六時限目 ホモエルガスター
世界樹タリテラス。通称、古の魔楼。ヴァルハラの各地にある世界樹の一つで、アゼトライヘイムとその付近のマナ(空気中に漂う魔力)を放出し、賄っている。
高さは頂上が霞むほどであり、幹の太さは直径数百メートルは有るのではないのだろうか? 地表に飛び出した根だけでも、昔見た屋久杉の数倍は有りそうで、その足元に立っているこの家がミニチュアの家のように見えてしまう。
日の光が在る中でもそうなのだから、夜のとばりが下りている中では、巨大な塔が雲を突き破って闇に消えているように見える。
まあ、突き破っている雲は咲き乱れる桜の花弁であるので、常時降っている雪は桃色な訳だが、地球……ガイアとは比べ物にならないほど大きな月の光に照らされて、どちらかと言えば無数の蛍が舞っているように見える。
実際に発光しているのだが、これは花弁に含まれるオド(物体に止まっている魔力)に、月の光に含まれている魔力が反応しているとはレイさんの話。彼女の話は為になる事が多く、聞いているだけで時間が過ぎて行くから不思議だ。たまにはああ言った建設的な話も良い。
と、現実逃避はこのへんにして、少し現実に目を向けてみるか。とは言え、目に見えている光景も十分に現実離れした光景なんだけど……
目を上から正面に向けると、同じ屋根の上に居る人物が目に入る。
あっちに居た時とあまり変わらない小麦色の肌に、少し伸びて肩の下あたりまで伸びた黒髪が風にさらわれて。黒系の配色にも拘らず、近くを通った花弁が、彼女の体から流れ出ている魔力に反応する度に発光する物だから。時たまタイミングが合って照らし出されるうなじが、少しだけ成長して、大人の女に近づいた少女の色香を漂わせる。
いまは完全に後ろを向いているため表情は見えないが、漂わせている雰囲気にはそこはかとなく哀愁の様な物が混じっているため、横からの表情を合わせて見ればさぞ絵に成るだろう。後ろからでも芸術級の美しさなのだから、横に回れないのが少しだけ残念だった。
「……かーすみ?」
忍び足を発動させて、彼女のほぼ頭上から声を掛ける。せっかく覚えたスキル技なのだから、戦闘のみに使うだけではもったいない。こうしてみると、中々に優秀なスキルだった。
「……どーしたの、たろー?」
なのだが、こうしてそっけない返答を返されると、何だか虚しくなるのが玉に傷だ。一度や二度上手く行ったからと言って調子に乗らない事。一つ教訓。
「反応薄いのな?」
「そりゃあ、梯子のある場所でいきなり気配消えたら、上ってきて忍びよるとかわかるよ。やるなら部屋の中から消すとか、一度森の中に入ってから消してくるとかしないと……太郎は技巧派なんだから、それくらい気を付けなさい」
「……ごめんなさい」
なんか説教された。
となりに座る許可を貰って腰を下ろす。三角屋根の天辺に並んで腰掛ける形で、魔楼に背を向けて大きな月を眺めるような形になった。空から降ってくる花弁が、時たま頬を撫でる感触がほのかに暖かくて、少しだけ肌寒い秋の夜から体を温めてくれる。
「……」
「……」
会話が無いまま時間だけが過ぎて行く。明日は噂の大迷宮に挑むのだから、本当は何も無ければベットに入らなければならないのだが、残念ながらこの状況で引き下がるわけにもいかなかった。
「……」
「……」
「……」
「……なによ?」
大体三十分ほど黙っていた所で、香住の方から折れてくれた。僕の方から話しても良いのだが、少々今回の話で後手には回りたくないので、あえて香住から話してほしかったのだ。
「うん、一つ確認しておきたくて」
「? じゃあさっさと聞けば良いジャン、あしたは朝一で迷宮だよ? ハッキリ言っとくけど、明日の午前中で南の迷宮の十六層まで行ったら、次は東の迷宮も十六層まで潜るんだからね?」
……まて、十六層は東西南北の迷宮でお前らが到達している最下層では無かったか?
