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心中したい

作者: 雉白書屋

 夜、とある一軒家。夫は玄関前でポケットから鍵を取り出すと、ふうと息をついた。いつも通りの夜だ。家の中から、妻の笑い声が漏れている。


「ただいまー……ん?」


 だが、ドアを開けた瞬間、夫はわずかな違和感を覚えて立ち止まった。ただ、何がどう違うのかは言語化できなかった。ひとまず靴を脱ぎながら耳を澄ますと、奥のほうからドタバタと慌ただしい音が響いてきた。

 妻が出迎えに来るのかと思い、少し待ってみたが、どうも違ったらしい。誰も現れない。

 夫は小さく息を吐き、洗面所へ足を向けた。

 すると、その途中――階段の下で息を呑んだ。


「あ、あ、そんな……」


 床に広がる血だまり。その中心に、息子がうつ伏せで倒れていた。すでに体が冷たく、生気は感じられない。助かる見込みがないことは明らかだった。

 夫は壁に手をつきながら、よろよろとリビングに向かった。頭がぐらりと揺れる。体がぽろぽろと欠け落ちていくような感覚がしていた。

 リビングには、妻がいた。窓のそばに立っており、こちらに気づくとゆっくりと振り返った。手に握っているものが鈍く光る――包丁だ。彼女はその刃先を、自らの首に当てていた。


「あなた……ごめんなさい……死んでお詫びします」


「じゃあ、君があの子を……?」


 夫が問いかけると、妻は静かに頷いた。どうやら無理心中を図ろうとしたらしい。


「本当にごめんなさい……どうか、止めないで……」


「いや……」


「あなた……ごめんなさい……」


「くつろいでたよね?」


「……え?」


「いや、そこ。テーブルの上にお菓子があるし、ソファでくつろぎながら、テレビ見てたんじゃないの?」


「あなた、何を言ってるの……? あたし、あの子を殺しちゃったのよ! ワンオペ育児に疲れて、相談する相手もいなくて、あなたはいつも仕事ばかりで、もう限界だったの!」


「いや、ほら。このソファ、まだ温かい……。それにテレビも――」


『わははは! なんやねんホンマ!』


「つけたら、お笑い番組じゃないか。家に入る前から、外までテレビの音と君の笑い声が聞こえてたんだよ。それぶ、ドタバタって音、あれって、慌ててテレビを消して包丁を構えて待ってたんじゃ――」


「あなた、さっきから何言ってるの! 息子に手をかけたのよ! お菓子食べながらテレビなんか見るわけないじゃない! 言うことを聞かない息子と、夫のロジハラに疲れて、それでどうかしちゃったのよ……」


「なんか、ちょくちょくこっちを責めてくるな……」


「そんなことないわ。あたしが全部悪いの……あの子の頭を金槌で殴って、気絶したところを包丁で首を刺したの。母親失格よね……」


「それは、そうだな……」


「更年期障害のせいもあるとはいえ、あたし、なんてことを……」


「いや、んー……それで、いつあの子を手にかけたんだ? 今、冬休みだよな。今日はずっと家にいたのか?」


「午後三時頃かしらね……ああ、あたしはなんてことを!」


「今、午後九時。六時間も経ってるけど、その間ずっと警察を呼ばずにテレビを見てたの?」


「何よ……夕食作ってないって!? そうやってまたあたしを責めるつもり!?」


「いや、そもそも最近作ってないじゃないか……だから、今日も帰りにスーパーで弁当を買ったし。君は何も食べずに……え、出前!? テーブルの上のこれ、寿司屋の――」


「モラハラアアアアアアアア!」


「うおっ、急に叫ぶなよ……」


「とにかく、責任を取ってあたしも死ぬから! もう止めないで! 警察も呼ばないで!」


「ああ、わかったよ……」


「止めないでよ……」


「ああ……」


「止めないでって言ってるでしょ……」


「わかった……」


「もう、あなたのせいよ……あなたがそんな目で見るから、あたし、できなくなっちゃった……」


「いや、別に止めてないけど……うおっ、こっちに来るなよ」


「二人の罪、ね」


「いや、どう考えても君の罪だよ。あの子、今年から高校生だし。受験終わって、最近は手がかからなかったじゃないか」


「八対二ね……」


「それって、罪の比率!? まさか僕が八……?」


「九対一ね……」


「だから近寄るなって、いや、包丁を握らせようとするな! もういいから、君は座ってなよ。僕が警察を呼ぶから――ぐっ!」




 数分後、妻はスマートフォンを手に取り、涙声で通話を始めた。 


「もしもし、警察ですか? 夫が、夫が息子を……あああ、それで、あたし、夫をこの手で……ううう……もう、死にたい……」

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