55話 息子の罪
「――うおっ!?」
車体が突如として沈み込むように揺れ、運転手は驚きの声を上げた。
パッと振り返ると、そこにはつい数分前、ビルへと駆け上がっていった仲間の男――そして、銀の仮面が静かに座っていた。
仲間の男は、両手足を光る帯で拘束され、まるで蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れない。その顔は涙と汗に濡れ、恐怖に染まりきっていた。
運転手の目が銀の仮面と合った瞬間、空気が凍りついた。
仮面の奥にあるはずの目は見えない。だが、確かに“見られている”という感覚が、運転手の背筋を這い上がる。
「………ぎっ……」
その名を知っている。映像で何度も見た、特徴的な姿。見間違えようがない。
運転手は、たった一文字だけを口にして、固まった。
仲間を無力化しただけでなく、いきなり後部座席に乗り込んできた銀の仮面は、無言で運転手を見つめる。その沈黙が、言葉以上に重く、鋭く、心を抉る。
仮面によって表情も全く見えない。それがより一層恐ろしさを掻き立てた。
目をそらすことも、直視することも、前へ向き直ることも出来ぬまま、視線の拠り所を求めるように運転手の目線は拘束された仲間の男へ流れた。
仲間の男は涙目で顔をフルフルと左右に揺らすのみで、運転手は自分たちの命が銀の仮面によって完全に掌握されたことを悟った。
「――頭の所へ連れて行け。異論は認めない」
「…………は、はいっ」
運転手はガチャガチャとシフトレバーを操作し、慌ただしく車を出発させた。
東京都目黒区・宗我部組事務所。
昭和の残り香を纏う黒塗りの門を潜り、車寄せに向かうと、広い庭と大きな洋風建築の邸宅がお目見えする。
昼なお暗い玄関口に数名の若衆が集まり、車寄せに停まった車を取り囲むように出迎えた。
蹄鉄のような、高知県の形を思わせる"逆U字"のバッジを襟元に着けたその誰もが、後部座席の扉が開き、銀の仮面が降り立った瞬間、言葉を失った。
――異様な気配。
ただそこに立っているだけで、肌を刺すような圧が押し寄せる。
背筋に氷柱を差し込まれたかのように、誰もが息を詰めた。
銀の仮面は悠々と歩いているが、先を行く鉄砲玉は光の帯で、両手を前側に縛られている。
顔中から汗を流しながら組事務所まで銀の仮面を連れて来させられた鉄砲玉は、この世の終わりのような顔をしている。
(アイツ…何を仕出かしたがじゃ)と組員たちが戦々恐々とする中。
「止まれッ!」
かろうじて声を張り上げた若衆の一人が、背広の内ポケットから拳銃を引き抜こうとする。
しかし、その手は途中で止まった。
ポケットから銃を取り出すことが、どうしても出来ない。
「――何だ?」
隙だらけのようで、どこにも隙がない立ち姿の銀の仮面。
男は、仮面の奥から放たれる“視線”に射抜かれていた。
まるで魂の芯を握りつぶされるかのような錯覚。
全員が悟った――銃を抜いた瞬間に命を落とす、と。
誰一人動けぬまま、声も発せぬまま、銀の仮面の素通りを許す。
鉄砲玉の後ろを着いていくように彼はゆっくりと玄関を進み、靴音を廊下へ響かせた。
広間。
黒光りする机の奥に組長・宗我部重盛が座し、左右に十数名の若衆・若頭・幹部がぎらぎらとした背広姿で立ち並んでいた。
ドアが開き、仮面の男が現れた瞬間、それまでのざわめきは一瞬で途絶え、場の空気が凍り付く。
銀の仮面は立ち止まり、無言で組長を見据えた。
その視線・風格・佇まいは、雷鳴にも似た緊張を広間に落とし、並んだ若衆たちは一人残らず額に汗を浮かべた。
背中を小突かれ、鉄砲玉の男は、両手を縛られたままその場で正座させられる。
黙ったまま首を垂れるその様は、明らかに宗我部の者が銀の仮面に相当な無礼を働いてしまったのだと全員が察した。
「……銀の仮面、ですな」
宗我部は低く呟いた。
