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43話 ジーカの悲劇

 リビングのテレビ画面いっぱいに、華やかな笑顔と握手が映し出されていた。

 民族衣装を纏ったアフリカの要人と、日本の地方都市の市長たち。背後にはカラフルな国旗と、【国際親善都市協定 締結式】と記された横断幕。

 壇上の人物たちは、まるで舞台俳優のように笑顔を貼りつけ、カメラのフラッシュに合わせて手を振っていた。


『本日、独立行政法人・国際親善機構、通称JIKA(ジーカ)は、"カントリーシティ構想"を正式に発表しました――』


 アナウンサーの声が、やけに弾んでいる。

 その抑揚は、まるで祝祭の鐘のように耳に響き、画面の向こうにある現実を、きらびやかな幻想へと塗り替えていく。


 映像は切り替わり、JIKA理事長の芦原仁が壇上でスピーチする姿が映る。

 スーツの胸元に金のピンバッジを輝かせ、満面の笑みでマイクを握る男。

 その笑顔は、どこか作り物めいていた。目尻の皺は動かず、口元だけが機械的に動いている。


『第一弾として、日本国内の四市が、アフリカ諸国の“カントリーシティ”に認定されました。文化・産業・人材の交流を深め、互いに未来を築くための歴史的な一歩です』


 その言葉に合わせて、テロップが派手に躍る。

【国際共生のモデルケース!】【地域活性化に期待】【強力な少子高齢化対策】

 画面の隅では、拍手する市長たちの顔が次々と映される。

 その中には、武蔵坂市長・猿丘勇人の姿もあった。

 彼は、他の市長たちと同様に笑顔を浮かべていたが、その目はどこか虚ろだった。


 次に映し出されたのは、アフリカの子供たちが笑顔で踊る映像と、日本の祭りのシーンを組み合わせたプロモーションビデオ。

 太鼓の音とジャンベのリズムが交錯し、画面は色彩の洪水となる。

 映像の隅に、英語と現地語でこう書かれていた――


「People move freely.The future is borderless.(人々は自由に動く。未来に国境はない)」。


『今回の協定で、対象となる都市間では相互の人的移動を活性化させる方針です』


 アナウンサーの言葉に、コメンテーターが満面の笑顔で、まるで用意されていたセリフを立て板に水を流すがごとくスラスラと語りながら頷く。


「素晴らしい取り組みですね。地域が国際色豊かになり、観光やビジネスにもプラスでしょう」

「国際共生の時代ですよ。閉ざされた価値観から脱却しなければ」


 その言葉の裏にある現実を、誰も語ろうとはしなかった。

 画面の中では祝祭が続いていたが、画面の外では、別の炎が燃え上がっていた。


 ――SNSは、今、火を噴いていた。


 《誰が決めた?市民投票したか?》

 《移民特区じゃねーかww》

 《文化交流って言葉で誤魔化すな》

 《そもそも今ですら治安悪いのに、これ以上外人を呼び込むとか正気の沙汰とは思えない》

 《JIKAって何様?》

 《こいつら天下りだ!俺たちの税金が湯水のように使われてるぞ!》

 《しかも怪しい金の流ればかりだ。こいつら利権団体だ。相当腐ってるぞ》


 ネットニュースのコメント欄は、賛成意見を探す方が難しいほどの炎上状態。

 しかしテレビは、それを一切取り上げない。

 国際親善の旗を背にしながら、芦原たちは笑っていた。




 東京都武蔵坂市――多摩川沿いの小さな地方都市。

 古びた商店街が軒を連ね、駅前ロータリーにはタクシーが数台並ぶ、穏やかな街だった。


 夕暮れ時には、川沿いの遊歩道を散歩する老夫婦の姿があり、商店街の八百屋では、顔なじみの客が「今日は大根が安いね」と笑い合っていた。

 だが、手近な都会へ若者が多く流出してしまった事で、高齢化が進むこの町は、どうにか住民を呼び込もうと町おこしや地域振興策を打っては外し、打っては外しの低迷の中にあった。

