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29話 大いなる月

第2章を再開いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

 二〇二五年・夏。

 日本に舞い降りた正義の代行者・銀の仮面。

 その素顔も素性も所在地も誰も知らないその人物は、夜陰に紛れて悪事をなす不逞の輩を次々に下す。


 外国に阿り、自国を売り飛ばす大臣。

 圧力に屈し、悪党に与した官僚。

 出自を偽り、日本を覆そうとする政治家。

 正義を騙り、人々から金と希望を詐取した詐欺師。

 悪逆を尽し、無辜の民を傷付ける不法移民。


 日本国民を傷付け、踏みにじる売国奴。非国民。反日勢力。

 日の本の民ならざる者たちが夜の闇に紛れて日本の明るい未来を妨げ続けんとするその瞬間を、余すことなく月光の下に晒す。


 巧みに隠れても必ず居場所は暴かれる。

 必死に逃げてもその先にあるのは三日月の旗。


 明けない夜の中で涙する人々の声なき叫び。悲しみ。救いを求める心に応じて、彼はこの世紀末日本に舞い降りた。


 人々は彼を断罪公爵とも、並行世界の越境者とも呼ぶ。


 警察と政府が名ばかりとなり、いつしか人々は自分自身と周囲数人分の安全な生活だけを考えるようになってしまった、放置国家となってしまった日本。

 法律が機能せず野放しとなった悪人は、犯した罪を見逃されたと誤解し、後悔も反省も更正もすることなく更に罪を重ね、何の咎もない市民がその悪意に繰り返し傷付けられる。


 法律が取り逃した悪。

 法律が見逃した罪。

 法律が諦めた賊。


 今の壊れかけの日本の法では裁けず、正しく執行できなかった刑を裁くのは、もう一つの法。


 法の外から、三日月刃をしたギロチンが無法者の首を捉えていた。






 二〇二五年十月十一日。


 蒸し暑い南国の夜。フィリピンのマニラ郊外にある雑居ビルの四階。照明もまばらなフロアの一角に、ネットカフェにも見える、多数のPCが配置された空間が広がる。

 デスクにはヘッドセットを付けた半袖のアロハやタンクトップ姿の、「日本人向けカスタマーサポートセンターのオペレーター」たちがいた。


 粗末な机に並んだ十数台の統一されていないノートパソコンとデスクトップパソコン。汚れた布のパーテーションで仕切られたブースの中では、東南アジア系スタッフたちが片言の日本語を操り、電話とチャットで獲物に罠を仕掛けていた。


「お電話アリガトウゴザマス。Windows緊急サポートセンターデス」

「では今から、セキュリティ確認のための手続きをご案内シマス」

「このウイルス対策ソフトをダウンロードしたら大丈夫デス。安心シテクダサイ」

「今日中に対策しないとデータ全部消えマス。今ならまだ間に合いマス」

「近くのコンビニでGoglePlanカードかituningカードを三万円分買ってクダサイ」


 声色は穏やかで人懐っこく、しかしその言葉の裏には、悪意と搾取の熱がこもっていた。

 悪びれた様子もない詐欺師たちは、次々と高齢者や子どもを食い物にし、瞬く間に金を抜いていく。泣きそうな顔でコンビニで買って来たプリペイドカードのコードを、嫌らしい笑みで受け取る。

 眼前のモニターにはやりとりした被害者たちの個人情報がExcelシートにずらりと並び、笑顔で男が通信を切断すると、一番新しい名前の横に一つマルが付けられた。


 通話が終わったばかりのヘッドセットに、また着信音が響く。

 慣れた手つきで回線を繋いで彼はいつも通りの笑顔を作り、録音されたような口調で電話を取った。


「お電話アリガトゥザイマス。Windows緊急サポート―――」


 ――その瞬間だった。


「ッ……?」


 言いかけたその瞬間、モニターに映っていた被害者名簿Excelの画面がブラックアウトし、――“波打った”。


 液晶画面に、涙が一滴、水面に滴ったかのような波紋が広がり、真っ黒な背景に銀色の仮面が浮かび上がった。モニターの向こう側からこちらを真っ直ぐ射貫くように見つめてくる。


