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44話 白い土産物 芦原仁・猿丘勇人

 二〇二五年十月二十七日。


 ――湿った風が吹き抜けた。

 鼻を突くのは、腐った果実と排泄物の匂いだった。


 闇に沈む赤土の路地。錆びたトタンで覆われたバラックが迷路のように並び、舗装など一度も知らぬ地面は、雨水と汚物でぬかるんでいた。

 街灯は一本もない。代わりに、裸電球が切れかけの光を垂らし、夜の闇をなおさら陰惨にしている。

 遠くで犬が吠え、銃声のような破裂音が夜を裂いた。誰も驚かない。この地では、それが子守唄だ。


 黒塗りの高級車が、場違いなほど静かに停まった。

 後部座席でいびきをかく酔客二人に運転手が振り返り、声をかける。


「お客さん、着きましたよ。―――アフリカです」


 忽ち高級車は幻のように掻き消え、二人の男は地面にべしゃりと転がり落ちる。

 JIKA理事長・芦原仁と武蔵坂市長・猿丘勇人。銀の仮面の手によって、東京の夜からこの異国の闇へと、わずか一瞬で連れ去られた。


 ひらりと着地した運転手は、風と月光の下、表情の伺えない仮面を未開の闇に同化させながら、足元の二人を見下ろす。


「……ここは……どこだ……?」


 転げ落ちた衝撃でようやく目覚めた芦原の声は、震えていた。

 だが、猿丘はまだ現実を理解できず、酒の残り香を吐きながら言葉を失っていた。


 周囲に広がるのは、異様な光景だった。

 煌々と照らされた東京の夜景に慣れていた目には酷なほど終わりのない闇が広がる。雑然としたバラック群には街灯一つなく、ギリギリ見える明かりは、切れかかった街灯がチカチカと点滅する粗末な裸電球一つだけ。

 周囲の建物はどれもみすぼらしい建物ばかり。朽ち果てた壁に、赤黒い染みが点々と残る。路地の奥には、尻尾の生えた小さな黒い影が数百から数千程蠢いていたが、彼らはエサ以外には興味を示すことなく闇に消える。

 虫の羽音。余命幾許もない飢えた子供。抗争に敗れ倒れた黒人青年。整理されていない排水設備。ゴミと糞尿。とてもではないが、文化的な最低限度の生活の真逆の世界。

 ここがアフリカスラムだと理解するにはそう時間はかからなかった。


「ようこそ、"若き力の国"へ」


 低く、氷のような声が、闇を切り裂いた。

 銀の仮面の男が、ゆっくりと進み出る。

 黒いマントの裾が赤土を撫で、仮面が頼りなく点滅する裸電球に照らされる。


「――ここが、お前たちが欲してやまない未来の景色だ」


 芦原と猿丘の顔が、蒼白に染まる。

 周囲に漂う匂い、じっとりと不快な空気、スラムの物陰の奥からこちらを覗く眼。

 その全てが、異質で、圧倒的な空恐ろしさを孕んでいた。


「な、何を……するつもりだ……」

「こんな真似をして……許されると……」


 震える声を無視し、銀の仮面は手をかざした。

 空間に浮かび上がる、無数のホログラム。

 銀行口座の入金記録、送金履歴、裏金を示すメール、賄賂をやり取りする動画――。

 その全てが、二人の罪を赤裸々に語っていた。


「独立行政法人・国際親善機構、通称・JIKAジーカの理事長・芦原仁。あなたが収受した裏金は総額、二百八十七億。アフリカ諸国からの移民受け入れ、犯罪者隠匿、特定戦略物資の横流し、国際資金洗浄幇助などと引き換えに、日本の都市を“売った”。国民の生活と安全を外国に売り飛ばした売国奴だ」


「ち、違う……!売ったのではなく、私は日本の未来のために、新たな投資先・交流先としてアフリカと手を結ぼうとしたのだ……無実だ!」


「武蔵坂市長・猿丘勇人。あなたが芦原を介して受領した裏金は総額、八億七千万。抗議デモを握り潰し、治安崩壊を見て見ぬふりをした。第四期当選の布石としてありもしないパワハラやセクハラ疑惑で部下や有力者を失職させ、市民の訴えも無視。国民意識と治安と常識の明らかに異なる危険度レベル四の国から、大勢の外国人を引き入れようとした理由はやはり、金。こちらも金に目が眩んで魂を打った売国奴だ」


「……で、でたらめだ、そんなものが証拠になどなるか!でっち上げも大概にしろ…全部誤解だ!潔白だ!お前のような人間には分からないだろうが、政治と言うものはだな……!」