 温泉が出るわけでもなく、名産があるわけでもなく、目玉になるような物もない、無い無い尽くしの町において、『もうこのままでもいいじゃないか』と半ば諦めるように流れに身を任せる方向で町の方針が定まった頃、風雲急を告げる形となった。


 今、その街並みはまるで異国だった。

 カントリーシティ構想が出て間もなく、家族を連れて来日した外国人がこの町に押し寄せているのだ。駅前に立つ看板の半分以上は既に現地語と英語に置き換わっているが、ここで一気に外国からの流入の波が加速した。


 コンビニの隣には、アフリカ系の飲食店と両替所が新たにオープンし、昼間から黒い肌の男たちが大声で言葉を交わしている。その声は、かつてこの街に響いていた商店街の呼び込みとはまるで違う。言葉のリズムも、笑い声の高さも、異質だった。


 スーパーの棚には見慣れない香辛料と輸入食材がずらりと並び、日本語の説明はほとんどない。パッケージには、現地語の文字が踊り、見慣れた調味料の棚は隅に追いやられていた。


 夕方の駅前、電柱にもたれてスマホをいじる数人の外国人グループ。その視線を避けるように、日本人の若い女性が足早に通り過ぎた。彼女の肩はわずかに震えていた。

 そして――事件は、あっという間に起きた。


 午後七時過ぎ。武蔵坂駅前のコンビニ。

 店内の防犯カメラが映し出したのは、三人組の黒人男性がレジを襲う瞬間だった。

 怒号とともに、ナイフが振り下ろされ、店員の腕に血が滲む。必死で抵抗した青年は、陳列棚に叩きつけられ、頭を打って動かなくなる。レジの金を奪った男たちは、笑いながら外へ飛び出し、闇に消えた。

 通報を受けて駆け付けた警察官は、現場でこう呟いたという。


「文化の違いを尊重しましょう」と。


 その言葉は、現場に残された血の匂いと、あまりにも乖離していた。


 翌日、ネットニュースはこう報じた。


【武蔵坂市で外国人グループによるコンビニ強盗店員重傷】

【住民「もう夜は外を歩けない」】


 だが、JIKAの公式サイトには、こう掲げられていた。


「多様性を受け入れてこそ愛です。若きアフリカの力で日本をよみがえらせましょう」と。


 その言葉は、まるで事件などなかったかのように、明るく、軽やかだった。だが、街の空気は、確実に変わっていた。人々は、互いの目を避けるようになり、夕方にはシャッターが早く閉まるようになった。子どもたちは、塾の帰りに親が迎えに来るようになり、老人は散歩をやめた。

 武蔵坂は、静かに、しかし確実に、沈黙の街へと変貌していた。




「続いてのニュースです」


 アナウンサーの声とともに、画面が切り替わる。

 映し出されたのは、豪華なホテルのシャンデリアが輝くホールだった。

 列席するのは、海外の政財界の要人、企業幹部、そして――中央に立つ一人の男。


『独立行政法人・国際親善機構(JIKA)の理事長、芦原仁氏が、今月開催された国際経済フォーラムに出席しました』


 映像の中で、芦原は満面の笑みを浮かべ、外国の賓客とグラスを合わせていた。

 六十を越えた白髪の男。その立ち振る舞いには、外務官僚時代の癖が染みついている。金色のタイピンがライトを反射し、その光がやけに冷たく見えた。彼の笑顔は、どこか仮面のようで、目の奥には計算された光が宿っていた。