「人はそれを強行軍と言うのであった」
「何その言い方?」
「いや、言い方を変えれば抗議の言葉を受け取ってくれるのではないかと」
目を見れば解る、こいつは本気だ。
「わかった。じゃあ、南の後は西ね? ちなみに西は十六層のボスが一番強いから、頑張って? 明日のボス戦は力量見るために一人ずつ戦うから。ちなみにどっちも十六層の担当は太郎だからそのつもりで」
「おいっ!? 聞いて無いぞそんなん! と言うか何気に難易度上げて来るんじゃない!!」
心の底から喚くが、香住は顔を反らしてしっかりと耳に人差し指を突っ込み無視。聞こえているのが丸解りな無視の仕方は、小さい頃からまったく変わっていない。
「……」
「……はあ、で? なに、確認したいことって」
ジト目で睨んでいると、溜め息込みで返答する香住。何だかんだとこういう時間に耐えられない性格なのだ。
「うん、じゃあ遠慮なく聞くけど」
まあ、本当の所はほっといてもそこまで悪くは無のだが、一応命の危険のある場所に行くにあたって、不安は解消しておきたい。
「……なんで怒ってるの?」
「……いきなり何言ってんの? 誰が怒ってるって?」
「香住が何か怒ってるように見える」
ここに他に誰が居ると言うのか?
「地下で目が衰えたんじゃない? 特に怒る事は無かったと思うケド?」
「そんなことは無い、何で怒ってるかは分からないけど、何だかすごく怒ってる」
本当に意味が解らない。思えば地上に出た時の折檻もちょっと冗談にならない威力だった、そう思えばこの怒りは昨日から続いていると考えていいだろう。
「っ……おこってない」
「怒ってる」
相当に
「怒って無い」
「怒ってる」
非常に
「怒ってないってば!」
「怒ってるようにしか見えない」
この娘は自分の癖が解ってない。思い直してみれば、怒ってる時と謝りたい時に細心の注意を持って対象を観察するのは、こいつの癖だ。そうで無ければ、何の感情もこもらない視線を、あの場の誰が僕に向けると言うのか?
「ぬー、しつこいよ太郎? そろそろホントに怒るから」
徐々に目が据わって行く香住。心なしか空を舞う花弁の間で静電気が行きかってるような錯覚すら見える。無論花弁は有機物なので、そんな物が通うと燃えたりするのだが、魔法の媒体としても使われる事のあるこの花弁は、ちょっとやそっとの魔法攻撃では破損しない……あ、何だかあちこちで鬼火らしき発光体が……
「ねえ、太郎? わたし、何時も口を酸っぱくして言ってるよね? デリカシーの無い男は嫌われるって。あれね? 副音でデリカシーのない男はキライって意味だったんだけど……わたしてっきり、察しの良い太郎は気付いてるものと思ってたんだ?」
「うん、一応そう言う意味で受け取ってた」
と言うか、あの家族の中で察しの効かない人間は生きて行けない。特にこいつ等と付き合う場合は。
「そっか、さすが太郎。細かい期待は気持ち良いまでに裏切らないよね?」
今の副音は、大切な所では、いっそ清々しいほどに期待を裏切ってくれるよね? だ。
そう言いつつ、どんどんと素敵な笑顔になって行く香住。こういう所は、キリコさんの影響を強く受けてると思う。なぜリンカさんと言うあんなに素敵な母親を持っているのに、そっちに似てくれなかったのか……ヒヨコがそっちに似たから?
そんな状況で隣に座って入られるはずもなく、少しずつ後ろへ後退する僕と、じりじりと距離を詰める香住。心なしか落ちてくる花弁が増えて、周りがクネクネ曲がる光源によって明るくなってきている気がする。と言うか、うら若き女子高生が、手をポキポキ鳴らしながら近づいて来る物ではないとおもうのですよ?
