31話 暗き朝
調布市立・川上中学校。
築四十年の老朽校舎は、外壁の塗装が剥げ、窓枠のアルミも所々に錆が浮いている。
午後四時過ぎ、授業が終わった校舎内では部活動の掛け声とボールの音が響く中、今日から働くことになった「中年の清掃員・坂本」という男が、バケツとモップを手に廊下をゆっくりと進んでいた。
「お疲れさまでーす」
事務室前を通ると、女性事務員が書類を抱えたまま軽く会釈する。坂本は笑顔を返しつつ、視線を職員室からほど近い廊下の突き当たりの方へと滑らせた。
そこには、先日公園で見たあの生徒の姿があった。何度も頭を下げており、教員らしき人物から説教を受けていた。腕組みで冷ややかな目で見下ろされている。
「朝倉君、これでもう何回目?何回忘れてきたら気が済むの?提出期限守れない生徒はうちのクラスには要らないの!」
女性教諭は彼の担任なのだろう。キーキーと甲高い声でヒステリックに喚き散らし、受け持つクラスの生徒の一人を厳しく糾弾する。
「やっぱり人殺しの子供には人の心がないのかしらね!あーあヤダヤダ!あんたみたいのがいるから日本はいつまで経っても良くならないのよ!だいたいあんたはねぇ―――」
女性教諭は朝倉少年をサンドバッグを一方的に殴る蹴るかのように当たり散らす。彼は頭を下げて申し訳なさそうにしているが、その表情にはもはや諦めの色のみが滲んでいた。公園で泣きながらノートを拾っていた彼の、感情の抜け落ちた顔。好き放題罵られているのをハイライトの消えた目で受け続けるしかない惨めな姿を晒す。坂本は足を止めることなく、その場を通り過ぎた。
校舎内のあちこちを巡回してみて回ったが、一見してどこにでもある普通の中学校。校庭では運動部が部活に励んでおり、青春を謳歌する生徒たちの掛け声が夕方の空に響く。消灯された教室の窓から見えるまだ明るい校庭と空を見ると、懐かしくも輝かしい郷愁の念に駆られる。生徒が通りかかるとモップとバケツを手に清掃するそぶりをしつつ、坂本は校舎内を引き続き見て回った。
一階の昇降口。下駄箱にほど近い柱の近くで、声が聞こえた。
「朝倉、まだ永原に絞られてるぜ」
「また提出物忘れただろってな。すっかりターゲットにされてさ」
「真面目に授業受けてりゃ、ああはならなかったのになぁ」
数人の男子生徒が笑いながら靴を履き替えている。
柱の陰から坂本はモップの柄をわずかに傾け、下校していく彼らの背中を目で追った。彼らはクラスメイトなのだろうが、公園で見かけた四人のいずれでもない。おそらく、あの四人だけでなく、朝倉はクラス内全体においても軽んじられているだろうことが推測された。
その時、遠くから「ドン!」と鈍い音が響き、かすかな呻き声が漏れたのを坂本の耳が聴き取った。
一般人では聴き取れないかすかなその音を聞き取った坂本の耳は、その音の方向――体育館裏手の倉庫へと向けられていた。
彼はモップを片付けるふりをして、音のする方へ歩みを進めた。
夕陽の差し込む薄暗い廊下、制服姿の影が数人、倉庫の前で何かを蹴っているのが見えた。
床に倒れていたのは、またしても朝倉少年だった。