『カントリーシティ構想について芦原氏は、「これは日本とアフリカの未来を結ぶ架け橋であり、国際共生の象徴だ」と強調しました』


 カメラがパンし、芦原の言葉に笑顔で頷くゲストたち。

「未来」「共生」「架け橋」――その言葉は、耳障りが良い。

 だが、その裏で何が動いているのか、テレビは一切触れない。


 映像の奥では、ワインのグラスが静かに交わされ、拍手が鳴る。

 その拍手の音は、祝福というより、取引の成立を告げる鐘のようだった。


 代わりに、SNSがざわついていた。


 《俺たちの事なんか無視でJIKA理事長はクルーズパーティーかよ》

 《某ゼネコン会長と乾杯してる写真流出。利権の匂いしかしねぇ》

 《裏金いくら動いてんの?国民の血税だぞ》

 《見れば見るほどムカつく狸ジジイだな》

 《この国、もう終わってるだろ》


 白田は、静かにキーボードを叩いていた。

 モニターには、匿名掲示板やリークサイトのスクリーンショットが並ぶ。

 "JIKA関係者の豪華接待リスト"と題されたファイルを開き、彼女の指先が止まった。


「……やっぱり出てきました。ゼネコン、外食チェーン、広告代理店。それに……政界の大物」

「金額は」

「ゼロが多すぎて笑えますよ。総額で二百億は軽く超えてますね」


 白田は、指先で眼鏡を押し上げながら続けた。

 その声には、怒りよりも冷静な諦念が混じっていた。


「この“カントリーシティ構想”、国会も内閣も正式に承認してません。承認印を押したのは、“国際親善”を名目にしたJIKA単独の独断」

「そんなことが出来るんですか?政府を通さずに」


 蓮は、ソファに腰掛けたまま、その画面を見ていた。

 カップの中のコーヒーは、もう冷めている。

 その香りは、部屋の空気に溶け、どこか焦げたような苦味を残していた。


「市民投票も、議会承認もないですね。彼らの“山吹色のお菓子”のおかげでそれはスムーズに通ったようです」

「……まだ国を売る奴らがいるのか」


 蓮の低い声が、部屋の空気を震わせた。

 彼の視線が、モニターの中で笑う芦原の顔に向く。

 蓮の目に映るその顔は、何も語らない。ただ、この栄華が崩れることなど全く想像していないようだった。

 その無防備な笑顔が、逆に不気味だった。




 灰色の空の下、武蔵坂市役所前は怒りで煮え立っていた。


「治安を返せ!」

「外国人受け入れ反対!」

「市民の安全を守れ!」


 プラカードの林が揺れ、スピーカーからシュプレヒコールが木霊する。

 広場には老夫婦、子連れの母親、学生服の少年少女、スーツ姿のサラリーマン。彼らの顔には、深い疲れと焦燥が刻まれていた。それでも声を張り上げずにはいられなかった。その声は、怒りというより、祈りに近かった。


「うちの子が夜道で襲われたんです!犯人は捕まってません!」


 震える声で叫ぶ女性の手には、小学生のランドセルと写真。

 そのランドセルはもともとの赤色に、乾いた茶色が痛々しくこびりついていた。

 写真の中の笑顔は、今にも動き出しそうなほど生き生きとしていた。

 だが、その命は、もう戻らない。



「警察に言っても“文化の違いを尊重しましょう”って……誰を守るための警察なんですか!私たちの子どもの安心を守るのが仕事じゃないんですか!」


 その叫びは、群衆の中で何度も繰り返された。


「娘を守れなかった!」と嗚咽する男。

「家族を失った!」と怒鳴る老人。

 その声は、風に乗って市役所の壁を叩いたが、窓は固く閉ざされたままだった。


 武蔵坂市長のSNSでは、「少なくともこの取組によって武蔵坂市や東京都が危険になる、犯罪が増えることはありませんのでご安心ください。」と的外れなコメントをするのみならず、「SNS上でデマばかり呟くインプレッション稼ぎのアカウントの話にはお気をつけくださいね。」と市民の悲鳴や移民による弊害、政府にとって都合の悪い実情は全てデマだと切り捨てた。