長年、修羅場をいくつも潜ってきた老練な眼光でさえ、仮面の奥から放たれる圧に射抜かれ、声の端にわずかな震えを混ぜた。
銀の仮面は無言のまま一度だけ頷く。
その動きだけで、広間の全員の呼吸が止まった。
「……この男に、先程銃撃された」
仮面の奥から響いた声は、低く、冷たく、広間全体を貫いた。
「何故撃ったか、この男は震えるばかりで口を開かなかった。――あなた方の口からご説明願いたい。私と、事を構えるつもりか」
空気が、さらに重く沈む。
机に置いていた宗我部の指先から、汗が一滴滑り落ちた。
「……すまん。これは、わしらの手違いだ」
宗我部は深く頭を垂れた。
「行き違いがあった。決して宗我部組は、お前さんと戦う気はない」
若衆の一人が、正座する鉄砲玉の髪を掴んで顔を上げさせる。
「何さらしちゅうがじゃワレ!おどれのせいで親父さんが頭下げよるがやぞ!しっかり詫び入れんかコラァ!」
鉄砲玉は張り倒され、床に崩れ落ちる。
汗だくの顔はたちまち泣き顔に変わり、拘束されたまま頭を床に擦りつけた。
「親父さん、すんません…!俺、滝山組のブツを先に取ろうとしたらこの人がおって、早合点して、撃っちまいました…」
鉄砲玉の告白に、組員や若衆が鉄砲玉を睨みつける。
「馬鹿モンが…!」
「何と言う事を…!」
刺さるような目線が四方から向けられる中、若頭や本部長・舎弟頭などの幹部たちはそれを平静を装った顔で呆然と見つめていた。
今の日本の裏社会に生きる者で、銀の仮面を知らない者はいない。
銀の仮面に狙われた者は全て凄惨な死を迎える。電波ジャックや天誅アーカイブ動画でその無慈悲極まりない裁きは、極道一筋幾十年の漢たちも震え上がらせる程だ。
鉄砲玉は号泣しながら床に額を擦り付ける。
若衆たちはその後頭部を罵るが、若頭・本部長・舎弟頭・組長と階級が上がる程に口数は減り、事態の深刻さに背筋が凍ってゆく。
銀の仮面のこれまでの行動から推測するに、悪人に対しては一切の情け容赦がない。
それは一般人著名人公人関係なく、悪は一切の酌量なしに断罪するのがこれまでの銀の仮面だった。
そしてここにいる我々は銀の仮面にとっては悪以外の何者でもない。
暴対法で処罰されないようにラインギリギリで暮らしていても、銀の仮面に言わせればれっきとした天誅対象。
何もしなければお目こぼしがあったかもしれないのに、事もあろうに銀の仮面に戦争を仕掛けてしまった。
これはもう一巻の終わり。
宗我部組は今日で一人残らず天誅される。
ピラミッドの上層程、それを正しく理解・予見していた。
宗我部は席から立ち、机の前に回り込むと、床に膝を突いた。
「…っ!?」
若衆たちは一斉に息を呑んだ。
組の頂点に君臨していた親父が、感情を表に出さぬまま、沈痛な面持ちで黙って正座した信じ難い光景に、その場の空気が一気に揺らいだ。
側にいた幹部、若頭も慌てて膝を突き、組長の背に手を添える。
その光景を見た若衆たちは、血の気が引くのを感じながら、次々に膝を折った。
「この度はうちの者が無礼を働いた事、心からお詫び申し上げる。どうか、わしの首ひとつで手打ちにしてもらえんだろうか」
組長のまさかの言葉に、広間がどよめく。
鉄砲玉一人の首で済むはずの話で、組長が首を差し出すと言うまさかの発言。
これは常識からすると考えられない発言だった。
この世界は何をおいても面子、義理、道理が重視される縦社会。
自分のケツは自分で拭くべきであり、他人に失態を被せて自分だけのうのうと暮らせる程、極道の世界は甘くない。
たかが鉄砲玉一人の首。
組全体の統率を考えれば人が死んだとしても、たかが一人で済むなら大したことではない。
しかしそれが組長の首となると全く話は変わる。
末端の責任をトップが取るようなことはしてはならない。そもそもそんなことをすれば示しがつかない。
組同士の抗争や、取るに足らないようなことで難癖をつけて、その度に組長が責を負うような前例は、作ってはならないのだ。