体育館倉庫の壁に突き飛ばされた朝倉少年は壁に寄りかかったまま地面に崩れ落ちている。制服の裾が埃にまみれ、スクールバッグが泥に擦れている。朝倉は顔を上げようとしたが、その動きを阻むように、靴先が腹部へと無造作にめり込んだ。
「うっ……!」
「ほら、声出すなよ。教師に聞かれたら困るだろ?――お前もやれよ」
声の主は背の高い在日の少年・金岡哲。浅黒い肌に明るい茶色の髪、学ランの第二ボタンまで開けた胸元には赤いTシャツが覗く。その傍らで、三人の取り巻きが次々に朝倉少年を蹴り、痛みに歪む顔を面白そうに見下ろしていた。
「罰だっつったろ。これで終わりなわけねーだろ。…これは昨日の分!」
金岡が顎をしゃくると、取り巻きの一人、白人の少年リアム・ハートが朝倉のバッグを掴み、中身を再び地面にぶちまけた。
「あーあー、こんなにゴミまき散らしちゃダメじゃねーか。ゴミの分際でよく生きられるよなぁ」
リアム・ハートは教科書、ノート、筆箱、体操着を踏みつけながら、にやにやと笑う。
「お前の味方なんか誰もいねえ。弱虫で泣き虫で情けねえゴミクズのお前なんか誰も助けちゃくんねえよ。ずっとそうやってビービー泣いてな。…ママに助け呼ぶか?ママ、たちゅけて~ってよ!お前はママのおっぱい吸うことしかアタマにねえもんな!ハッハッハ!!」
散らばったノートを朝倉少年の鼻先に持ち上げ、もったいぶるようにビリビリと破り捨てる。
泣きそうになりながらもぐっとこらえようとする朝倉の口元を見て、リアム・ハートは興奮に震えた。
「――おい、先生にはチクれないよな?もし言ったら……分かってるよな?」
朝倉少年の髪を鷲掴みにして顔を寄せたのは、帰化人の富田元。学ランのボタンを全て開け放ち、ドクロ柄のTシャツとゴテゴテした十字架のシルバーネックレスが目を引く。言葉こそ軽いが、その目には冷たく刺すような光が宿っていた。朝倉は無言で小さく頷くと、そう躾けられたかのように、砂の地面の上で正座した。何も悪くないはずの彼が、己の罪を認め罰を受け入れるかのように頭を下げる。
「もっと!」
土下座した彼の後頭部を踏みつけ、ザリッ、と砂が顔面を擦る生々しい音を立てる。
後頭部を踏みつけているリアムは靴底の裏に伝わる感触に恍惚の笑みを浮かべながら、優越感に浸る。
「お前は生きてること自体が犯罪なんだからな。そこんとこちゃんと自覚しろよ」
黒人の少年ジャマル・バーンは散らかった荷物の中から財布を拾って物色する。しかし昨日の今日では財布の中身は補充されておらず、成果なし。その苛立ちを露にするように、土下座し続ける朝倉少年の顔面目掛けて砂を蹴りつけた。
「ダサクラの分際で生意気なんだよ。次は金持って来いよ!」
四人に袋叩きにされながら、朝倉は頭を下げ続けた。
坂本は、四人が完全にこの場を去るまで土下座をし続ける痛ましい姿を、その一部始終を眺めていた。足音を立てずに後退し、手近な用具入れの扉を開け、静かにモップとバケツを置く。
その手は無意識のうちに虚空から何かを取り出そうとしていた事に気付く。
――担任の態度、躊躇なく足蹴にする主犯格。
クラスメイトの男子は助けることなく、遠巻きに彼を嗤う。
朝倉少年はそこまでに罪深いことをしたのか?
