46話 ピンチヒッター
お世話になっております。
リアル多忙のため、投稿頻度を毎週月曜・水曜・金曜20時に変更してお届けします。
今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
十月下旬、休日のブランチ時。
白のTシャツにジーパンを着たラフな恰好の白田つかさは、自室の机に広げた書類を整理していた。
そのとき、机上のスマートフォンが震える。液晶には「母」の文字。
「……もしもし」
『つかさ?元気?』
栃木に住む母の声は、相変わらず穏やかで、どこかのんびりしている。
『もうすぐ年の瀬ね。今年のお正月は、何日に帰って来られるの?』
「……三が日のうちには顔を出すよ。正確な日はまだ決めてないけど」
『そう、なら決まったら連絡ちょうだい。おせちも作って待ってるからね』
少し間を置き、母の声色が変わった。
『ところで……つかさ、良い人はいないの?』
「またその話?」
思わず苦笑が漏れる。
時折電話をかけて来ては、彼氏はいないか、良い人はいないか、と聞いてくる母。
安定した職に就けず転々とする生活の中では、私を見初めてくれる人なんて…と白田は半ば諦め始めている。
友人の紹介で何人か会ってみた事もあったが、この人だという人には会えなかった。
"結婚したら専業主婦になって毎日美味しいご飯を作って欲しい。子どもも絶対二人は欲しい。産む時は男⇒女の順番以外は認めない。でも、子どもばかりじゃなくて俺も見てほしい。結婚しても女らしくいてよ。でもあんまり高い美容院とかコスメとかで浪費しまくるのはムリ"
…と言う人や、
"結婚しても共働き以外はNO。専業主婦になりたいだなんて思わないでくれ。俺は寄生虫を飼うつもりはないんだ。でも、職場では必要以上に男と話すなよ。連絡なんてもってのほか。俺と付き合ったら俺以外の男の連絡先は全部消去&GPSアプリのインストール&電話は三コール以内で出る事を書面で約束しよう"
…と言う人など、あまりにも大外れな物件に立て続けに出くわしてしまってからは、恋愛や結婚に対して苦手意識が芽生えている。
そもそも、先行き不安な日本で結婚・出産して子どもを養っていく展望がどうしても見えない。
政治不信と経済不振の中、日本人出生率は下落の一方。それを穴埋めするために外国人移民をドシドシ招き入れた結果が、今の有り様だ。
そう言った社会的側面も然ることながら、普通の職場恋愛など、安定した職場に在籍していない状態では出来るわけもない。
通勤列車にも乗らない。
行きつけのお店もそんなにない。
定期的に接点がある男性なんて近くにいるわけが――
「…あ」
『ん?どうしたの?つかさ』
脳裏にポンと浮かんだ一人の男性の姿が、白田に向かって微笑みかける。
都合よく補完され、美化された思い出が、突如白田の脳内を埋め尽くした。
路地裏で暴漢から救われた際の鮮やかな立ち回りと、白い歯の煌めく爽やかな笑顔。
濃紺のマントがはためく頼もしい背中。青白い閃光。
黒革のグローブで差し伸べられた大きな手。
起き上がれない自分を優しく抱き留めてくれた温もり。
至近距離で見上げた、仮面をしていない素顔姿の銀の仮面のにこやかスマイル。
かと思えば、富士山頂で魔力切れとなって瞼を閉じる、か弱い姿。
自宅で魔石や魔法陣の傍で魔力切れを起こした時の私服姿での気絶シーンも然ることながら、頼れる存在の象徴ともいえる銀の仮面の姿で、岩を背に富士山頂で気絶していたあの姿はとても白田の胸に迫るものがあった。
強くて弱い。頼もしいのに守りたくなる。
蓮より一歳年上である白田つかさの母性や、潜在的姉性が様々な角度からくすぐられる。
たった数秒のうちに、これまで蓮と過ごした二カ月のいろんなシーンや記憶が波のように押し寄せた。
これまで強く意識したことはなかったが、一番近くで定期的に関わりのある異性と言えば――
『つかさ?つかさー?もしもーし。聞こえてるー?』
スピーカーからの母の声にハッとした白田は、ぶんぶんと手を振って電話に意識を戻す。
今、何故、蓮くんの事を考えていたんだろう。いやいやいやいや。そうじゃない。
蓮くんとはそう言う関係じゃないし、そもそもこの関係だって、私が協力させてと言ったから始まったもので、ビジネスパートナーみたいなもの。
そういうのじゃない。
