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52話 甘い

 山間の農村は、霜の気配を含んだ冷たい風に包まれていた。

 青森県西部、津軽地方のリンゴ農家・中村は、四日前に収穫目前のリンゴを盗まれ、失意の底で毎日、空っぽになったリンゴ園を眺めていた。


 認めたくなくても受け入れざるを得ない冷酷な現実に、中村の心はポキリと折れた。

 家業を畳むことさえ、現実的な選択肢として頭をよぎるようになっていた。


 代々受け継いできたリンゴ園を、自分の代で終わらせてしまうことへの申し訳なさはあった。だが、そんな感傷に浸る余裕はもうなかった。息子には大学進学を諦めさせ、就職を強いなければならない。親として、これほど情けないことがあるだろうか。


 借金の返済も、機械の修理代も、燃料代の工面も、すべてはリンゴが無事に売れることを前提に組み立てていた。収穫の夢が消えた今、それらはすべて崩れ去り、生きることさえ困難に思えた。


 中村は、空虚なリンゴ園を見つめたまま、布団に沈んだ。


 十一月十四日の朝。

 夜明けと同時にリンゴ園を窓越しに見た中村は言葉を失った。


「……嘘だろ」


 九日の未明から朝にかけて、何者かに根こそぎ盗まれたはずのリンゴ園。

 あの絶望の光景は、真紅の輝きに塗り替えられていた。


 中村は寝間着のままサンダルをつっかけてリンゴ園に走った。

 息を切らしながら駆け寄ったリンゴ園には、数日前と寸分違わぬ光景が広がっていた。


 一面、大量のリンゴが果樹園一帯を埋め尽くす。枝には、ずっしりと真紅のリンゴが実っている。皮には曇りひとつなく、朝露を纏って宝石のように輝いていた。


 畑の土は掘り返された跡もなく、折れたはずの枝は地面に一本もない。木々はしっかりと根を張り、葉も傷みひとつ見当たらない。


「……何で。何で戻ってる。リンゴが……全部――!」


 朝霧に包まれたリンゴ園の中で、中村はふと、自分がすでに死んでいるのではないかという疑念に囚われた。

 これは黄泉への旅立ちの途中で見る幻なのではないか。盗まれたリンゴが戻ってくるなど、現実であるはずがない。


 中村は己の頬を抓った。一度、二度。鮮烈な痛みが走る。

 もう一度、リンゴの木を見上げる。

 そして、枝から一つリンゴをもぎ取った。


 それは、毎日手塩にかけて育ててきた、紛れもなく自分のリンゴだった。

 だが、そのリンゴは、金赤色の光を帯びて、かすかに輝いているように見えた。


 ひやりと冷たい朝霧に包まれた幻想的な空気の中、もう二度と戻ってこないと思っていたそのリンゴを、中村はほとんど無意識のうちに口元へ運んでいた。


 皮のままひと噛みした瞬間、世界が反転したような感覚に襲われた。

 丸かじりしたというのに皮と果肉は絹のように滑らかで、歯が触れた途端にほどける。甘みは深く、まるで蜂蜜を凝縮したような濃厚さを持ちながら、後味には高原の風のような清涼感が走る。香りは、春の花々と秋の熟成が同時に押し寄せるような複雑さを帯びていた。


 それは、確かに自分が育てた品種の延長線上にある。だが、何段階も先へ進んでいた。まるで、理想だけを抽出して再構築されたような、完璧な果実。現実では生み出せ得ないものが、この手の中にある衝撃に中村は震えた。


