八時限目 アファールエンジン
人は、なにか思いがけずどうしようもないことが起こると二通りの反応をする。
ひとつは、その事実を認識できずに、無反応のまま結果を甘受する。
もう一つは、その現実にただただ驚愕して、意味のない行動を取る。
後者の場合、絶叫するとか手足をバタつかせたりするなんていう無意味な行為をする事が多いが、コレは現実を受け入れている証拠でもあるから、あまり問題はない。
しかし前者はいただけない。何しろ脳みそがフリーズしている状況だ。反応しないにしろ、表情が凍るにしろ、そのあとに的確な行動を取れないことも多い。
本当にどうしようもないのであれば、実のところこの両者に違いはほとんどない。あるとしたら、どっちの方が笑えるのかという、周りの人間のツボにハマるかどうかくらいなものだ。
しかしそれが、自らの能力で災害を回避、もしくは軽減できるというのであれば話は違う。そうでなくとも、その後の的確な判断による二次災害の回避なら、案外誰にでも出来たりするのだから、やはり状況認識能力はあって邪魔なものではない。
今回の場合、それは顕著だったと言える。
別に、全力疾走中にいきなり足元の床が消えたからといって、空を蹴って穴からぬけだせとは言わない。
そのあと、穴の縁に思いっきり胸部を強打したからって、恐らく折れたであろう肋骨を無視して穴から這い上がって来いとも言わない。
穴の縁になんとか掴まったあとに、足を貫通するほどの勢いで出てきた杭に貫かれたからといって、それを回避しろなんて言えるはずもない。
……しかし、それは一般の人間に言える話だ。
大前提として、腐っても相手はこちらと同じ罠師。パーティーの行く手を阻む障害を認識し、排除しなければならない立場にある。
それが
「こんな簡単な罠にはまってどうするんだよ?」
相手の前にしゃがみこんで話しかける。
「ぐ、ぉぉぉお!」
しかし相手はこちらを見ていない。
恐らく右足に二本、左足に一本半刺さっているであろう杭は、入界門の罠を再利用したものだ。ロキによって強化された罠ではないため、認識阻害の魔法すらかかっていない。
つまり、罠師なら目を瞑っていても判断できなければならない程度のものだった。
ちなみに、僕だってアイテムにばかり頼ってはいけないと思ったから、地下の罠ばっかの階層では一回神眼を外して攻略している。
仮にもあの迷宮を抜けてきた人間なら、罠師でなくとも何となくわかるかな? くらいの罠だった。
どちらかといえば、掛かったあっちより、掛けたこっちの方が困惑してるくらいだと思う。
……まっすぐ突進されたら怖いから、足止めのつもりで設置しただけなのに……
「く、ぐふううう」
杭は安物だから、表面が錆びてボロボロだ。それはもう、ヤスリと大して変わらないぐらいには。だからまあ、多少上下に動いたらとても痛いだろう。
落ちた衝撃で手放したであろう剣も、既に穴の底に落ちている。
野次馬の声も、聞こえなくなって久しい。まだ開始三十秒程度だけど。
「むー、どうする? 降参するか?」
立会人のサンタが、やや遠慮気味にそう聞いている。いや、どちらかというと引いてるのかもしれない。表情筋が少し引きつってる。
「ぐう、だ、誰が」
そう言って、相手がかなり緩慢な動きで、腰のポーチから何かを取り出す。どうもビンのようだ。
毒物でも困るので、立ち上がってから少し離れると、相手は中身の青白い液体をゆっくりと飲み干した。飲むんかい。
「ふう、ふう、ふー」
飲んでから少しして、相手の息が整ってくる。さっきまで滝のように流していた脂汗も、乾きはしないが、吹き出してくる分は止まったようだ。
……モルヒネか何かかな?