「人殺しの息子」。
「生きていること自体が罪」。
それは果たしてどういう事情があるのか。これは単なる生徒間の揉め事ではない。もっと深く、腐った根がある。
夕陽が差し込む廊下の先で、部活帰りの笑い声が遠く響く。
世界の隅っこで上がる、小さくくぐもった泣き声。一人の少年の声なき叫びはあっけなくかき消されていく。
十月二十一日・早朝。
校舎三階の男子トイレに一人の男が突然現れる。
青白い光が収まるとそこには中年男性の姿。およそ四十代の男らしい焼けた肌。皺を目じりと口の端に刻んだ清掃員・坂本は、モップとバケツを手にして廊下へ進み出でた。
まだ生徒も教員も誰も登校していない朝焼けの校舎内は静寂に包まれており、教室の窓から射す朝日だけが廊下を照らす。
目指す先は二年一組の教室。あの朝倉少年が在籍しているクラスだ。
その教室はしんと静まり返っており、あと数時間も経てばここは賑やかになるであろうことが想像される。しかし、この教室においてその輪からは爪弾きにされ、足蹴にされ、日々涙する少年がこのクラスには一人いる。
クラスメイト、教師からいじめられ、学校の外までも彼を追ってその悪意はやって来る。
痛めつけられながらも登校する彼の悲嘆と辛苦が積もり積もったこの空間に呼びかける。
「―――思痕映写」
教室の壁が。床が。机が。椅子が。黒板が。ロッカーが。
物言わぬそれが毎日見ていた悲しい記憶を引き出し、今この空間に再び忌まわしき現実を再演する。無人の教室に、半透明の人型が三十余名現れた。
俺は朝倉隼。中学二年の十四歳。
お母さんは専業主婦で、お父さんは自衛官をやってる。
いつもお父さんは家にいないけど、毎日厳しい訓練を続けていて、地震とかが起こったらお父さんはすぐに災害派遣で飛んで行って、汗水たらしながら日本のために頑張る、自慢のお父さんだ。
お母さんもお父さんと一緒にいたいはずなのに、ちっとも寂しそうな顔せずに俺を育ててくれてた。
毎月一回、お父さんが家に帰って来る時は家族みんなでご馳走を囲む。その日のためにぼくは、ずっと…耐えていた。
あの日のことは、たぶん一生忘れない。
社会の授業で、永原先生が黒板の前に立って、いつもの感じでしゃべってたんだ。
「日本は戦犯国家です。昔、アジアの国々を侵略して、大勢の人を殺しました」
って、すごくはっきりした声で言った。教科書にはそんなこと書いてないのに、みんな普通に聞いてて、誰も変だって顔をしなかった。
「日本は朝鮮半島を植民地にしてとてもひどい事をしました。アジアの国々にもひどい事をしました。朝鮮・中国・アジアでたくさんの人を殺し、たくさんの物を奪ったので、日本人はその罪を代々語り継がなければいけません。許してくれるまで、日本人は謝罪と賠償をし続けなければいけません。今度の修学旅行も慰安婦のおばあさんに心の底から謝罪して、土下座して反省すれば、きっと先祖の罪は許されるに違いありません」
……どうしてもその言葉が引っかかった。
だって、お父さんとおじいちゃんは自衛官だし、ひいおじいちゃんは太平洋にあるパラオと言う国の、ペリリュー島の守備隊員の一員として命がけで日本と現地の人々を守ろうとして一九四四年のちょうど今頃に亡くなった。小さいころから戦争のこととか歴史のことをちゃんと教えてもらってきた。自分で調べて読んだ本にも、そんな一方的な書き方はしてなかった。
日本は確かに東南アジアのいろんな国に攻め込んだけど、それは欧米が東南アジアを植民地にしていたから。それを解放しながら欧米と戦うための石油とかゴムとか、戦争を続けるために必要な物資を調達する必要があったのもあるけど、何も日本も同じように東南アジアを植民地にして現地の人や物をムリヤリ搾り取るのが目的じゃなかったと思うんだ。
