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38話 過程の時間

 ――チャイムの鐘の音が鳴った。


 校舎中に響き渡る、低く鈍い狂った鐘声。朝礼台に立つ銀の仮面のマントがひらりと揺れ、地獄の門が再び開いた。


 ようやく四日目の夜が終わったと思ったのも束の間、千五百名の加害者たちの夜はまだ終わらない。背筋に冷たい電流が走る。焼け焦げた悲鳴と、黒炎に呑まれ、名前すら残さず消えた者たちの顔が、鼓膜と瞼の裏に焼き付いている。


 恐怖は、もう理屈ではなかった。全員が本能的に理解していた。この仮面の前では、途中離脱も叶わず、対抗手段もなく、無力なまま強雨を打ち付けられながら、吹き飛ばされぬよう台風が過ぎ去るのをただじっと耐えるしかないのだ。


 銀の仮面は、校庭に集められた加害者たちを見渡し、やや場違いなテンションで告げる。


「――さあ。これから楽しい延長戦の時間です。皆さん元気いっぱい、楽しんでください」


 その声音は妙な明るさがあり、一片の感情も見えない仮面姿とはあまりにも不釣り合い。アトラクションの係員のような明るい声色の銀の仮面だったが。


「と、言いたい所ですがその前に…」


 がらりと重々しい命令口調に変え、空気を凍てつかせる。


「まず、十分以内に学年が同じ者同士で十人一組の班を作りなさい。なお、高校三年生以上および中学一年生以下は上下限を設けない。十分を過ぎても組を作れなかった者は、その場で"終了"とする」


 ざわり、と空気が揺れた。

 空中にデジタルタイマーが現れ、カウントダウンが始まる。


「用意、スタート」


 九分五十九、九分五十八、九分五十七……。

 頭の奥で何かが弾ける音がする。


「は……?」

「十人……?」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ……!」


 戸惑いの中、わずかに文句が漏れるが、最初に走り出したのは、本能に従った連中だった。恐怖で我を忘れ、ただ”死にたくない”という衝動だけで隣にいる者の腕を掴む。


「中三集まれー!お前とお前、こっち来い!」

「組んで!早く!俺と組め!」

「高一の人いるかー!あと八人!あと八人来てくれ!」

「高三以上はこっちに集まれ!おい、そこのオバサンこっちに来い!」

「中一と小学生の人あと六人足りませーん!誰かー!」


 パニックは瞬く間に広がる。人波がぶつかり、悲鳴が交錯する。誰かの腕を引きずり込み、押し倒し、罵声を浴びせながら、彼らは必死に数字を満たそうとした。


 銀の仮面の声が、淡々と響く。


「――残り七分」


 その一言が、再び恐慌を煽った。

 校庭は修羅場と化した。


「高三以上だよな、俺も入れてくれよ!」

「やめろっ、押すな!」

「てめえ、こっち来んな、もう十人いるんだよ!」

「頼む、入れてくれよ。死にたくないんだ……!」


 膝をつき泣きながら懇願する男子大学生を、冷酷に蹴り飛ばす高校生もいた。似た光景がそこら中で繰り広げられる。同じ問題を潜り抜けハイタッチしていたはずの相手にも一切の情けをかけない。縋りつこうとする者の頭上に、満員の救命ボートの上から蹴りが降り注ぐのみだった。


「――残り三分」


 その瞬間、悲鳴の中で誰かが叫んだ。


「おい、やっぱそっちに入れてくれ!」

「お前…裏切んのかよ!」

「裏切るもクソもあるか!さっさと組作れねーのが悪ぃんだろ!俺はこっちにつくぜ」

「チッ…ざっけんなよっ!…中三の人いないかー!あと四人!こっちに来てくれ頼むよー!」

「こっちはあと三人だからこっちが早いよー!」


 あと一人で十人となるグループにあっさりと鞍替えする人も現れ、中小グループが奪い合いに必死の形相。力ずくで引っ張ったせいで相手の腕が折れようと、頭を打とうと、知ったことではない。


 自分が生き残るためには、その辺の他人を踏み台にすることも蜥蜴の尻尾切りとすることも厭わない――それが加害者たちの本性だった。


「――残り三十秒」


 銀の仮面の声が、氷の刃となって空気を裂く。

 すでに大半が組を作り終えていたが、まだ四十名ほどが取り残されていた。

 学年を無視すれば作れたはずだが、同学年のみとの制約に阻まれ彼らは溺死寸前。必死に漂い、自らの年齢を叫び、手を伸ばす――しかし、その手は、どの船からも取られなかった。