 じっくりと咀嚼して飲み込むと、中村は夢中で食べ続けた。

 一口ごとに、身体の奥に光が差し込むような感覚が広がる。疲れが抜け、心が澄み、過去の痛みさえも甘みに溶けていく。


 気がつけば、手にしていたリンゴは芯だけになっていた。

 中村は静かに息を吐き、目を閉じた。その余韻は、まるで祈りのように長く、静かに続いていた。


 美味かったが、これは、自分が作ったリンゴじゃない。


「何だ。なんなんだこのリンゴは」


 呟くと、ふと、風が止んだ。

 朝霧がゆっくりと揺れ、向こう側に人影が薄っすらと浮かび上がる。


 成人男性と思しきシルエットがこちらに背中を向けて立っている。彼は漆黒のマントを揺らしながら、一面のリンゴ畑を見上げていた。

 その男は、リンゴ園の奥に、まるで最初からそこにいたかのように立っていた。


 中村は息を呑み、直感した。

 これは、彼の仕業だ――と。


 マントを揺らしながらリンゴを見上げていた彼は、中村の視線に気づくと、こちらに振り返る。

 その顔がこちらに見えるかどうかというタイミングで、彼の姿は靄に搔き消えた。


 消える瞬間に見えたその横顔は、僅かに仮面姿をしているように見えた。


 中村はその姿を見て、両膝から崩れ落ちた。

 震える両手で口を押さえるが、嗚咽は止まらない。


「神様……ありがとうございます……!」


 中村は、仮面姿の男が消えた方角へ、頭を下げ続けた。





 山形の畑でも、農婦が声を上げて泣いていた。

 先日、泥棒に荒らされて全てが失われたはずの洋梨の木。その枝に、見事に実った黄金色の果実が揺れている。彼女は泥に膝をつき、手を合わせるように果実へと伸ばした。


 農家仲間たちが集まり始め、誰もが同じ光景を目にして立ち尽くす。

 失われたはずの努力が戻ってきた。それどころか、以前よりも色艶が増し、陽に当てると純金のごとく輝く。実の重みは収穫期の頂点を思わせるほどだ。


「……こんなこと、ほんとにあんのが……?」

「夢じゃねべが?こんなこと起きるなんてよぉ……」

「もう、ふざけんなって思ってたのに……なんだこれ、奇跡ってしか言えねぇべ……」


 喜びと涙が入り混じる声が、次々と畑に響いた。

 人々は互いに肩を叩き合い、手を握り合い、嗚咽を漏らしながら果樹を見つめた。


 和歌山の柿農家の老人は、樹齢三十年を超えた柿の木を前に号泣していた。

「もう今年で終わりだ」と覚悟していた矢先に盗まれた実が、まるで時を巻き戻したようにたわわに実っている。


 愛媛のキウイ農家の夫婦は、互いに抱き合いながら泣き崩れた。

「ありがとう、ありがとう」と声を枯らし、幹に額を押し当てるその姿は、まさしく人生を救われた者の祈りであった。


 農家たちは皆、理解していた。

 これは自然の巡りではない。奪われてから僅か数日でまた実を結ぶなど、天地がひっくり返っても起こるはずがない。

 だが今、それが現実のものとして目の前で起こっている。


 その実は通常の実よりも格段に甘く、旨く、香り高く、魂を揺り起こして涙を誘うほどの何かが込められていた。そして、それを口にした者は皆、また明日を生きる活力を取り戻していた。


 盗まれた果実が戻って来ただけでなく、その悲しみを癒し、希望を取り戻させるなど、これまで誰が聞いたことがあっただろうか。


 今、日本で人知を超えた離れ業を起こす人物がいるとすれば。

 おとぎ話のような超常現象が実際に起こった理由を考えるとすれば――


 その眼差しは、自ずと、とある一点へと集中する。





【スレタイ】

【三日月党】銀の仮面支援スレ★12【平和の象徴】


【52:無名の日本人】

 公式サイトに新しい補償ページ出来てたぞ


「この頃、日本各地の農園から大量の果物が盗まれる事件が頻発している件について、銀の仮面は独自の対策を執ることにしました。窃盗によって失われた農家の方たちの金銭的被害、精神的苦痛に寄り添うべく、ささやかながら贈り物をさせていただきます。お気に召していただければ幸いです」


 だってよ!


【55:無名の日本人】

 >独自の対策

 なんなんだろう


【56:無名の日本人】

 補償?それとも天誅?


【57:無名の日本人】

 >>56

 両方じゃね?


【59:無名の日本人】

 >>56

 補償だった!!!!!

