと一緒になって私をいじめていた子たちは、非常に居心地悪そうに小さくなっていた。
その間、元凶の筈の亮介は、別クラスで起こったことなぞ全く知らなかった模様。
最近はその才能で男子生徒から崇拝されるようになっているらしい。こいつの将来がこの当時から不安だった。
まあ中学は音楽科がある都内の学校に進学したため、私の学生生活は非常に落ち着いたものになった。だって寮生活だからまず滅多に帰ってこない。
しかし何があったのか奴は、知らぬ間に女嫌いになっていた。
そして帰省するたび私の部屋に押しかけ、私の蔵書(漫画等)を暇があれば読み漁る。
「現実の女なんてサイテーだ。乳のでかい女はもっとサイテーだ。化粧お化けは吐き気がする」
うん、何があったお前。
結局何があったかは教えてくれなかったが、私家族や実家族以外の女性に対しては非常に口汚く罵るようになった。
その度に奴の頭に鉄拳をお見舞いしたが、なかなか反省しない。次第に奴はにょきにょきと筍の如く成長し、頭を殴りづらい身長差ができた。
「そういうことは心の中だけで言え! 思っても口に出すな! 嫌いならいっそ利用するくらいの気持ちで接しろこの莫迦」
いや、そうじゃないだろう、と今なら過去の自分につっこめる。だがその時は本気でそう思っていたからどうしようもない。
ちなみに奴はこの当時既に色々なコンクールで賞を総嘗めにしている。その美貌と人嫌いも相まってやたらと崇拝されている模様。なんでだ。
奴が進学したところは中高一貫校のため、高校も寮だった。
何故か「お前もこい」と何度も誘われたが、私の頭では無理だと丁重にお断りした。
「そこまで酷いのか……」とドン引きされたが気にしない。地元進学が一番だ。楽だし。
ちなみに奴の高校は偏差値が高くて有名なので、普通に無理だった。うん。
その後も奴は都内の大学に進学しつつ、外国へ留学したりと忙しかったらしい。確か高校でも留学してた気がする。よくわからないけど音楽家って大変なんだねと思うことにした。
一応女性のあしらい方は身に着けたらしい。嫌な方向で。でも奴は時間が取れると何故かすぐ帰省したがる。実家でなく我が家へ。何故だ。
それは大学卒業後も続き、プロになった現在も、暇さえあれば我が家に押しかける。何故だ。忙しいんじゃないのか。帰るなら実家にしろよ。隣りだけどさ。
まあ、そんなわけで、今度海外公演が終わったら奴は我が家にくるらしい。迷惑だ。
そもそも職場が合併準備で大混乱中だというのに。合併準備期間が一年しかないのだ。ふざけてるだろう上層部。
必然的に残業が増え、毎日目が回るほど忙しい日々が続いた。だから奴を構う余裕などなかったら、奴が拗ねた。
人の部屋でゲームをしながら、帰宅の遅い私を責める。
「遅い。世の中には物好きがいて、いくらお前でも万が一億が一襲われる可能性が無きにしも非ず。自重しろ!」
なんか失礼な物言いだが一応心配しているらしい。
全身真っ黒な服で統一したこの男は、髪の色も全く染めていないので実に黒い。
そういえば音楽雑誌に東洋の貴公子だの孤高の黒豹だの書かれていた気がする。買ったのは母で私ではない。念のため。
黒豹……うん、まあネコ科といえばネコ科だろう。
好き嫌いが激しくて我儘で気まぐれなところは、まさしく猫だとおもう。問題はそこまで可愛くないだけで。
「仕事が忙しいから仕方ない。深夜にならないだけマシでしょ」
肩を竦めてみせると、奴は一層不機嫌になる。
「辛いなら無理せず辞めればよいだろう」
「いやいや、バブル期ならともかく、崩壊した今にそれは自殺行為だからね。特に資格もないし、再就職先見つからないよ」
無茶を言う男である。
「俺はそこまで甲斐性なしではない」
「いや、そこにあんたがでてくる理由がわからない」
私の就職先とあんたの甲斐性と何の関係があるというのか。
首を傾げると、ドアの向こうから母の爆笑が聞こえてきた。盗み聞きはよくないぞ、母よ。
「いやあごめんごめん、お風呂湧いてるから早く入りなさいって言いにきたんだけど…うぷぷ」