「――終了だ」


 頭上のデジタル時計が赤く明滅する。終了の合図と同時に、校庭の空気が変わった。

 影が揺らぎ、班を作れなかった者たちの足元から黒い炎が噴き上がる。


「うあああああっ!!やだっ、助け――」

「うそだろ、まだ――」

「いやあああああああ!!」


 黒炎は年齢性別関係なく落伍者を呑み込み、骨の形さえ残さず彼らを焼き尽くす。十秒もかからず敗者の痕跡は全て灰となった。そこに初めから人間がいなかったかのように。


 沈黙。

 風のない校庭で、ただ焦げた臭いだけが漂う。

 銀の仮面が、微かに首を傾けた。


「――これで、十人組の班が百五十三組、完成しました。では、延長戦を始めましょう」


 百五十三組の参加者たちは、いつの間にか組番号の刷られたゼッケンを着けていた。




 銀の仮面は、ゆるやかに両腕を広げた。


「延長戦は、“バラマキクイズ”です。ルールはとても簡単。誰でも分かりやすいシンプルな内容ですので、安心してくださいね」


 安堵する者はいなかった。安心できるはずもなく、十五問の死線を潜り抜ける傍ら、黒炎に焼かれた隣人の恐怖が脳裏に蘇る。


「これから、上空から撒かれる紙を拾ってきてください。その紙には問題が書かれています。ハズレと書かれた紙も多く混ざっていますが、問題文の書かれた紙を見つけたら、ここに持ってきて答える事。回答できるのは一班につき回答は三回まで。もし、三回間違えた班は…」