 今朝、父ちゃんに泣きながら起こされたわ

 うちリンゴ農家なんだけど、先週うちのリンゴが全部盗まれたんだよ

 それから父ちゃんずっと落ち込んでたんだけど、今日行ってみたら、リンゴ畑がピカピカに実ってたんだよ

 マジで信じられん

 もう奇跡って言葉しか出てこないよ


【61:無名の日本人】

 >>59

 マジかよ


【63:無名の日本人】

 >>59

 そんなことあるわけないだろjk


【65:無名の日本人】

 >>63

 うちゆず農家だけどさ、あったんだよ。こっちも。

 今朝見たら、盗まれたはずのゆずが全部戻ってた。

 戻ってたって言うか、新しく生ってたって言うのかな…

 うちで育ててたゆずなんだけど、普通のゆずじゃねーの。なんか光ってんの。金色に。


【67:無名の日本人】

 Xで農家さん達が盗難被害訴えてたけど、今見てみたら全国で同じことが起こってるっぽい


 これ…絶対銀の仮面の仕業じゃん


【69:無名の日本人】

 これ第三弾の補償か!?

 全国で盗まれたフルーツ農家のフルーツをそのまま取り返す銀の仮面の補償!!


【71:無名の日本人】

 補償どころか品種改良されてるの笑う。

 なんだよ、金色に光るって。

 なんだよ、食べると考えられないくらい旨くて涙流すって。

 xxxxx://x.com/xxxxxxxxx/status/xxxxxxxxxxx


【74:無名の日本人】

 >>71

 キラッキラ過ぎて草


【76:無名の日本人】

 >>71

 光り過ぎて源氏


【78:無名の日本人】

 ちょっとこれ食ってみてえな

 でも、流通しないよね…?チラッチラッ


【79:無名の日本人】

 これさ、普通の規格品扱いで出荷しちゃうわけ?

 それもったいないよ!

 農協に出すよか、公式のグッズページに出した方が絶対いいって!


【82:無名の日本人】

 名前つけて売り出そうぜ

 マスクメロンみたいな


【84:無名の日本人】

 >>82

 マスクメロンはもうあるんだよ


【85:無名の日本人】

 >>82

 草


【88:無名の日本人】

 >>59だけど、リンゴ食ったら信じられんくらい旨かった!!!

 今までの人生で食った物全部の中で一番旨い

 これ絶対みんなにも食ってほしいんだけどどうすりゃいいか迷ってる

 農協には盗難連絡の届け出してるから良いとして、こんなリンゴを普通のルートで売るのはもったいないって感じるんだよな

 どうすりゃいい?


【90:無名の日本人】

 >>88

 銀の仮面公式サイトの販売ページで出品登録してくれえええ


【91:無名の日本人】

 >>88

 銀の仮面公式サイトの販売ページに出品できるところがあるからそこでオナシャス


【92:無名の日本人】

 >>88

 銀の仮面公式サイトでグッズ販売ページってのがあるからそこで売ってくれ頼む


【94:無名の日本人】

 銀の仮面公式サイトの販売ページでリンゴ出品したら絶対売れると思う

 多少高くても俺たちは買うぜ


【96:無名の日本人】

 必死過ぎワロタ

 食の事となると日本人は目の色を変えるって分かんだね


【100:無名の日本人】

 じゃあうちのじいちゃんの柿とかも出品してみるか聞いてみようかな

 じいちゃんも今回盗まれてたんだよ

 で、今朝指が写り込みまくってる柿園の写真送られてきたんだけど、めっちゃ金色だったわ

 xxxxs://imgur.com/xxxxx


【102:無名の日本人】

 >>100

 ぜひオナシャス!!