 その投稿には、いいねが数百件。だが、そのほとんどが、JIKA関係者と見られるアカウントだった。

 市民の声は、アルゴリズムの海に沈められていた。




 同じ光景が、他の三市でも繰り広げられていた。

 北陸の町でも、九州の港町でも、東北の山間の市でも。

「街を返せ!」「移民を押し付けるな!」の声が秋の空に響いた。


 だが、地方のテレビ局は短い映像を流すだけで、全国ネットは一切報じない。

 新聞も一面には載せず、片隅に小さな記事を置くだけだ。


 その記事の見出し【地域で意見分かれる声も】は、まるで抗議の熱を冷ますように淡々としていた。

 市民の必死の訴え、怒りが単なる意見の違いに過ぎないかのように受け流される。


 現実では響かないと悟った人々の抗議の声は、SNSで拡散され続けた。だが、拡散されるほどに、アカウントは凍結され、投稿は削除された。

「不適切な内容が含まれている可能性があります」

 という警告文が、真実の上に貼り付けられた。

 市民は、声を上げるたびに、沈黙を強いられた。




 そして、東京――虎ノ門。

 ガラス張りの高層ビル、JIKA本部の前にも、怒れる群衆が押し寄せていた。


「国を売るな!」

「利権の犬ども!」

「日本を返せ!」

「JIKAは今すぐ解体しろ!」


 ビルの入り口に立つ警備員と警察官の列は、盾のように無言で抗議者を見下ろしている。その目は、怒りではなく、無関心だった。彼らは命令に従っているだけだった。


 だが、怒号の中で、一人の初老の男が声を張り上げた。


「息子を殺されたんだ!ただいつもの帰り道を歩いていただけなのに……それを何もせずに放置しておいて、今度は街を壊すのか!ふざけるな!」


 その男の手には、息子の写真が握られていた。

 隣で泣き崩れる妻が、声にならない声で叫ぶ。


「どうして、どうして私たちばっかり……静かに暮らしていたいだけなのに…!」


 群衆の怒りは、絶望に変わりかけていた。

 そのとき――黒塗りの公用車がビルの車寄せに滑り込む。

 群衆の視線が、一斉に車の後部座席に注がれる。


 芦原仁だった。


 上質なスーツに身を包み、指先には金色のカフス。車から降り立った彼は、SPに囲まれながら、一歩も抗議者に目を向けなかった。


 いや――かすかに、唇の端を歪めた。

 笑っていたのだ。

 それは侮蔑の笑み。

 国民を見下し、己を選ばれた存在と信じて疑わぬ者の笑み。


「芦原ァァ!お前らのせいでこの国は終わるんだぞ!」

「恥を知れ!」

「非国民!」

「売国奴!」

「地獄に落ちろ!」


 怒声が飛ぶ。しかし、彼は何一つ反応しない。

 厚いガラスの扉が閉まり、その姿はビルの中に消えた。

 その背中には、何一つ迷いがなかった。



 ――その夜。ネットニュース映像が赤く染まる。


「速報:武蔵坂市で外国人による暴行事件被害女性重体」


 画面に映るのは、コンビニの駐車場。

 血痕を覆うブルーシートが風に揺れ、警察の規制線が無言の壁となって立ちはだかる。ネット局リポーターの声は沈痛で、言葉を選びながら現場の状況を伝えていた。


 泣き崩れる家族。

 いつもの朝の挨拶を交わして出掛けた娘の帰りは、あまりにも無残だった。母親は、震える手で娘の写真を握りしめ、嗚咽の合間に言葉を絞り出す。


「いつもと同じように、行ってきます、行ってらっしゃいと言ったあの会話が、最後になるだなんて…。いつもの道をいつものように帰ってくるだけだったんです……それだけだったのに……」