 仮面は一拍置き、低く告げる。


「もちろん、ここで"終了"です」


 黒炎が、誰かの脳裏で揺らめく。


「時間は夜明けまで。問題は百問、ハズレは無数。早い者勝ちです。では――」


 指を鳴らす。


 夜空が白く染まった。無数の白い紙片が、雪のように降り注ぐ。


「なっ……!」


 それは、死の匂いを帯びた紙吹雪だった。


「延長戦、スタート」


 号令と同時に、校庭が爆ぜる。


「うおおおおおおお!!」

「紙を取れ!一枚でも!!」

「走れぇぇぇ!!」


 人波が弾ける。校庭を白い紙片が埋め尽くし、その中に飛び込むようにして加害者たちは走り出した。

 紙を掴み、引きちぎり、奪い合う。

 倒れた者の背中に膝を叩きつけ、相手の手から紙を奪い取る。髪を引っ張り、顔を踏みつけ、紙一枚をめぐって喉元に爪を立てる者さえいた。


「ハズレ!?くそ、またハズレだ!!」

「俺もだ……ハズレばっかりじゃねえか!!」

「やべぇ……やべぇ……!早くしねぇと…!クソ、これもハズレだ……!」


 紙吹雪は降りやまない。だが問題用紙の数は限られている。最初に見つけた班が優位に立ち、最後に残るのは……黒炎に焼かれる死だけだ。

 極限の恐怖が、かつての教室でいじめを楽しんだ彼らを今や猛獣の群れに変えていた。


「――あった!あったぞ、問題だ!」


 十二、と書かれたゼッケンをつけたある生徒が歓喜の叫びを上げ、ひっかき傷の痛々しい手で紙を掲げた。そこには【問題・八十五番】と書かれている。

 問題文を見つけた生徒を同じ十二班の生徒たちがガードしつつ、銀の仮面の前に十人揃って駆け込む。


「おお、一番手は第十二班がやってきました。では参りましょう。八十五番の問題」


 端が汗と握りシワで折れている問題用紙を受け取り、銀の仮面が保護シールを剥がす。

 現れた問題を、紙を手にしてやってきた生徒を見ながら読み上げた。



【問題】

「あなたがいじめていたこのクラスメイトの名前を、フルネームで答えなさい」



 銀の仮面の背後に、巨大なホログラムが浮かび上がる。

 映し出されたのは、赤いネクタイのブレザー姿の少年。問題文を手にやって来た男子生徒は、ホログラムの少年と同じ赤いネクタイを締めていた。


 十人の顔が一瞬で凍りつく。血の気が音を立てて引いていく。


「……」

「フルネームって……下の名前、なんだっけ……?」


 目が泳ぐ。額に玉の汗がにじむ。

 九人の視線が、赤ネクタイの加害者へと集まった。


「――制限時間は三十秒です」


 仮面の宣告と同時に、空中にタイマーが点灯する。

 三十、二十九、二十八――。


「待て待て待て!無理だって!」

「なんでだよ、なんで出てこねぇんだよ…思い出せよ早く!」

「お前、名前くらい思い出せるだろ!」

「黙れ!……クズノキ……いや、クスノキ……クスノキ……何だっけ……?」


 頭を搔き、瞼をぎゅっと閉じたりなどして必死に記憶を探る。

 しかし、出てこない。出てくるのは、ずっとクズノキと呼び続けていた蔑称と、殴った時の手応えや、笑った仲間の声だけ。

 あいつの名前。きちんと呼んだことなど、一度もなかった。


「残り、十秒」


「やべぇやべぇやべぇ!」

「クスノキ……下は……何だ!?言え!」

「もう適当でいい!クスノキ……ユウタ!」


「――不正解です。残り二回」


 仮面の声は、死刑執行人の鐘のように冷たい。

 十人の背中を、見えない鎖が締め付ける。


「くそっ……じゃあ……クスノキダイスケ!」

「不正解です。残り一回」


「やべぇ、もう……!」

「適当でいい、適当で!クスノキ……ソウタ!ソウタだ!!」


 割り込んで勝手に別の生徒が答えたその瞬間――。


「残念、不正解。――終了です」


 指が、軽く弾かれる。


 十人の足元から、黒炎が噴き上がった。


「ぎゃあああああああ!!」


 叫び声が夜空に響く。

 黒炎は十人の体を、骨の芯まで焼き尽くす。肉が弾け、目玉が溶け、声は炎に呑まれて途切れた。

 数秒後には、何も残らなかった。そこには黒い焦げ跡と、まだ揺らめく炎だけ。


 銀の仮面はクイズ番組の司会のように大袈裟に残念がった。


「いやあ~残念!苗字はクスノキまで思い出せましたが、下の名前が思い出せないとは。毎日のように顔を合わせていれば覚えていて当然と思ったのですが、そうではなかったようです。……クスノキ君は彼の名前だけでなく、顔も、声も、癖も、何をされたのかも、どれだけ年月が経ってもしっかりと覚えてくれていたと言うのに――」


 銀の仮面の低い声が、夜の校庭に響いた。




 続いて駆け込んできたのは第七十六班。


「おお早い!二番目に飛び込んだのは第七十六班です。見事通過なるか。では参りましょう、十三番の問題」


 ホログラムに映るのは、快晴の陽気の下、長袖長ズボン姿の小柄な少年。怯えた笑顔を浮かべている。



【問題】

「この少年は学校でいじめられ、財布の現金を全て奪い取られた。その日の帰宅後、彼が仕事帰りの母親に言った言葉は何?」



 十人の顔が一斉にこわばる。小声で相談が始まった。


「『お小遣いちょうだい』……とかじゃねえの?」


「――不正解。残り二回」


「じゃあ……『参考書買うから金くれ』とかだろ?」


「――不正解。残り一回」


 回答ではなく小声で相談していたつもりの内容で二アウトを取られ、焦りが膨れ上がる。

 問題文を持って来た代表の男子が、乾いた笑いを浮かべて言った。


「『定期落としたから定期代ちょうだい』……だろ?」


 仮面は、静かに首を振った。


「不正解。正解は──『お母さん、お風呂沸かしたから先に入ってきなよ』でした」


 十人の表情が、一様に固まる。意味を理解する前に、黒炎が襲いかかった。


「うわああああああああああっ!!」


 十人が炎の中でもがき苦しみながら暴れる。

 だがやがて間もなく炭となり、人型だった黒い固形物はあっという間に風に崩され消滅した。


 銀の仮面の声が冷ややかに響く。


「……彼はお金を取られたことよりも、服の下の生傷を隠し、母に心配をかけまいとしました。それだけでなく、自分が浸かった汚れた湯に母を入れたくないと言う子心もあったのです。ちなみに『今日ジャンケンで負けて友達のアイスおごらされちゃったよ、でも次は絶対に勝つんだ』でも正解でした。この思考は恐らく彼らは永遠に辿り着くことは出来ないでしょう――」


 金の工面の言い訳しか考えてこなかった彼らの立っていた地面には、砂の混じった渇いた風が吹く。そこには、十人が立っていた影すら残っていなかった。




 数十秒後、次の班が飛び込んでくる。タッチの差で先に滑り込まれた別の班は、肩で息をしながら悔しげに歯を噛み、列の後ろに並ぶ。問題文を手に入れたまた別の生徒たちが次々にその後ろに並び、たちまちに回答待ちの列が伸び始めた。