 醜悪な言い逃れが、赤土に落ちる。

 言い訳がましい講釈を聞きながら、銀の仮面の視線は動じない。依然として氷のように冷たかった。正当化しようと長々としゃべり続ける二人の言を打ち止める。


「――まさか、今から助かろうとしているのか?状況をよく見ろ。ここはどこで、何故あなた方二人がここにいるのか。ここに連れてきた理由と、私が誰なのか。察しの良い者なら分かると思うが…」


 マントの内側から取り出した松明に火を点け、仮面のすぐそばまで明かりを寄せる。


 それを見た二人は震えた。


「銀の…」

「仮面……!」


 政府中枢から離れているためまさかここまでは来ないだろうと高を括っていた二人の顔が一気に青ざめる。

 ニュース番組や電波ジャックで何度も目にしたあの顔。

 ノイズがかっていた音声は今はクリアな肉声として耳に届くが、二人はそんな差異に気を配るほどの余裕は全くなかった。

 止めたはずの口がもう一度開き、舌が回り始める。


「わ、私は何も悪いことはしていない、勘違いなんだ!ただ日本の労働力不足をどうにかしようと――!」

「私も誓って、やましいことはしておりません!ほら、この目を見てください。清廉潔白・一意専心とはまさに私のためにあるような言葉。武蔵坂市を再び子供の笑い声であふれる若々しい町にしようと日々精進して――!」