「うん、待った方が良いと思う、とてもとても待った方が良いと思う、何か不幸な行き違いがあったと思うんだ」
「ふうん? どの辺で?」
どこ? うーん、そう言えば激しくは脱線していない様な? ……では無く。
「何処とは言わないけど、どうも昨日迷宮から出て来てから様子がおかしいのは確かだと思うんだ。何だか行動の端々もなんかピリピリしてたし、不必要に目もそらしてた。極めつけにあの矢鱈と観察臭い視線の数々……どれもお前が怒ってる時にする行動だと、経験的に感じたんだけど……本当に怒って無い?」
「……」
据わってた目が揺らいだかと思ったら、周りから物理的にピリピリとした空気が唐突に消えさる。同時に、微妙に自然じゃなかった光源も一気に消失し、再び景色は平和な夜桜の風景に戻る。
何気に命の危機から脱した事に胸をなでおろして、改めて目の前の怒りを鎮めた(であろう)鬼もと言い香住に目を向ける。
「……」
目をつぶりながら左手をだらんと垂らし、右手で肘に辺りの袖を、手が白くなるほど握りしめる。これは香住が怒りとかの激しい感情を抑える時の仕草だ。または激しく反省する場面でも似たような恰好をする。
「……」
「……ゴメン、ちょっと疲れてるのかな? こんな事で怒ったりして。本当に怒ってないから……ゴメン、明日も早いし、もう寝るね?」
そう言って僕の横をすり抜ける香住。何時もは肘が擦るような位置で通り過ぎても気にしないのに、今日に限って必要以上に距離を取って迂回していった。
「……ちょっと、」
まてよ、とは言わずに香住の腕を後ろからつか…まない。袖を少し触る程度にして直に手を引く。
瞬間、香住の体が電光石火の勢いで動く。どこか円運動を思わせるその技は、正確にきれば今頃は一回転して香住の足元に転がるか、それとも激しく転がりながら前方の方へ突進していくか……どちらにしろ、何が起こったのか認識できないまま地面に情熱的なアタックをし、呆然と巡らせた目に、ゴミでも見るような光をたたえた香住の瞳を発見していただろう。
だが、だてに十六年間付き合ってきた訳では無い為、流石にその手には乗らない。幾ら強化されていようが、元になる技が同じなら体が覚えた対処法が自然に発生する。何回実験台にされたと思ってるんだ?
「ふっ!」
ただ、今回はこれでは終わらない。このままでは逃走されても、追いつくのが面倒だし、追いつけたとしても話が出来る状況ではないだろう。香住には明らかな歩行系スキルの韋駄天走りも有るし。
最小限の動きで撃退を試みた香住の、少ない(ほぼない)隙に全力を持って手を突き込み、何とか組み倒そうとするが、そこは本職。元々あっちでもかなり過激な護身術を修めていた香住にそんな死角は無く、むしろ出来るであろう隙に攻撃される事を観点に入れた動きをしていたので、逆に余裕を持ってこちらを投げに掛かる。
しかし残念だが、こう言った場合の対処法の練習台も僕だったので、そこも織り込み済み。こちらの手首を狙って突き出される左手を、狙われた右手を反転させつつ遊撃。しかし弾くのではなく、掴み取る。
……手首では無く、突きだされた手の指の間にこちらの指を滑り込ませるように。世間で言う所の恋人つなぎと言うやつである。
「はぁ!?」
手首を掴んだら投げ返されただろうが、がっちりと、結構痛い位に掴んでいるので、香住は手を引きはがす事を諦め、そのまま僕の右腕を右手で掴んで、体の重心移動を利用した素早い動きで一気に体を捻り、そのまま一本背負いに近い形で投げようとする。
しかし、さっきの言葉が自然と発せられる辺りで少し硬直時間が出た為、その時間を利用して、完全に掴まれる前に左手で香住の右腕を確保。掴まれる直前で無理に引っぺがしたため、僕の右腕の肉が少し抉れる。
両者ともに悲痛な表情をするが、今は無視だ。傷も浅い。