何やら妙にご機嫌な母と、逆に非常に不機嫌な亮介をひとまずおいて、私は風呂に入ることにした。ああ今日も疲れた。
「疲れたね、どっかごはん食べて帰らない?」
明日から三連休だきゃっほい、と内心浮かれていたところに声をかけられ、振り返れば実に胡散臭い笑顔を浮かべた香月さんがいた。香月さん、誘うべき相手を間違っていると思うよ。私に声をかける前に橋本さんに声をかけるべきだと思う。
「ね、橋本さんも一緒にさ」
ああ成程、私はダシか。こうなると、橋本さんが頷いたら私はどうするべきか。確実にお邪魔虫だし、どうやって離脱すべきだろう。
思案していたら橋本さんは「たまにはいいわね」と頷いてしまった。さてどうする私。
香月さんは嬉しそうに頷くと、「牧田さんもいいよね?」と聞いてきた。うう。
「なんだ、皆でどこかいくのか?」
救いの主?は意外なところから現れた。あれ以来どこかお疲れ気味な桜木係長である。
「疲れたのでごはんでも食べて帰ろうかという話になりまして。桜木さんもどうですか?」
橋本さんが全く空気を読まずに係長を誘う。いいのかおい。まあ、私にしてみれば助かるが。
「お、いいのか? 助かるよ。家に帰っても一人だからね、基本外食なんだ」
ああ、うん、離婚されましたものね。その後元奥さんと間男はどうなったかとか好奇心で聞いちゃいけませんよねやっぱり。
結局四人で居酒屋にいくことになった。行く先は営業やってる香月さんにお任せだ。おススメの店らしい。やったね。
適度に飲んで食べて、そこそこいい気分になった頃、家に連絡を入れるのを忘れていたことを思い出した。
少し席を抜けて、テレホンカードを取り出して家に電話したところ、非常に不機嫌な声の亮介が出た。
「遅い、何を寄り道してるんだ貴様」
相変わらず独特の口調で詰ってくる男である。
「職場の人とごはん食べることになってね。今から帰るよ」
「待て。今どこにいる」
「え、まだ名駅だよ。もうちょっとしたら地下鉄乗るから」
「わかった。では最寄駅まで迎えに行く」
え、ちょっと。と聞き返す間もなく電話は切れた。わざわざ迎えにくるとか珍しい。
受話器を持ったまま茫然としていると、背後から声がかかった。
「何、牧田さん実は恋人いたの?」
振り返ると、すごくにんまりとした橋本さんが立っていた。
「いません。今のは家にかけただけです」
嘘は言っていない。実際に家にかけたし、出たのは家族ではないが家族モドキであって恋人ではない。
「ふふん。まあ、隠しておきたい気持ちもわかるわぁ。香月君が怖いもんねぇ」
はて。何故そこで香月さんがでてくる。何か勘違いしてないか橋本さん。
「大丈夫、だいじょーぶ。ちゃんとわかってるからぁ」
いや、わかっていない。絶対わかっていないだろう橋本さん。
香月さんが好きなのは貴方です、と言っていいわけもなく、違うんですとしか言えない自分がもどかしい。
結局、その後すぐにお開きとなった。
香月さんと係長はこの後飲みにいくらしい。橋本さんも誘われているが、私は家の人がうるさいので、とさっさと辞してきた。
この後で面白い展開があったようだが、残念ながらこの時の私にはわからない。知っていたら即亮介など捨ててでも飲みにいっただろう。
地下鉄を乗り換えて地元の駅に着く。ここからバスに乗って帰るのだが、遅い時間になるとバスが一時間に一本になる。
どこの田舎だここは。名古屋市内とは名ばかりの辺境。それが私の住む町だ。
「遅い!」と出口で仁王立ちしていたのは、亮介だった。やめろ恥ずかしい。他人のふりをしたいが無理だった。
「ああ、うん。ごめん。あれからまっすぐ帰ってきたんだけど」
「言い訳はいい。それより、バスは今出て行ったばかりだから次は一時間後だ。どうする?」
なんと間の悪い……!
となると、徒歩か、深夜11時まで営業しているそこの本屋で時間潰すかの二択になる。うわあどちらもキツい。
「まあ疲れているだろう、タクシーでいいか?」
信じられない言葉が亮介の口から出た。何こいつ実は亮介じゃない? 中身別人? 何かに体を乗っ取られたとか?