「ああ、えっと…な、何でもないよ。…心配しなくても大丈夫だから。仕事も忙しいし、いろいろ落ち着いたら考えるよ」
『ほんとに?あんまり遅いと、お見合い話でも持っていこうかしら』
「やめてってば!私ももう大人なんだよ。何でもかんでもお母さんに頼りっきりじゃないよ」
『ふーん?』
それからしばらく半ば冗談交じりのやり取りをして、電話は終わった。
スマートフォンを置いた後、白田は天井を見上げて小さく息を吐いた。
「……もう。いつも同じことばかり。いつまでも子供扱いして」
その時、別の着信音。今度は大学時代の友人からだった。
時折連絡は取り合うが、近々会う予定はなかった。首をかしげながら電話に出る。
『つかさ、今日暇?』
「…なに?」
『今夜合コンの予定なんだけど私、熱が出ちゃって。……良かったら、代わりに行ってくれない?』
突然のお願いに、白田は一瞬言葉を失う。
「…え!?私が?」
『当日キャンセルだと参加費全額取られちゃうし、せっかくならどうかなって。今日の会場は雰囲気のいいレストランだし、他に頼めそうな子もいないし。もし彼氏いるなら、ご飯だけ食べて帰ってきてもいいから、どう…?』
電話越しの声は、申し訳なさと焦りが入り混じっていた。白田はスマートフォンを耳に当てたまま、机の上の卓上カレンダーに視線を落とす。予定はない。しかし、気が進むかと言われれば、正直微妙だった。
それでも、友人の困った様子を思い浮かべると、断りきれない気持ちがじわじわと湧いてくる。
白田は少し考えた末、渋々了承する。
「……しょうがないな。今回は代打ってことで」
『ありがとう!今日十九時からだから、お店は後で住所送るね。話は幹事につけておくから!』
「分かった。お大事にね」
電話を切ると、部屋の静けさが戻ってきた。白田は髪を撫でながら、毛先をじっと見つめる。
「合コンかぁ…、何着て行こう……」
言葉にした途端、現実味が増してきた。
母が、良い人はいないのかとまた心配する顔が目に浮かぶ。
出会いは求めてないとか言ってズルズル引き延ばしているのも何だかな、と思っていたが、きっかけも勇気もなかった。
これもひとつの機会だ、と白田は重い腰を上げた。
鏡の前に立ち、部屋着姿の自分を見つめる。
ラフな白Tとジーパンのままでは、さすがに場違いだ。気が進まないながらも少しだけ気持ちを切り替えて、クローゼットの扉に手をかけた。
午後、白田は美容室で髪を整え、ネイルサロンで指先に艶を加えた。夜の恵比寿へ向かう頃には、彼女の装いはすっかり変わっていた。
ネイビーブルーの膝丈ワンピースは、ウエストに細いベルトがあしらわれ、シルエットを美しく引き立てる。足元には艶やかな黒のポインテッドトゥヒール。手には、シャンパンベージュの小ぶりなレザーバッグ。耳元には揺れるパールのピアス、首元には華奢な銀のネックレスがきらめいていた。
改札を抜け、夕闇に染まる街へと足を踏み出す。ベビーピンクのネイルが光る指先で、友人から伝えられた女性幹事の連絡先に電話をかける。
「もしもし、ユカリの友人の白田です。今、恵比寿駅に着きまして――」
電話越しの声は明るく、手際よく案内をしてくれる。
数分後、店の方からやって来た幹事の女性と合流した。
彼女はベージュのチェスターコートに黒のタートルニットを合わせた、落ち着いた雰囲気の人物だった。
「今日は急なお願いなのに、ありがとうございます。助かりました」
「いえ、ユカリが困っていたみたいなので」
短く言葉を交わしながら、駅から数分のイタリアンレストランへと向かう。通り沿いにはイルミネーションが灯り、歩道には仕事帰りの人々やカップルが行き交っていた。
店の前には、すでに女性が三人集まっていた。幹事の女性が彼女たちに声をかける。
「皆さん。こちらがユカリさんの代わりに来てくださった白田さんです」
その言葉に、華やかな装いの女性たちが一斉に振り向いた。ベージュのトレンチにラベンダーのニット、ボルドーのスカート。どの人も、今夜を楽しみにしている様子が服装にも表情にも表れていた。
「どうも初めまして~!」
「初めましてよろしく~!」
「こんばんは~」
明るい声が次々に飛び交う中、白田は少し遅れて口を開いた。
「……白田です。今日は、よろしくお願いします」
「よろしく~☆」
「ハ~イよろしく~♪」