 ──銀の仮面。


 その存在は噂で知っていた。つい最近現れた、日本で政財界を震撼させている化け物のような存在。次々に日本政府の要人を天誅と称して殺して回る処刑者。

 だが、それは遠く海の向こうの国の話で自分たちには関係ないと思っていた。数千キロ離れた異国・日本で何かが起こっているだけで、ここは安全だと。


 だが今、その仮面が、画面の中でこちらを睨んでいる。


「だ……誰ダ……?」


 詐欺師が狼狽しながら問いかけた。次の瞬間、背後でバチリと音がした。


 停電。蛍光灯が一斉に落ち、フロア全体が暗闇に包まれる。


 そして――闇の中で稲妻のような閃光が空間を裂く。


「―――雷狼之爪フェンリルクロー!」


 青白い魔力の輪が床に浮かび上がった瞬間、全方向に黄金の電撃が奔る。触れた男たちから薙ぐような血飛沫が上がる。飛び散る火花、肉と金属を焦がす匂いの中、詐欺師たちは悲鳴を上げ、身を縮めた。


 彼らの目の前に、銀の仮面が実体として現れた。


 驚愕する間もなく、その姿は、まるで霧から浮かび上がる亡霊のようだった。

 銀の仮面、黒い外套、蒼白いオーラ。彼は、室内のどこからともなく現れ、デスクトップパソコンの薄型モニターの上に重力を無視するように静かに爪先一点で立っていた。


 両手からは大身の爪が三本ずつ生え、バチバチと紫電を上げている。

 あちこちから痛みに呻く声が上がる中、走って部屋から逃げ出そうとした男が一人。その方へ銀の仮面が手を引掻くように振ると、雷の爪が音速で飛び、袈裟懸けに胴体を両断。激しい断末魔と血飛沫を上げて男は絶命した。


 動いた瞬間に殺されることを悟った詐欺師たちは、へたりこんだその場で呆然と銀の仮面を見上げた。


「……お前たちは、自分たちだけは大丈夫だと思っていないか」


 静かだが、深く冷たい声が室内に響く。


「お前たちは、自分がずっと"食う側"だと随分自信があったようだ。しかし、どうやらお前たちも"食われる側"だったようだな」


 しんとした部屋の中、表情が分からない仮面の男の姿。詐欺師たちは互いに顔を見合わせ、脂汗を滲ませる。


「…ま、待て!オレたち、命令されたダケ!悪イノハ、ボス、ウエ、ウエが悪イ!」

「そ、ソウ!全部ボスのセイ!」

「オレタチ、シタガッタダケ!ワルクナイ!」


 リーダー格の詐欺師が必死に弁明する。他の詐欺師たちも同調する。しかし、銀の仮面は彼を見下ろしたまま、何の感情も見せない。


「そうか。どうやらこいつらは"お前が悪い"と言っているが、そうなのか?()()