「さあまだ通過者はゼロ、第六十班が最初の通過者となるか。では問題」



【問題】

「どんなに悪口を言われても、殴られても蹴られても突き飛ばされても立ち上がり、彼女は笑顔を崩さなかった。それは何故?」



 新しい画像が映し出される。中学の制服を着たセーラー服の少女。薄い笑顔を浮かべているが、どこかぎこちない。


 問題文を持って来た女子生徒も、同じセーラー服に身を包んでいた。

 同班の加害者たちが口々に答え始める。


「え、愛想笑いだろ……」

「いや、たぶん強がり?強がりだよどうせ」


「――不正解。残り二回」


「いや、あの……ほら。やせ我慢してたんじゃねえの……?」


「――不正解。残り一回」


 立て続けに二回も誤答した彼らの声には焦りが混じっていた。制限時間が迫る。思いつかないながらも無理矢理絞り出した女子生徒が、叫ぶように声を張り上げた。


「『強い自分を見せたかったから!』」


 銀仮面が、ゆっくりと告げる。


「不正解。正解は──加害者あなたの『せっかく仲良くしてやってんだから笑えよ。まるでアタシたちが悪いみたいじゃんか。アンタがそんなんだったら、アンタの妹呼ぼうか?アタシの彼氏に遊んでもらおうか?』という脅しを覚えていたから」


 空気が凍りつく。加害者の女子が震える声で呟いた。


「……そんな……そんなこと言ってない、アタシそんなこと言ってないもん……!」


 ふるふると顔を左右に振りながら涙声で否定する女子生徒ごと、十人を黒炎が包んだ。


「いやだあああああ!!」

「助け──」


 悲鳴は一瞬で途切れ、十人は塵と化した。


「何気ない一言が、人の心に深い傷を刻むことはよくあります。言った方は覚えていなくても――言われた方は、死ぬまで忘れません。五年経っても、十年経っても。昨日のことのように」


 目の前で燃やし尽くされる現場を目の当たりにした回答待ちの列の生徒たちは、全員、声を失っていた。





 銀の仮面の前に並んだ第三十一班。

 問題用紙を差し出すと、ホログラムに教壇に立つ男子生徒が映し出された。

 泣きながら、クラスに別れを告げている。



【問題】

「転校前最後のホームルームで、彼は教壇から泣きながらクラスメイト達に別れを告げました。その涙の理由とは?」



 十人の加害者たちは、口々に答えを出し合う。


「地元を離れたくなかったんだろ」


「――不正解。残り二回」


「友達との別れが寂しかったんじゃね?」


「――不正解。残り一回」


「……本当は俺と一緒に卒業したかったのに、それが出来なかったから?」


 期待を込めた生徒の返答に対して、銀の仮面は、静かに首を振った。


「不正解。……正解は、『内心で喜んでいるとバレたら帰りに襲われるから、最後まで加害者あなたとの別れを悲しんでいるふりをした』でした」


 十人の顔が、理解不能の色に染まる。

 ホログラムと同じ学ランを着た生徒は、愕然とした。


「……え?」

「悲しいふりって……なんでそんなこと……?」


 銀の仮面は、冷ややかに告げる。


「あなた方は、人を傷つけることに心底快楽を覚えている。だが一方で、一人では心細く、群れることで劣等感・無力感・ストレスから逃げようとしている。自分より下位だと信じた存在に苦痛の涙を流させる事は、あなた方にとっては精神安定剤であり、同時に他人の記憶に己の存在を刻みつける手段でもある。日々の鬱屈を晴らし、存在証明を得るために、悲しみの涙を自らの手で引き出す瞬間を渇望する――そんなサディスティックな性質を持っているが故、被害者の涙は例外なく苦痛に塗れていなければならない。()()()は暴力と脅迫で束縛した被害者には強い依存を示しており、自分の手元から逃げられることに強い拒否反応を示す。そのため、彼が転校することで解放されると嬉し涙を流す事は、あなたにとっては絶対に許せない。彼はそれを理解していたからこそ、解放の感涙を離別の号泣に変え、もっとこのクラスに居たかったと、最後の瞬間まで演じ切ったのです」