この時点で、一応どっちの手も僕が握っているため、アドバンテージはこちらにあるが、この全身兵器がこのまま上半身のみで戦闘するはずもなく、おそらく次の瞬間には強烈な玉蹴りでも飛んで来ると思われるので、早々に次の行動に移る。はっきりと言って、身体能力の差が有り過ぎて、さっきから恋人つなぎをしている右手の指が骨折寸前で握られているし、そもそも腕も肉が抉られる予定では無かった。能力値に差が有り過ぎて、このままでは勝負所か、お遊びにすらならずに終わってしまう(無論遊んだのがあっちで、こっちは絡んだ上に遊ばれた側)。
と言う訳でこっちが取れる最善を尽くすために、思いっきり両腕を外側に振って、相手の腕を引き離す。左手は放すだけで良かったが、右手からは、幾つかの指の関節が外れる音がした。
こちらが外側に振り払ったと言う事は、香住の方はクロスした腕を内側に思いっきり抱き込んだ形になり、一瞬息が詰まったようだが……ほんと流石に本職。直に戦闘態勢に戻る気配がある。
それを確認するまでもなく、僕は口の中から異物を吐き出した。
傍から見れば、相手に唾を吐きかける目くらましだが、口から出た瞬間に発光を始めたソレに何かしらの予感が刺激されたのか、香住は両腕をやや戻しただけで、手首の部分をクロスさせたまま目の前に持って行き、後ろに飛んだ。どうやら両目も閉じているようだ。
それに並行するようにこちらも前に飛び出し、ポケットから必要な物を取り出す。瞬間、後ろの方からやや強めの、閃光とも呼べない様な光が発生した。精々がLED懐中電灯位のものである。
しかし、確かに発生した光にさらに警戒したのか、着地の瞬間まで目を開かずに腕をそのままクロスさせていた香住。
……それがこの勝負を決定する要因になった。
「え? ちょ!?」
そのまま以前アリアハムに教えてもらったように、ポケットから取り出した物……太めの荒縄を、引き絞る直前まで相手に触れないようにクロスした腕に巻き付け、一気に引き絞る。
それだけで十字に二回りずつ巻き付いた縄は香住の両腕を拘束し、僕自身は屋根を蹴ってバク宙の要領で飛び上がる。
……香住を飛び越えながら。
やや余裕を持って縄を伸ばし、香住が呆然と腕の縄を見ている間に後ろに着地し、その瞬間に香住の目の前の発光物体が音を立てて消滅する。香住がそちらを見た時には、なぜか僕が居ないと言う不思議設定が発生。
何時もならちょっとないような硬直時間が得られたところで、一気に紐を引いて腕を香住の頭上側に引き寄せ、少し特殊な……意外と本気目なえすえむでやるような……縛り方にて拘束。奇跡的なまでに硬直している香住に感謝しながら、交わっている手首の縄を片手の五指でがっちりと掴んで固定し、香住の膝を足カックン。
「ちょ、うわーあぁ!?」
流石に正気に戻って耐えようとするが、最早この秘奥義を覆せるはずもなく、素直に正座する。その後、少しだけ相手の体を持ち上げてふくらはぎと太ももの間にこちらの両足首を差し込み、胡坐をかく様にして座ってから相手をその上に座らせ、安定するように腹に余った腕を回しながら、しっかりと香住の両腕が背中に来るように縄を引っ張れば……
「……たろう、なにこれ?」
「んと、一応努力の結果の恰好なんだけど……色々不味い格好だね」
それから約三分は二人で呆然とし、その内どちらともなく笑い声が上がり始めた。
恰好で言えば、何時もヒヨコやシエラを膝の上に座らせているのと殆ど同じ構図になり、それに合わせて体勢だけ見れば、香住の両腕を拘束して上にあげさせ、そのせいでめくれ上がった服の裾から覗く、香住の本来持っている白い肌と縦に割れたヘソがばっちりと見えている(であろう。こちらからは見えない)お腹に、がっちりと腕を回して抱え込んでいるのだが、これではまるで……
「くくく、これじゃまるで、太郎が私襲ってるみたいじゃん?」
「ははは、失敬な、襲ってこんな格好にはな り ま せ ん。なんたって香住の方が上に来てるし。十歩でも百歩でも譲ったって、どう見ても同意の上でのヘンタイぷれいだってのに」
(と言うか、香住が力ずくで襲われてるとか想像が出来ない。どっちかって言うと逆に足腰立たなくなるまでボロカスにして、財布の中身とか抜いてきそうだよね)ぼそっ。
客観的事実であるから仕方が無い。
「もー、たろーったらエッチなんだから♪」
ギチッ
「ほあ? ビラッシュ!?」
ボドン!!