 そう言うと、()()()()男が一人、青白い魔力の鎖に縛られてドン、と重たい音を上げながら床に叩きつけられた。


「ガハッ……!!」


 背中から床に落ちた衝撃で肺の中の空気が全て吐き出される。

 息を吸うことも吐くことも出来ずに、窒息するのではないかと恐れるように目を見開きながら呻く。


 浅い呼吸を繰り返し、やがて本来の呼吸を取り戻したボスは、つい先程まで泣き腫らしていたと思われる赤ら顔で言い逃れようとする。


「ち、チガウ、俺は何も見てナイ…!こいつらが勝手にヤッタ…!俺は何も知らナイ…!」


 床にへたり込んでいる下っ端たちは、突然現れて自分たちを売る言い訳をするボスと、空中に君臨する銀の仮面とを交互に見る。


 この場の全員、とても綺麗な仕事をしているとは言えない服装と内装。

 明らかに日焼けし、ブルーカラーの風貌でありながらカスタマーセンターを騙って大金を詐取していた男たちの額に、どばっと脂汗が噴き出す。

 パソコン作業をするにはあまりにも不釣り合いな高価な指輪が四本指全てに着けられた手で汗を拭う。


 高級腕時計。ブランドブレスレット。純金ネックレス。有名サングラス。

 この場にいる人間が夏の装いのお供に身に着けているいずれも、まともな月給で買った物ではないのが一目で窺えた。


 その様子を静かに見下ろした銀の仮面が、淡々と呟く。


「お前たちはボスが悪いと言い、ボスはお前たちが悪いと言う。それならば仕方ない――」


 見逃されるかもしれない。そう男たちの目に一瞬の希望が宿ったが。


「――連帯責任だ」


 電撃が走る両手の剛爪を、周囲、全方向に向けてひと息に薙ぎ払った。






 無音のコンピュータールームの扉がぬるりと開き、無音のまま閉まる。

 足音もなく去る銀の仮面。つい先程までいた後ろの空間には、今はもう誰もいない。

 雑然と置かれたパソコンと椅子などはそのまま放置され、まるで夜逃げしたかのように人の気配だけが完全になくなっていた。


 落ち着いた歩調で銀の仮面は外部に通じる通風孔に向かい、<異界の気配>に乗って建物の外へと流れていく。

 無数の粒子となって、銀の仮面は薄暗くかび臭いビルを後にした。




 夜のマニラの空に、誰にも気づかれることなく光の粒が流れていた。

 まるで星々のかけらが風に乗って旅をするかのような、蒼白く瞬く粒子の群れ。小銀河のような尾を引きながら、都市の喧騒を離れた東の森へと向かっていく。


 人気のない外れの丘陵地。

 オフロード車のタイヤが刻んだ二筋の轍。その行き着く先には、一軒の粗末な小屋があった。新しい釘と合板で建てられた、即席の箱のような建物。

 小高い丘の頂上、木々の切れ間に無理やり設置されたその小屋の周囲には、草一本生えておらず、足元の土は掘り起こして間もない薄茶色を残していた。


 空を流れてやって来た光の粒が一点に収束する。

 風も音もない夜気の中、銀の仮面は静かに、小屋の目前にふわりと着地した。

 視界の片隅、半透明のマップには、目の前に赤色の光点が三つ。緑色の光点がこの地の直下に多く密集していることを示していた。


 銀の仮面は小屋の扉を音もなく開けると、中にいたブローカーの男三人を一瞬にして切り裂き、魂ごと焼き払う。


 壁際に積まれた土嚢を掻き分けると、分厚い鉄の蓋と新しめの梯子が現れる。

 鉄の蓋を開けるとすぐさま異臭が広がる。その先は地中――正確には、トラックの荷台の上部に空けた穴から通じる、倉庫のような空間だった。


 今、銀の仮面が立っている小屋・小高い丘は、もともと平地であった。

 平らな草地に貨物用大型トレーラーの荷台部分のみを丸ごと三両分横に連結し、上から大量の土を覆い被せて山とした地下牢獄だった。

 申し訳程度の空気穴以外は何もなく、鉄の壁は湿っていて不衛生だった。


 そこに、約二十名――十代から三十代までの男女が、ランタンの灯一つだけの闇の中、ロープで手と腰を数珠繋ぎ状態で監禁されていた。全員が衰弱し、目の焦点を失い、もはや座り込むことしかできず、言葉を発する力すら残っていない。空間の隅には汚物の詰まったバケツが数個。異臭が充満し、その対角線に人々は固まり、肩を寄せ合っていた。


