三時限目 全く、仕方がないですね
まだまだ
夢を見た
同時に二つの夢を
懐かしい夢と、知らない夢
暖かい夢と、悲しい夢
幼き頃の幼馴染達との夏祭りと、愛おしい者が流す涙
はち切れそうな興奮と、悲しくも満ち足りた高揚感
ずっと一緒に居たいと笑いあった
行かないでと叫ぶ声に謝った
それは、正反対な選択だった
それは、けれども同じ笑顔だった
それは、どちらも大切で掛け替えの無い思い出
「ん、あ」
目覚めは最悪だった。頭は痛いし、喉はひび割れそうなくらい乾燥している。おまけに全身汗でびっしょりで、目からは大粒の涙が出ているのが解った。
起き上るのは億劫だったが、すぐ近くに居るであろうメイドに涙を見せたくは無くて、頭を掻く様にして、そっと涙を拭った。
「お早う御座います、マイマスター」
嫌がる体に鞭を打って起き上ってみると、いつの間にかメイドが脇に控えていた。
……涙を拭う時には居なかったし、多分その後に近づいてきたんだろうけど、まったく気付かなかった。
まあ、もう驚かないけどね。
「どうぞ」
慣れたと自分に言い聞かせた所で、アルが水の入ったコップを差し出してくれた。
冷えていて、とても美味しかった。
水を飲んでからは、喉の渇きはもちろん頭の痛みも無くなっているのが解った。助かったが、当然汗でべた付く体はそのままなので、介抱してくれようとしていたアルには悪いが、少し距離を置かせてもらった、
『汗臭い体で女の子に近づかないでくれない?』
とは喧しい幼馴染のお言葉だ。
「マスター?」
怪訝顔のアル。跳ね起きて距離を置いたのだから、当然の反応だろう。
「いや、なんでもない。それより汗を流したいんだけど、水場とかある?」
まずはそれからだ。
息が白い。
脱いだ上着がビシャリと音を立てて床に落ちる。それはもう、絞れば盛大に滝が流れただろう。
ここは井戸と幾つかの樽と桶が置かれただけの部屋だった。四畳ほどのここには後ろと右側に扉が有り、後ろの扉からは先ほどの部屋に行けるようになっている。
樽にはすでに水が汲み上げてあり、半ばまで水が入っていた。
すぐに汗を流してしまいたかったが、なんとなく冷たい水が浴びたかったので、井戸から直接水を汲みだして、頭からバケツの中身を被る。
肌を刺すような冷たさが、今は心地良かった。
この汗が流れるサッパリ感がたまらなくて、もう一度水を汲みあげる。
しかし……
「現代、っ子、には、ちと、辛い、ね」
考えて欲しい。特に部活にも入っておらず、趣味もインドアに集中しているようなもやしっ子が、天上から滑車が下がっているとは言え、10ℓは余裕で入るバケツを15mほど引くのだ、流石に何度も汲むのは骨が折れる。
しかし、今はどうしても頭を冷やしたかった。
「しまった」
そのまま三回ほど冷水を浴びてから、僕は自分の失敗に気付いた。
僕はここに、身一つで来ているのだ。当然、初めから着ていた寝間着(甚平)も一着しかない。
それなのに下を穿いたまま水をガバガバ浴びれば、今のように水が滴るなど、少し考えれば解ろう物だが……
因みに、足元に脱ぎ捨てた上着も当然びしゃびしゃだ。
さっきまでは気持ちよかった冷たさも、こうまでなってしまっては流石に寒い。と言うか死ぬ、息が白くなるような部屋でこの状態は普通に死ぬ。
「ど、どうしたものか、ん?」
不意に、後ろの扉からノックが聞こえた、あの部屋にはアルしか居ないから、アルであることは間違い無いのだが……
「どうしたの、アル?」
「失礼します」
そう言ってから扉が半ばまで開き、腕だけ中に入れるアル。その手にはいくつかの布が乗せられていた。
「お着替えをお持ち致しました」
今、扉の隙間から後光が差している気すらしてきた。アルさんマジ天使。
「あ、ありがとう! 凍死するかと思った!」
布を受け取ってからお礼を言うと、アルは手を引っ込めた。
手ごろな桶の上に布を置き、おそらく体拭き用だろう布で体を拭く。粗方水分を取った後に、乾いた所を使って乾布摩擦も行って、なるべく暖を取ってから、服に手をかけた。