「聞いたんですけど、白田さんって、ユカリと同じ大学だったんですね。えーっと、ここが同じ会社、ここがユカリの行きつけのバーの常連。で、私はその友達です」
「は、はあ…」
「ユカリきっかけだけどさ、ウチらも普通に遊びに行くよね」
「あーね」
「ユカリって本当に顔広いよね~、そのユカリがいないんじゃ……って言うのはナシか!あはは!」
「幹事私なんですけどー?」
「ごめんごめんwwいつもありがと、カナww」
「思ってないでしょ~!」
白田の声は控えめで、笑顔もどこかぎこちない。まだ始まっていないのにも関わらず、既に高い周囲のテンションに圧倒された白田は早々に置き去りにされそうになり、少し肩をすぼめるようにして店の方へ目配せしていた。
幹事がスマートフォンで男性幹事からの連絡を確認すると、店の扉に手をかける。
「では、入りましょう。男性陣はすでに中で待っているそうです」
女性五人が連れ立って店内へと足を踏み入れる。
赤いテーブルクロスが広がる空間には、ワインの香りがふわりと漂っていた。
奥の縦長テーブルには、すでに五人の男性が着席しており、女性たちの入店に気づいて顔を上げる。
「こんばんは〜!今日はよろしくお願いします!」
乗り気な女性たちが先陣を切って挨拶を交わす。起立した男性陣はにこやかに頭を下げながら手の平で椅子を促す。白田はその後ろから一歩遅れて、静かに頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
幹事が着席を促し、男女が向かい合うように座ると、グラスにスパークリングワインが注がれた。グラスを合わせる軽やかな音が響き、合コンの幕が開く。
「乾杯〜!」
男女十人の声が重なり、弾ける泡が夜の始まりを告げる。
場を温めるように、男性幹事が軽快に自己紹介を始めた。
「じゃあ、まずは簡単に自己紹介しましょうか。僕はIT関係でシステムエンジニアをやってます。最近はAIとかに押され気味ですけど、まだまだ人間の底力で食らいついてます。将来の夢は世界一九五ヶ国制覇です。よろしくお願いしまーす!」
隣の男性もすぐに続く。
「広告代理店で営業してます。酒と体力には自信があります。仕事柄、人と話すのが好きなんで今日は楽しく飲みましょう!」
順番に、五人の男性がそれぞれ職業や趣味を語っていく。公務員、金融、メーカー勤務――皆、仕事の安定感とリアルが充実している雰囲気をそれとなくアピールしていた。
女性陣もそれに合わせて自己紹介を返す。
「女性側幹事のカナです。人材派遣会社の採用・教育担当をしています。よろしくお願いします」
「アイです。営業職で毎日外回りしてます。今日は仕事抜きで楽しみたいです!」
「サエです。私は保育士で〜……子供と一緒に遊んでるとあっという間に時間が過ぎちゃうんですよ」
「ユウです。総合職してます!平日勤務で土日は休みです。タイプは、強くて頼もしい人です!」
明るく弾む声に続き、白田の番が回ってきた。
「……白田です。事務系の仕事をしています。……ええと、趣味は……読書です」
控えめな自己紹介に空気が止まるのをコンマ一秒で察した男性陣が、拍手をパチパチパチと鳴らして静寂をかき消し、男性陣の視線が集まる。
「読書っていいよね!なんか、知的で落ち着いてる雰囲気がスゲーぴったりって感じ」
「いや、でもモデルさんみたいにメッチャスタイル良いし、もっとアクティブな趣味でも似合いそうだよ」
「髪もメチャ綺麗じゃん?美容院どこ通ってるの?青山?渋谷?表参道?」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉。悪意はないのだろう。だが、どこか「空気を埋めるための誉め言葉」の響きがあった。
白田は胸の奥に小さな違和感を抱きつつ、微笑みを保つがそれは明らかに初参加の気圧され方。そんな気配を察知した歴戦の女傑たちは「えー、私も切ったんですけどー!褒めてよー!」「実は私ピアノ十二年やってて~」と会話に割り込み、白田から男性陣の目線を巧みにそらさせた。
数十秒経って完全に男性陣の興味が分散してから白田は、自分が助けられたことに気付く。
その流れは阿吽の呼吸、チームプレーとも呼べるものだった。
十人卓に料理が次々と運ばれる。
前菜のカルパッチョ、熱々のアヒージョ。籐のカゴに入ったバゲット。
