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34話 体育の時間

 日本列島は、静かに異常を孕んでいた。

 深夜から早朝にかけて、全国の小中高生が原因不明の死を遂げていた。

 外傷はない。争った形跡もない。ただ、布団の中で、ソファの上で、机に突っ伏したまま――血を吐いて絶命していた。

 二日間で四十万を超える若者が、まるで何かに呼ばれるように命を落とした。

 家族は悲鳴を上げ、友人は泣き崩れ、ニュースは沈黙した。

 同時多発的に一斉に何十万もの若者が亡くなったこの異常事態は伝染病か呪いか。SNSでは憶測が飛び交い、都市伝説のように囁かれた。


 しかし、表沙汰になっていないながらもその死者に共通していることはもう一つあった。全員、学校などで誰かをいじめていた。

 朝のホームルーム。担任が欠席者の名前を読み上げるたび、教室の空気が微かに揺れる。いじめ被害者たちは、沈痛な表情を装いながら、内心では歓喜していた。

「今日は平和に過ごせる」。

 そう思いながらも、手放しには喜べない。戻ってきた時の報復を想像すると、今は笑顔など浮かべられるはずがなかった。



 朝倉隼もその一人。

 富田元とリアム・ハート、ジャマル・バーンが立て続けに欠席したことで、圧力は大分軽減された。クラスメイトにして主犯格の金岡哲と担任の永原恭子は健在ゆえいじめ問題は完全解決はしていないが、今日は何故か絡んでこなかった。

 疑問符が上がったが、金岡と永原が寝不足気味であることも、やつれた表情であることも、朝倉少年にとっては久々に訪れた平穏な中学校生活の一日の前にとっては些事であった。


 朝倉少年は二学期が始まってから初めてと呼べるほど久し振りに、ゆっくりと徒歩で帰宅していた。ここしばらくは誰かに追い回され、"買い物"を強要され、殴られ蹴られる日々だった。急いで家に逃げ帰っても、昼休みをどこかに隠れてその日一日をやり過ごしても、翌日顔を合わせた途端にそのツケが回ってより一層いじめが激化する為、どうせ被害を受けるならせめて少しでもダメージの総量を抑えるためにと、彼は毎日黙って彼らの悪意を小さな体一つで受け続けていた。


 スマートフォンを見ながらゆっくり帰れるのも、かなり久し振りだ。つい彼は普段しないようなこと――歩きスマホをしながら銀の仮面公式サイトへアクセスした。

 いじめの最中、何度も妄想した。「いつか、あいつらを成敗してくれないか」。そう願っては、「そんなこと、起こるわけない」と諦める。その繰り返しだった。

 そんな彼が今日アクセスした時、見慣れたトップページに新しい項目が追加されていた。


【いじめ被害者救済ページ】


 胸が大きくドクンと脈打った。


 朝倉少年はその新設項目を震える指でタップすると、そこにはいじめ被害者への銀の仮面からのメッセージがつらつらと記されており、ページ下部には映像アーカイブが掲載されていた。

 一日目・二日目とナンバリングされたバックナンバーと、グレーダウンしているLIVE映像ボタン。

 今は生中継されていないのだろう。とりあえず一日目の映像を見てみようと深く考えずにサムネイルをタップした朝倉少年は、思わず下校中の路上で足を止めたのだった。




 ---



 二〇二五年十月二十三日。

 三日目、深夜。

 現実で眠りについた者たちは、抗う術もなくまたしても悪夢の学園へと連れ込まれる。

 冷えた夜気の中、ぼんやりとした光に包まれた校庭には、十五万の人影が揃っていた。


 初日は六十万、二日目は三十万、三日目となる今の数は十五万にまで減少した。

 彼方まで広がる校庭を埋め尽くしていたあの大群衆は、既に四分の一となっている。


「またかよ…」と呟く者、「こうなったら何が何でも生き残ってやる」と目をギラつかせる者もいる。だがその声色には皆、疲労と寝不足が強くもたげており、もはや叫びや混乱はなかった。