服は、下がジーンズ生地っぽい物で出来ていて、上が麻のシャツだった。どちらも大きめに出来ており、上はそのままでもいいが、下は何回か裾を捲り上げる。
ウエストがぶかぶかだったので、一緒に貰った紐できつ目に縛って安定させた。
その後、体を拭いてもまだ寒かったので、僕はさっさと暖炉のある部屋へと引っ込んだ。
「温まる~」
暖炉の前に直座りして、アルの淹れてくれたお茶を飲む。冷えた体にはこれ以上ない極楽だ。
「お替りはいかがですか?」
「ありがとう、欲しいな」
ポットから注がれるお茶を眺めながら、さっきの布で髪に残った水分を拭き取る。
体は大分温まってきたが、一度冷やした心が中々戻ってこない。
しっかりと感じ取る五感、何度寝ても戻ってくる夢の部屋、夢の中の夢。
……何よりよく当たる自分の勘が言っている。
心の整理が、付いてきた。
「さて」
体も温まり、髪も乾いた。
スキルは後二回引けるらしいが、先ほど気絶してしまったので、未だに門は禍々しい色を撒き散らしながら、燭台の前に浮かんでいた。
「……まず、なんでさっき僕が気絶したか分かる? なんかいきなり体が動かなくなったんだけど?」
気絶する前の薄い笑み、
思わず見とれそうなあの笑みは、あまり表情を変えないアルの顔とは思えず、意識が完全になくなるまで目に焼き付けていた。
きっとアルには、あの硬直の原因が分かっているのだろう。
でなければ、あんな感じに苦笑いなんてしないと思う。
「はい、あれはマスターが不用意にスキルを取り込んでしまったためかと思われます」
「取り込んだ?僕が?」
確かに、それなら手の中からスキルが消えた理由も説明が付く。僕に実感がない事を除けば。
「はい、スキルは全体を魔力の膜で被われています。スキルは、それを割って中身を取り込む事によって習得できます。マスターは、恐らく何かの拍子に握りつぶしてしまったのでは無いかと」
「握りつぶしたって……あ」
『クウァ! ビクッ! プチッ』
「……うん、潰した、潰したよ確かに」
でもあれは不可抗力だったんだ、うん。
「本来、初期スキルの三つを習得するくらいなら一つずつ合間を取ってやれば0レベルでも問題ないのですが……レアスキルとなると話が変わってきます。」
アルの顔が、再び苦く微笑んだ……気がした。
「レアスキルは殆どの場合、このヴァルハラに在ってなお英雄と呼ばれる者達が身に着けていた物です。ですので、受け入れる方もそれ相応の器をもって迎え入れなければなりません。物にも依りますが、最低でも初期のレベルは上げてからでは無いと、魂が耐えられずに消滅してしまう場合もあります」
……なにこの子コワイ。
「き、肝に銘じます」
薄い笑みが何ともミステリアスなアルは、一つ咳払いを放つとスクリと立ち上がった。その顔は、再び無表情に戻ってしまっている。
「申し訳ありませんマスター。このたび、私の独断でマスターの貴重なステータスポイントを勝手に割り振ってしまいました。処罰は如何様にも受ける所存です」
……一瞬、いや一拍ほど彼女の言っていることが理解できなかったが、いきなりの奇行に頭が追いつくにつれ、先ほどまでの説明が頭に蘇ってきた。
「……ああ、そっか、もしかして僕の体がスキルに耐えられるように?」
控えめに頷くアルは、しかしその瞳に後悔の色を全く宿してはいなかった。あの時の対処に、それ以外の方法が何一つ無かったのだと自負し、己の行動に一切の悔いがない事を物語る目線は、処罰云々を待つ人間のそれには見えなかったが、これからの生活には頼もしい性格の持ち主だろう。
「まあ、アルがそうしたのなら、それしかなかったって事だろうし、素人の僕が勝手に割り振るよりは信頼できると思うよ」
「……では、御咎めはない、と?」
「当たり前じゃないか、助けられといてなんで咎めなくちゃならないのさ?これからも色々と危なっかしいと思うけど、よろしく頼むよ」
肩を竦めつつ、軽くウインクを混ぜると言う全力のおどけをもってこの場を収束させようとする。
するとアルは、少し驚いたような気配の後に、恐らくは主に対する礼の取り方なのだろう姿勢になって告げる、
「はい、このアルシリア、28番目の血筋に賭けて全身全霊で鈴木太郎様にお仕えいたします」