テーブルの中央を彩る皿を囲み、ワインが注がれていく。
男性陣は仕事の武勇伝や最近の旅行話で盛り上がり、女性陣は相槌を打ちながら笑顔を繋ぐ。
「この前、ドバイに海外出張でさ、めちゃくちゃトラブルに巻き込まれたんだけど、結局は俺が全部解決したんだよ。おかげで金一封と表彰までされちゃってさ。ほんと参っちゃうよ!」
「表彰までされたんですね、すごーい!」
「アイちゃんも営業だよね。お客さんとのトラブルって大変でしょ?俺がバディだったらなあ。…あ。俺四か国語話せるから海外旅行とかは任せて。チャチャッと予約手配して、パパッと解決しちゃうから」
「えー!すごーい!じゃあ機会があれば頼んじゃおうかな~!」
女性の一人が手を叩く。
その傍らでは自慢の筋肉と日焼けした肌を見せびらかす大柄の営業マン。
「俺ボディビルやっててさ。今年の夏、準優勝したんだよ。ほら見てよこれ、ほら~」
「すごい筋肉!私ムキムキで男らしい人ってめっちゃいいと思う。素敵~!」
「嬉しいなあ。ユウちゃんのタイプってさっき強い人って言ってたけど?」
「そう!私は何があっても私を大切にしてくれる人と結婚したいんだ~。世界を敵に回してもお前を守るとか言われたい!」
「そっかあ。俺なら、ユウちゃんを守れるかもNE☆」
「キャー♪」
白田はグラスを指先で弄びながら、左右で始まる会話に合わせるように少しだけ笑みを浮かべた。
「サエちゃんは保育士って事は、子供が好きなんだ?」
「そうなんです~」
「もしかしたらあれ?将来け結婚したら、子供とか。ほ欲しいタイプ?」
「素敵な人がいたらいいなあって思いますね」
「そそうなんだぇすね~、へぇ~………もし」
「カズアキさんは休日何をされて過ごすことが多いですか~?」
「う、あっ、えっと、休日は……」
ぎこちない男性の質問ににこやかに受け答えし、さらりと新たな話題で返すやりとりも聞こえる。
「ねえカナさん、人事って事はさ?もしかして俺たちも今評価とかされちゃってたりするわけ?」
「ん~どうでしょうね~?」
「いやーコワいな~。スーツで来ればよかったかな~」
「あはは」
「俺ぶっちゃけ、カナさんの内定くれたら他全部蹴りますよ」
「え?他に内定があるんですか?」
「いや~言葉のアヤですよ!ほら、あの、それだけ一途って意味ス!」
――自然に笑えているかどうか、自分でも分からない。
会話に置き去りになるのを焦るように感じながら、グラスやナイフとフォークで手と口を埋める。
「白田さんって、落ち着いてるのに華があるよね」
ポツン状態の白田を目ざとく見つけた、同じく蚊帳の外気味の男性の呼びかけが飛ぶ。
「それ俺も思ってた。おとなしそうに見えるけど、実は隠れたギャップありそう」
二兎を追うように白田に目を向ける別の男性の眼差し。
「白田さん、ぜ絶対モテるでしょ。案外け経験してそうな気がするな~」
メガネを直しながら無理やりな誉め言葉が飛ぶ。
白田の表面だけをおだてるような心地悪い言葉が投げかけられるたびに、白田の胸には小さな波紋が広がる。
「どうですかね…。あんまりそう言うの分からないので。――皆さんサラダいかがですか?」
会話に軽く相槌を打ち、料理を取り分け、周囲のテンションに遅れまいと努める。
それでも、どこか外側から場を眺めているような距離感が拭えなかった。
やがて、ひとしきり笑いが続いた後。
「ちょっとメイク直しに行ってきまーす」
一人が声を上げると、女性陣が次々に立ち上がった。
「つーちゃんも行きましょ!」
「あ、はい」
白田はバッグを手に、立ち上がった。
テーブルに残された男性陣は、にこやかにグラスを掲げて見送る。
「女子トークだね〜」
「いってら~」
そう言葉を投げかける笑顔と男性陣のやりとりを背に、女性五人はぞろぞろとトイレへ向かう。
その足取りには、自然と小さな緊張感が混じっていた。
レストラン奥の化粧室。
鏡台の前には五人の女性が並び、口紅を直したり髪を整えたりしながら、ようやく周囲の視線から解放された空気を吸い込んでいた。
白田は、気が付くとべたべたとした汗が手の平中に広がっており、ストレスを洗い流すように、念入りに手を洗っていた。
鏡越しに見た自分の顔は、今日は美容室帰りでありオレンジの柔らかい照明の力も相まって美しい方ではないかと思うが、その顔には疲労が見え隠れしているような気がしている。