 梯子に触れることなく銀の仮面が床に舞い降りるように降り立つと、その異様な存在感に囚われの彼らは息を呑んだ。

 彼らの心に走ったのは、恐怖――そして、微かな希望だった。


 沈黙の中で、ゆっくりと仮面越しに全員を見渡す。そして、柔らかな、穏やかな声で語りかけた。


「……大丈夫だ。君たちを助けに来た。もう、何も恐れることはない」


 その言葉に、一瞬の沈黙が流れる。


 立ち上がろうとした女性を、後ろの男性がロープを引っ張って遮る。

 無言で、ただじっと女性の目を見つめた。

 女性は男性の目線に深い瞬きを一つ、諦めて座り直した。


 ロープで繋がれた全員がこっそりと、背中の壁に逃げるようにわずかに後退る。

 突然現れた謎の人物が味方のふりをした敵かもしれないと、その一挙手一投足を見つめ続けていた。


 銀の仮面はゆっくりと左手を掲げる。


「―――慈雨照天メルティレイン


 光る左手から吹き上がった濡れない雨が、人々の頭上に降り注ぐ。

 水色の光の粒が空中に漂い、縛られた人々の心を優しく包み込む。

 悲嘆と絶望、恐怖と諦観。その全てを洗い流すように、光の粒子が人々の肩に、背に、頬に触れ、溶けていく。

 命を諦めかけていたひとりひとりの心に染み込み、やがて光の粒は、打ち上げ花火の残り火のように淡く燃え、静かに消えていった。


 固まっていた彼らの表情に、少しずつ血色が戻り始める。目に涙を滲ませながら、人々は銀の仮面を見上げた。


 銀の仮面は一歩進み、静かに問う。


「君たちは…全員、日本人で間違いないね」


 自分たち以外から発せられる、流暢な日本語。

 全員が揃って、首を縦に振る。涙を浮かべ、嗚咽しながらも、しっかりと頷いた。


 銀の仮面は彼らに近寄り、左手を翳す。魔力が集まり、足元に転移陣が浮かび上がる。淡く青白い光を放ちながら、ゆっくりと回転を始めた。


「帰ろう。我々の愛する国へ――」



 銀の仮面が放った強い光に目を閉じて数秒後。

 澄んだ空気にがらりと変わった事を感じ、再び目を開けると、すぐそこには見慣れた建物があった。

 遠い思い出のようで、つい今朝見た夢のようでもある。

 つい先程まで手と腰を結んでいたロープはなく、隣に同じく繋がれていた人もおらず、自分一人だけが路上にいる。


 彼らは、彼女らは、夢にまで見た日本に、自宅の玄関の前に立っていた。

 俄かに滲む視界の中、それが現実なのだと、瞬時に悟った。


「……お父さん……お母さん……!」


「ただいま! 帰ってきたよ――!!」


 深夜の住宅街。

 玄関の明かりが灯り、パジャマ姿の家族が、涙を流しながら玄関先に飛び出してくる。歓喜の声が、夜空に溶けていく。奇跡の再会を分かち合う親子たち。


 柔らかな月明かりが照らす空の下、大粒の涙が、日本中で流れた。









【スレタイ】

【三日月党】銀の仮面支援スレ★9【神在月】


【489:無名の日本人】

【速報】

 マニラの国際詐欺集団アジト壊滅か。主犯・幹部八名行方知れず

 何者かによる襲撃の可能性あり

 xxxxx://news.yahoo.xxxx/pickup/xxxxxxxxx


【492:無名の日本人】

 マフィアの抗争か


【494:無名の日本人】

 >>492

 ヒント:政治スレじゃなく銀の仮面スレにこのニュースを引用している


【496:無名の日本人】

 これも銀の仮面の仕業だったら胸熱すぎるな


【497:無名の日本人】

 俺たちの希望が世界進出か


【499:無名の日本人】

 いやいや、外国行ってないで日本どうにかしてくれよ

 銀の仮面は日本のヒーローなんだからまず日本の世直しし切ってからにしてくれよ


【501:無名の日本人】

【速報】

 フィリピン・マニラ東部郊外の森に邦人監禁施設か

 謎の人物により十九名全員救出

 xxxxx://news.yahoo.xxxx/pickup/xxxxxxxxx


【504:無名の日本人】

 >>501

 え?


【506:無名の日本人】

 >>501

 マ?


【509:無名の日本人】

 もしかしてこれって…


【513:無名の日本人】

 マニラの地下組織壊滅させて、その帰りしなに監禁されてた日本人も救出したって事か?


【515:無名の日本人】

 おいおいいおいおいおいいおいおいおいいおいいおいお


【516:無名の日本人】

 >>499ですすいませんでしたぼくがばかでした

 まさか海外で日本人助けてるとは思いませんでしたぼくがばかでした

 今すぐ天誅してきますすいませんでした


【517:無名の日本人】

 八面六臂の大活躍やん…


【518:無名の日本人】

 銀の仮面半端ないって…


【520:無名の日本人】

 もうあいつ半端ないって!


【522:無名の日本人】

 虐げられてた日本人めっちゃ救済するもん!


【533:無名の日本人】

 そんなんできひんやん、普通……そんなんできる!?言っといてや!できるんやったら…


【536:無名の日本人】

 あいつ人助けしたら喜べよな


【539:無名の日本人】

 喜べよ!もっとアピールしろよ!なんで何も言わずに颯爽と去ってくねん!


【540:無名の日本人】

 あれはすごいな

 あれは絶対日本代表になるな


【542:無名の日本人】

 俺、握手してもらったぞww


【544:無名の日本人】

 いいなあ銀の仮面と握手

 本物のヒーローと握手出来たらどうなっちゃうんだろ

 赤レンジャーと握手しただけでも狂喜乱舞したってのに


【546:無名の日本人】

 後楽園ゆうえんちでぼくと握手!


【549:無名の日本人】

 銀の仮面の握手会やってくんないかな

 マジで


【552:無名の日本人】

 もしやったら動員数とんでもないことになるぞ


【554:無名の日本人】

 絶対腱鞘炎なるわ


【556:無名の日本人】

 銀の仮面は腱鞘炎になどならない

 なぜなら銀の仮面は鋼の心を持つヒーローだから


【558:無名の日本人】

 >>556

 ちょっと「狙いすぎ」やな

 もうちょいシンプルにしたほうがええと思うで


【560:無名の日本人】

 >>558

 お前のために言ってんじゃねーよハゲ!!


【561:無名の日本人】

 >>558

 黙ってろハゲ!!


【563:無名の日本人】

 >>558

 そのうちお前が天誅されろハゲ!!








【591:無名の日本人】

 なあなあ、ちょっとこれ見てくれよ

 xxxxs://imgur.xxx/gallery/xxxxxxxxx


【593:無名の日本人】

 >>591

 ゲート?


【595:無名の日本人】

 >>591

 暗いな

 でもこれ富士山でも新宿でも熱海でもないな。どこ?