 見慣れてしまった夜の校舎。

 現実の学校と遜色ない校舎の外観は、今では死と恐怖の舞台装置にしか見えない。ありふれた景色の中、シュレッダーのように細切れにされ、殺される。この学園ではたった一つのミスで命が簡単に奪われてしまうその落差が恐ろしい。


 重苦しい沈黙と不安で胸を握り潰されたように、あちこちから溜息が漏れた。

 ――今日もまた、あれが始まる。

 誰もが理解している。逃れられないことも、抗う術がないことも。


 天頂には無限の闇が広がる。吸い込まれそうなほど深い黒。校庭のフェンスの外は底なしの奈落が広がる。今宵も不可思議な力によって、二度見たあの巨大な砂時計が空中に現れた。


「始まるぞ……」


 誰かが呟き、一粒目の砂が落ちた瞬間、全員の身体が反射的に跳ね、一目散に校舎に向かって駆け出した。


 暗い廊下を抜け、手近な教室に飛び込む。椅子に腰を下ろした時、背中に冷たい汗が伝った。

 大軍勢の軍靴を彷彿させる十五万の足音が校舎を縦横無尽に駆け巡る。埋まった教室には目もくれず、三つ先、四つ先の教室を先回りするように空席を目指す。

 あえて一階二階の教室ではなく上層階の教室を目指して中層階を完全に無視して階段を駆け上がる者も多数。下と上から満席となるこの命賭けの椅子取りゲームは三日目にして定石化が進み始めたようだ。

 砂時計の砂が落ち切るまでおよそ二十分、チャイムが鳴り終わる前に十五万人分全ての座席が埋まった。

 席にありつけた者たちは汗だくになりながら肩を揺らす。教室内に重苦しい安堵の息が広がった。


 ――まだ、生きている。今はまだ。




「おはようございます」


 静寂を裂くように、淡々とした声が教室に響いた。

 銀の仮面が、まるで最初からそこにいたかのように教壇に立っていた。音も気配もなく現れたその姿に、生徒たちは一斉に息を呑む。


 銀の仮面の奥から感情の読めない声が続いた。


「今日は全員、席に着けましたね。遅刻者は――ゼロ。実に良いことです」


 言葉の調子はどこか教師めいていた。だが、誰一人として安堵の息を吐けない。

 過去二度、この場に集められた数十万の人間のうち、座席に座れなかった者は例外なく黒炎に包まれて燃え尽きた。校庭や廊下に転げ回る断末魔を思い出し、全身に悪寒が走る。


 だが今宵、座れずに焼き殺された者は一人もいない。異様な静けさが、逆に恐怖を増幅させていた。

 まるで次の惨劇を予告する沈黙のように。


 銀の仮面は一拍置き、言葉を継ぐ。


「これより授業を始めようと思います。が……初めに一つ、連絡事項があります」


 乾いた唾を飲む音が教室のあちこちで連鎖する。耳を澄ませれば、緊張で椅子が軋む音すら響いていた。


「この教室は、残念ながら――“ハズレの教室”です」


 その一言に空気が震えた。呻き、息を呑む声。顔を見合わせて蒼ざめる生徒たち。

 銀の仮面はただ静かに告げる。


「この教室の皆さんは、体育の授業に参加していただきます」


 その瞬間、照明がバチリと弾け、校舎全体に紫の光が奔った。

 十五階建ての巨大校舎。そのうち二百室、一万人分だけが白光のまま取り残され、残り二千八百室――十四万人分の頭上が一斉に紫色に染まった。


 銀の仮面は変わらぬ居住まいで、冷徹に告げる。


「本日の授業は――鬼ごっこです。元気いっぱい、力の限り、命の続くまで……逃げてください」


 最後の「逃げて」という言葉が教室の壁に反響し、耳鳴りのように残った。

 生徒たちは悟る。今夜生き残るのは参加を免れた一万人と、“鬼ごっこ”という名の殺戮を生き残った者だけと言う事を。

 ざわめきが広がり、誰かが震えながら立ち上がる。誰かが椅子にしがみつく。誰かが祈りを呟く。



 その瞬間、教壇の照明が低く唸りを上げるように明滅した。紫色に染まった蛍光灯の下で、銀の仮面の輪郭がぐにゃりと揺らぎ――仮面も衣服も、人影ごと黒く溶け崩れていった。墨汁を流したように床へ滴り、次の瞬間には煙が巻き戻るように逆流して、一つの形を作り上げる。