【104:無名の日本人】

 >>100

 なんとかして説得してくれええ


【105:無名の日本人】

 >>100

 俺もマスク柿食いたい


【107:無名の日本人】

 マスク柿ww


【108:無名の日本人】

 語呂悪ww


【110:無名の日本人】

 これさ、せっかくだから早めにネーミング統一した方が良いぞ

 日本人は判官びいきだから盗難被害者って分かりやすくもなるし購買促進になるだろ


【112:無名の日本人】

 あと盗難抑止にもなりそうだよね

 銀の仮面の名を冠したフルーツを盗もうなんて普通の感覚では考えられないし


【113:無名の日本人】

 盗んだら新宿署に吊るして干し柿にしちゃうぞ♡






【241:無名の日本人】

 明らかに農家さんの息子・孫・従業員たちのアシストで動画がXとインストにバンバン上がってる

 動画エフェクト加工モリモリだけどさ

 これ食いてえーーーーーー!!!!


【245:無名の日本人】

 銀の仮面がまとめて買い取って通販してくれねえかな?


【248:無名の日本人】

 >>245

 グッズページに載るの時間の問題じゃね?

 そのうち出てくる気がする

 俺のサイドエフェクトがそう言ってる


【250:無名の日本人】

 最高品質のフルーツを農協に流す理由はないよね

 今や銀の仮面の傘の下は核よりも安全なんだから、公式サイトで売ろうぜ

 ヒンメルならそうした


【253:無名の日本人】

 tiktikで食ったやつが「甘みが段違い、酸味とのバランス神、香りがエグい、人生最後の食事は絶対これが良い」ってレビューしてた。

 みかんだぞ?人生最後の食事がみかんって相当だぞ?

 かじっただけで滴るあのジューシーさ…想像しただけでヨダレ出る……


【258:無名の日本人】

 うちの妻にこのみかん食わしたいなあ

 今六カ月なんだよ


【261:無名の日本人】

 ブランド化→観光地化→フルーツ狩りツアー

 まで見えた。


【263:無名の日本人】

「銀仮ブランド」ってシール勝手に作る業者出てきそうwww


【265:無名の日本人】

 誰かが旗振って名前決めないと乱立しちゃうぞ

 誰か先頭引っ張ってくれ

 ちょっと銀仮ブランドはダセえ




【301:無名の日本人】

 来たぞ!!!


 ===========

【青森に生まれた黄金のリンゴ「希望」】

 販売価格:一箱五千円(六個入)

 寸法・重量:外箱(三十×二十×十センチ)、重量約二キロ(個体差があります)

 商品ページを見てくださってありがとうございます。

 先日、リンゴ農園を営んでいる父が何者かによってリンゴを盗まれてしまい、悲しみのどん底にいました。

 そんな中、銀の仮面さんのおかげで、リンゴの木にこの黄金のリンゴがなっていたのです。

 それだけじゃなく、そのリンゴは今まで育てていたリンゴとは味も香りも食感も格段に良くなっています。

 僕はこの「希望」が世界一美味しいリンゴだと胸を張って言えます。それだけの自信があります。

 このリンゴのおかげで父は、もう一度頑張ってみると言っていました。どうか皆さんの後押しをお願いします。

 ちょっと高いと思います。でも、値段以上の価値があると思っています。後悔はさせません!

 ===========


【303:無名の日本人】

 >>301

 キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!


【305:無名の日本人】

 >>301

 待ってたぜええええ


【310:無名の日本人】

 >>301

 五千円かぁ…うーん…


 四 つ 買 う わ


【312:無名の日本人】

「希望」。いいね。

 銀の仮面らしい良い名前だ。


【314:無名の日本人】

 先生は希望を奪う事を特に憎んでいるからね

 取り戻したリンゴが「希望」って名前はピッタリだと思う



【331:無名の日本人】

 これ、決まったんじゃないか?


