【三題噺】浄瑠璃・チェス・オブラート
三題噺のショートショートです。
お題は浄瑠璃、チェス、オブラートです。
太夫の語りが会場に響き渡る。所々で奏でられる三味線の伴奏も心地よい。
浄瑠璃口演である。友人に連れられて始めて来たのだが、思ったほど退屈しない。このような世界があったのかと、ただただ新鮮である。自分は日本人なのに、日本の伝統文化については全くの無知であった。
しかしこの友人が浄瑠璃なんていうものに興味があったとは驚きだった。自分に比べて彼はとても無知な人間だと思っていたからだ。まず、そもそもこの友人は常識からして無い。
今日だってもともと浄瑠璃に行こうという約束があったわけではない。昼過ぎに急に呼び出されて何も知らされないまま会場に連れてこられたのだ。この友人は何かと自分を呼び出しては散々好き勝手に連れまわすのだ。そして彼の気が済むまでは、たとえ終電がなくなろうが日付が変わろうが帰してくれない。そのくせ自分の気が済んだらひとりこつ然と姿を消すことだってあるし、気に食わなかったら騒ぐは暴れるはで手が付けられないのだ。
この間は私のシャツの袖が破れ、一緒にいた別の友人のメガネがなくなった。まるで台風のような人間なのだ。
そんな彼が口演の間一言も口を利かずにじっと聞き入っていたのが不思議でならない。もしかしたら寝ているのではと思ったほどだ。
口演の後、彼と食事をしたときに私は聞いてみた。
「浄瑠璃になんか興味あったんだ。意外。こういうの好きなの?」
「ジョールリって何? サメの親戚?」
……彼との会話は常時こんな感じだ。
「たぶんジョーズと勘違いしてるんだろうけど、関係ないから。さっき見たでしょ。あの人形劇のことだよ」
「へえ、あれがジョールリ。人形も怖かったし、あんまり楽しくなかったね」
ジュルジュルジュルーリと口で言いながらストローでドリンクをすする。そのあとにズズズと、ストローが空気と液体を同時に吸い込む音が鳴った。どう聞いてもジョールリともジュルーリとも聞こえない。
「知らずに入ったの? その割には熱心に見てたじゃん」
「なんか人が集まってて楽しそうだったから入ってみただけ。熱心に見てたというか、オブラートが良かった」
あれは脳が活性化されるぅ~~~と、彼は語尾のところで声を震わせて言った。たぶん浄瑠璃の太夫の声真似だ。
「オブラートじゃなくて、ビブラートね。脳が活性化されるってどういうこと?」
「その何ラートが1/fゆらぎになってるってことさ。波の音や小鳥のさえずりとか、こういう自然の音ってのはみんな1/fゆらぎなのな。こういう一定のリズムを保ちながらも変化のある音のゆらぎってのは心地よさを与えるんだ。人間の生体リズムも1/fゆらぎなもんで、こういう音を聞くと生体リズムと共鳴して自律神経が整えられるんだ。また高周波音ってのは脊髄から脳にかけての神経系を効果的に刺激してくれるもんだから、生体機能に良い影響がおよぼされまくりなのな」
私はふうんと唸ることしかできなかった。この友人の驚かされるところは何も非常識な面ばかりではない。普通に頭が良いのだ。詳しくは知らないけど、大学院の博士過程まで修了しているらしい。その割には自分の興味のない分野については恐ろしいほどに無知だし、おおざっぱなのである。
「あー、でも良いなジュルーリとヘブラート。これ応用できないかなあ」
「もうあえて突っ込まないけどさ、何に応用するつもりなの?」
「おお、聞いてくれ。今な、コンピュータチェスのプログラム組んでんの。昔はハードの性能上げてやればやるほど高速に演算出来て、一秒に何億局面とか先を読んで勝つ世界だったんだけどさ、最近はもうハードの性能は十分すぎるくらいに向上してきてどれも大差ないのな。で、今はより優れたプログラムを組むことが要求されてんの。で、この1/fを応用して面白いことできないかと思ってさ。例えば人間だって戦略に波やリズムってあるじゃん? こういうランダム的な要素をうまく盛り込んで、相手のコンピュータの思考の裏をつけないもんかなーと。まあ、すでに生身の人間ではもうコンピュータの足元にも及ばなくなってきてんだけどさ。コンピュータチェスの大会なんてのもあるんだぜ。世界は強えのなんのって」
正直な話、こんな風にエンジンのかかった彼を止めるすべを私は持たない。私が興味を持とうが持たまいが、関係なしに彼は自分の気が済むまでしゃべりまくるのだ。
「なんか私にはさっぱりな世界だわ。そもそもチェスをしたことないし」私はお手上げと言わんばかりに両手をひらひらさせて言った。
「おっ、なら入門者用のプログラムもあるぞ。優しく手取り足取り教えてくれるけどちっとも勝たせてくれない、お色気先生モードと、一手間違えるたびに鬼の形相で叱責して罵詈雑言を浴びせかけてくるスパルタ教官モード、相手の嫌がることしかしないドSモードがあるけどどれにする? 因みに僕のお勧めはドSモードな。これに耐えて真似をすればめちゃくちゃ上達するぜ。まあ対戦相手には嫌われるけどな」
お陰で今はネット上で僕と対戦してくれる相手がいなくなったと言って、彼はキキキと笑った。彼自身のチェスの腕前もなかなかのものらしい。
彼の嫌がらせの被害に毎日のようにあっている私は、ため息をつくしかなかった。対戦相手が不憫である。というかもっとまともなプログラムはないのだろうか。
「それはそーと、今日はもう帰るぜ。プログラムはまた今度な」
いそいそと彼は立ち上がると、伝票をかっさらってレジへ向かう。相変わらずの唐突さだ。
自分の分の会計を済ませて外に出ると、彼はもう颯爽と歩き出していた。私は小走りで追いつくと、簡単に別れの挨拶を言った。すると彼は最後に「それじゃな。またもう一度ブンラク見に行こうな」と言った。
また何か最後に訳の分からないことをと言いやがって、と思いつつ私も帰路についた。
帰宅後、友人の最後の言葉が気になって調べてみた。
――――――文楽:一般的に人形浄瑠璃を指す代名詞」
「なんだ浄瑠璃知ってんじゃん」
私は彼の言動が本気なのか計算ずくなのか、たまに分からなくなる。そうやってメチャクチャな発言をして私が困っているのを見て彼は楽しんでいるのだ。
コンピュータチェスのプログラムだって、もしかしたらただのドSモードが悪魔的なレベルまでアップされてるんじゃないかと思う。それを思うとやはりため息が出た。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今回のお題はそれぞれを結びつけるのがとても難しかったです。
自分のまったく関わったことのない分野がお題に出てくるのも新鮮で書いてて楽しかったです。
因みにお題は毎回まったくのランダムで提供してもらってます。
感想、評価などを頂ければ幸いです。