 それは――人型の黒い影。輪郭だけは人間だが、顔も手足も全て漆黒に塗り潰された存在。表情はなく、ただ顔の中央に「六十」の数字が浮かんでいた。無機質な白の数字は、不気味に脈動しながら、じわりと赤く光り始める。


「ひっ……」

「な、なに、あれ……」


 誰かが掠れ声を洩らしただけで、全員の呼吸が一斉に乱れた。空気がひやりと凍りつき、胸を締め付ける。脳が「逃げろ」と命じているのに、足は机の下に縫いつけられたように動かない。


 数秒の沈黙の後、耳を裂くように無慈悲な音が響いた。


 ――ピッ。


「六十」が「五九」に変わった。


 誰もが悟った。これはカウントダウン。ゼロになったとき、確実に何かが始まる。


「やばい……やばいやばい……っ!」

「逃げなきゃ、殺される!」


 一人が椅子を蹴倒した瞬間、張り詰めた糸が切れたように全員が一斉に動き出した。机を飛び越え、ドアへ殺到し、泣き叫びながら脱兎のごとく廊下へと駆け出す。机の角に脛をぶつけても痛みを顧みる余裕はない。ただ生存本能だけが背中を押していた。


 両隣の教室からも一斉に悲鳴を上げながら生徒たちが飛び出し、嗚咽が波のように渦巻いていた。


 背後では「五八」「五七」と数字が刻む音が冷酷に響き渡る。


 ――そしてそれは、この階層だけの話ではなかった。


 同時刻。十五階建ての校舎のすべての階層の〇〇一教室で、教壇に立っていた「銀の仮面」が同じように黒い影へと変貌し、それぞれの顔に「六十」の数字を浮かべていた。


 総勢十五体。校舎全体を覆う、恐怖の鬼たち。


 紫に染まった廊下を、悲鳴と絶叫と足音が奔流のように駆け抜けていく。逃げるしかない。捕まれば、待っているのは死。


 目の前で鬼を目視した生徒は全員。教壇のスクリーンで鬼を見た別の教室の学生の大半は校庭にとんぼ返りし、校舎内の気配が希薄になった。


 そして、全フロアの〇〇一教室の教壇に立つ鬼の顔面の数字が「零」に変わった。


 鬼の顔は真っ黒なのっぺらぼうに変わり、首がぎこちなく動いた。次の瞬間、影の鬼は教壇を踏み越え、音もなく駆け出した。人間と同じ背丈だが、その動きは迷いなく一直線。中学生から高校生ほどの体格で、普通の人間の全速力と遜色ない速度で走る。


 別の教室に隠れていた生徒たちは悲鳴を上げながら廊下へ飛び出した。狭い階段では転んだ者が次々に踏まれ、机の下に潜ろうとした者の足を他の生徒が踏みつけて逃げる。窓から飛び降りた生徒の身体が下階のガラス屋根に叩きつけられる音が響く。廊下は混乱と絶望の奔流と化し、生存への必死の足掻きが繰り広げられた。



 校庭に雪崩れ込んだ生徒たちは、悲鳴と怒号でごった返していた。だがその混乱の渦中へ、校舎内から鬼が十一体現れた。

 遠目には全身が墨で塗りつぶされた人間のようにしか見えない。しかし、ひとり、またひとりと近づいた生徒たちが、息を呑んで絶叫した。


「な、なんで……お前が……」

「嘘だろ……俺が、あの時……!」


 遠目には真っ黒にしか見えなかった鬼の顔面に浮かび上がっていたのは、かつて彼らが教室や部活でいたぶり、蹴り、無視し、泣かせた被害者の顔だった。鬼に近づいた加害者生徒にとって一番因縁深い相手にその顔を変貌させた鬼は、にやりと口角を裂けるように歪め、今にも首を締めようと手を伸ばす。