今は頭を深く下げていて見えないが、その口元には、微かに笑みが浮かんでいる気がした。
取りあえず、さっきのがアルが起こした事では無いと言う確認は取れた。
別に疑っていた訳では無いが、もしもと言う事もある、こんな事もあったのだし、用心のし過ぎと言う事も無いだろう。
……いや、違う、そういう事じゃあ無いんだ。
ヒヨコには何時も、知らない人を簡単に信用してはいけないと口を酸っぱくして言っているのに、自分は会って半日ほどの(もう三日ほどの様な気がするが)この少女を結構信用している。少なくとも高校に入ってから知り合った友人と同じくらいには信用しているのではないのだろうか?
……何が言いたいのかと言えば、詰まる所導き出した結論がイマイチ信用出来なくて時間稼ぎがしたかった、と言う所だろうか。
ハッキリ言って、羽が生えたオオトカゲが発見された、位には衝撃的な結論だ。しかも第一発見者が自分だった張りの。
アルが入れなおしてくれたお茶が手の中で揺れている。カップを傾ければその分お茶も偏り、カップの縁ギリギリまで来たお茶は、しかし零れる事無く再び中央に戻っていく……水平に戻したのだから当然のことだ。これが夢だったのなら、もしかしたらこのまま傾け続けても零れ落ちないのかもしれない、これが夢だったのなら。
「……」
「マスター?」
ピク
アルの言葉に、今まさにこの部屋の色あせた絨毯にお茶の雫を零そうとする自分に気が付く。
……少なくとも自分の淹れた茶を目の前で床に垂らすような事をされて、不審の目を向けないやつは余りいないだろう。
「いや、何でもない……くは無いかな?
……んー、これ以上先延ばしにするのも、何だか健康的じゃないな。アル、聞いても良い?」
「はい、何なりと」
悩むくらいなら聞こう、今は多分それが許される時だ。
ゆっくりと息を吸ってから、ゆっくりと吐き出す様に問いかける
「……ここは、本当に異世界なの?」
「はい、ここは戦制界ヴァルハラ……マスターの故郷たるガイアとは異なった世界です」
アルは、最初の説明と同じことを説明してくれた。
「……そか」
ハッキリと断言されては疑いようもない、取り敢えず今はそのように認識しよう。
今は、ね。確信なんて後で得られれば良い。
今は彼女を信頼する他ない。
「じゃあ、アレも本当なんだ?あの時入学式に参加していた生徒が皆って言う件」
「はい、それも事実です。今現在、この入界門と同じものが1140門存在していて、そのそれぞれで、一人ひとりが試練を受ける形となっております」
「そうか……この中の試練って、十階全部戦闘系なの?」
「殆どは……トラップが有ったり、鍵などを探す階が在ったりもしますが、どの階でもモンスターが湧く事は事実です」
「ふーん」
と言う事は、あの幼馴染達も来ているのは確実だな。しかも、あのか弱いヒヨコまで戦闘を強いられる、と……
「アル?この世界には魔法も在るって言ってたよね?」
「はい」
「それは、戦闘用の魔法も在るってことで良いのかい?」
縋る気持ちで問いかける、答えによっては大問題だ。
「御座います、初期スキルの中にも多くの魔法スキルが有りますので、最初から魔法を扱える方も多くいると聞きます」
「大体三回に一つは引く格率だったと記憶しております」 と言うアルの言葉に、ひとまず肩を撫で下ろす。
「そうか、良かった。実は知り合いに、ほとほと接近戦には向かない子が居てね、それならきっとここも抜けられるよ、根は強い子だからね」
彼女なら大丈夫、頭のいい子だから。
……これは自分に向けた暗示。深く深く、心に刷り込む。
「左様ですか……ここは基本的に死の無い世界ですので、地上に抜ける事を強く思えば、この迷宮位なら何とかなる物です。マスターが心強き者と言われるのなら、その方もきっとマスターと合流できるでしょう」
……マテ
「死の……無い?」
僕の呟きに不思議そうな顔をしたアルは、数瞬後には心得たとばかりに説明してくれた。
「そう言えば、まだ説明していませんでしたね。マスター、今のマスターの体は、正確に言えばマスターの体ではありません」
はい?