茫然としているうちに奴はタクシーをさっさと捕まえて乗り込んだ。
自宅前につくと、妙なことに気付く。
私の家と奴の家、どちらも灯りが付いていない。はて。こんな時間に両親はどこにいったのだろう。
不思議に思っていると、何故か亮介に引っ張られて水無瀬家に連れ込まれた。え、一体なんで。
「こっちのほうが、色々と都合がいい」
一体何の話だ。
訳がわからないまま亮介の部屋に連れ込まれ、周囲に?マークを飛ばしていると、亮介が珍しくため息をついた。
「ああ、うん。まあ、お前の鈍感さには飽きれるが、流石にそろそろこちらも忍耐の限界なんだ。赦せ」
だから何をだ一体。
「ちなみに、うちの親はおじさんおばさんと一緒に旅行だ。三連休を満喫してくるそうで、帰ってくるのは月曜の夜遅くだ」
なんとずるい、私も連れてけばいいのに。
不満が表情にでたのだろう、亮介の視線がいよいよ飽きれている。
「この状況下でまだそれか。ここまで鈍いといっそ尊敬する」
この状況下って、つまり二人とも置いて行かれたというだけなのに、何を言っているのかこいつ。
反論しようとしたら、何故か腹に腕を潜らされたと思うとひょいと持ち上げられた。
音楽家は体力がいるそうで、一見細身なこの男、実は細マッチョである。着痩せするタイプなので決してそうは見えないが。
故に私を抱えるなどこの男にとっては造作もない。それはわかるが、何故私はベッドに放り投げられた挙句、両肩を押さえつけられて、お綺麗な顔に見下ろされているのだろう。
「お前はどうせ、何を言おうと捻くれてとるだろうから、実力行使に出る、覚悟しろ」
だから、いったい、なんの話だと……!! つか目が怖い目が!! むが、んぐ、むむむ
悪夢の三連休が明け、疲労困憊で全身ボロボロな体を鞭打って出勤した。
すると何故か、橋本さんもぐったりと疲弊しきっていた、何があった橋本さん。
一方、香月さんは非常に上機嫌だった。鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌だったが、彼を見ると橋本さんがびくっと震えるので、なんとなく何があったか察してしまった。
きっと私と同じ目に遭ったんだね橋本さん。相手は香月さんか。
私も橋本さんも、今日は声がガラガラだった。
「あれ、風邪流行ってるの?」と課長が呑気に聞いてきた。のど飴をくれたので赦す。
後でこっそり係長に事の次第を尋ねたところ、係長はううんと唸りながらも知る限りのところは説明してくれた。
なんでも、あの後偶然野原さんと会って、四人で飲みにいくことになったらしい。
その時、酔った橋本さんが香月さんに
「牧田ちゃんにアタックするならもっとちゃんとしなきゃだめよー? あの娘鈍いから」
と、迂闊な発言をしたらしい。
これに対して香月さんが反応した。そりゃそうだ、意中の相手に勘違いされていると気づいたのだ。
「いやだなあ、牧田さんは可愛い後輩で、それ以上でも以下でもないよ」
そうだよ、香月さんが好きなのは橋本さんだよ、私に声をかけたのは、あくまで橋本さん攻略のために利用しようという下心でしかないんだよ。
このあたりで微妙な雰囲気を察した係長と野原さんは、とりあえず沈黙を守る。
「またまたあ、そんな風にかっこつけてると、本命にあっさり逃げられちゃうぞ?」
橋本さん、それ自分の首を絞めてるから。
「そうだねぇ、何とも痛いご指摘ありがとう。お言葉に甘えて、これからはもっと積極的にいくことにするよ」
それなんて死刑宣告ですか香月さん。そして橋本さんはお酒がまわっているせいかご機嫌に「そうそう、そーしなさい。キャハハ」と笑っていたらしい。ひええ。
しばらくしてお開きとなり、香月さんは橋本さんを、係長は野原さんをそれぞれ送っていくことになった。だから係長はその後どうなったか知らないという。
そしてこの橋本さんの疲弊っぷり。香月さんの上機嫌っぷり、枯れた声といい気だるげな雰囲気といい、何があったか一目瞭然。
これが、他人事だったらうひゃあとか言えたのだが、今の私には何も言う資格がない。だって私もある意味同じ目に遭ったからだ。相手は亮介だが。
首元のスカーフの理由もわかるよ、私もしてるからねスカーフ。あいつらほんとケダモノですよね。
それから程なくして亮介はまた海外に飛び立ち、私は三か月後に妊娠が発覚した。あの野郎避妊してなかったらしい。