 助かりたい一心でペラペラと自己擁護を並べ立てる二人。

 そんな姿を冷めた目で見下ろしていたが。


「そうか。清廉潔白か」

「…っ!はい!」

「お前たちに後ろ暗い所はないというのか」

「……はいっ!」

「そうかそうか。それは失礼した」


 銀の仮面は大きく頷き、松明を持ち換えながら左手を二人に向けた。


「―――相貌変化フェイクフェイス


 一直線に放たれた青白い魔力光によって、二人の肌は透き通るような白色へと変わった。

 指先から全身、毛髪に至るまで真っ白な姿に変貌した二人は呆気に取られる。


「このアフリカの土地でもその潔白を証明できるのであれば、国民は認める事だろう」


 銀の仮面の左手からふわりと飛び立ったスフィアが、芦原と猿丘の周囲をぐるりと舐めるように三周回り、程なくして異国の夜空へ隠れるように俯瞰地点に浮かんだ。


 銀の仮面は左手に魔力を集中、半透明の弓を生み出し、右手の松明を矢として番える。


「まずはアフリカについて現地中継してもらおう。融和の為に、貴重な"現地の声"を届けてくれ」


 真っ直ぐ真上を狙いすまし放たれたその一射は、火の尾を引いて夜空を駆け上る。そして打ち上げ花火のようにバンと炸裂音を立て、柳のような残り火を垂らして散っていく。

 その照明と、銃声とは違った炸裂音は、周囲一キロ圏内のスラム街の全ての人に目撃された。



 銀の仮面が姿を消すのと同時に、バラック群の方が俄かに騒がしくなった。

 現地民が松明の炸裂音を聞き付けてやって来たが、その目と指は地面に座り込む芦原と猿丘に向けられた。




 芦原と猿丘の肌は、月光を映した陶磁器のように真っ白に輝いている。

 夜の中で一際目を引くその白い肌に、闇の奥から現れた影たちがどよめく。


 《見ろ!白い肌だ!》

 《神の贈り物だ!》

 《アルビノだ!アルビノが来たぞ!》


 声が響くたび、錆びたトタンの扉が開き、裸足の子どもから筋骨隆々の男、顔に白いペイントを施した女たちが集まってくる。

 彼らの目は、飢えた獣と同じ光を帯びていた。


 《切れ!切れ!》

 《手をよこせ!》

 《その足もだ!》


 芦原は後ずさった。

 だが、ぬかるんだ地面に足を取られ、無様に転ぶ。

 その腕を、黒くひび割れた手ががっしりと掴んだ。


「や、やめろ!離せっ!私は日本の――」


 言葉を最後まで吐く暇はなかった。

 マチェーテの鈍い光が、闇を裂いた。


 ぶちり。


「ぎゃああああああああああああああああああ!!!」


 芦原の右腕が、肩から飛んだ。

 血が噴き出し、赤土を黒に染める。

 地面に落ちた腕を、少年が拾い上げると、周囲から歓声が上がった。


 《神の肉だ!》

 《これで金になる!》

 《呪術師に渡せ!》


「やめろ!やめろおおおお!!」


 芦原が転げ回るが、大柄な黒人数人がかりで組み伏せられ全く身動きが出来ない状態にされる。誰かが持って来た数本の縄が胴を締め上げた。

 その横で猿丘が、圧し掛かって来る黒人たちに向かって半狂乱で喚いた。


「ふざけるな!何をしている!私は市長だぞ!放せ、この野蛮人どもがああああああ!!」


 だが、マチェーテは慈悲を知らない。

 次の瞬間、猿丘の左足が膝から切り落とされる。


「ぎぃゃああああああ!!!!!」


 血が吹き上がり、ぬかるみを朱に染める。

 芦原の絶叫と猿丘の悲鳴が、スラムの夜を引き裂く。


 だが、それは終わりではなかった。


 空中からスフィアと共にその光景を眺めていた銀の仮面が、左手から光を放つ。するといつの間にか芦原と猿丘の首に下げられていたネックレスが輝き――


 断ち切られた手や足の断面から、白い肉が芽吹く。

 血が止まり、肉が盛り上がり、骨が再生する。

 切り落とされたはずの腕と足が、ゆっくりと蘇る。


「なっ……なんだ……!?元に……!?」

「ひっ……ひぃぃぃ……!」


 その恐怖を嘲笑うかのように、黒い影たちが再び歓声を上げた。


 《神が遣わした幸運だ!》

 《もう一度切れるぞ!》

 《今度は両腕だ!》

 《こいつら、死なない!もっと行け!》

 《神の肉は尽きないぞ!》


 マチェーテの刃が再び振り下ろされる。

 両腕が、ざくりと斬り飛ばされた。

 二人の喉が、限界まで裂ける。


「ぎゃああああああああ!!!」

「ぐああああああああ!!!」


 再生する。切る。再生する。切る。

 肉が裂け、骨が砕け、神経が悲鳴を上げる。

 そのたびに、周囲の原住民は神の使わした恵みに感謝し、踊り、笑い、叫んだ。

 太鼓が鳴り響き、焚き火が爆ぜる。

 呪術師が顔を歪め、白い牙を剥いて吠える。


 《この肉は呪いを払う!》

 《富を呼ぶ!》

 《幸せをくれる!》

 《我々はもっとこの肉を手に入れるべきだ!》


 両手足を何度切られても終わりは訪れない。

 手の回復を待つ間に足を切り、足の回復を待つ間に手を切る。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「殺せ!殺してくれ!もういやだ!死なせろぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 だが、死は訪れない。

 天から見下ろす銀の仮面の無尽蔵の魔力が、それを許さない。


 無限の地獄。

 肉が裂けるたび、彼らの心は削られ、砕け、溶けていく。

 涙と涎と血で顔をぐちゃぐちゃにし、声が枯れても叫びは止まらない。

 持ち込まれた太鼓と笛で祭りのような盛り上がりを見せる一方、芦原と猿丘の絶叫によって皮肉にも多くの人々を寄せ集めてしまい、俺も俺も、もっともっと、と手足を奪われ続けた。