 学ランの生徒は立ち尽くした。これまでの認識が音を立てて崩れていく。胸の奥で何かが軋んだ。冷たい手で心臓を握られたような感覚。



 …自分のために泣いてくれていたと思っていた。

 なんだかんだ仲良くやっていたつもりだった。いつも一緒にいた俺との別れを一番、心の底から惜しんでくれていると信じていた。


 でもその涙は、悲しみじゃなく、喜びだったなんて。俺から逃げたかったなんて。言ってくれればよかったのに、それを隠してまで悲しいふりをするほど、俺は信用されていなかったのか。


 帰り道、一緒に帰った時のあの時間は嘘だったのか。インフルエンザで休んで戻って来た時、あんなに心配してくれたじゃねえかよ。あれも嘘だったのかよ。

 俺たち友達だよなって言った時、お前、笑ってたじゃねえかよ。あれも嘘かよ。俺の事友達って思ってなかったって事かよ…


 …と、その生徒は、被害者にとって自分がかけがえのない存在だと自認していた美化された思い出が、根本から否定され、幻想が砕け散った。


 黒炎が、十人を呑み込んだ。




 次に現れたのは第百二十班。

 ホログラムには、校舎裏で女子生徒に告白される男子の姿。

 だが、彼は首を横に振り、静かに断った。



【問題】

「彼はクラスメイトの女子からの告白を断りました。何故?」




 十人の加害者たちは、軽薄な笑みを浮かべながら答えを出す。


「タイプじゃなかったからだろ」


「――不正解。残り二回」


「嫌いな女子だったんじゃね?いじめられてたとか」


「――不正解。残り一回」


「……嘘の告白だと思ったんだろ」


 銀の仮面は、静かに告げる。


「不正解。……正解は『こんな自分を好きになる人なんて、この世界にいるはずがないから』でした」


 十人の顔が、またも理解不能の色に染まる。

 その言葉は、彼らの想定の外にあった。“好かれること”が当然のように存在していた彼らにとって、その好機を自分から手放す心情を全く理解できなかった。


「……は?なにそれ。カッコつけかよ」

「普通、嬉しいだろ。受けるだろそんなの」


 銀の仮面は、静かに言葉を落とす。


「あなた方は、好意を真っ直ぐ向けられることを疑わずに育った。自分に向けられる好意が丸ごと嘘だった経験を味わったことが無い。だから遊びのつもりで噓の告白をさせ、純心を大いに弄んだ。治る事のない深いトラウマを植え付けられた彼にとって、自分に向けられる女性からの好意は罠・嘘・恐怖に塗り替わったのです。嘘の告白に照れる彼を物陰から見るのはさぞ面白かったでしょう。ネタばらしした瞬間の彼の顔を見て、更に楽しかったことでしょう。しかし心の芯の部分を揺さぶられ嘲笑われた彼からは、愛を信じる力を根こそぎ奪ってしまったのです。彼はこれから先も疑いなしに愛を信じることが出来ません。彼は女性不信に陥り、美人に対して強い拒絶反応が出るようになりました。何年経ってもまたネタばらしされる幻影と恐怖に怯えながら生きていくのです。あなたは一時の冗談のつもりだったかもしれませんが、一人の人間から愛と希望を完全に奪ってしまった事を自覚しなさい」


 言い訳をしようと口が開く前に、黒炎が、十人を焼き尽くした。




 列から進み出たのは第八班。

 ホログラムには、大学近くの駅前。クリスマスのイルミネーションが差し込むツリーの傍で、女子学生がカメラを構えていた。笑顔の輪の外側から、彼女はシャッターを切る。その手は慣れていたが、どこかぎこちない。