「ぐうううう、この、卑怯者があぁぁぁ!」
そして喚きだした。
痛みが取れたためか、その状態のままわめきたてる相手。
たまに身を乗り出した時に呻くので、恐らく完全には痛みが取れていないものと思うが、憤りが勝るのだろう、同じような意味合いのことを何度も繰り返して叫んでいる。
要約すると、
正々堂々の勝負で罠なんぞ使って、何考えてる。
神聖なる決闘を汚した。
ルール違反だから俺の勝ち。
消えろカス。
とかこの辺のことを連呼している。
一人暑くなっている中、周りの反応はマチマチだった。
賛同(反則だとつぶやいてる人多)四割、困惑三割、思考停止二割、その他一割……まあ、その他は呆れてるのが数人といったところか。
というか、喚き散らしている本人の目が明らかにイっちゃってる感じなので、再開とか無理そうな雰囲気になってきた。
立会人に目線を送っても、肩をすくめるだけ……解決はしたくない、と。
……
「とりあえず、黙って」
「もがが」
ポケットから布を取り出して相手の口に突っ込む。
「とりあえず僕の言い分を聞いて欲しいな。僕は、別に反則をしたとは思ってない」
元々の話では、サンタたちが優秀な罠師を応募したのが事の発端だった。
そしてその応募に飛びついたのが二人。話し合いでは解決しないので、能力の優劣で決めようという話になった。
そこまではいい。
ややこしくなったのは、僕と相手が決めたルールに、野次馬が勝手な解釈を加えた事だった。
つまり、
――四人しか居ないなら、戦闘の出来ない奴はお荷物だ――
という大声の言葉を、皆が聞いていたことが発端だったと言える。
相手も、「どっちも必要な条件を満たしてるのなら、ここはより優れている方を選ぶべきだ」としか言っていない。
そして、僕もそれに賛成した。
確かに、僕は戦闘の面でも荷物にはなりたくない。その気もない。
しかし、戦力が間に合っているのに、サポート要員の戦闘力を考えるのは、また別の話だ。今は関係ない。
これは、正当な罠師の戦士としての決闘だったはずだ。
ならば、こんな初歩的な罠にも反応できなかった相手に、果たして勝者を名乗る資格はあるのだろうか?
僕が資格の有無を決めるのはどうかと思うが、それでもそれは違うと思った。
……とまあ、朗々と並べては見たが、ほとんどは後付だ。罠にかからなかったら、きっと今頃殴り合っていたと思うし。
でも、本心でもあった。
「とまあ、そんな感じで」
言う事は言って、隠すことは隠し、相手に再び問いかける。
槍の石突きの方を、相手に差し出す。
「今回は負けを認めてくれないかな? そっちにはもう武器もないし、残念だったってことでさ。それに、僕はまだあまり比べたことはないけど、スキル熟練度百は結構なものなんだろう? だったら、きっといい仲間も見つかると思うし」
掴まるように促す。
「……」
正直、これで収まるとは思っていなかった。
しかし、相手は意外なほどあっさりと槍を掴んで、ハンカチを吐き出した。
感じたのは安堵ではなく、疑問でもなかった。判断が難しかったが、おそらくは嫌な予感だろうか?
そして、相手は嗤う。
「堕ちろっ!」
恐らくまだ痛むであろう足を無視して、両手で槍を掴み、思いっきり引っ張った。
彼の後ろには、直径三メートルほどの大穴が空いている。
「あ、」
そして、僕の手からすっぽ抜けた槍と一緒に、彼は落ちていった。
「……」
「……」
「……」
朝と昼の間ほど。アゼトライへイムのメインストリートは、沈黙が支配する場となった。
頭上で金色の光が三つ輝いた後、結界は音もなく溶けていった。
どうやらこの金の光が、僕と相手、そしてサンタが誓いを立てた神の意志らしい。
認めるなら祝福の金光を。
認めないのならば否定の赤光を。
それが勝負の行方を見守った神からの、決闘の審判らしい。
金が二つ以上で、決まった勝者に勝者の証を示す。
つまり、立会人の役目は、公平に判断する第三の神を引っ張ってくることにほかならないとか。
まあ、皆が皆、自分に加護なりを与えてくれた神を呼んだら、それは勝負付かないよね。今回は三人とも勝負を認めてくれたけど。
とまあ、そんなことは割とどうでもいいんだ。
そのあと、なんだか白けた感じの雰囲気漂う場所から離れたくて、広間の穴をさっさと埋め直して槍を回収。
ついでに戦利品として残っていた相手の剣も回収(決闘で勝ったら武器がもらえるのは正式なルールらしい。ちなみに相手は死亡したらしく、体が魔力に還元されて消えていた。この後何時間かしてから、教会っぽいところで復活するらしい)し、サンタたちを促してさっさとその場を離れること三十分。
やっとのことで城門前までたどり着いた。
「いやー、なんと言うか、なんだか白けたね?」
言わんでもわかる。
「まあ、降りかかる火の粉は振り払ったのだし、いいのではないか?」