 ===========

【山形から世界に挑む黄金の洋梨「のぞみ」】

 販売価格:一箱七千円(五個入)

 寸法・重量:外箱寸法・三百ミリ×二百ミリ×百ミリ、重量・約二キロ

 こんにちは。山梨のラ・フランス農家です。

 先日、収穫間近だった洋梨が全部盗まれてしまいました。正直、夜も眠れない程ショックを感じました。

 でもそのあと、不思議なことが起きました。盗まれた畑にある日、一面黄金色の洋梨が実っていました。

 食べてみたら、味も香りも余韻も、今までの洋梨とは完全に違っていて、私が求めていた理想の洋梨そのものだったのです。ぜひ皆さんにもこの最高の洋梨「のぞみ」をお届けしたいと思います。

 少々値が張りますが、それだけの価値はあると思っています。

 よかったら、食べてみてください。応援してもらえたら嬉しいです。

 ===========


【333:無名の日本人】

 >>331

 買う


【335:無名の日本人】

 >>331

 即決


【336:無名の日本人】

 >>331

 用無しとは言わせないぜ!三つ買うぜ


【345:無名の日本人】

 名付けの由来が完全に固まった音がした




【381:無名の日本人】

 次々に来てるな…


 "塞翁馬"(柿)

 "ディザイアー"(ぶどう)

 "満月柑"(みかん)

 "シルバースイート"(シナノスイート)

 "未来"(ゆず)

 "ジョナシルバー"(ジョナゴールド)


 良いねえ


【383:無名の日本人】

 柿農家のおじいちゃん、渋い名づけするじゃんか


【385:無名の日本人】

 柿にそんな名前付けるとか、完全に物語性で勝負してきたな。


【386:無名の日本人】

 品種名に色がついてたフルーツはシルバーに置き換わる法則爆誕ww


【390:無名の日本人】

「俺たちの応援が力になる」→「その力で黄金の果実」

 完全にRPGの勇者やんけwww


【392:無名の日本人】

 早く届かないかなー

 早くフルーツパーティー開きたいお


【395:無名の日本人】

 平和の象徴ってスレタイ、わりと本気で正解じゃね?


【397:無名の日本人】

 鳩のつもりだったのが嬉しい誤算だったね







【645:無名の日本人】

 届いたぞ、我が家に「希望」が!

 段ボール開けた瞬間、部屋がリンゴの香りで満たされた。やばい。やばすぎる!


【646:無名の日本人】

 >>645

 十万石まんじゅう


【649:無名の日本人】

 箱開けた時点で芳香剤レベルの香りが充満する。

 しかも香りが爽やかで全然くどくない。鼻が幸せ。


【651:無名の日本人】

 切ったら果汁があふれすぎてまな板ベタベタwww

 蜜の量が異常。これ本当にリンゴか?


【652:無名の日本人】

 一口かじった。……甘い。

 いや、甘いだけじゃない。酸味もちゃんとあって、喉の奥で花の蜜みたいな香りが広がる。

 表現力が追い付かねえ……。


【655:無名の日本人】

 俺も「希望」食べた。

 人生で初めてリンゴで泣いた。

 祖母が「本物のリンゴはもっと香りがするんだよ」って言ってたの思い出した。これか。これなのか……。


【657:無名の日本人】

 ネタかと思ったけどマジで泣けるよな。

 食べ物で感情揺さぶられるって何だよ。


【658:無名の日本人】

 おれ学生なんだけど、バイト代はたいて「ディザイアー」買った。

 ぶどう一個四千円とか頭おかしいと思ったけど、食った瞬間に理解した。神だわ。

 むしろ四千円でこんなの食わしてもらっていいんすかって感じ。

 もう普通のぶどうには戻れない。また買う


【663:無名の日本人】

 塞翁馬届いた!

 名前から渋いの想像してたけど、完熟なのにぐちゃっとしてなくてサクッと食える。

 味は蜂蜜に近い。これもやばい。柿ってレベルじゃねーぞおい!


