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トキメキはいらない

作者: 美憂
掲載日:2026/09/20

1

夜になって、ふと、元彼の誕生日だということに気がついた。

元彼と言っても、中学の時の彼氏で、何かあったというわけではない。

同窓会で次の幹事グループに入ったので、LINE交換をしていた。

「Happy Birthday!」とキャラクターが踊るスタンプを送った。

夜中にスマホを見ると、LINEにコメントが入っていた。

「久しぶり。覚えていてくれましたか。ありがとうございます。9月に退職して自由人になります」

返事を期待していたわけではないので、正直、驚いた。

「わ! お返事があると思わなかったので驚いた。いよいよ解放ですか。楽しみましょう」

「やりたかったことが色々あるので、体が動くうちに挑戦しようと思ってる」

そうだ。前回の同窓会で、前立腺がんの手術をしたと言っていた。ダヴィンチとか使って手術する人が本当にいるんだと思った。彼はそっち側の人なのだ。

私の職がカウンセラーであることを聞き、話がしたいと隣席に来た。

「もう、何のために生きているのかわからない」と言っていた。


何のために生きるか。


そんなこと、私にもわからない。

私だって、時々、生きていることが面倒になる。

「何かやりたいこと、考えてみたら?」

仕事っぽく答えた気がする。


私は何がしたいのだろう。

やりたいことなんて、何もない。

「また、いつか会いましょうね」と、お互い社交辞令を交わしてLINEを止めた。

お互い子供じゃない。引き留める必要はない。

それぞれの家族があって、生活がある。

今さら、火をつけても消す面倒を知っている。


ただ、

何がしたいのだろうと考えた時、

彼と西洋美術館のモネの前で「いいね」と話す私。

彼と吉祥寺の小さなライブハウスで、バンドの演奏を聴く私。

そんなことを思った。


ソファの隣でゲームをしている夫に何の不満もないが、

夫とは想像のできない私。

隣に佇んで「いいね」と言う相手ではない。

時間とお金に余裕がある私たちにないのは、「生きるための理由」


「美術館に行かない?」

「じゃ、ライブは?」


秋だしね。

トキメキはいらないから


生きる理由の短い旅を始めてみようかな。


2

「西洋美術館、行ったことある?」

「馬鹿にするなよ。隣の科学博物館の方が好きだけど」

「そっか。ひとりもいいけど、誰かとなりにいるのもいいかなって」

「ダンナさんは?」

「うん。『いいね』って言って行かないタイプ」

動くの待ってたら行けない。

「そうなんだ。相手が俺で怒られたりしないの?」

その質問、つまらない。

「大事なのは、あなたが行きたいかどうか」

「今、展示は何やってるの?」

「常設でいいの」

「常設でもいいのがあるからね」

ほらね。彼はちゃんとわかってる。

「そーゆーこと言える人と美術館に行きたいの」

「みんな知ってるでしょ」

「夫は知らない」

「そうなんだ。俺は俺で、目的持っていい?」

「なに?」

「教えない」

そゆとこもいい。

「じゃ、東京文化会館前で」

「うん。雨が降ったら中で」


旅の予定が決まった。

彼の目的。

静かな旅に予定外の風が吹く。


3

雨は降らなかった。

「ねぇ、私ね」

「なに?」

「いつもは美術館でね、好きな作品しか見ないの」

「あー俺もだな」

「ゆっくり歩いて見て、ピンときたらその作品の前で好きなだけ見る」

「うん。じゃ、今日はお互いにそんな感じでいい?」

「いいよ。展示室内でお互いわがまましよう」

「うん。とりあえず、外のロダンはあと回しにしよう」(笑)

「賛成」(笑)

私たちは今日のルールを東京文化会館から西洋美術館までを歩きながら話した。

チケットを買って館内に入る。

今日はワンピースにカーディガン。

年相応のシンプルスタイル。

男に媚びるのも自分を美しく見せようと思うのも、私の生きる理由とは違う。

でも、隣にいる男が、恥ずかしくない程度ではいたい。それが、どの程度なのかはわからないから、あまり考えず、いつもの自分になる。

彼はどうなんだろう。

とりあえず、私は嫌じゃない。

だから、彼なんだと思う。


私は好きに作品を探し、好きなだけそこにいた。

彼が好きな作品の前で足を止めると、それを作品みたいに遠くから見ていた。


モネの睡蓮の前で足を止める。

「日本人って、モネ、好きだよねって、言う人いるよね」

「あー好きは好きでいいよね」

「いいよね」

「自分の好きが、誰と一緒でもいい。どうでもいい」

「うん。ここのさ。サイズ感がいい」

「そうね。この優しい色からの迫力が好き」

ふたり、並んで絵を見つめる。

「肩、抱いていい?」

絵を見つめたまま答えた。

「うん」

「今日の俺の目的」

「ん?」

「女の肩を抱いてモネの睡蓮を見る」

「いいね。女にしてもらった」

「女でしょ」

「女だねー」

私もね。

「実はモネの睡蓮の前で、隣の男とこの絵の良さを共有したかった」

「男にしてもらったね」

「男よ。一緒にモネの睡蓮見たかった男」

「光栄だね」

私たちは、しばらく

ジヴェルニーにトリップした。


生きる理由がひとつ昇華した。


4

「この道、好き」

「うん。正面の博物館ってのがいいね」

2回目の旅は、国立博物館にした。

これは、彼のリクエストだった。

「科学博物館じゃなくていいの?」

「ショートケーキのいちごは最後に食べるタイプ」

「私は先」

「だから、西洋美術館なんだね」

「国立博物館も好きよ」

「特別展がさ。変わったよね?」

「わかる。テーマとか展示が面白くなった」

「うん。特別展が魅力的になった」

「でも、俺はね」

「うん。この通りを含めた景観と建物がすき。でしょ?」

「そ」

たくさんの人が行き交う。

秋晴れの国立博物館は美しい。



続く

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