そんなことは、宗我部自身が一番知っている。
だが宗我部は承知の上で言った。末端が起こした不始末に、己が命を賭してでも責任を取る。極道の掟を知っているからこそ、それを違えてでも許しを乞わなければならない。
息子たちの前で、土下座をしてまでも。
「この老いぼれの首一つで許してもらえんだろうか。どうか、この通りーー」
「やめてくれ!!」
額を床につけて謝ろうとする組長を、涙声で舎弟頭ーー組長の弟分の中で最も序列の高い五十代男性が遮る。
涙を押し殺しながら、床に両手を突いた。
「甥の不明は叔父の不明。どうかわしの首で許してくだされ!どうか、どうかわしの首でお許しを……!」
その言葉に呼応するように、次々に膝を突く音が広間を埋め尽くす。
「弟の不始末は兄である俺が責を取りますき!」
「いや、こいつを指導した俺が悪いがじゃ!指導不足の責は、こん俺に!」
「違います!運転した俺こそが一番に罰されるべきです。親父さんも叔父さんも悪くありません。悪いのは俺とそいつだけです。どうか俺たちだけで許してください…!」
若衆、幹部、舎弟――。
気がつけば、この部屋に居る男たち全てが、床に頭を擦り付けて銀の仮面に命を差し出していた。
鉄砲玉の男は自分のせいで、これだけの兄貴分たちや親父・叔父に頭を下げさせていることに胸を抉られる思いで涙を止められなかった。
黒々とした背中が広間に並び、土下座が連鎖する光景は、まさに壮絶。
その静寂の重さは、鉄球が胸にのしかかるようで、呼吸さえ苦しくなる。
鉄砲玉の男は両手を縛られたまま、兄や父よりも低く低く頭を下げた。
銀の仮面は無音の土下座の列を見渡した。
死を恐れるのではなく、目下の者の失態を詫びる為に命を差し出す男たちの覚悟。
その迫力は、彼の胸に重く突き刺さった。
「――あなた方の誠意は理解した」
低い声が広間を震わせた。
「だが私は初めに、"私を撃った理由を聞きたい"と言った。説明がなされぬまま命で償うと言われても、それは私の正義に反する。何故私を撃ったのか。私を撃つに至った経緯背景を充分に理解している者の説明を求める。この場に説明できる者はいるか」
銀の仮面の呼びかけに対し、張り詰めた沈黙が続いた。
しばらくの静寂の後、ゆっくりと一名、静かに頭を上げる。
「俺が説明いたします」
宗我部組本部長――、四十代後半の壮年、眼光鋭く、修羅場を数多く潜ってきた気配が漂う。
彼は正座のまま、真っ直ぐに銀の仮面を見据えた。
――昨今、日本の政治は特定団体や特定政党による暗躍によって混迷を極め、外国勢力などの介入や干渉も入り乱れ、裏の世界では魑魅魍魎が渦巻いていた。
いかにして各々の勢力を拡大し、資金力や影響力を増大させるかを第一に考えて動いた結果、国や政府に雇われた組・ギャング同士の抗争――謂わば代理戦争に発展するケースも、少なからず起き始めていた。
実際に血が流れる事例もあれば、利権やシマを奪い合う争いも存在する。
今回、宝誠堂に持ち込まれたポリネシア風の祭祀木像には、ある薬物の原料が隠されていたのだった。
「――それが"滝山会"?」
「…ご明察の通りです」
日本の地下社会には、武器や裏情報、土地利権、レアアースなどを主力として扱う複数の組織が存在する。
その中でも滝山会は、かの山田組傘下から始まり、近年急速に勢力を拡大した新進気鋭の反社会的組織である。
滝山会は薬物売買を主な資金源としており、その影響圏は東アジア全域に及ぶとも言われている。
海外から薬物を国内に持ち込むため、あらゆる手法が用いられてきた。
人体に隠す方法、荷物に紛れ込ませる方法、郵便物に仕込む方法など、多種多様な手段で日本国内に大量の薬物及び主原料が密輸されている。日本国内で流通している薬物の七割は滝山会が関与しているとも噂されている。