国際電話で罵ると、「責任はとる」との短い返答があった。ふざけんなこの野郎。まあ料金高いから長電話とか不可能なんだけどね。
ちなみに橋本さんも妊娠が判明した。香月さんが万歳している姿をちらりと見かけた。
その後の騒動など思い出したくもない。結婚って大変なんだね、姉に続いて私まで出来婚でごめんよ父。また固まってしまってたが大丈夫だろうか。
母子手帳の関係で、私は程なく水無瀬美弥子になった。会社はそのまましばらく辞めないで続けることにした。産休制度あるしね。とこの時は思っていた。
姉は「年子のイトコができて嬉しい」と喜んでいた、まあそうなんですけど、理由が喜べないよ。
結婚式に関しては、亮介の仕事上小規模は無理らしい。大変だな音楽業界。しかし腹ボテでウェディングドレスとかなにその苦行。
色々式場手配だの招待客の選出だのエステだの病院だのでバタバタしつつ、職場は職場で合併前だから更にバタバタした。
そして妊娠六か月あたりでぶっ倒れ、入院する羽目になり、続ける予定だった仕事は亮介と両親と義両親の説得により辞めることになった。
このため、私より少し前に会社を辞めた筈の橋本さんが一時的に復帰した。しかし彼女も六か月、長期間は無理なので新人の教育係としての復帰だった。
私は結果的に式は中止となり、出産後落ち着いてから式を挙げようということになった。私の命には代えられないとのことらしい。大袈裟な。
あ、余談だが係長と野原さんは最近いい雰囲気らしい、と自分の検診のついでに見舞いにきてくれた旧姓橋本さんが教えてくれた。
どうもきっかけはやはりあの夜であったらしい。何があった係長。決して教えてくれそうにないが知りたい、うう。
そうそう、家のことだが、どうせ妊婦だし亮介は仕事でほとんど日本にいない状態のため、結局実家で生活していた。
このため入退院を繰り返しても、迷惑を被ったのは母くらいだった。ちなみに姉は、私が倒れる前に無事姪っ子を出産して既に自宅に帰っている。
私の腹の子も女の子らしい。名前は亮介が必死で考えているが、実は私も考えている名前がある。亮介が気に入ってくれるといいが。
初産だからか、出産はかなり時間がかかった。立会は断ったので亮介は分娩室の外だ。だって絶対精神的な余裕のないときに亮介がいたらものすごい暴言を吐きそうだ。
あの苦痛の時間は思い出したくもない、二度と子供なんて生むもんか、そう叫んだ記憶がおぼろげながらある。
しかし、生まれたわが子をみた瞬間そんなものはふっとんだ。
皺しわの猿、だということは姪を見て知っていた。私の娘も確かに皺しわだ。そして手足がやたらちっちゃい。そして力の限り泣いている、元気だ、わが娘。
乳に必死で吸い付く姿も愛らしい。意外と吸う力が強いのにはびっくりした。
娘が生まれた翌日、香月さんの息子さんも生まれた。あちらの泣き声も元気そうで何よりだ。
亮介はまだ名前を考え中だということが判明し、私は前から考えていた名前を伝えた。
亮介としては私の名前を一字入れたかったらしいが、それはお断りした。何やらショックを受けていたが知るものか。
結局亮介はそれを受け入れ、娘の名前が決まった。
若手ながら世界的に有名なソリストの娘なら、別におかしい名前ではないと思う。何より、亮介は性格に問題はあれど、彼の紡ぐ音は好きだ。鮮やかな色をもって息づいている。だからこそ。
まだミルクを飲んで満足気な赤ちゃんをそっと腕に抱き、呼びかける。自分でも驚くほど優しい声がでた。
「彩音」
ちなみに亮介は立派な子煩悩になっていた。いつか娘が彼氏を連れてきたとき、どんな修羅場を繰り広げるか、今から実に楽しみだ。
この先私は更に娘と、歳の離れた息子を産むことになる。次女と長男は父親にそっくりな外見と卓越した才能を受け継いだ。
凡才な母そっくりに産んでしまったのは彩音だけだった。……色々とごめんね彩音。でもその分、家族に溺愛されているので赦してほしい。特に父に。
それはまだまだ未来の話。この娘の傍にいるのは、香月さんの息子だろうか。それとも別の誰かだろうか。
「彩音は絶対嫁にやらん!」
今から煩い夫を殴り倒し、ぷうぷうと可愛い鼻息でお休み中の彩音を撫でる。
どんな相手でもいいけれど、このうるさい父に勝てる男にしなさいね、と語りかけたら亮介が背後で発狂していた。煩い、彩音が起きる。