学校も病院も発電所も一杯建てた。その投資のおかげで寿命も延びて識字率も上がって、欧米の植民地時代よりも現地の生活はぐっと良くなった。もし植民地にして搾り取るのが目的だったらそんなことはしないはず。日本と同じ教育と医療を東南アジアに作る事で、植民地の奴隷としてじゃなく、日本人と同じ扱いをして未来の国造りに関われる人材を育てようとしたかったんだと思う。
だから授業が終わったあと、俺は思いきって先生のところに行って、「さっきの話、違うと思います」って言ったんだ。お父さんから聞いたこと、おじいちゃんの手紙や日記で知ったこと、歴史の本で読んだことを、できるだけわかりやすく説明しようとした。ちゃんと敬語も使ったし、怒ったりもしなかった。
でも先生の顔が急に怖くなった。
「あなたは軍国主義者なの?国粋主義?戦争を美化したいわけ?」
って、すごく冷たい声で言われた。胸の奥がキュッてなって、俺の話なんて最初から悪いものと決めつけしてたんだって気づいた。
その瞬間、もう何を言ってもダメだってわかった。
それからの授業で、先生はやたら俺の名前を呼ぶようになった。
「朝倉くんはこういうこと、賛成なんでしょ?」
って、みんなが笑うのをわかってて言ってくる。俺が答えても笑われるし、答えなくても笑われる。
笑い声って、あんなに人を小さくするんだって初めて知った。
授業で毎回俺を指名するようになってから、クラスの中で、俺をからかうやつらが出てきた。
富田元。金岡哲。リアム・ハート・ジャマル・バーン。この四人。
最初は机の中にゴミを入れられたり、筆箱がなくなったりするくらいだった。でもだんだんひどくなって、ノートを破られたり、宿題を盗られたりするようになって。
そのせいで課題を提出できないから成績は下がる。先生に訴えてもこっちの言い分は全く聞いてくれなくて、「宿題は出さないのに口は出す不真面目な生徒」って言い方をする。
授業中に突然後ろからペン先で背中を突かれたり、消しゴムを投げられたりするのも、もう当たり前になってしまった。クラスのほとんどが俺をそういう目で見るようになった。
でも、一番きついのは、そういうことがあっても誰も見て見ぬふりをすることだ。先生に相談したくても、その先生がそもそもいじめの発端なんだから、どうしようもない。ある時、ノートを破ってるところを先生が見た。でも先生は笑って、
「仲良く遊んでるのね」
って言った。俺の中で、何かがバキッて折れた気がした。
授業が始まるとまず初めに、全員を起立させるようになった。
「はい、全員立って。今日の宿題、やって来た人は座りなさい」
提出物コーナーのトレイにきちんと宿題を出した。今朝この手で出したのをしっかりと見た。座ろうとすると、先生は大声で止めてくる。
「ちょっと朝倉君、あなた今日も提出してないでしょう」
俺はちゃんとやってちゃんと提出したのに、出してないと先生は言った。
出したと言っても先生は信じない。余計に怒られる。でも、本当に俺は宿題をやって、トレイに置いた。
その時、クスクス笑う声が聞こえた。そっちの方に目をやると、ぱっと目を逸らしながらわざとらしく窓の外を眺める。
こいつだ。こいつが何かしたんだ。
きっとまた、トレイから勝手に抜き取ってどこかにやったんだ。
授業が終わった後、あちこち探してようやくそれは見つかった。
男子トイレの三つ目の個室の中、洋式便座にびりびりに破かれた状態で。
宿題をやって提出したのにいつの間にか抜き取られていて、そのせいで宿題をやってないことにさせられる。
何度対策しても隙を見て抜かれるし、先生は俺が提出できていない状況になると、説教を楽しそうに始めるんだ。
授業開始時間になってるのに、十五分、毎回説教されるようになった。
俺はちゃんとやったのに。