【665:無名の日本人】

 満月柑食べたけど、剥いた瞬間から香りがすごすぎて部屋が夏になった。

 確かにこれ人生最後の食事にしても良いレベルだ。

 ここまで幸せになれるんかよ。

 もちろん六カ月の妻も喜んでました。元気に育てよー。


【669:無名の日本人】

 未来ゆず、皮ごとすりおろしてお湯に入れたら、風呂場が一瞬で高級旅館になったwww

 飲んでも香りが強すぎて、風邪ひく気がしない。

 これでゆずサワー作ったらもうバー開けちゃうだろ


【670:無名の日本人】

 ジョナシルバー、やべえぞ。

 皮が光ってるとか都市伝説だろと思ったら、実際ほんのり光ってた。

 ジョナゴールドよりゴールドすぎるんだが


【673:無名の日本人】

 銀の仮面、農家救済だけじゃなくて俺たちの食卓まで彩ってきた件


【676:無名の日本人】

 最近フルーツ買う余裕なかったけどたまにはいいもんだな

 エネルギー取るだけの食事ってだんだんつまんなくなってくけど、フルーツがあるとやっぱり張りが出るわ


【680:無名の日本人】

 もう農水大臣やれよ銀の仮面。







 十一月中旬。

 地方局・ケーブルテレビの午後の番組は冒頭から、銀の仮面がもたらした“黄金の果実”を大きく取り上げた。

 やや安っぽいセットのスタジオでは、ローカルタレントと地方局アナが中継映像をにこやかに見守っている。映像に映し出されたのは、農家から直送された「希望」リンゴと「のぞみ」洋梨の大写し。

 光沢を帯びた果皮がスポットライトを反射し、テレビ画面越しにも瑞々しい香りが伝わってきそうだった。


『――ご覧ください。先週末から出回り始めた“黄金の果実"です。全国で高級フルーツの窃盗被害が続いておりましたが、その農家の被害を救済するために銀の仮面が生み出したとされるこれらの品種、既に公式サイトのネット売買ページでは予約が殺到、農協を通じた限定出荷分も即完売となりました』


 VTRに切り替わり、農家の男性が涙ながらに語る。

「盗まれて、もう立ち直れないと思いました。でも……五日後の朝、気がついたら畑が実っていたんです。しかも前より立派な実で……銀の仮面さんのお陰です。本当に、本当にありがたい」


 別の農園主は「収穫できただけじゃない。味が別格なんです。これならブランドとしてやっていける」と目を輝かせた。


 続いて街頭インタビュー。

「一個千円でも安いと思った。香りがすごい」

「うちの子、皮まできれいに食べちゃった」

「衝撃だねコレ。どこで買えるの?…え、もう売り切れ?あちゃー」

「来年分出たらすぐ買いますよ、絶対」


 番組MCは頷きながらも、どこか困惑した顔で振り返った。


「……ただし、この果実が本当に“銀の仮面によるもの”か、裏付けは未だ取れていません。銀の仮面の公式サイト上では、盗難被害に遭った農家の方々への補償を匂わせる声明が出されていましたが、果たしてこれが今回の騒動と直接的に関係しているんでしょうか。いかがでしょう」


 すかさず政府寄りのコメンテーターが言葉を挟む。


「私は正直、危険だと思いますね。正体不明の人物が農産物を“復活”させる?しかも光る?国の農業政策に背を向け、独自にブランド化して販売……これは秩序を乱す行為ですよ」


 隣の農業系ローカルタレントキャスターが問い返す。


「でもですね。実際盗難被害に遭った人達はこれで救われてるんですよ。これまで何度もフルーツ泥棒に煮え湯を飲まされてきたのに、政府は何もしてくれなかったじゃないですか。こういう時だけ都合の良いこと言わないでくださいよ」


 コメントは交錯する。


「得体の知れないフルーツを簡単に流通させるべきではない」

「これで救われている人たちがいるのは事実」

「未認可の品種を易々と口にするのは安全上の懸念が」

「大衆には好意的に受け入れられている。健康被害の声は上がっていない」


 モニターに視聴者からのSNS投稿が次々と流れた。


 《ああだこうだ言って何もしない政府より銀の仮面の方が一万倍マシ》

 《雨降って地固まるってところか》

 《政府は文句ばかりで何もしてないだろ。偉そうなこと言うな》

 《銀の仮面公式サイトで買えるみたいだけどもう予約完売か、残念》


 画面は再びスタジオに戻る。

 MCは締めくくるように言った。


「賛否はありますが、全国では依然として農産物の窃盗被害は後を絶ちません。農家の皆様が防犯を徹底するには限界があります。窃盗が続くのは"買う消費者がいるから"です。怪しい農産品、産地が不明な農産品、相場より極端に安い農産品、これらは盗品の可能性が高いので、値段に釣られてすぐに飛びつかないようにしてください。主婦の方々、一人暮らしの方々、消費者一人一人の目利きが問われます。日本の食は生産者と消費者が守っています。今後も一連の動向を我々は注視していきます」