【598:無名の日本人】

 >>595

 大月


【600:無名の日本人】

 >>598

 ど こ だ よ


【605:無名の日本人】

 >>600

 山 梨


【607:無名の日本人】

 え?


【608:無名の日本人】

 なんで?


【610:無名の日本人】

 新転移陣クルーーーー?










 山梨県・JR大月駅。

 二十三時四十五分に新宿を発った中央線の下り最終列車は、新東京中央駅(旧・三鷹駅)と高尾駅を経て、東京を離れ、山梨の山間へと突入。一時一〇分、酔客の“収監先”とも言える終着駅・大月に到着した。

 ここから先に繋がる路線はもうない。片道切符の最終電車は「回送」の表示を掲げたまま車庫へ向かい、すべての鉄道運行が終了した。

 シャッターが下りた駅舎の明かりも間もなく消える。そして、何の縁もない土地に、まるで捨てられたように放り出された三十代前半のサラリーマンが一人。


「……やっちまった……」


 会社の飲み会は新宿で。二次会のスナック、三次会のカラオケと、思う存分に盛り上がった。

 酔いと電車の揺れに抗いながらなんとか意識を保っていたものの、立川で乗客が大勢降りて空いた席に座った瞬間が運命の分かれ目だった。

 あっけなく眠りに落ちた彼は、八王子で降りる予定だったはずがそのまま爆睡。目を覚ましたのは、大月駅で駅員に揺り起こされた時だった。


 ログハウス風の駅舎を出ると、同じく“収監”された不運な乗客たちがちらほら見える。

 タクシーを拾おうとする人。駅前の切り株風ベンチで夜を明かそうとする人。スマホ片手に迎えを呼ぶ人。暇を潰せる場所を探して彷徨う人――。


 タクシーで八王子まで戻ることも一瞬考えたが、運賃はおよそ二万四千円。

 さっき後輩にいい格好をして奢ってしまったばかりで、財布には到底そんな金は残っていない。

 電車なら八百円ほどで帰れるというのに、三十倍の出費は流石に痛すぎる。

 始発を待てば安く済むが、それは午前五時二分の高尾行き。あと四時間もある。

 二万四千円と四時間を天秤にかけ、彼は後者を選んだ。


「……どっか、近くに何かないか……」


 駅前のベンチで始発を待つのも気が滅入る。隣にはすでに、絶望を湛えた顔で座り込む中年サラリーマンの姿がある。

 そんな姿を自分も晒したくはない。せめて雨風を凌げる、ささやかなパーソナルスペースを求め、彼は駅を離れた。


 街灯はまばら。車も人影もほとんどなく、建物の明かりは一軒残らず消えている。

 駅から離れるほど光は減り、吹き抜ける風の冷たさと心細さが、猛烈な寂しさと後悔を呼び起こす。


「……閉まってる……」


 都心ならまだ賑わっているはずのチェーン居酒屋も、この地では既に営業を終えていた。

 駆け寄った店の前で呆然と立ち尽くし、まるで取り残されたような虚無感に包まれる。

 土地勘も金もなく、まるで突然この世界に一人投げ出されたような感覚。

 そんな彼に、今夜は――運もなかった。


「オイ兄チャン、ドシタノ、コンナ場所デ?」


 背後から不意に声がした。思わず肩をすくめて、振り返る。


 そこにいたのは、大柄な黒人の男たち。三人組。

 赤いタンクトップに金のネックレスを下げた男。迷彩ズボンにスケボーを抱えた男。長いドレッドヘアーを揺らしながら、ガムをクチャクチャ噛んでニヤける男。


「終電、ノリスゴシ?」

「帰リタイ?」

「乗セルヨ。家ドコ?」

「ボクタチ、トモダチ。困ル人、助ケルヨ」


 彼らのすぐ傍らには、黒のフルスモークのハイエース。

 街灯の少ないこの街では、車体の輪郭すら闇に溶け込んでいる。

 色も言葉も笑みも、すべてが夜陰に紛れ、人の形をした悪意だけが輪郭を持って浮かび上がる。



 逃げなければ――。

 理性は警鐘を鳴らしていた。しかし、酒に濁った身体は重く、頭の命令に反して足が動かない。膝はわなわなと震え、喉は張りつき、口がうまく開かない。冷や汗が背筋を伝い、生々しく恐怖を際立たせた。