「やめろぉぉぉ!近寄るな!」

「ど、どうしてお前が生きてるんだ、何でだよ、もう死んだはずじゃ……!」


 その叫びもむなしく、黒い腕が首筋や肩をがっちりと掴んだ瞬間、全身が黒炎に包まれた。炎は捕らえられた者の肉体だけを舐め尽くす。


「ぎゃあああああっ!」

「いやだ、助け……!あああああ!」


 炎の中でのたうつ加害者たちは、自らの腕を引きちぎらんばかりに掻き毟りながら、やがて声も途切れ、灰と化して地面に崩れ落ちた。骨の髄まで染みこんだ恨み辛みをしゃぶるように燃やし、残ったのは黒く焦げた影の跡だけ。


 加害者を捕らえた鬼はその場に棒立ちとなって静止した。被害者の顔を映した顔面はまた真っ黒のっぺらぼうに戻り、赤文字で十秒のカウントダウンが始まる。残る他の鬼たちは動き続け、また一歩、別の加害者に歩を進める。

 顔を凝視した瞬間、捕まった者は目を見開き、青ざめて膝をつく。


「佐伯……?なんで……!お前は屋上から……!」

「違う、俺は悪くない!高木がリーダーだったろ、俺はあいつに無理矢理やらされてただけだよ、分かるだろ!」


 必死の言い訳は、冷酷な黒炎の前では何の意味も持たない。抱き締めるように両腕を広げた鬼に包まれ、次の悲鳴が闇に吸い込まれていった。


 十一体の鬼は止まらない。

 校庭の四方で、逃げ惑う生徒の群れを次々に追い詰め、加害者の喉元へ黒い手を伸ばす。叫び、泣き、命乞いをしても、現れた顔は無言のまま見下ろし、ただ復讐の炎を燃やすのみだった。


 やがて、地面には黒焦げた怨念の塊が点々と残される。焦げ臭さと絶望の余韻が校庭全体を覆い、生き残った者たちの足をすくませた。



 地獄のような黒炎の悲鳴がしばらく続き、校庭は焦げた匂いと泣き叫ぶ声で満ちていた。

 その場を生き延びた加害者たちは、我先にと廊下や裏門へ走り去る。だが、誰一人としてまともに走れてはいなかった。足が震え、視界は涙と吐瀉物で霞み、ただ本能的にその場から逃げようとしているだけだった。


 中には靴が脱げ、裸足でガラス片を踏み抜いて血を流しながら走る者。近くにいた人間を突き飛ばし、自分だけ助かろうとする者。階段で転んだ仲間を見殺しにして駆け下りていく者。

 それらの醜態は、互いを食い荒らす獣の群れのようだった。


 だが、逃げ延びた先も安全ではない。逃げ込んだ廊下の窓ガラスには、黒い鬼影が映り、ゆらゆらと蠢いている。誰かが悲鳴を上げて窓を叩くと、反射した自分の顔の隣に、今朝までいたぶって楽しんでいたはずの被害者の顔がぼんやりと浮かびあがった。


 そして、校舎の別の場所。

 教室に閉じこもった生徒たちは、机や椅子を必死にドアへ積み上げ、震えながら耳を塞いでいた。外からはまだ、誰かが焼かれる声が断続的に届いてくる。


「……来るな、来るな、来るな……」

「もういやだ、誰か助けて……」


 机の下に潜り込み、嗚咽をこらえる者。窓際で校庭を覗き込み、鬼の動きを確認しようとして顔を青ざめさせる者。携帯電話を震える指で操作し、必死に外へ連絡を試みるが、画面には「圏外」と無情な表示が浮かび続けていた。