今回も例に漏れず、配送先を滝山会に直接指定せず分散させることで、捜査の目を掻い潜る算段だった。
しかし、宝誠堂に持ち込まれた木像の中に隠されていた原料は、近年アメリカを中心に猛威を振るっている超危険薬物・フェンタニルのものだったのだ。
宗我部組の源流は、約二百年前の土佐に由来し、当初は主に武士階級の者が大半を占めていた。
明治維新・廃藩置県以降、平民となった構成員たちは本拠を東京に移転、要人警護や自警団活動を生業とした。
特に戦後間もない頃には、上野や山谷方面での自警団・大工・人工などを買って出て、地域の治安維持や闇市の統制、復興支援に大いに貢献したと言われている。
そんな宗我部組の根幹を支える理念は「己の為に生きるな、国と人の為に生きよ」。
大政奉還の実現を支えた坂本龍馬を始め、土佐からは名だたる国士が多く輩出されてきた。
政府や省庁、大手企業にその名を刻み、今なおその名を残す者も多数存在する。
宗我部組は、武士のみならず平民も多く加わった組であるため、板垣退助・岩崎彌太郎先生には遠く及ばないながらも、せめて恥じない生き様を見せようと、任侠を人一倍重んじてきた。
決して、暴力や脅迫に任せて人々を苦しめる事はない。
無用に金を巻き上げることもなく、世間一般の堅気が抱くようなヤクザのイメージとは精神面で大きく異なると自負している。
だからこそ、日本を破滅へと導く薬物と、それを金稼ぎの手段として乱用する滝山会は許せなかった。
日本の国土は美しい山河と人の心があってこそ。宗我部組は、人も家族も生活も社会も壊しかねない滝山会の薬物取引を、これまで何度も妨害してきた。
そのために流血沙汰もあったが、宗我部組は「日本を守る」その一心で戦い続けてきた。
今は、幕末と似たような動乱と混乱の世の中にあって、外国といかに渡り合い、日本国を未来に残すか――今の我々が、その舵取りを任されている。
百年前の経験とその教えを代々受け継ぎ、未来の日本人たちが美しい日本で過ごせるように、日々「裏」の治安を守らんとする宗我部組は、ヤクザにしては珍しく、非常にクリーンで清貧である。
幹部たちは代々の教えを忠実に遂行しているが、新入りや若衆たちがそれを一から百まで徹底できているかというと、そうではない。
そうではないからこそ、こんなことが起こってしまったのである。
「――以上が今回の事の顛末です。我々にはこのような事情がありましたが、それは言い訳に過ぎないと思っております」
本部長の声はよく通った。腹の底から絞り出すような低音は、広間に重く響き渡る。
彼は両手を太腿に置き、正座したまま、今にも腹に短刀を突き立てそうな張り詰めた気配を纏っていた。
頭を下げる前の一瞬、彼の背中から漂う気迫は、覚悟を決めた武士のそれと寸分違わなかった。
組長と他の男衆たちは本部長が説明している間も微動だにせず、床に額を擦りつけていた。
やがて説明を終えた本部長も、再び深々と頭を垂れ、額を床に打ちつける。床の上に響いたその音は、重苦しい空気の中で鐘のように広間に響き渡った。
「組の者があなたに銃口を向けた時点で我らの運命は決しました。逃げも隠れも致しません。どうか、名誉ある死を賜りますよう――」
本部長の声は震えてはいなかった。だが、その背筋から流れる汗は滝のようであり、死を覚悟した人間の圧が広間全体に伝播していた。
土下座する男衆たちの背は、どれも筋骨隆々としている。その気になれば鉄砲玉一人など瞬時に叩き潰し、組の存続を図ることも出来ただろう。
だが彼らは誰一人としてそんな選択をしなかった。組長以下、数十名の男たちが「命を差し出す」という一点で心を揃えていた。
鉄砲玉本人と運転手が謝罪するのは当然だ。だが、この場に居合わせただけで直接の責任を負っていない組長や幹部たちまでもが、末端の罪を背負おうとしている。