「ふぅ〜……とりあえず無難に進んでるね」
幹事の女性がコンパクトを閉じながら、肩をすくめる。
その言葉に、他の女性たちも「だね〜」と小さく笑いながら頷いた。
「でもさ、あの幹事の人、ちょっと自慢話多くない?」
「分かる!“俺が全部解決した”って三回は言ってたよね。しかも、誰も聞いてないのにやたら海外の話ばっか。カタカナ語も多すぎ」
「あと、金融マンの人、やたらワイン詳しいアピールしてきて正直ついていけなかった……。あと投資とか運用の話とか、もう講義受けてる気分だった」
笑い混じりの愚痴に、他の子たちが頷く。
場のテンションに合わせて笑ってはいたものの、ここでは本音がぽろぽろとこぼれていた。
「筋肉の人は、まあ……見せたがりだね」
「触ってみてって言われたけど、あれ、断るのも気を使うよね」
「わかる!でも断ったら場がしらけそうだし、触るフリだけして逃げたw」
「ユウ大変だねぇ。あれは、アリ?ナシ?」
「……ナシww」
「だよねww」
白田は鏡越しに自分の顔を見つめながら、静かに聞いていた。
その流れで、話題は彼女に向かう。
「で、白田さんはどう?初参加でいきなりあの感じだったけど」
「……正直、ちょっと押しが強いなって思いました」
白田は言葉を選びながらも、素直に答えた。
その控えめな口調に、周囲が一瞬静かになり、すぐに共感の声が重なる。
「だよね〜!“絶対モテるでしょ”とか、“美容院どこ?”とか、こっちが返しに困るやつばっかり言ってたし」
「そうそう、的外れな誉め言葉って逆にリアクションしづらいんだよね。褒めてるようで、なんか距離感バグってる感じ」
「白田さん落ち着いてるし、主張してないから逆に好印象持たれてそう。男は物静かな人に惹かれるって言いがちだし」
褒められ、白田は小さく首を振った。
「……いえ、私はユカリの代わりですから。今日は皆さんの輪を壊さないようにって、それだけで。皆さんのお目当てに割って入るとかもないですし。数合わせとして頑張ります」
その控えめな答えに、一同は「ケナゲだなぁ」と苦笑する。
既に消化試合を予感している女性陣は、そんな白田の心配を笑い飛ばす。
「お目当て今日はいないから私はいいかな!あと三十分乗り切れれば」
「私も別にって感じかな~。ユウは?」
「右に同じww」
「だよねww」
幹事役の女性が手を叩いて、話をまとめた。
「ま、とりあえず後半はこっちも作戦立てて盛り上げよ。堅苦しくなると男性陣もしぼむから」
「了解〜」
「あとあの公務員メガネは下ネタ傾向あるからアルコールセーブと話題誘導してこう」
「OK」
「よし、とりあえず今日は気持ちよく帰ってもらおう。フォーメーションKで」
四人は同時に頷いた。
そのとき、幹事がふと思い出したように言った。
「そうだ白田さん、もし後半で“ちょっとキツいな”って思ったら、ヘルプサイン出してね。目線でも、グラスの持ち方でも、なんでもいいから」
「目が合ったらすぐ察するようにするよ」
「あと、変な絡みしてくる人には“トイレ行ってくる”で逃げるのもアリだよね」
「私たちはだいたい首から上…"髪を触る"をサインにしてるんだけど――」
「私は髪を耳にかけたら“助けて”って意味にしてるの」
「ウチは髪を後ろに流すサイン」
「私は、小指で前髪流したら“そろそろ”って意味」
白田は少し迷ったあと、静かに言った。
「……私は、ネックレスを触ったら、ってことで」
その言葉に、幹事が優しく笑う。
「了解。無理しないでね。ユカリの代わりとはいえ、つかささんもちゃんと“味方”だから」
その一言に、白田の胸の奥が少しだけ温かくなる。
五人は再び笑顔を整え、レストランのざわめきへと戻っていった。
テーブルに戻ると、一列に座っていたはずの男性陣の席がいつの間にかジグザグに入れ替わっていた。
「はいはい、どうぞこちらに」
椅子を引きながら、女性をそれぞれ隣に座らせるフォーメーションが自然に出来上がっていた。
気付けば、白田の隣にも別の男性が腰を下ろしていた。
「さっき自己紹介で読書好きって言ってましたよね。やっぱり、賢い女性って惹かれるんですよ」
そう言いつつ、グラスに赤ワインを注ぐ。
「これ、ちょっと強いけど美味しいですよ。飲んでみません?」
白田は微笑みを保ちながら、グラスを軽く持ち上げた。
「…では、少しだけ」