学校に物を置いておくと何かされるから、毎日全ての物を持って帰った。大荷物で重たくなるけど、イタズラされるよりはましだと思った。多分、それが面白くなかったんだと思う。それまで物だけがなくなるレベルだったのが、だんだん殴られたり蹴られたりするようになってきた。
すれ違いざまに蹴られたり、水をかけられたり、ロッカーに押し込まれて外から箒でガンガン叩かれたり、体育の授業ではルールのギリギリを狙って体当たりしたりボールを顔に投げたり。
最初は抗議もした。でも、その翌日それを倍にしてやり返される。
こっそり逃げてもすぐに見つかって殴られるようになるし、言い返したりやり返すと何十倍にもなって跳ね返ってくる。
俺は悟った。抵抗せず最初から大人しく黙って受け入れた方が、ダメージが少なく済むって。
ある日の放課後、四人に呼び出されて、金岡にコンビニの袋を押しつけられた。中には菓子パンやジュースが入ってた。
「これ、おまえが買って持ってこい。金?ないって言うなよ。ちゃんと“買って”こい」
そう言われたけど、そのあと耳元で、「でもレジは通すなよ」と笑った。
……つまり、万引きしろってことだった。
最初は、断った。そんなの絶対やだって。けど次の日、机の中が牛乳に浸した雑巾とゴミでいっぱいになってた。臭くて汚くて、別の雑巾で拭いても嫌なにおいがずっと残ってる。しかも永原先生は、誰がやったかなんて調べもしないで「朝倉君、もう二年よ。自己管理が出来ないなんてどういう事?授業態度を改めないと進級にも影響するわよ」って言った。
俺のせいじゃないなんて分かり切ってるのになんでこれも俺が悪いことになるんだ、誰も俺の事を信じ、守ってくれないじゃん。もうどうでもいいや。何もかもどうでもいい。そんな弱い気持ちが、少しずつ出てきた。
最初の一回は、本当に手が震えた。レジ横のカメラがこっちを見てる気がして、心臓が爆発しそうだった。でも、意外にも何も起きなかった。商品を持って行ったら、やつらはニヤニヤしながら「ほらできんじゃん」と言った。
それからが地獄だった。
やつらは順番に欲しいものリストを出してくる。雑誌だったり、お菓子だったり、時にはゲームソフト。
渡す時は必ずお礼を言わせられる。「ダサくてつまらない僕と付き合ってくれてありがとうございます。これからもよろしくお願いします」と。
上納しないと翌日から机の中がゴミ溜めになるし、授業中に後ろから蹴られたり、休み時間に廊下で突き飛ばされたりする。
しかも「もしバラしたら、親や先生に“こいつ万引きしてます”って言うからな」と脅される。自分からやったことにされるのは目に見えてる。どうせ、無理矢理やらされたと訴えても誰も信じてくれない。みんな敵だ。俺の味方になってくれるような人なんて、この世界には一人もいない。
俺はいつも帰り道、カバンを握りしめながら、どうしたら抜け出せるか考えてる。でも答えは出ない。
お母さんには絶対言えない。一人で頑張ってくれてるのに、俺が問題を起こしたら……そんなの、言えるわけない。人殺しの息子だって言われていじめられてるなんて、口が裂けてもお父さんには言える訳がない。
だから家では笑ってる。今日あった楽しい出来事をその場で作りながら、笑って話した。お父さんは単身赴任で遠くにいるし、月に一度の家族の時間は楽しく過ごしたかった。お母さんひとりに負担をかけたくなかった。
破られたノートは机の奥に押しこんで、絶対に見つからないようにした。
本当は、誰かに「助けて」って言いたかった。でも言ったら、もっとひどくなる気がして、ずっと黙ってた。
だから毎日、朝起きるたびに「今日も学校行かなきゃいけないのか」って思ってた。
お母さんを心配させないために、本当は行きたくない学校に、俺は通ってる。
でも、心の中ではずっと思ってる。
――俺は、このまま一生、やつらの言いなりで終わるのか?