香住が何か言った瞬間、手の中の荒縄から不穏な音が鳴ったので目を向けると、中指の爪が親指によって抑圧されている光景が一瞬だけ目に入り、次の瞬間には、とてもではないが接地面積二平方センチ程度では許されない音と衝撃と共に、先ほどの小細工の比ではない程の閃光が、おそらく僕の視界の中のみで発生した。
「あ。あ、ちょっち! 意識失っちゃダメだって太郎!! ここ屋根の上だから! 流石に受け身取れないと当たり所によるけど死ぬから! せめて縄外してっ!!」
その後、折角の数秒に渡る捕り物劇の成果も無く、デコピン一発で十分弱香住の膝枕で介抱される事となる僕。ちなみに腕の傷とかも、香住の所持品のポーションで完全に完治しました。
「……あれ? 僕の苦労は?」
何かしらの虚しさを胸にしながら、香住の腕から縄を外す。苦労はしたが、流石に膝枕までして貰って再び拘束とか無いし、おそらく次は無い。今回は変則に変速を重ねてやっとこさ掴んだ奇跡だったのだ。しかも身に着けた幸運もかなりの純度で発揮されたと思う。恐らく七ケタの万馬券一発で当てる並みの強運が必要だっただろう、うん。
「ふう、まったくこの子は……で? なんで怒ってたのかだっけ?」
ちなみに今の体勢は、流石に赤くなった手首を摩る香住と、土下座する僕の図。うん、あそこまでやった後は基本この形になるまで解決はしないのが我が家クオリティー。ちなみに家の男性陣四人で一斉の土下座が、年に一、二回は必ずあると言うのだから笑えてくる。いや、やってる時は命の瀬戸際だから必死に弁明を考えてるけどね?
「う、まあ、うん、ハイそうです」
ちらりと頭を上げたらまた睨まれたので急いで頭を下げる。キリコさんといい、こいつといい、目線で人を石に出来るのではないだろうか? まじコエ―。
「んー、まあ、確かに大人げなかったね? いいよ、じゃあ、今回の事で手打ちにしよう。流石に久々の再会でアレは無かったと思うし」
そう言って頭を掻く気配がしたが頭は上げない。基本的に許す言葉が出ても許可が無いと上げてはいけないルールだ。何故と言われても、親父たちからの鬼気迫る教育の賜物なのだから仕方が無い。今度ルーツを聞いてみたいと思う。
「まあ、無駄は省略で、基本的にコレのおかげで気分は悪かった。あ、頭上げていいよ」
そう言って何かを頭の上に置く香住。取りあえずそれを掴んで頭を上げた後に覗いてみると、それは一枚の白紙の紙で……
「何だこれ、ん? ……ぶふぅっ!?」
ひっくり返してみると、それは三人の男女が川の字で寝ている写真……つまりは僕とアルとシエラが一緒のベッドで寝ていると言う、ある意味爆弾みたいな物体だった。
「いやー、びっくりしたよ? 何にも言わずにサービスとだけ言って渡されたんだから。まあ、太郎がお城行ってる間にアルから理由は聞いたから、あんまり気にしてないつもりだったんだけど……その、何だか親しかったみたいだったから……」
「……」
取り敢えず心を落ち着ける。と言うか、止まった思考を再度回転させる。
……良いだろう、この写真が残っている事も、出所も今はどうでもいい。アルに聞いたと言う事は、行動の根拠を明確に理解するまで説明を受けたと言う事で良いだろう。
と言う事は、重要なのは今の発言の最後。どこかふてくされた様な言い方とあわせて考えれば自ずと答えは出るはずだ。
「……香住」