 赤土に、朝日が滲んだ。

 腐臭と煙が漂う路地の奥で、太鼓の余韻がまだ鳴っている。夜通し続いた狂乱は、夜明けを迎えても冷める気配を見せなかった。

 だが、儀式に集まった面々の多くは疲れ果てて去り、代わりに――噂を聞きつけた別の群れが押し寄せてくる。


 《ここか?》

 《白い奴がいるって?》

 《死なないって本当か?》


 女の笑い声。子供の甲高い歓声。

 昨日とは違う匂い――生臭い血の匂いに、汗と土の湿った臭気が混じり合う。


「……っ、……」


 芦原は胴を電柱に縛られたまま、半ば意識を手放しかけていた。

 その隣の電柱で、猿丘も虚ろな目で唇を震わせている。

 二人の肌はまだ雪のように白い。夜中に幾度も斬り刻まれ、再生を繰り返した痕跡が全身に走っていた。

 肩口から先と太ももの付け根から先の衣服は破られているが、再生した手足は何事もなかったかのように白く無傷の肌を残している。

 一晩中続いたこの世の地獄に、顔面はアルビノの物とは違う不気味な青白さが色濃く滲んでいた。


 《見ろよ、まだ生きてる》

 《昨日からか?》

 《神の肉だって?》

 《どれだけ切り取っても死なないんだよ。面白いからお前、撃ってみろよ》


 笑い声が広がる。

 銃口が、太陽を反射した。

 少年たちが小さなカラシニコフを握りしめ、弾倉を叩いて笑う。


 《パパ!ぼくが撃っていい?》

 《好きにしろ》

 《じゃあ次はぼくが撃ちたい!》


「や……やめ……ろ……」


 芦原が微かに呟く。

 だが、その声は雑踏に飲まれた。


 ――乾いた破裂音。


 鉛が、空を裂く。

 一発目の弾丸が芦原の腹を貫いた。

 血飛沫が赤土に散る。芦原の口から、濁った悲鳴が漏れた。


「う……ぐああああああっっ!!!」


 すぐさま、別の銃声。

 猿丘の肩が弾け飛ぶ。肉片が、傍らの少年の足元に転がった。


 《ハハハ!当たった!》

 《もっと撃て!》

 《今度は頭だ!》


 銃声が連なる。

 耳がちぎれる。指が砕ける。

 電柱に縛られたままの芦原と猿丘は、弾丸に刻まれながらのたうち回った。


「やめろ……やめてくれえええええええええええええええ!!!」

「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 だが、死は訪れない。

 夜と同じく、銀の仮面が遠くから流し込む魔力が、二人の体を再生させていた。撃たれた肉が、花の蕾のように開き、肉色の新芽を伸ばして閉じる。骨が再び形を取り、皮膚が覆う。