放課後だけじゃなく、土日もあいつらは友達のフリして家から連れ出す。お母さんが手を振るのを背中で感じながら、今日はどのエリアで"買い物"するかの話。
そして手に入れた物は全部、あいつらの秘密基地に持って行かされる。多摩川に架かる橋の下。そこにあちこちから集めたダンボール・板・ゴザ・ブルーシートで小屋を作り、中では山積みになった菓子やゲーム、ブランド物の服。
たまに、そいつらの上のヤツ――三年生の不良が取りに来て、「よし、これで次の取り分な」って言って、あいつらの手に何か渡してるのが見えた。小さな封筒。
あれが金だってことぐらい、もうわかる。
つまり、俺がやらされてるのは遊びなんかじゃなくて、仕事だ。
上のやつらが得をして、その下のやつらも分け前をもらう。で、僕みたいなのはただの道具。タダ働きの奴隷。
逃げようとしたら、「自分の事だけ考える自己中野郎、お前のせいでみんなが困る」って囲まれる。
気づいたら、家でも学校でも居場所がない袋小路に俺はいた。
コンビニの自動ドアの前で、ガラス越しに自分の顔を見ると、知らない人みたいな目をしてる。
万引きしながら、頭の中で父さんの顔が浮かぶ。
あんなに真っ直ぐで、制服が似合って、堂々と胸を張ってた父さん。
もし今の俺を知ったら――軽蔑されるに決まってる。
せっかくここまで育ててくれたお母さんの愛も、俺は裏切った。
俺は、眠れない夜を過ごすようになっていた。
もうこのまま明日が来ないでほしいと毎日思う。いつ万引きがバレるのか、それが怖くて毎日不安だ。
防犯カメラの映像を見た警察が、明日うちに乗り込んでくるかもしれない。いつ、こんなどうしようもない状態になった俺がお母さんとお父さんにバレるのか。それを考えるだけで死にたくなる。
俺の心の中のように、俺のこれからの未来のように真っ暗な夜。月だけが光り輝いて、他は真っ暗。この前まで見えていた星は闇に飲み込まれて、俺はひとり絶望の中にいる。
筆箱には、「いのちの電話」の紙が何枚も入っている。授業前に配られる電話番号を何枚も何枚も大事に集めるように。
勇気を出して電話をかけても、的外れな返答ばかり。
『先生や、身の回りの大人に助けを求めてみたら?』
『今は辛くても、きっと大人になったらいい経験だと思えるようになるよ』
俺は、今すぐ助けてほしかった。
先生なんてあてにならない。みんな、自分のポイントが大事だから。自分のクラスでいじめがあるってバレたら出世に響くから。
永原先生に、いじめられてるから助けてほしいと、直接言ったことがある。
永原先生に、なんで嫌がらせするんですかと、直接聞いたことがある。
永原先生に、職員室で他の先生がいる所で助けを求めた時「先生が言ってあげるから」って言ってたのに、今もいじめが終わらないのはどうしてと、嘘ついたんですかと、直接訴えた事がある。
その返事は、こうだった。
『アンタが悪いんでしょ。ウジウジウジウジみっともない。そもそもそんな事私聞いてないから。どっかの誰かと聞き間違えたんじゃないの?それを私のせいにするなんてどうかしてるわ。アンタみたいなどうしようもないのは、生まれてこない方が良かったんじゃないの?アンタと同じ空気吸いたくないんだけど!』
生徒の苦しみを一番助けなきゃいけないはずの先生が、一番俺を苦しめたと言ってもよかった。
誰も助けてくれない、と口に出すけど。
誰か助けてくれ、と思う。
でも、そんなことはもう思えない。
だって、俺は悪の片棒を担いでしまったから。
俺も罰を受ける側の人間だから。
俺はもう誰かに助けてもらう資格なんてない。
どこにも味方なんていない。みんなあいつらの味方。
俺はどこで間違えたんだろう。こんなことになるなら別の学校に行けばよかった。
でも、もうそんなこと考えてもどうしようもない。
もう俺の人生はどうにもならない。
ずっとこのまま俺は、最底辺の人生を生きていくんだと思う。
ダサく、暗く。シュンとして。
次話は明日20時投稿予定です。
この話が面白いと思った方は★★★★★を押していただけると幸いです。
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