それは異常とも言える光景であった。だが同時に、任侠に生きる彼らの矜持をはっきりと示すものでもあった。
「……何故、この男一人の罪を負おうとする?あなた方には関係ないはずだ」
その問いに対して、土下座したままの宗我部組長が、顔を上げることなく答えた。
「わしらが根っからの日本人だからじゃ。部下の責任は上司の責任、息子の過ちは親が償う。……日本を立て直そうと奔走するお前さんに銃を向けた以上、わしらの望みはもう断たれたと言うもの」
しゃがれた声でありながら、その口調には一本の筋が貫かれていた。
逃げる気配も、取り繕う小賢しさもなく、ただ潔さだけがそこにあった。
「わしらは崩壊に向かう日本をどうにかしたかった。暴力に泣く者、流通した武器で血を流す者、薬物で人生を食い潰された者。……宗我部の者として、どうにかして食い止めたかった。日本のために戦い、それで死ぬのであれば悔いはない。あとは銀の仮面殿――貴方に託す。仮面殿なら間違いなく達せられるだろう。この日本を、再び、輝かしい国にしてくだされ」
宗我部はほんの少しだけ顔を上げ、その目を銀の仮面に向けた。
その瞳は、死を恐れていない者の静謐さに満ちていた。
「宗我部の名の下に、最後まで日本人として生き抜いたことを、わしは誇りに思う。どうか……手打ちにしてくだされ」
組長が再び深々と頭を下げると、広間中から一斉に額を床に打ち付ける音が重なった。
泣きじゃくっていた鉄砲玉も、やがてその音に合わせるように、押し殺すような呼吸を止めた。自らの罪で親も兄貴分も命を賭けていることに、今日で宗我部組が歴史の幕を下ろすことに胸をえぐられるほどの罪悪感を覚えながら。
これだけの人数の男たちが土下座している光景は凄まじく、呼吸の音さえも聞こえない。
呼吸すら乱さず、ただ無音の謝罪が広間を支配する。
その光景は、銀の仮面の胸を強く突き刺した。
彼はゆっくりと歩みを進め、縛られたままの鉄砲玉の前に立つ。
その後頭部を見下ろし、静かに呟いた。
「――おい」
その一言に、鉄砲玉の体はピクリと震えた。
終わりが来た、とピクリと鉄砲玉は震えたが、次の瞬間、銀の仮面の左手から淡い光が溢れた。
シュルリと衣擦れの音が一つ。両手を縛っていた光の帯は解け、霧散する。
「お前の罪の為に、これほどの男たちが身代わりになろうとしてくれている。この縁は、何物にも代えがたい。そうは思わないか」
鉄砲玉は自由になった両手を震わせながらも、床にぴたりと着け、深く頭を下げ続けた。
銀の仮面は組長に目を向け、問いを投げる。
「実際に、親子なのか?」
「盃を交わしたからには、親子じゃ」
「血の繋がりはないのか?」
ここで「血の縁はない」と言えば助かる可能性もあった。
しかし、そんな選択肢など宗我部には存在しなかった。
彼はキリリとした眼差しで上体を上げ、真っ直ぐに銀の仮面を見据えた。
「血など繋がっておらん。それでも――わしの息子じゃ」
その言葉に呼応するように、幹部、若頭、若衆たちが次々と起き上がり、強い目で仮面を見つめた。
――血の繋がりはなくても息子。弟分。家族だ。
――殺すなら俺を殺せ。
――どうか、俺一人だけで許してくれ。
…そんな思いが全員の瞳に宿っていた。
その迫力、死を恐れぬ覚悟の熱に、悪には容赦ないと謳われる銀の仮面も、一歩引かざるを得なかった。
「――分かった」
広間全体が一瞬、呼吸を止めた。
「貴方たちの親子の縁に免じて、不問としよう」
その一言と同時に、張り詰めていた空気が一気に解けた。
誰も声を上げない。正座も崩さない。
ただ鉄砲玉だけが、無言で涙を流し、もう一度床に頭を打ち付けた。
銀の仮面は組長に視線を据えたまま、低く問いかけた。
「日本を破滅に向かわせる薬物取引を阻止するために、勘違いで私を撃った――そう解釈していいのか」
「如何にも」
「一般市民や私個人を狙った訳ではなく……あくまで“勘違い”ということだな」
「その通りじゃ」