 父親は、言葉を失い、ただ肩を震わせていた。その背中には、怒りと悲しみと、どうしようもない無力感が重なっていた。

 アナウンサーは言う。



「JIKAのカントリーシティ構想の対象都市で、治安悪化の懸念が広がっています」


 ネット局の中継映像は細々と被害を訴え、沈痛な顔を浮かべてニュースを伝え続ける。

 だが、地上波大手の各局は沈黙を守り、新聞各紙も一面には載せず、社会面の片隅に小さな記事を置くだけだった。

 政府の公式発表はなく、JIKAの広報は「個別の事件についてはコメントを差し控える」とだけ述べた。

 その言葉は、まるで事件が「例外」であるかのように響いた。

 だが、街では、例外が日常になりつつあった。




 白田は、ハンカチを握りしめ、ネットニュースの画面を消した。震える指先が、机に落ちる音だけが響く。その横で、蓮は無言のまま立ち上がった。冷め切ったコーヒーの香りが、空気に溶ける。


「……もうこれは親善交流構想じゃない。れっきとした侵略です」


 白田の声は低く、乾いていた。その言葉には、分析者としての冷静さと、ひとりの市民としての怒りが同居していた。


「国際親善は名ばかり。街や人がどんどん侵されていく。それに声を上げても、誰も止められない」


 蓮は答えない。

 ただ、机の上に置かれた癒しのペンダントの山を見つめていた。

 詐欺被害者やいじめ被害者救済のために補償として用意していたペンダントの残りであった。

 透き通る美しい海を閉じ込めたような藍色のそのペンダントは、身に着ける者の心の傷を癒す。しかしそれは失われた日本の美しい空のようでもあった。

 かつてこの国にあった、静けさと誇りと、確かな未来を見るように。


「どうしますか?」


 白田の問い。

 その声は、決意を促すというより、確認だった。

 蓮の中には、すでに答えがあった。


 ペンダントを手に取る蓮。

 冷たい金属が掌に馴染んだ瞬間、胸の奥で炎が揺れた。

 それは怒りではなく、使命だった。


「――法が機能しないなら。やることは決まってる」


 その言葉は、静かだった。

 だが、その静けさの中に、確かな刃があった。







 東京の夜景に、分厚い雲が浮かんでいた。その中を、一人の男が歩む。

 黒いマントの裾が麻布台ヒルズの頂上に翻り、仮面が雲間からの月光を受けて銀に光った。


 その姿は、夜の闇に溶けながらも、確かな意志を刻んでいた。

 そして、闇に溶けたその背は、静かに、しかし確実に、二人の名を刻んでいた。


 一人目はJIKA理事長、芦原仁。


 芦原は日本人の生活を犠牲にすることで、巨額のアフリカマネーと日本の血税の両方を得ることを選んだ。天下り先として元官僚のネームバリューを笠に着て権力を振りかざし、団体内部では自分に逆らうものは全て閑職に追いやった暴君にしてJIKAの王。

 外務省勤務当時は外務大臣の座には就けなかったものの、今ようやく、事実上移民たちの入国ゲートを開け閉めするボタンを手中に入れたと言っても過言ではない。



 二人目は武蔵坂市長、猿丘勇人。


 現在で三期目となる猿丘は芦原からのマネーを最も多く受け取った共謀者としてその罪は免れない。

 市民からの請願や署名は形だけ受け取って即処分。連日の市役所前での抗議も右から左。自分の出世と金以外には興味がなく、自分の安全さえ担保されれば市民の生活はどうでもいいと考える、人の上に立ってはならない人物。