いくないけど、それもまあ、わかってる。
「タロちゃん、どこか痛むんですか?」
心配そうにこちらを見るひよこ。
「……いや、別に。んー、なんだろうね?」
一心不乱に動かしていた足を止めて、後ろを歩いていた三人に振り返る。
ずっと無言で歩いていた僕に合わせて、皆も立ち止まった。
別に機嫌が悪いというわけではない。むしろ逆だ。
「久々にメイドイン幼馴染の面倒事があって、懐かしんでた、かな?」
「酷い!」
「心外だ」
「そんな~」
口々に皆が不満を漏らす。
しかし、全員苦笑いをしているのは、こういう事があって初めて、また四人揃ったという実感がもてたからだろう。
そう考えれば、僕もまた変わり者なのかもしれない。
「よこそいらっしゃいました。本日はどのようなご用件でしょうか」
城に入って、三度目となるロビーに行くと、昨日と同じ受付嬢が控えていた。
ニッコリと微笑まれると、意図してないにしても迷子の件を思い出してしまう。
「う、あ。えと、ギルドに加入するための手続きをしに来ました」
そう言って、識別証を出して渡す。確かこれでいいはずだ。
「承りました。では、どこのギルドへの加入を望まれますか?」
「俺のギルドだ」
そう言って、サンタも識別証を差し出す。
ちなみに、ギルドにはマスターとサブマスターという代表がいて、基本的にはギルド長会議なんかの会議に出る人のことを言う。スクエアの場合、サンタがマスターで、香住がサブマスターだ。
なぜ決定権で言うところの越えられない壁がある香住が、サンタにマスターを譲っているのかというと、我が家にはなぜか、家長制度が色濃く残っているからだ。
父が一番、二が長男。次に次男が続いて母、娘の序列は、意外と真面目に守っている。
……まあ、それも行事なんかの場合のみで、別に父のみ食卓の品目が多いとか、一番風呂は絶対とかなんてのは特にない。
というか、父たちが娘可愛さにデザートなんかを貢いだりするのは、ほかの家庭より多い方だ。ひよこに風呂を断られて泣いていたのは、記憶に新しい。
まあ、でも食事の挨拶とか代表者名とかは、大抵はこの序列の一番上が行う。いつもは僕の親父とサンタんとこのおじさん。それがいないときは、僕とサンタが持ち回りで行う。
そのため、僕がいない間は必然的にサンタがマスター、ということになったのだろう。
「……ああ、ついでにマスターの変更も頼む。こいつがマスターで、俺がサブマスターだ」
そう言って、僕と自分を順番に指差すさん、た?
「ちょっと待て、少し待て大いに待て」
サンタの肩を掴むと、「面倒なこと言ってくれるな」という目で見るサンタ。しらんがな。
「なぜわざわざ変える?」
変えるならサブだけで僕と香住を変えればいい。
「なぜ? 面倒だからだ」
おくびもなく言い切る筋肉達磨。
「……」
「……」
「まーまー、そんなに大変でもないからさ。というか、サンタがマスターだと会議すっぽかしたりして困るんだよね。だから、ね?」
「む」
ありえなくなくて笑えない。
自分の価値観に合わないものにはとことん無関心。それが冬野山太という男だ。
「そうなると、被害受けるのはサブだよ? 何回呼び出されたことか」
香住の目が笑ってない。
なぜか目の前に自分がいた気がした。
「むむう」
確かにサンタが何かの責任者とかは似合わない。
責任感はあるが、責任に感じる事が少なすぎてあてにならないし。
「……わかった」
結局折れるのはいつも僕だ。
どうしてこう、身に合わないお鉢ばかりが回ってくるんだ……
心の中で、自分の涙を感じた。
が、手続きも終わって帰る頃になると、案外どうでもいい気分になるのは、慣れというものだろうか?
それとも、嬉しい気分になれたからかもしれない。
「おおおぉ」
右手の甲に、四角形をモチーフにした幾何学模様が浮かんだ。
辺の長さも太さも全てが違う歪な形。
しかし、違いすぎる特徴に妙な協調性のある、独特な美しさを感じさせた。
これには見覚えがある。前にひよこがデッサンして、気に入ったからと色をつけて自室に飾っていたものだ。
確か名は……『兄妹の絆』だったか?
「あ、」
考えているうちに、輝いていた模様は薄れていって、完全に消えてしまう。
少し残念に思っていると、ひよこが近づいてきて右手を差し出してきた。
「どうしたの?」
「右手、出してください」
そう言われて手を出すと、ひよこに握られて握手をしている形になった。
すると、消えていた模様が再び浮かび上がってきて、ひよこの手にも同じものが浮かんだ。
「これでみんな一緒ですね!」
「うん」
「うむ」
香住とサンタも右手を出し、僕とひよこの手に重ねると、二人の手の甲からも同じ模様が浮かんでくる。
「さ、ギルドスクエア。始動だよ」
香住がとても嬉しそうに手を抱えたのが、やけに記憶に残ったことを自覚した。