「……だ、大丈夫です、ちょっとそこまで行くだけなんで……」


 ようやく声帯を動かし、絞り出したその一言。

 だが、三人の表情は微塵も変わらない。むしろ、瞳の奥には、獲物を追い詰めた捕食者の悦びすら浮かんでいた。


「暗イヨ、ココ田舎ダカラ」

「雨、降ルカモ。車、乗ッタラ安全」

「トモダチ、イッパイイル。楽シイヨ」


 ぞっとするような笑みを浮かべたまま、じりじりと間合いを詰めてくる。

 カタコトの日本語が、逆に異様な圧を持って迫ってくる。言葉の裏に潜む意図は明確で、それを悟っていながら身体が硬直してしまっているのが、さらに恐怖を増幅させた。


 愛想笑いでやり過ごそうと両手を振る。男たちの視線が左手首の腕時計に一度集まり、一人が馴れ馴れしい素振りで左手を掴もうと手を伸ばしてくる。咄嗟に腕を引いて避けるが、それもまた彼らを煽る結果になった。


 笑みは崩れない。いや、それどころか、より深く、歪んだものへと変わっていく。


 そのとき、背後の黒いハイエースのスライドドアが、音もなく静かに開いた。

 中に潜んでいた仲間の影が二人、まるで獲物が確定したことを確認するように、薄暗い車内からこちらを覗いていた。


 ――駄目だ。これは、もう駄目だ。

 気づいたときには遅かった。これは偶然の親切でも何でもない。これは、罠だったのだ。


 足元が震える。視界が滲む。呼吸が浅く、胸が痛い。空気が肺に入らない。

 叫びたいのに声が出ない。喉が固まり、声帯が閉ざされている。



 その瞬間。


 チカ、チカチカ――。

 街灯が不穏に瞬き、次の瞬間、小さく弾けた。


 パンッ!


 閃光のような破裂音。辺りが漆黒に沈む。

 その暗闇の中、唐突に何かが現れた。


 ――誰かが、立っていた。


 男たちとサラリーマンとの間、僅かな距離を隔てて、黒いマントを翻す影。

 風もないのに、マントが静かに波打ち、その足元には青白い光が浮かび上がる。


 幾何学模様と円環が織り成す魔法陣が、蒼い光を放ち、夜道に冷たい彩りを添える。

 光を反射した男たちの顔が、一斉に青白く染まった。


「――成程どうして。この町には、悲しみの色が濃くあった訳だな」


 背を向けたまま、静かに呟く彼の声には、哀しみと怒りが入り混じっていた。


 三人の男は、一歩も動けず、突如現れた乱入者に困惑する。

 その足元の魔法陣が、呼応するようにゆっくりと脈動し始めた。


「誰ダ……?」

「ナンダ、オマエ……」

「邪魔スルナ!」


 言葉を吐きながら一歩踏み出そうとするが、銀の仮面の男は、ただ静かに首を傾げた。

 そして、ごく低い、けれども力のある声で告げる。


「下がっていてください。目を閉じて、耳を塞いで」


 その声には、揺るぎない確信と、切実な優しさがあった。

 サラリーマンは、震える膝で地に崩れ落ち、言われるままに目を閉じ、耳を塞いだ。


 そして、仮面の男が一歩、前に出た。


「―――閻罰環枷ヘルズ・ネックレス


 バチイッッと鞭打つような乾いた破裂音と共に、男たちの首に半透明の枷が巻き付いた。水に銀と黒の絵の具を垂らしたようなマーブル模様が揺れている。


「うわッ……ッ!?」

「ナ……ナニヲシタ!」


 銀の仮面は、感情をほとんど乗せない声で呟いた。


「君たちは光り物がお好きなようだ。私からネックレスをプレゼントしよう」


 異様な光景に、後部のハイエースに潜んでいた二人の男も慌てて飛び出してくる。


「オイ、ヤベェぞ、コイツ何モンだ!」


 だがその警告すら遅かった。銀の仮面はすでに右手を掲げ、魔法陣を展開していた。


「―――閻罰環枷(ヘルズ・ネックレス)


 後ろの二人にも同じ首枷が巻き付く。外そうとするも、指は空を切る。幻影のように実態を持たない枷。しかし、確実に五人全員の首にしっかりと黒銀の首枷が下ろされた。


「「「………?」」」


 何か反撃してきているらしいことだけは理解した男たちは、数秒動きを止めた。次いで何かを仕掛けてくるかと身構えたが、何の攻撃も来ない。首に巻き付いたそれが痛くもきつくもないことを認めると、やがて馬鹿にするように鼻で小さく笑った。