口に含むと、確かに芳醇だがアルコールの重さが喉に残った。
周囲でも似たような光景が広がっていた。男性陣がそれぞれ女性のグラスに甘いリキュールや度数の強いカクテルを勧め、乾杯の声が繰り返される。
「お酒あんまり強くない?顔赤くなってきたね〜」
「そうかな〜?でもまだ全然平気!ヒデタカさんはお酒強いですか?」
「俺?俺は余裕だよ!ロシア帰りだからこれくらい水みたいなもんだよ」
「えーすごーい!じゃあお帰り記念にお酌しちゃおっかな!」
「おおありがとう~」
女性のひとりが明るく笑って応じる。
だが、そう笑う彼女は、男性からわずかに離れるように小さく座り直していた。
「てかさ、サエちゃん何カップ?ぜ絶対Eカップはあるでしょ?俺、ひ一目見ただけで大体のカップ数分かるんだよね」
「やだぁ〜、何それ〜!」
「当たり?当たりでしょ?Eカップあるでしょ?」
「んー、ご想像にお任せしまーす☆」
軽い下ネタ混じりの冗談に、女性たちは場を壊さぬよう笑顔で返す。
白田の耳にも、隣の男性の言葉が滑り込んできた。
「ねえ、指細いですね。ほら、比べてみましょうよ」
半ば強引に手を取られ、指先を重ねられる。
その瞬間、心臓の奥に冷たい感覚が走った。
「わ、わ~……大きいですね……」
表情は変えず、そっと手を引いた。指先に残る感触が、じわりと胸に沈んだ。
白田が愛想笑いを浮かべてやり過ごそうとしているのを、恥ずかしがっていると曲解した男性はそのままグイグイ押し続ける。
「白田さんって細いから、パソコン作業とか肩凝りしません?」
「……ええ、まあ」
「僕、マッサージ得意なんですよ。良かったら揉んであげますよ」
「い、いや…大丈夫ですよ……」
「遠慮なさらずに!結構慣れてるんで。これでもプロ並みって言われて、なかなか評判良いんですよ俺」
「本当に大丈夫なので…!」
曖昧に答えながら、グラスを唇に運んで時間を稼ぐ。
テーブルのあちこちで、似たようなやりとりが繰り返されていた。
「腰のライン綺麗だよね、ジム通ってる?」
「えー?全然通ってないよ〜!」
「ほんとかなぁ?触って確かめてもいい?」
「だーめ!お店ですよ~?」
「ここじゃなかったら良いってコト?」
「さぁ~…どうでしょうね~?」
明るい笑い声と、少しずつ高まる酒の匂い。
女性たちは表向き楽しそうに応じていたが、白田にはその笑みの端にかすかな強ばりが見えた。
「ほら、シックスパック。凄いでしょう。触ってごらんよ」
「わぁ~すごい、カチカチ!」
「鍛えてるからねえ。ベンチプレスなら百三十とか上げるし」
「すご~い、私絶対無理だよぅ~」
「俺、体力には自信あるんだよね。夜更かししても楽勝だし、疲れる事を知らないって言うか。男性ホルモンが強いって言うのかな。そういう人、どう?」
「良いと思う~。仕事に燃える人ってステキ!私すぐ疲れちゃうから仕事に熱心に打ち込める人って羨ましいな~」
ムキムキの筋肉を持て囃していた女性すらも、男性からのアピールにのみ応じる形で指先だけの接触だけに留める。軸足をこちらに残しながら笑顔を張り付け、ボディタッチはしないようにしているようだった。
誰もが楽しそうに嬉しそうに聞き、笑う。だが、その笑顔の奥にある疲労と違和感は、白田にとって見逃せないものだった。
(……早く帰りたいな)
白田の胸の奥で、微かな疲労が積み重なる。
この会で、白田は二度ほど、ネックレスに指を触れた。
後半三十分の苦行を終え、ようやく解放される。
店を出ると、夜風が頬を撫でた。
幹事の男性がスマートフォンを掲げ、声を張る。
「じゃあ最後にグループLINE作りましょうか。せっかくだし!」
その場でQRコードが表示され、全員が次々に読み込み、登録していく。
グループ招待が完了すると、男性の一人が期待に満ちた声を上げた。
「このあと二軒目どう?カラオケとか行こうよ」
だが、女性陣の反応は一様だった。
「ごめんなさい、明日朝早くて」
「私も今日はこのまま帰るかな〜」
「また機会があれば」
柔らかくもはっきりと断り、女性たちは店を後にする。
その背後から、まだ諦めきれない男性が声をかけてきた。
「俺も駅までだからさ。駅まで一緒に行こうよ」
半歩前に出て追従しようとするが、女性陣は視線を交わし、咄嗟に言葉を繋げた。
「私、このあと近くで買い物してから帰るから」
「私も!寄るとこあるんだよね」