 ――だが、再生は苦痛を和らげない。麻酔もなく切られ、撃たれ、終わる事を知らない。鶏も黙る程の断末魔が、朝の空気を裂き続けた。


 《まだ生きてる!》

 《こいつら化け物か?》

 《ハハハ、いいなこれ!》

 《もっと撃て!》


 笑いが重なる。

 女たちも寄ってきて、罵声を浴びせる。

 そして、子供たちが石を拾った。


 《ぼくもやる!》

 《投げろ!》

 《頭を狙え!》


 石が飛ぶ。

 頬が裂け、眼窩が潰れ、歯が飛び散る。

 そのたびに、血と涙と涎が泥に混じった。


「や……やめろ……やめてくれぇぇ……!」

「誰か助けてくれええええ!!!!」


 芦原の声は掠れ、猿丘の絶叫は嗚咽に変わっていく。


 ――暴力は加速した。

 銃弾だけでは飽き足らず、男たちがナタを振りかざす。

 射的感覚で回転しながらナタが胸に刺さる。新たにやって来た住民が土産に腕を斬る。足を斬る。

 骨が砕ける音がリズムになり、子供の笑い声が伴奏した。


 《もっと切れ!》

 《肉を持って帰れ!》

 《足をよこせ!》


「いやだ……もう殺せ……もう殺してくれぇぇぇ!!!」


 その叫びは、誰にも届かない。

 娯楽と知識と常識が少ないやせた土地に、二人の悲鳴と血が広がる。




 太陽が西の空へ沈もうかという頃。

 芦原と猿丘の手足を切り取って満足した人々は土産を手に岐路につき、娯楽感覚で痛めつける人々がまだ残る広場。夜になってからも新たに手足を求めて人々はやって来る。


 電柱周辺にはおびただしい量の血が広がっているが、二人は絶命していない。

 首に下げられたネックレスによって無理矢理回復させられ、死ぬことすら許されない。


 痛みと苦しみに一日中叫び続け、喉はカラカラ。

 もう命乞いの声すらも、まともに周囲の人々には届かない。


 絶え間ない銃声と歓声の渦中、ひときわ甲高い声が響いた。


 《おい、こいつの首に何か光ってるぞ》

 《宝だ!》

 《取れ!取れ!》

 《これは良い金になるぞ》


 群衆の視線が、芦原の首に集まる。

 銀の鎖が、血と泥の中で鈍く輝いていた。

 それは、銀の仮面が付与した回復用の魔法具――再生の命綱。


 《よこせ!》

 《壊すんじゃねえぞ!》

 《雑にやるな、俺がやる!》


 黒い手が四方から伸び、血まみれの鎖を乱暴に引きちぎる。

 芦原の喉に焼けるような痛みが走った。


「や……やめ……それは……!」


 息が詰まり、言葉が途切れる。

 鎖は、泥の上で奪い合う群れの中に消えた。


 ――その瞬間、魔力の流れが断たれた。


 芦原の胸が、氷に締め付けられたように冷えた。

 切り取られたばかりの手足はぴたりと再生を止め、断面から滴る血は止まらない。再生の兆しは――どこにもなかった。


「……あ、あれ……?……戻らない……」


 芦原が自分の肩を見下ろす。

 骨がのぞき、肉が裂け、血が赤土を濡らしていく。

 何度も繰り返していた再生は、もう起きなかった。


「……返せ……ネックレスを返せ……!」


 掠れた声が漏れる。

 殺してくれと叫んでいた舌が、今は生に縋る言葉を吐いていた。


 その横で、同様にネックレスを奪われた猿丘も呻く。


「た、助けて……死にたくない……返せ……それを返せぇぇ……!」


 必死に手を伸ばすが、腕はすでに片方ない。

 残った片腕も、血が止まらず震えている。


 《ハハハ!慌ててるぜ!》

 《おい、こいつらの手足が治らないぞ》

 《これでおしまいかよ》

 《神様も終わりだ!》


 群衆の目が変わった。

 信仰の眼差しは、冷たい欲望に塗り替えられていく。


 《死ぬ前に――取り出せ!》

 《臓器だ!》

 《肝臓!心臓!腎臓!》


 刃物が光った。

 ナタ、錆びた包丁、マチェーテ、ありったけの鉄が群衆の手に握られた。

 歓声が地鳴りとなり、二人の体に殺到する。


「や……やめろ……やめてくれ……死にたくな……」


 芦原の叫びは、刃の雨にかき消された。


 腹を裂く音。

 臓腑を掴み出す手。

 血と脂と泥が混ざり合う赤黒い水たまりの中、肋骨の内側に刃物――固い何かをねじ込まれている感触が伝わり、抜き取る笑い声が響く。


 《これでいくらだ!》

 《心臓を早く!》

 《傷つけるなよ、丁寧に取り出せば高く売れる!》

 《腎臓は俺だ!》

 《眼を抜け!》


 猿丘の喉から、野獣じみた絶叫がほとばしった。


「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!!」


 その悲鳴も長くは続かなかった。

 肺を貫く刃が、声を奪ったからだ。


 血の匂いに、ハエの群れが黒い煙のように舞い上がる。

 肉が裂かれ、骨が軋み、命が刻まれる音が、群衆の歓声に重なって響き渡った。


 やがて、二人の声は消え、動きも止まった。

 芦原と猿丘の肉体は、無惨な赤い残骸と化し、その断片すら争奪の対象となった。


 《まだ熱いぞ!》

 《売れる!》

 《神様、ありがとう!》


 群衆の笑い声と金切り声が、夕空に吸い込まれていく。

 血肉の匂いが、風に乗った。


 ――その光景を、高所の影から見下ろす仮面があった。

 銀の仮面は、ただ静かに、スフィアと共にその結末を見届ける。


「……これがお前たちの輸入しようとした"多様性"だ」


 淡い月光を宿す仮面が、ゆっくりと空を仰ぐ。


 目の前で人間が死んだ。

 しかし悼むどころか白い歯を覗かせて死体に群がる光景。


 銀の仮面は、スフィアの向こうで日本人がこの光景を見てどう感じるのか、思いを馳せる。


 人の生き死にが先進国ほど重大事項でなく、娯楽の延長線上に存在しうる価値観の相違。

 集団心理に任せて、言葉が通じないながらも命乞いをして来ている人の声を無視して傷付ける残酷さ。

 子供にすら銃を持たせて撃たせる教育水準と倫理観の低さ。

 どれを取っても、平和ボケした日本人の目を覚ますには、良い薬となった。少々苦過ぎるものではあったが。



 銀の仮面が右手を強く握りしめ、グッと拳に力を込めると、盗まれた二つの回復のネックレスは木っ端微塵に砕け散った。


 《何やってるんだ!》

 《ああ、俺の金が!》

 《クソッ、ふざけんなよ!》

 《よくもしくじったな!》

 《殺せ!殺せ!》


 砕けたネックレスを持っていた男二人に、どこからともなく廃タイヤを持ち寄り、頭から被せる。

 廃タイヤを八つ九つと積み上げると男たちは身動きが取れなくなり、そのままタイヤにガソリンをぶちまけて火あぶりの刑に処す。


 男たちは悲鳴を上げるが、周囲の人々は驚くこともなく、拳を突き上げたり指笛を吹いて笑っている。

 この殺し方も慣れているのだろう。この手段一つ取っても、全然珍しいことではないかのようだ。


 また新たな争いが地上で生まれ、黒い煙に包まれながら現地民同士が殺し合うのを尻目に、銀の仮面はスフィアをマントの内側に収め、遠い東の空へと消える。



 芦原と猿丘の遺体は、手足と臓器と肉と骨と髪に至るまで全て有用な部分は持ち去られた。

 ハイエナに食い散らかされたように、完全にバラバラとなって。

次話は明日20時投稿予定です。

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