「ナンダオマエ。コドモの遊ビカ。オマエハ砂デモ食ッテロ!」


 赤いタンクトップの男が、銀の仮面の男の頭上から、地面に殴り落とすかのように斜め上から拳を振り下ろそうとしたその時。


「――暴行罪」


 首枷がドクンと脈打ち、赤いタンクトップの男の首を絞め上げた。


 苦悶の呻きとともに、タンクトップの男が地面に膝をついた。枷はまるで生き物のように締まり、首の皮膚を透かして、脈打つ血管を浮かび上がらせる。


「ガッ……グッ、ナ……何……ダコレ……!」


 他の四人もその異変に気づき、我先にと枷を引き剥がそうとする。しかし、幻のようなそれにはどれほど手を引っ掛けようとしても掴めない。触れず、切れず、ただ罪に反応して締まる罰具だった。


 銀の仮面はゆっくりと彼らを見下ろした。


「ナ、ナニヲシタ」

「オマエ……、ブッ殺スゾ―――!」


 噛んでいたガムを地面に吐きながら睨みつけてくる、ドレッドヘアーの男の首枷が脈打った。


「――脅迫罪」


 言葉の刹那、彼の喉もグッと締め上げられる。苦しげに喉を押さえる男の目が見開かれ、泡立つような呼吸音が辺りに響く。


「テ、テメエ!!」


 スケボーを持っていた迷彩ズボンの男が鞘からサバイバルナイフを抜き、腹部目がけて突進しようとしてくるが。


「――殺人未遂罪」


「グゴロォゥェエッ!!??」


 先の二人よりも、もう一段階強く首枷が迷彩ズボンの男の首を絞め上げ、瞬く間に顔が赤紫色に変色していく。


 ナイフがアスファルトの地面に落ちる金属音が響く。迷彩ズボンの男が泡を吐きながら膝をついた瞬間、場に異様な静寂が訪れた。車から降りて来たばかりの男二人は、仲間三人が自分の首を押さえながらもがき苦しむ気配を足元に感じながら、異様な存在感を放ち続ける仮面の男に警戒の目を向け続ける。

 誰もがもう声を上げられない。叫びも、罵倒も、命乞いも、言葉として喉を通らなくなっていた。


 銀の仮面の男は、ゆっくりと足元の砂を踏みしめながら、二人に近寄る。


「――営利誘拐」


「ゴエェッ!!」

「ウグゥッ!!」


 二人の首が締まる。その背にしたハイエースの中には二人、両手足をテープで縛られた若い日本人男女がいた。


 呻きながら地面に崩れ落ち、己の首元を搔きむしる五人を見渡す。死の気配をまとう仮面の奥の視線が、まるで魂の内側を覗き込んでいるようだった。


「――人身売買」「臓器密輸」「不法監禁」「薬物所持」「詐欺未遂」


 一つひとつ、淡々と罪状が読み上げられるたびに、五人の枷は鈍く脈動し、締め上げる強さを増していった。


 鈍く締め上げる音とともに、五人の体が跳ねるようにのけぞり、そしてぴたりと静止した。穴と言う穴から汁を噴きながら瞳孔の開いた目で虚空を見つめる彼らの首には、深紅の刻印が浮かんでいた。


