トキメキはいらない
1
夜になって、ふと、元彼の誕生日だということに気がついた。
元彼と言っても、中学の時の彼氏で、何かあったというわけではない。
同窓会で次の幹事グループに入ったので、LINE交換をしていた。
「Happy Birthday!」とキャラクターが踊るスタンプを送った。
夜中にスマホを見ると、LINEにコメントが入っていた。
「久しぶり。覚えていてくれましたか。ありがとうございます。9月に退職して自由人になります」
返事を期待していたわけではないので、正直、驚いた。
「わ! お返事があると思わなかったので驚いた。いよいよ解放ですか。楽しみましょう」
「やりたかったことが色々あるので、体が動くうちに挑戦しようと思ってる」
そうだ。前回の同窓会で、前立腺がんの手術をしたと言っていた。ダヴィンチとか使って手術する人が本当にいるんだと思った。彼はそっち側の人なのだ。
私の職がカウンセラーであることを聞き、話がしたいと隣席に来た。
「もう、何のために生きているのかわからない」と言っていた。
何のために生きるか。
そんなこと、私にもわからない。
私だって、時々、生きていることが面倒になる。
「何かやりたいこと、考えてみたら?」
仕事っぽく答えた気がする。
私は何がしたいのだろう。
やりたいことなんて、何もない。
「また、いつか会いましょうね」と、お互い社交辞令を交わしてLINEを止めた。
お互い子供じゃない。引き留める必要はない。
それぞれの家族があって、生活がある。
今さら、火をつけても消す面倒を知っている。
ただ、
何がしたいのだろうと考えた時、
彼と西洋美術館のモネの前で「いいね」と話す私。
彼と吉祥寺の小さなライブハウスで、バンドの演奏を聴く私。
そんなことを思った。
ソファの隣でゲームをしている夫に何の不満もないが、
夫とは想像のできない私。
隣に佇んで「いいね」と言う相手ではない。
時間とお金に余裕がある私たちにないのは、「生きるための理由」
「美術館に行かない?」
「じゃ、ライブは?」
秋だしね。
トキメキはいらないから
生きる理由の短い旅を始めてみようかな。
2
「西洋美術館、行ったことある?」
「馬鹿にするなよ。隣の科学博物館の方が好きだけど」
「そっか。ひとりもいいけど、誰かとなりにいるのもいいかなって」
「ダンナさんは?」
「うん。『いいね』って言って行かないタイプ」
動くの待ってたら行けない。
「そうなんだ。相手が俺で怒られたりしないの?」
その質問、つまらない。
「大事なのは、あなたが行きたいかどうか」
「今、展示は何やってるの?」
「常設でいいの」
「常設でもいいのがあるからね」
ほらね。彼はちゃんとわかってる。
「そーゆーこと言える人と美術館に行きたいの」
「みんな知ってるでしょ」
「夫は知らない」
「そうなんだ。俺は俺で、目的持っていい?」
「なに?」
「教えない」
そゆとこもいい。
「じゃ、東京文化会館前で」
「うん。雨が降ったら中で」
旅の予定が決まった。
彼の目的。
静かな旅に予定外の風が吹く。
3
雨は降らなかった。
「ねぇ、私ね」
「なに?」
「いつもは美術館でね、好きな作品しか見ないの」
「あー俺もだな」
「ゆっくり歩いて見て、ピンときたらその作品の前で好きなだけ見る」
「うん。じゃ、今日はお互いにそんな感じでいい?」
「いいよ。展示室内でお互いわがまましよう」
「うん。とりあえず、外のロダンはあと回しにしよう」(笑)
「賛成」(笑)
私たちは今日のルールを東京文化会館から西洋美術館までを歩きながら話した。
チケットを買って館内に入る。
今日はワンピースにカーディガン。
年相応のシンプルスタイル。
男に媚びるのも自分を美しく見せようと思うのも、私の生きる理由とは違う。
でも、隣にいる男が、恥ずかしくない程度ではいたい。それが、どの程度なのかはわからないから、あまり考えず、いつもの自分になる。
彼はどうなんだろう。
とりあえず、私は嫌じゃない。
だから、彼なんだと思う。
私は好きに作品を探し、好きなだけそこにいた。
彼が好きな作品の前で足を止めると、それを作品みたいに遠くから見ていた。
モネの睡蓮の前で足を止める。
「日本人って、モネ、好きだよねって、言う人いるよね」
「あー好きは好きでいいよね」
「いいよね」
「自分の好きが、誰と一緒でもいい。どうでもいい」
「うん。ここのさ。サイズ感がいい」
「そうね。この優しい色からの迫力が好き」
ふたり、並んで絵を見つめる。
「肩、抱いていい?」
絵を見つめたまま答えた。
「うん」
「今日の俺の目的」
「ん?」
「女の肩を抱いてモネの睡蓮を見る」
「いいね。女にしてもらった」
「女でしょ」
「女だねー」
私もね。
「実はモネの睡蓮の前で、隣の男とこの絵の良さを共有したかった」
「男にしてもらったね」
「男よ。一緒にモネの睡蓮見たかった男」
「光栄だね」
私たちは、しばらく
ジヴェルニーにトリップした。
生きる理由がひとつ昇華した。
4
「この道、好き」
「うん。正面の博物館ってのがいいね」
2回目の旅は、国立博物館にした。
これは、彼のリクエストだった。
「科学博物館じゃなくていいの?」
「ショートケーキのいちごは最後に食べるタイプ」
「私は先」
「だから、西洋美術館なんだね」
「国立博物館も好きよ」
「特別展がさ。変わったよね?」
「わかる。テーマとか展示が面白くなった」
「うん。特別展が魅力的になった」
「でも、俺はね」
「うん。この通りを含めた景観と建物がすき。でしょ?」
「そ」
たくさんの人が行き交う。
秋晴れの国立博物館は美しい。
続く