【問題】

「彼女は大学生になっても集合写真が嫌いで、一緒に写るのを避けるために撮影係を引き受ける。その理由とは?」



 軽く笑いながら答えを出す。


「シンプルに、自分の顔が好きじゃないからだろ」


「――不正解。残り二回」


「友達がいないからじゃね?」


「――不正解。残り一回」


「えーと、カメラが趣味でうまく撮れる自信があったからじゃ……」


 銀の仮面は、静かに告げる。


「不正解。……正解は『自分が集合写真に写ると、その写真イコール、みんなの楽しい思い出が台無しになると思ったから』でした」


 十人の顔が、またも意味が分からないと言ったような表情を見せる。


「……そんなの、被害妄想じゃん」

「写真って、そんな深い意味ないだろ?誰が台無しとか気にするかよ」


 銀の仮面は、冷ややかに言葉を継ぐ。


「引っ込み思案の彼女は、元々仲のいい友達はいませんでした。高校時代の修学旅行での班決めも、完成したグループに半ば"組み込んでもらう"ように入れてもらったのです。これでどうにか思い出が作れると思った修学旅行当日。自由時間の際、ちょっと目を離した隙に同じ班のメンバー全員に故意に撒かれてしまい、以後たった一人で知らない街中を彷徨いました。携帯片手に自撮りするメンバーの輪に入れてもらえず、一緒に写真を撮ることも避けられた。故意に撒かれたことで、同じ思い出を作るだけでなく、近くにいることでさえも拒まれたと、彼女は絶望したのです。仲良しメンバーだけで回りたいと言う軽い気持ちで取ったその行動は、彼女を孤独の蟻地獄へ突き落としました。彼女が映った写真だけが意図的に削除されたりトリミングされていることも後になって知りました。それ以来、彼女は写真が嫌いになり、集団行動する際そこにはいない空気のように振る舞うようになりました。写真撮影をしそうになればその輪から外れ、どうしても抗えない場合は自分が撮影係を引き受けることでやり過ごすようになったのです。後で踏みにじられるくらいなら、初めから映らない。どうせトリミングされるくらいなら最初からいない方がマシだ。と彼女は、青春の思い出を作ることを諦めました」


 言葉を失った十人を、黒炎が焼き尽くす。

 地面には影も残らなかった。





 重い足取りで現れたのは第六十四班。

 ホログラムには、テレビの前で笑う男子生徒。彼は一人、部屋の隅でお笑い番組を見ていた。笑っていた。だが、その笑いはどこか張りつめていた。




【問題】

「彼は学校で話題のお笑い番組を各局、毎週くまなくチェックしました。何故?」



 ホログラムの少年の顔を知っている二人が顔を見合わせる。

 これは簡単な問題だと感じた二人とその周囲の生徒――第六十四班のメンバーは余裕の笑みを浮かべ、軽口を叩きながら答える。


「流行に置いて行かれないためだろ」


「――不正解。残り二回」


「話題についていくためじゃね?」


「――不正解。残り一回」


「え………あれだ!学校に行くのが辛いから現実逃避するために見てた!」


 これまでの傾向を取り入れて自信満々に答えた生徒に向かって、銀の仮面は静かに告げる。


「不正解。……正解は『何か面白いことやれと無茶振りされた時に、きちんと面白いギャグをできるようになれば、また廊下で裸踊りをさせられずに済むから』でした」


 余裕を残していた十人の顔に、奈落に突き落とされたような動揺が広がる。


「……いや、あん時はウケてたじゃん。まんざらでもなかっただろ」

「……ネタだろそんなん……ノリじゃん、フツーに。冗談通じなさすぎ」


 銀の仮面は、小さくため息をついて代弁する。


「あなた方は、自分達が笑うために他人を泣かせた。尊厳やプライドを踏みにじって無理矢理に道化を演じさせ、それを見て笑い物にしていた。彼は楽しかったり、ウケたお陰で笑っていたのではない。笑いながら道化に徹しなければ、居場所を失い、もっとひどい目に遭うと分かっていたから、笑っていたのです。一度も楽しいとは思っていません。彼はずっと心の中で涙を流していましたよ。――覚えていますか?あなた方が無理矢理服を脱がせて衆人環視の廊下で裸踊りをさせたあの日を。あの時も、それ以降も、彼はたったの一度も、自分からギャグを披露した事はありません。全てあなた方の娯楽のために、彼はピエロに()()()()()のです」


「ち、違うだろ…」

「あん時、めっちゃウケてて、それで…人気者だったじゃんか…。将来芸人になれるんじゃね?って言った時も笑ってただろ」

「そう、そうだ!将来芸人になるってあん時言ってたよな。だから俺たちはアドバイスを――」


 銀の仮面は首を左右に振り、落ち着いた声色で結ぶ。


「彼は一度も芸人になりたいとは言っていません。勝手に決めつけられただけです。彼の本当の望みは、もうこんな生活は嫌だ。平和な学校生活が送りたい。――ただそれだけです」



 ピエロのマスクの下で流されていた涙を知らない彼らの自己弁護と他責は、あっけなく焼き尽くされた。




 校庭の一角には正解者エリアがあるが、その椅子にはまだ誰も座っていない。

 銀の仮面は、正面に伸びる行列と、大量の紙が雪原のように積もる校庭に向かい、ゆるやかに腕を広げる。


「さあ次の班。どうぞ。……最初の通過者となるのは果たしてどこの班になるのか。では参りましょう、九十七番の問題―――」


次話は明日20時投稿予定です。

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