あの顔は、前に見た事がある。少しかすれるくらい前の事だが、まだ世界が僕たち中心で回っていて、親達ですらやや蚊帳の外に考えていた時の事。僕がたまたま公園にいた子供と遊んでいた時に、偶然通りかかった香住に発見されて大泣きされてしまった事があった。その夜の平謝り(おそらく最古の土下座記録)の後、なぜ泣いたのか聞くと、今のとまったく同じ顔、同じ雰囲気で、「たろーがとられるとおもった」と返して来た時があった。
そこまで行きつくと少し笑えてしまった。
「はは、子供かって」
「む、」
しかしその反応は余りお気に召さなかったようで、直に言葉による一斉掃射が行われそうになるが、それを先んじて阻止するべく言葉の根拠を述べる。
「僕は何処にも行かないよ。昔も今も僕の居場所はここだからね。逆に、僕が香住たちから離れると思うと、何時か世界の中に溶けてなくなってしまいそうで怖いくらいだ」
考えると、自然と体が震えた。
何だかんだ言って、僕は彼女たちに依存しているんだ。色々とめんどくさいとか何とか言いながら、きっちりと彼らの後ろでフォローするのが堂に入ってしまっている。
「ん……」
何か感じる物が有ったのか、発砲寸前の銃口が下げられたようだ。
「だから、何とか許してくれないかな? やっと再会できたし、出来るなら今まで通りにワイワイしたい。帰りたいとかももちろんあるけど、何だかんだ言って、僕としては何処に行ってもこの四人でいられれば何とかなるし何でもいいと思うんだ」
そう考えると、僕もまだまだあの頃から何も変わっていない子供と言う事になる。なんたって世界の中心は、今でも四人を線でつないだ中心にあるんだから。
……それなりの分別は流石に有るけどね?
「……はぁー、そう言えば太郎は太郎だったね。うん、そうだ、太郎が太郎じゃなかったら、こんなに悩んでないもんね」
なんだかやや据わった目で何事か呟く香住。首を傾げて聞き取ろうと近づくが、その前に回れ右して梯子の方に歩いて行ってしまう。
「……明日は取りあえず一日かけて南の迷宮十六層まで潜るから、十分寝ておいてね。遅刻厳禁なのでそこの所よろしく。遅れなかったら、まあ、今回の事はチャラで良いよ? ん? 何かなその顔は、まさか太郎君、乙女の柔肌がその程度の土下座でつり合うと本気で思ってたのかな? んん?」
そう言って大仰に手首を摩る香住。あざといと言うか、本当に一生頭が上がる気がしなかった。
「……りょーかい。せっせと働かせていただきますよ、マイマスター?」
少しおどけてアキューバさん風に仰々しく頭を下げると、失礼な事に「うひゃー、さぶいぼがー」とか言って屋根から飛び降りる香住。こいつ、梯子必要無かったんじゃないのか?
取り敢えず息を吐き出してふと手の中に残ったままだった写真に目を落とす。
「……これはこれで、もう帰る場所かもね」
ゆっくりと頬が歪むに任せて、写真をポケットにしまうのだった。
「そうだ、太郎?」
少しぼうっと立っていると、やはり梯子の無い場所から香住の頭がひょっこりと飛び出す。
「どうしたの? ズボンだからって、女の子がそんなとこよじ登ってくるのはどうかと思うよ?」
「うん、一個気になって。さっきのどうやったの? こう、ぺかーってヤツ」
こちらの発言は華麗にスル―され、向こうの知りたいことだけ発言が許される。たまに思うが理不尽だ。まあ、別にいいけど。
「あれね、別に特別な事はやってないよ」
そう言って、屋根の上に積もった花弁を一掴み拾って魔力を込める。ちなみに、魔力の操作は地下に居た時の余暇時間に、精神訓練でしっかりと練習した。前にじーさんの知り合いの寺に修行に出された時の座禅が、物凄く役に立ったとだけ言っておこうか?