 中には、ドアの前で箒を握りしめ、「入ってきたら戦う」と虚勢を張る者もいたが、その腕は小鹿のように震え、握った棒はガタガタと音を立てていた。


「次は自分かもしれない」という圧倒的な恐怖の中、バリケードの内側で居合わせた生徒たちは、互いに背中を預け合う。裏切り、踏みつけ、罵り続けた彼らの姿は見るからに小さく、情けないまでに縮こまっていた。



 校庭を覆う惨劇が続く。

 鬼は誰かを捕らえるまで一切止まらない。中学生の全速力でどうにか撒けるかどうかという速度で追いかけてくる鬼たちによってハズレの生徒たちはみるみる捕まり、次々に焼き殺されていく。

 鬼が止まるのは、誰かを捕まえた後の十秒のクールタイムだけ。それ以外は視界に生徒がいれば走り続け、視界になければ歩いて巡回・捜索を続ける。


 ハズレの十四万人のうち、校庭に逃げた十万人余の生徒が七~八割にまで減少した時、校舎内に閉じこもった三万人余の生徒たちは、息を殺しながら外をうかがっていた。

 窓の隙間から覗くと、黒炎に焼かれた名前も知らない生徒の残骸は時間経過とともに消え去っており、校庭に飛び出していた十一体の鬼が静かに立ち尽くしている。動かない。声も出さない。だがその沈黙こそが、恐怖をかき立てた。


「……終わったのか……?」


 誰かが震える声で呟いた瞬間。


 ――ズゥゥゥゥン。


 校舎全体が低く震えるような音が響いた。全教室のスクリーンに映像が映る。

 次の瞬間、廊下の端の床がひび割れ、黒い液体のようなものがじわじわと滲み出す。その闇から、ゆっくりと影が形を取り始めた。


「ま……また出てきたっ……!」


 黒影はやがて、人の形へと固まり、五体の鬼が立ち上がる。顔には赤く「五十五」「五十四」「五十三」「五十二」「五十一」と数字が浮かび、淡々と点滅を始める。


「ふざけんな……何なんだよこれはよ!」


 校舎内の生徒たちが絶望の声を上げた。


 閉じこもる教室の中、机や椅子で必死にドアを塞いでいる生徒たちの額からは汗が止まらない。ガラス越しに映る鬼の影が、まるで自分を探しているかのように廊下を歩いてくる。

 息を止め、泣き声を堪える。

 しかし、心臓の鼓動は耳をつんざくほど大きく響き、誰もが「死にたくない死にたくない助けて助けて助けて」と両手を組みながら祈っていた。


 そして校庭に待機していた十一体の鬼も、校舎内に待機していた四体の鬼も、再びゆっくりと動き出す。

 増えた五体と合わせ、二十体の影がじわじわと校舎と校庭を覆い、生徒たちの逃げ場を削り取っていった。






 同時刻・同校舎内。

 別の空間に隔絶されたように、静謐な教室が二百室点在していた。そこは、銀の仮面による鬼ごっこを免れた、"当たり"の教室。


 外の混乱とはまるで別世界のように整然としている。四方の壁一面に張り巡らされたモニターは、無数の視点から校庭や廊下、階段、教室の内部を映し出していた。

 走る生徒、泣き叫ぶ声、鬼に捕まり黒炎に呑まれていく姿――そのすべてがここでは、映画のシーンのように無機質な映像となって並んでいる。


 "当たり"の生徒たちは、窓のない密閉空間に整然と並んだ机に腰を下ろしていた。

 机には一人一人に端末が二つ置かれ、そこにはこの学校全域のフロアマップと、自由に動かせる独自チャンネルのカメラ映像が表示されている。

 カメラ映像を操作し、そこで逃走中の生徒を発見次第、フロアマップ上でその生徒がいる場所をタップ・送信するとポイントが付与される仕組みだ。

 送信するだけで一ポイント。確保に至れば十ポイントとなる。


「よし、また捕まった!これでもう五十人か?チョロいもんだな」

「……はい、送信っと。やっぱり用具置き場とか倉庫が狙い目だな」

「はい余裕~!これで百人斬り達成~!」


 当たりの教室に座る生徒たちの反応は、残酷なまでに多様だった。真剣に黙り込み、画面を見つめて情報を記録していく者もいれば、まるでゲームを楽しむかのように笑い合いながら報告を繰り返す者もいる。