 やがて、銀の仮面が手を下ろすと、びゅう、と風が吹いた。

 ただ、異様な静寂と、夜風だけがそこに残っていた。


 車内に監禁されていた若い男女が、おそるおそるハイエースのドアを押し開ける。怯え切った瞳が、立ち尽くす仮面の男を見つめた。


「た、助けて……くれたのか……?」


 銀の仮面は、その男に向かってゆっくりと頷いた。そして人差し指を振ると、男女の手足を縛っていたテープがパラリと裂かれた。


 そして左手から小さな球状の青い光を宙に浮かべると、それがぱっと広がって、地面に転移陣を描いた。


「心配はいらない。無事、家まで送り届けよう」


 銀の仮面が小さく何かをつぶやくと、その魔法陣は若い男女を包み、光が収まった時には二人の姿が消えていた。


 サラリーマンは、忠実に、愚直に、目を閉じて耳を塞いで体を小さく縮こまらせていた。

 銀の仮面が肩を叩いてようやく防御を解いた彼の目の前に広がったのは、事切れた五人が地に伏す死屍累々の様相。


「ひっ……!」


 尻もちをついたサラリーマンに銀の仮面が手を貸し、立ち上がらせる。

 目を閉じ耳を塞いでいた間に、一人で五人を相手にして瞬殺したことは理解できたが、――それにしても。


 電波ジャックやニュースで見たあの姿にとても良く似ている。

 映像の声はノイズがかっていたが、今聞こえる声はクリアな肉声。落ち着いた響きと風格がある。


 夜空に瞬く星空と、月光に照らされた海のような碧を取り込んだようなその服。

 一点の曇りも迷いもない決意を表すかのような、美しく、秀麗な銀の仮面。


 目の前に現れた人物が、今まさにこの日本を救うべく立ち上がったその人であると、酔いの残る頭でさえ完全に理解した。


「あ、あなたは……」


 声にならないその声に、彼は小さく頷いた。


「あのっ…ありがとうございました!あなたが来てくれなかったらきっと俺は…!」


 サラリーマンは頭を深く下げた。

 無人となったハイエースは口を開けていて、もし銀の仮面が現れなければ、彼もその胃袋に飲み込まれていただろう。

 地面に落ちている粘着テープの切れ端。五対一では敢え無く捕まり自分の手足にも巻かれて、もう二度と朝日を拝むことはできなかったかもしれない。


「酔っ払って寝てしまって、こんな所まで来なければこんな事にはならなかったんですが――」


 つい出来た空席に座りさえしなければ、あえてつり革に掴まったままでいれば、八王子で間違いなく降りられたはずと言い切れる。

 しかし、折角目の前の席が空いた。座れるようになったのだから、座りたくなってしまった。

 "ちょっとくらい"、それで一寸先の闇に飛び込むことになるだなんて。


 サラリーマンは伏し目がちに後悔を口から漏らす。

 高額運賃のタクシーか徹夜組か。いずれを選んでも堪える。

 この収監先から出るには、高い保釈金を払うか刑期を全うするかのどちらかしかない。


 ――そう思っていたが。


「それでは、あなたも送り届けましょう」


「…え?」


 銀の仮面の左手が青白く光り出す。

 瞬間移動テレポートの術式が手の中で回り始める。しかしサラリーマンは慌てて止めた。


「ままま、待ってください。あの…帰れなくなっているのは俺だけじゃないんです」


「…と言うと?」


「あの…駅まで。あっちの方に駅があるのでそっちまで来てくれませんか」


 サラリーマンが先導しようと踏み出し、三メートル先で振り返り、銀の仮面を見ながら後ろ歩きしようとし始めた瞬間、背景ががらりと変わった。


「――ここかな?」


「………!!」


 そこは見慣れてしまったログハウス風の駅舎。大月駅のちょうど正面だった。

 入り口そばの切り株風ベンチには、腕を組んで俯き、寝入っている中年サラリーマンの姿が変わらずそこにあった。


「こ、ここです…!」


「そうか」


 銀の仮面が小さく頷くと、事態を飲み込めず左右をキョロキョロと見るサラリーマンを尻目に、おもむろに歩き出した。

 ログハウス風の駅舎の正面入り口から西側に三十メートル。「大月駅」と銘板が掲げられた赤い鳥居風の別の入り口がある。

 その鳥居から道路を挟んだ丁度向かいには"月Cafe"と書かれた喫茶店が建っていた。

 店舗の店先と歩道を合わせて一辺二メートルの正方形の空間の余地がある。

 銀の仮面はそこに立った。


 何かをつぶやきながら地面に向けて手をかざすと、魔法陣が地面に焼き付く。

 その魔法陣は青白い光を上げ、やがて薄明りとなって定着した。

 それは近日テレビで見た転移陣ゲートのようだった。


「……こ、これは…」


 銀の仮面は何も言わず、転移陣ゲートの横に移り、中へ促した。

 心配ない、と告げるようにゆっくり頷く彼を見て、サラリーマンは恐る恐るその魔法陣に乗る。


 不安そうに一瞥したサラリーマンを、胸を張って見送る。

 程なくして薄明りの魔法陣が一度強く明滅し、彼の姿は消えた。



 車も人もない大月駅前。

 地上からの明かりは少なく、満天の星が瞬く。星々と月明かりが淡く仮面を照らす。

 置き去りとなったハイエースの残された南の空を見上げた彼は、やがて吹いた風に消えた。


 銀の仮面を連れ去った風は駅舎にも吹き付ける。

 正面入り口そばの切り株風のベンチで縮こまっていた中年サラリーマンは、ぶるりと体を震わせて瞼を開けた。


「うっ……寒ィ……!」


 標高三五八メートル。十月の夜はやや肌寒く、とても熟睡できる状況ではない。

 男は時計を見やり、まだこの苦しみが数時間も続く事に落胆した。

 乗り過ごし客目当てのタクシーも来ない深まった時間。たった一人の駅前。

 男は血行を巡らせ体を温める為、三回目の散策と探索に歩き始めた。


 駅前から西側に歩き始めてすぐ、視界に飛び込んできたのは、先程まではなかった物体。


「なんだ、これ…?」


 地面には青白いサークルが描かれていて、それは闇夜の中で一筋の光を放っていた。

次話は明日20時投稿予定です。

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