「マスター達はこのヴァルハラに入った時に魂と体とを分断され、この世界で作られた体に魂を定着させられているのです。因みに、元の体はこのヴァルハラの中枢部に位置する保管庫で丁重に保管されていますので、ご心配なく」
え、いやまぁ、それは在り難いんだけど……
「これ、僕の体じゃないの?」
「はい、正確には魂の情報と元の体とを参考に作られた、ほぼ完全な複製体で、高密度の魔力を物質化して作られているのを除けば、そのままの体です」
「魔力って……」
まったく違和感のない感覚に、イマイチ納得は出来ない、が。
「つまり、体が死んでも終わりにはならない?」
「左様です」 と答えを貰って、少なくとも死に別れはない事に安堵しつつも、どうも釈然としない心境になる。
ここまでゲームっぽい世界だ、コンテニューが出来ても不思議ではないし、こんなふざけた事で命を落とさなくてもいいのは正直在り難い。
が
「……命が軽くなりそうだな」
死んでも死なない、これでは命を粗末に扱う輩は増えるだろう、もしかしたら自分もそんな選択をするかもしれない。
問題は、自分だけの蛮勇ならいざ知らず、他人の命を軽い気持ちで奪う輩が出るかもしれない、と言う事だ。
「これは……出てからの方が大変かもね」
「……やはりマスターは、人が良く出来ていますね」
呟いたあと、アルからそんな言葉を掛けられた。
「え?」
「マスターは命の重さが解っている、と感じました。それはとても大切な才能です、出来る事なら、失わずにいてください」
そう言ったアルは、何処か哀愁を漂わせていて、その瞳は宝物でも見るかのような優しさを帯びていたと思う。
その姿はまるで一枚の絵画の様で、とても美しかった。
……そんなつもりで言ったのではないのだが、撤回するのも何だか恥ずかしかったので、頭を掻いてやり過ごした。
「さて、と」
ひとまずの確認は取れた。
実をいえば、これがじゃない事はそれほどショックでは無かった。心のどこかでは、これも夢のシナリオの一部なのかもしれない、などと思っているのかも知れなかったが。そんな事よりも、幼馴染達もこちらに来ている、と言うのが心の支えになってくれたと思う。
心配しといて虫の良い話だが、彼らと一緒ならどこに行っても大丈夫。
そんな気がした。
「それじゃあ、これからの話をしようか」
そう、まだ会えた訳では無い。だから、当面の予定はここを出て、みんなと合流することだ。
「畏まりました」
アルも、その声に答えてくれた。
「じゃあ、取りあえず取り込んだスキルは置いておくとして、残りのスキルを引いちゃってもいい?」
レアスキルと言うのも気になるが、それが記載されたであろうステータス表は、あの門を閉じなければ見られない。だから、さっさとあのグルグルを片づけてしまった方がいいだろう。アルも頷いてくれたし。
その後、思い切りが大切と一思いに二つとも引いてしまったのだが、ここでもまた一悶着あった。
片方は白色の黒色のスキルで、典型的な直接攻撃用のスキルらしかったのだが、もう片方がいけなかった。
……いや、いけなくは無いんだが、問題だった。
銀色、だった
基本、太郎君は兄弟がいれば何でもいい子です。
ただし、きっとこれが単独での召喚で、幼馴染たちともう会えないとか言われたら取り乱していたでしょう。
意外と狭い世界に執着する性格です。