あたかも自然な流れを装いながら、体よく同行を辞退する。
男性は気まずそうに笑い、「そっか。じゃああとで連絡するね」とだけ言って引き下がった。
五人は夜道を並んで歩き出す。
男性陣の気配が背後から消えると同時に五人が一斉に「ハア」とため息を吐いた。
それを契機に始まった会話は、もはや反省会に近かった。
「……ハズレでしたね~」
「違う違う。"大"ハズレ」
「自慢話と飲ませようとするのばっかりで、ちょっとね」
「今日中に持ち帰ろうとしてるの見え見えだし。もうちょっと隠しなさいよって感じ。四カ国語話せても女心は読めないんじゃ世話ないわね」
「はあ、やっぱり見せかけの筋肉じゃだめだわ。世界を敵に回したらすぐ負けるね、あの人」
「ほんとそれ。今日もユウのヒーローは来なかったね〜」
軽口に混じる、本音の落胆。
その中で、ユウは小さく笑った。
「……あーあ。どこに行けば私のヒーローに会えるのかなぁ」
その瞬間、曲がり角の向こうから、白いパーカーを着た男が歩いてきた。
白田が思わず目を丸くする。
「……蓮くん?」
蓮はその声に驚いて立ち止まり、目を見開いた。
「白田さん。……偶然ですね」
「はい。今ちょうど帰るところで」
「へえ。カバン持ちますよ」
「えっ、でも」
「ちょうど手ぶらなんで。こういう時は男が持つもんでしょ」
「ええ?」
自然な流れで、二人は向かい合って小さく笑う。
後ろに残された四人は意味ありげに視線を交わし、忍び笑いを漏らした。
「白田さん、今日は“ピンチヒッター”ありがとね」
「お友達の代わりに来てくれて助かったわ~」
「私たち先に行くから〜」
「じゃあねぇ」
太くも細くもない、どこにでもいる中肉中背の蓮の背中を見送りながら、四人は手近な商業ビルへと寄り道していく。
ユウは心の中で思った。
(……優しいのも良いけど。私は高身長で、スマートで、誰よりも強くて、素敵で、頼れる人じゃなきゃイヤなの)
少し歩いて振り返り、並んで帰る白田と蓮の背を見やる。
ユウの目に映るその姿は、彼女が夢見る“高身長の英雄像”とはどこか違う、物足りないものに見えた。
疲れ切っていたはずの白田は、突然現れた蓮によってぱあっと表情を明るくしていた。
切りたて染めたての髪が街灯を受けて光り、上品な装いは彼女を一層引き立てる。
夜の恵比寿の明かりに照らされながら、手ぶらの白田はヒールの靴音を鳴らし、カバンを持つ蓮の隣を歩いた。
「蓮くんはどうしてここに?」
「ん?ああー……なんか近くに美味しいカレー屋があるって聞いて、散歩ついでに」
「へえ、それって近いんですか?」
「んー……まあここからだと近くもないし遠くもないし。でも、ヒールだと大変だと思うんで今度にしましょう。白田さん今お腹いっぱいでしょ?それにもう遅いし」
「――じゃあ、今度にしましょうか」
「そうしましょう!いやー疲れたなあ」
そう答える蓮からは、スパイスの香りなど一切しなかった。
白田は小さく笑みをこぼす。
「世間って狭いですね」
「……ああ、そうですね。狭いですねえ。まさか恵比寿で会うとは。ははは」
「まさかとは思いますけど、“出動”じゃないですよね?」
「そんな……ねえ?たまたま出かけた街で、たまたま鉢合わせしただけじゃないですか。何を言ってるんですか白田さん。休んでろって言われてましたし、ご飯食べに出掛ける以外の事はしてないですよ。面白いこと言うなあ。あっはっはっは……」
白田に顔を見られないよう、やたらと高層ビルを見上げる蓮。
お上りさんのような仕草に、彼女は心の奥でくすりと笑った。
「…実は今日、友達の代わりに合コンに行ってきたんです」
「合コン。どうでした?」
白田がその問いに詰まると、蓮は「その様子だとあんまりって感じでした?」と言葉を継ぐ。
せっかく綺麗にしたネイルを見つめながら白田は力なく笑った。
「――あんまりでしたね。もう合コンはいいかなって思うくらいには。私、男運悪いんですかねぇ…」
「ええ?そんな嫌なことがあったんですか」
「もうねぇ…。蓮くん、ちょっと聞いてくれます?」
ストレスから解放されたのもあり、白田は思いつく傍から次々に今日の話をペラペラと語り出す。
デリカシーのない発言や突然のボディタッチ、的を射ない誉め言葉、明らかにお世辞としか思えない告白、耳触りの良さげな数々の会話。