 救済への賛美と、メディアの困惑。

 大衆の熱狂と、政府の苦い沈黙。

 “黄金の果実”は、富士山噴火を食い止めて以降二度目となる、明確な日本人の救済。それは日本社会の空気そのものを揺さぶり始めていた。





 東京・中野、白田の自宅。

 机の上には、パソコンの画面と、無数のグラフや数値が並んだ解析ソフト。

 その横には連日鳩ポストに投函されるプレゼントの数々。ケーブルと魔力計測器などが置かれていた。


「なるほど……やっぱり傾向が出ていますね」


 眼鏡をかけた白田が、スクロールするグラフを指で示す。


「感謝や祈りなどからなる感情の強さが正比例しています。投函した人がどれだけの想いを込めたか、その熱量が魔力として現れている…。これ、統計的にかなり有意ですよ」


 絵や手紙よりも、点描画・彫刻・三日月を模した手作り黒曜石ナイフなどの多くの時間と労力を要するだろう手工芸品・芸術品から多くの魔力が検出された。


 既に一度仮説は立て終わったようなものだが、更なる研究のため二人は調べる。

 蓮は黙ってモニターを覗き込み、頷いた。


「……やはり感謝や祈りが強いほど、純度と量が優れた魔力に変わっていると断定しても良いと?」

「ええ。また同じ分量の手紙でも、関東近郊在住の方が投函したものと、九州・北海道からわざわざ飛行機で来られたという方が投函した手紙では、残留魔力量に差がありました。……これは、銀の仮面の事を思ってかけられた時間の長さ・労力の量でもバフがかかるという証拠になりそうです」


 白田の声は期待に震えていた。

 科学の常識を飛び越え、感情が実体化する。

 そんな有り得ない現象が、目の前で当たり前のように解析されていた。


「これが広がれば、蓮くんの魔力欠乏問題はほぼ完全に解決するかもしれません。転移陣ゲートと鳩ポストを広げると、それによって弊害が生まれるとは思いますが、それがクリアできるとすると…」

「これは予想外に、期待できる結果になりそうですね」


 蓮の言葉は淡々としていたが、白田は小さく息を呑んだ。

 仮面の奥に隠されたその覚悟は、数字以上に重かった。


 展望が広がる。

 外部回復の手段が確立し、魔力量の制約を受けることがなくなればもっと精力的に活動できることだろう。

 蓮は天井を見上げて、ふうと息を吐いた。


 壁掛け時計はもう間もなく十五時に差し掛かる。

 はたと気付いた蓮はアイテムボックスに手をかざす。


 空気が淡く揺らぎ、取り出されたのは、焼き色のついたアップルパイと、霜の花が咲いたように白く凍ったゆずシャーベットだった。


「もうこんな時間ですし、良ければどうですか」

「え、いいんですか?これ、見るからにお高そうな……」

「ポストから届いたんです。せっかくですから食べましょう」


 アップルパイをトースターで温め直し、二人は机に並べ、ナイフを入れる。

 パイの表面から立ちのぼる湯気に、甘酸っぱい香りが溶け込んでいく。

 一口頬張ると、サクサクの生地の下から果肉が溢れ、口いっぱいに瑞々しい甘みが広がった。


「……っ、美味しい」


 白田は目を丸くし、すぐに頬を緩める。


「普通のアップルパイじゃない。香りの奥行きが段違い……!!」


 続いて、ゆずシャーベットを匙で口に含む。

 ひんやりとした舌触りと、透き通るような酸味が一気に広がり、喉の奥まで清涼感が抜けていった。


 今まで白田が口にした通常のリンゴとゆずを数十倍にも濃縮し、数百倍に香り立ち、数千倍に旨味を爆発させたような、これまでの常識が丸ごと覆る味に全身がぶるりと震えた。


「なにこれ…!えっ…?」


 今、口にしたアップルパイとゆずシャーベットが、まるで普通のリンゴとゆずじゃないかのような戸惑い。

 こんなリンゴとゆずは知らない。齢二十九にして新たな世界が幕を開いた驚きに呆気に取られながら、気が付けばフォークと匙を交互に入れ替えて無我夢中に口に運び続けていた。