まあ、それはともかく。
「こうして花弁の中に自分のオドを注ぎ込んで……限界かな? ってとこで止めておく。後は放す瞬間に一気にもう一度オドを注いでからまくと……」
そうして放った花弁は、許容以上の魔力に耐えられずにあちこちに傷が入り、その場所から無加工の時とは段違いの魔力がこぼれながら、月の魔力と反応して発光する。洞窟などの中でやれば、一時的な光源に出来そうな位の光を放ちながら、他の花弁と混じって飛んで行った。
左前方二十七度、距離四十メートル
「……ふうん?」
「へー、やっぱ器用だねアンタ。これは明日から期待できるかな? ……どったの?」
興味が少しずれている時に話しかけられて少し焦る。
「え? ああ、期待しててよ。少なくとももう罠では苦労させないからさ」
と言って左目でウインクする。一応、この左目に秘密があると言う意味で。
「うわ、やっちゃったよこいつ。まあいいや、じゃ、本当に夜更かししないで寝なよー?」
「分かってるって。あ、そうだ香住、コレ預かっといてくんない?」
胸元からバッチを外して香住へ放る。
「っと、なにこれ?」
「まあ、取りあえず預かっといてよ? お願い」
「む、まあ、別にいいけど。じゃ、お休み」
「うん、お休み」
そう言って、今度こそ香住は玄関へ戻って行く。流石に窓から出入りはしないらしい。
さて、と。
「いっちに、さっんしっと」
体を軽く動かすが、やはり何も重荷がない状態は良い物だ。これが後九分で終わってしまうとなると少し物悲しい。
「まあ、その分満喫すればいいって事なんだけどね?」
そう言って、腕の袖に指を差し込んで、そこにある亜空間倉庫から、投擲魔槍(鉛)を取り出す。これは、名前の通り鉛から作った投擲魔槍で、泥が爆発の属性を持っていたのに対して、鉛の投擲魔槍は拡散の属性を持っている。まあ、散弾とかあの辺りと思ってくれれば良い。取りあえず投げたら好きなタイミングでバラバラになって広範囲にダメージを与える危険物だ。危険性は泥とさして変わらないが、長所としては爆発するより音が少ない事だ。土とか肉とかに刺さる分には、こんな夜中にぶっ放してもさして問題では無いと言う、素晴らしい設計になっている。
「さーてっと。ふっふふっふふーん♪ おっらヤーるぞ♪ でっばがっめヤっるぞー♪ ぶっこっろすー♪ くっさばっのかーげで、ぶっこっろすー♪ ソイヤァァァッ!!」
放たれた魔槍は寸分の狂いなく狙った草陰へ……
「ギャ―――ッ!? ちょっと、よりによって鉛とか何考えてんのヨー!?」
そして、そもそもの今回の元凶でありながら特等席で野次馬根性働かせていた痴女を一匹あぶりだす。チッ、やっぱ早いな。
「え、チョッ!? まてまて、なに二本も三本も投げてんの? それそこそこお高いんですヨ? しかもあぶねーし!!」
「聞こえないなー。ああ、何だか今夜はひっくり返っても良いから、覆面ベリーダンサーみたいなヘンタイが居たら、ヤッてしまいたい気分だ」
そう言いながら威力よりも数を優先して取りあえず一発でも当てる事を優先する。大丈夫、アキューバさんとか治療得意らしいし、きっと死なないから!
「ま、マッテ! もう一人いるから、高みの見物してた人いるから、出来るならそっちモ……!?」
「ちっ、フェイントもダメか。しぶといな? 他の客だ? 知るか、認知しなかったら俺には関係はないな」
「おもいっきしヤル気モードダヨー!?」
「ひゃっはー!!」
「びえーん、バカサターン!!」
奇声と泣き声で、夜は更けて行く。
「あの花弁が探査機役か、木の上は風上で助かったな。しかし太郎、あそこまで露骨な反応されたら流石に気が付け。唐変木め」
戦闘が自分で見ても無理がある……泣きそうです。