 しかし、彼らも逃れることはできない。

 この"当たり"の教室の出入り口は、魔法によって固く閉ざされていた。外に出ようとしても、厚い透明な壁のような力が阻む。外界からも、この空間の存在は完全に隠されている。

 廊下を必死に逃げているハズレの生徒たちは、ここに教室がある事をそもそも認識していないように見える。一瞥もくれず一目散に走り抜けていき、やがて、炭となる。


 監視を担う立場でありながら、"当たり"の生徒も、同時に逃げ場のない囚人でもある。

 彼らはハズレの生徒を追う鬼たちを遠隔から操ることはできないが、鬼に「獲物の位置」を知らせることは出来る。そうして積み上げたポイントは、等価で買い物ができる。


「うんめっ!何これめっちゃうめえんだけど!」


 二十ポイントで購入したぶどうジュースに目を見開く。


「やっぱPCゲーにはこれがねーとな」


 五十ポイントで購入したポテトチップスとコーラに鼻を小さく鳴らす。


「え、このイクラすげぇ~。大トロもこんなにデッカいの…ゼータクだなぁ」


 百ポイントで購入した特上寿司――こぼれいくら軍艦と厚切り大トロなどに舌鼓を打つ。


「うわぁ、肉汁スゲエなコレ!こんな旨ぇの食った事ねェ!」


 二百ポイントで購入した、シャトーブリアンのステーキ&4種のオリジナルソルトに顔が綻び、膝をポンと叩く。


 ジュースや菓子類にとどまらず、ポイントを貯めて豪奢な食事を注文する者は次々と現れた。

 サーモンピンクのロゼワイン風ジュースに舌を濡らし、三百ポイントで現れた金箔の散らされたショートケーキを、嬉々としてスマホで撮影しては「これは映え、絶対映え」などと口にしながらケーキとツーショットに興じる。

 中には、四百ポイントを費やして「最新型ゲーム機と大画面モニター」を手に入れ、その場で逃走中の仲間たちを横目に格闘ゲームを始める者までいた。


 一方で、机に突っ伏したまま耳を塞ぎ、嗚咽を漏らす生徒もいた。

 初めの一人を通報し、確保される瞬間を至近距離から独自チャンネルで見てしまったため、モニターの映像から顔を背け、震える声で「もう嫌だ……もう見たくない……」と呟く者もいた。

 しかし、それでも前後左右の席からは笑い声と共に容赦なくポイント獲得を促す通知が鳴り続けるのだった。


「お前、やんねえの?こんなに旨ぇの食えんのに」

「俺らは当たり、あいつらはハズレ。俺らは正式にあいつらをとっちめる権利を与えられてんだよ。やんなきゃ損だろ」

「ゲーミングチェアも良いな。…お、ダブルベッドもあんのかよ。これもなかなか――」


 笑い声が飛び交い、震える者を嘲る声が混じる。やがて、恐怖に怯えていた者の中にも、飢えや渇きに負けて「たった一人だけ」と通報してしまう者が現れる。だが、その瞬間にモニターに映る同じ年ごろの生徒の断末魔を見てしまい、口を押さえて吐きそうになる。


 モニターの映像は冷徹だった。

 廊下で蹲る影を指差すと、鬼がそこに向かい、確保。黒炎に包まれて絶叫。生きたまま崩れ落ちる姿が至近距離で繰り返される。

 その一方で、教室の中では咀嚼音と笑い声が響いていた。


「…よっしゃ!これで貯まったぞ。VRゴーグルとリモコンだ!!」


 同じ十五万人のいじめ加害者。だが、当たりかハズレかという新たな境界が引かれ、そこにさらに「密告者」と「沈黙者」、「享楽者」と「拒絶者」が生まれていく。救いようのない分断は、階層をまたいで深まり、この場所そのものが新たな実験場であるかのようだった。


次話は明日15時投稿予定です。

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