 二つの皿が空になって、ようやく白田は正気を取り戻した。

 我を失ってスイーツに吸い込まれていた事を自覚した白田は小さく照れくさそうに笑い、蓮の方を見た。


「……これ、まだありますか」


 顔を赤らめながら期待に目を輝かせる白田に、蓮は小さく笑って、頷いた。







 銀の仮面によってもたらされた黄金の果実。その風味と輝きは瞬く間に世間を賑わせ、SNSを中心に爆発的にその名は広まった。

 だが、その影に蠢く者もいた。


 青森県のリンゴ農園に、一人の男が現れた。

 中肉中背、薄い笑みを浮かべながら、両手を擦り合わせて中村に深々と頭を下げる。


「すみません、……あの“希望”のリンゴを一つだけ、どうしても欲しくて。一つだけ買いたいでス」


 中村は怪しみながらも、熱心な土下座に根負けして一個だけ手渡した。

 男は釣り目がちの目を更に細め、満面の笑みを浮かべる。


「ありがとう……これで()()()喜びまス」


 彼はその足で青森空港へと向かい、羽田空港を経由し、一路ソウルへ。

 巧みに荷物検査を潜り抜け、機内でもリンゴを抱きしめたまま着席。まるで金塊を抱いているかのように肌身離さず、そのリンゴを服の中に隠し続けた。


 計約四時間のフライトを終え韓国・仁川空港に到着したその瞬間――。


 リンゴの表面に走った小さなひび割れは、次の瞬間には全体に広がり、果肉は黒ずみ、果汁は蒸発するように消え去った。

 掌の中に残ったのは、ただの乾いた木屑。

 種さえも砕け散り、風に吹かれてリンゴは全て粉となって飛び散った。


《な……なんだこれは!?》


 男の叫びは空港の雑踏に掻き消された。


 この男は、日本から優良な果物の苗木や種子を盗み出しては自国に持ち帰り、不当に流通させてきた常習犯だった。

 シャインマスカット、あまおう、ルビーロマンなど、数多のブランド果実の種苗を盗み出し、別名で商標登録して韓国内で一財を成した。


「日本人はぬるい」と嘲りながら、盗み出した高級フルーツで建てた御殿で高笑いしていたが、黄金の果実の噂を聞きつけて来日していた。しかし何故か「希望」は腐り、砕け、消えてしまった。


《クソッ!ふざけんなよ、無駄足踏ませやがって、XXXが!》


 その夜。

 明日また日本に発ち、次はリンゴ以外の別の品種を狙おう…と男は考えながら自宅のキングサイズベッドに潜り込み、疲労に任せて深い眠りに落ちた。



 ――しばらく経ち、目を開けると、そこは見知らぬ大地。



 果てしなく続く農園、整然と並ぶ果樹。

 空は絵に描いたような晴天。吹き抜ける風は心地よい温暖気候。

 周囲には手掘りと思しき細い水路があり、長閑な風景。

 一面緑色の木々は風に揺れ、サワサワと音を立てている。


 足元には、一冊の分厚い本と、冷たく光る鍬。


《……ここは、どこだ……?》


 男は昨日のフライトの疲れのあまり、明晰夢を見ていると思っている。

 昨日、リンゴ畑に行ったからその夢を見ているんだろうと男は結論付けた。


《ま、良いか。風も気持ちいいし、もういっちょ寝るとするかあ》


 普段はキングサイズベッドで過ごす自分にとっては珍しい体験。

 草の上に寝転ぶのも案外悪くないものだなあと、彼は呑気に笑った。

毎週月曜・水曜・金曜20時投稿予定です(祝日は15時投稿予定)。

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