それらをふむふむと聞き入る蓮との会話が心地よくて、白田は絶え間なく愚痴を吐き出してしまった。
気が付けば、白田から預かったバッグはアイテムボックスにしまわれている。
蓮は腕を組みながら考え込み、「その発言は普通しないですよ。どういう勝算があってそんなこと言ったんだろうなぁ」などと返しつつ、白田の愚痴に付き合う。
本当は蓮が自分を迎えに来てくれたのだと、白田は肌で感じていた。
そして今も、取り留めもない愚痴を何も言わずに聞いてくれるその気遣いが、胸の奥を温かくする。
友人の代わりとは言え、折角合コンのために色々準備をして綺麗に装った。期待が全くなかった訳でもなかったが、大いに想像を下回った。
これまでもそうだが、今回の合コンで白田は自身の男運の悪さを改めて自覚していたのである。
引きが悪いというのか、悪い男を引き寄せると言うのか。
何にせよ、折角友人からもらったチケットを有効に使えなかったことに、申し訳なさとやるせなさとわずかな不満・ストレスがごちゃ混ぜになっている。
何の成果もなく、モヤモヤを抱えてこのまま帰るのは少しもったいない。
かと言って、これからどこかに行こうという時間でもない。
そう思った白田は、歩きを止め、三歩先で立ち止まって振り向いた蓮に意を決して口を開いた。
「……あの、蓮くん。今日の私、どうですか?」
ふいの問いに、蓮は目を瞬かせ、彼女の全身を見た。
街灯に照らされる白田は、いつもの落ち着いた雰囲気とは違い、華やかに輝いていた。
頬をポリポリとかきながら、目線を少しだけ泳がせ、やがてポケットに両手を突っ込みながら、白田の肩あたりへ目を逸らして言った。
「……良いと思いますよ。大人っぽくて。いつもよりずっと素敵だと思いますよ」
にわかに瞬きを増やして言った蓮の言葉は短い。
両手をポケットに突っ込みながら何でもない風を装うが、白田の目を直視したのはコンマ数秒ほど。
落ち着きなく目線は動いていた。
白田は頬を少し赤く染め、目を伏せた。
「――ありがとうございます」
声は小さかったが、心の奥には静かな喜びが広がっていた。
二人はそれまでの姦しさなどなかったかのように、言葉少なに歩を進める。
夜の恵比寿は、週末らしい喧騒に包まれていた。
駅前から続く大通りにはネオンが瞬き、ガラス張りのビルに映り込む光がきらめく。
洒落たバーやレストランから笑い声が漏れ、街路樹の影が舗道に柔らかな揺らぎを落としていた。
「……白田さん」
立ち止まった蓮に不意に呼ばれて、彼女は振り返った。
夜の都会。
ヘッドライトの白い光と街の灯りが交じり合う中、白田つかさの姿が浮かび上がる。
濃紺のワンピースは膝までやわらかに揺れ、締められた細いベルトが腰のラインを際立たせていた。
ダークブラウンの髪は肩越しにさらりと流れ、光を受けて深い赤みを帯びる。
黒のヒールのつるりとした輝きとほっそりとした足。耳元でパールのピアスが一度だけ瞬き、首元の繊細な銀のネックレスが胸元に淡い光を散らした。
振り返った瞬間、髪とワンピースをふわりと広げて微笑んだその一瞬は、都会のざわめきに溶け込むどころか、彼女の存在だけが鮮烈に切り取られた一枚の絵画のように見えた。
次の瞬間、蓮の左目が青白くきらりと光り、片方だけが静かにパチリと閉じられた。
「……え?なに?どうしました?」
驚いたように問いかける白田。
蓮の顔がすぐそばを走る車のハイビームに照らされる。
「…いや、車のライトがまぶしくて」
蓮は何でもないことのように答える。
街中でハイビームにするなんて危ないな、とごまかすように、言葉を継いだ。
瞼を開けると蓮の左目は黒目に戻っており、二人は数歩挟んで見つめ合う格好に。
咳払いを一つ。蓮は振り返ったままの白田に問いかける。
「……帰りは電車ですか?それともバス?」
「うん、電車で帰るつもり」
「ヒールでですか?タクシーにしません?危ないですよ」
「まだ二十一時ですよ。贅沢せずに電車で帰ります」
「俺に乗ってもらえればタダですよ?」
「ふふ、だーめ。蓮くんは休んでください。行きますよ」
二人はJRの改札に向けて自然に歩き出す。
都会の雑踏の中に溶けていくその背中は、振り返った瞬間の輝きを残したまま、ゆっくりと遠ざかっていった。
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