 白田のデータにも裏付けられた二人の悪行の数々は、もはや酌量の余地はない。

 その罪状は、紙に書けば何枚にも及ぶだろう。だが、夜の東京を見下ろす仮面の男にとって、それは一言で済む。


「天誅だ」


 今宵、芦原と猿丘は麻布界隈では知る人ぞ知る超高級クラブで接待を受けている。

 金糸を織り込んだカーテン、クリスタルのシャンデリア、壁にはヨーロッパの油絵。テーブルの上には、一本で庶民の月給が飛ぶシャンパン。

 ナイジェリア政府とタンザニア政府の息がかかった民族団体による熱烈なラブコールと共に、二人の両隣を美女、美女、美女。

 露出の多いドレスを見せびらかしながら、左右から芳香を漂わせて太ももや腕に肌を密着させる。


「芦原センセイ。猿丘シチョー。ゴ尽力、アリガトゴザイマス」

「いやいや、皆さんのおかげで我が国も活気づくと言うモノです」

「アフリカパワーで武蔵坂は勢いを増すことでしょう。こちらこそ感謝致します」

「私タチノ国、マダ良イ所、イパイ。モト、伝エタイデス」

「ははは、もう既に伝わっていますよ。なあ猿丘君」

「ええ、しっかりと頂いていますよ」


 芦原仁は、カフスの金を光らせながら笑った。

 ナイジェリアの政財界から届いたワイン、タンザニアの宝石をあしらった宝飾品。洗練された大和撫子の最上級の接客。すべてが彼らの贅沢を彩っていた。


「今夜はとことん飲もうじゃないか、勇人君」

「ええ、遠慮なくいただきます。理事長」


 二人が傾けるシャンパンは、月白の泡を弾けさせながら、まるで祝杯のように光を放っていた。

 グラスの縁が触れ合う音は、まるで勝者の鐘のように響き、クラブの空気をさらに甘く濁らせる。

 明日を疑うこともなく、美女と高級酒と宝飾品に囲まれながら助平顔を晒し、あちこちへ下品な手指を伸ばし、二人は大いに夜を愉しんだ。


 笑い声は絶えず、テーブルの上には次々と料理が運ばれ、ワインのボトルが空になるたびに、別の銘柄が開けられた。

 猿丘は、隣の女の耳元に顔を寄せ、何かを囁きながら太ももに手を這わせる。

 芦原は、金のカフスを弄びながら、タンザニア産の宝石を贈られた指輪を指にはめてみせる。

 その指輪は、まるで王冠のように彼の指を飾り、彼自身がこの国の支配者であるかのような錯覚を与えていた。


「――末期の酒だ。たんと飲むがいい」


 ヒルズ頂上から視られているとは露知らず、二人が傾けるシャンパンは月白げっぱく色を映しながら弾けてゆく。泡のひと粒ひと粒が、まるで過去の罪を祝福するかのように、静かに空気に溶けていった。


 その帰り、足元の怪しい上機嫌な二人が乗った二台の車の行先は、銀の仮面によって捻じ曲げられる。

 夜の街はまだ眠らず、ネオンが滲むガラスの向こうで、彼らは何も知らずに笑っていた。


 二台の運転手は、いるはずの後部座席の要人がいつの間にか失踪していることに気付かず。車内には、香水と酒の混じった残り香だけが漂っていた。

 当の二人は、運転しているのが見知らぬ謎の人物にすり替わっている事を見抜けず。分乗していた二人が同じ車の後部座席で肩を寄せて同じ空気を吸っていることも理解せぬまま、呑気に眠りこけていた。


 二人を後ろに乗せて運転する仮面の男の背中は静かで、言葉を発することもなく、ただハンドルを握る。東京の冷たい夜景が反射するように仮面は銀白に光っていた。


 夜の麻布を発った黒塗りの高級車は、どことも知れぬ原野へと走って行ったのだった。

 街灯が途切れ、ビルの影が消え、舗装された道が土に変わる頃、車内の空気は一変する。

 窓の外には、何もない。

 ただ、沈黙と闇だけが、二人を包み込んでいた。


 そして――その沈黙の中で、銀の仮面が、ゆっくりと振り返った。


「お客さん、着きましたよ。―――アフリカです」

次話は明日20時投稿予定です。

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