「ならば問おう。あなた方宗我部組は、日本国の再建の為であれば、命も投げ出す覚悟があるのか」
銀の仮面の言葉は、鋭い刃のように宗我部の胸を抉った。
組長は深く息を吸い込み、皺に覆われた顔を上げる。
その目は赤子を泣かせるほどの迫力を帯びながらも、揺るぎなかった。
「……二言はありません。命など惜しくはない。日本を護るためなら、この首喜んで捧げよう」
その声に虚飾は一切なかった。修羅場を潜ってきた男の眼光が、銀の仮面を真正面から射抜く。
銀の仮面は一瞬の沈黙ののち、マントの内側に手を差し入れた。
そして、重い音を立てて、広間の床の上に木像を取り出す。
「――っ!」
唯一、木像を目撃していた鉄砲玉の男が顔を強張らせる。
木像は腰ほどの高さのやや大ぶりな像だが、見た目ほどの重量がない。恐らく、内部がくりぬかれている。その像の頭に銀の仮面は手を添えながら問う。
「……木像は私が確保している。この中に、日本を蝕む薬物が仕込まれているというのか」
現場の事情に詳しいと思われる丸坊主の男――舎弟頭が静寂を破り、ゆっくりと顔を上げる。
丸坊主の額には滲む汗。だが、その瞳には恐怖よりも、真摯さと焦燥が入り混じっていた。
「――そうです。この中にフェンタニルの原料が仕込まれているそうで。本来なら、滝山組に渡るはずだったのですが、まさか確保してくれていたとは。感謝いたします」
その言葉に続くように、組長が唇を固く結び、声を震わせぬよう低く語った。
「滝山組は中国の連中と手を組み、名古屋港で取引を進めちゅう。フェンタニルは、一度流れれば日本の街を骨まで腐らせるじゃろう。……わしらは任侠の名残に賭けてでも、それだけは阻みたかった。だからそいつは無謀にもお前さんに銃を向けたんじゃろう。…だがお前さんを狙ったんじゃない。ただ、薬物を、流れを止めたかった……その一念だけは分かってもらいたい」
広間に再び沈黙が落ちる。
若衆は膝を崩さぬまま硬直し、幹部たちは重苦しい空気の中で銀の仮面の次の一言を待った。
仮面の奥の眼差しが、宗我部を射抜く。
「……日本を憂いての行動、というわけか」
「その通りじゃ」
宗我部は間髪を入れずに答え、さらに深く頭を垂れた。
「お前さんの理念には、わしも共感している。映像も見ている。お前さんの命を奪えるなど土台不可能。だが銃口を向けてしまったことは事実じゃ。全面的にわしらの落ち度と認めよう。償いとしては、如何様にも承知のいくよう埋め合わせをさせてもらう」
宗我部は言葉を区切り、震えることのない声で続けた。
「もし望まれるなら、わしらの持つ情報を全て差し出す。名古屋港で行われる取引の詳細も、根こそぎ提供する。必要なら、車やチャーター機も手配しよう。如何だろうか」
銀の仮面は無言で宗我部を見下ろした。
沈黙の数秒が、永遠に等しく長く感じられる。
やがて――銀の仮面は、静かに片膝をついた。
その動作だけで、広間の空気が張り裂けそうなほど揺らいだ。
そして、組長の目の前に右手を差し出す。
「良いでしょう。……今回の一件は"行き違い"と言う事で。幸い、死人は出ませんでしたからね。何もなかったことにしましょう」
宗我部の全身が震えた。
顔を上げた組長の瞳に、一瞬だけ光が差す。
「…誠に痛み入る。この宗我部重盛、終生忘れませんぞ」
宗我部は両手で、銀の仮面の右手を力強く握りしめた。
その瞬間、広間の空気が瞬く間に和らぐのを感じた。
鉄砲玉と運転手は心の中だけで歓喜の叫びを上げ、他の若衆・幹部たちは死線を潜り抜けた安堵に包まれ、深く息を吐く。
宗我部は額の汗を拭うことも忘れたまま、ただ深く頭を垂れて銀の仮面の手を握り続けていた。
毎週月曜・水曜・金曜20時投稿予定です(祝日は15時投稿予定)。
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