16話 本物からの贈り物
二〇二五年九月九日、午前四時五十一分。
新宿警察署の正面玄関前。
眠気と静寂が支配する時間帯。まだ空も明け切らず、街路灯だけが冷たく路面を照らす。
守衛は入り口横で警杖を持ち、かすかに眠気をこらえながら立哨していた。
その瞬間――異変が起きた。
「……っ!?」
守衛の目の前で、何もなかった地面の上に、何かが透明を破って現れようとしている。
それははっきりと姿を現し、人の姿を完全に成す。
ほんの数秒前まで何もなかった歩道に、突如として十数体の人間が現れたのだ。
全員が整然と仰向けに横たわり、手足はきちんと揃えられている。どの遺体も目立った外傷や血痕は見られず、苦悶の表情すらない。
ただ魂だけが抜け落ち、抜け殻となった人間の姿――まるで「展示品の人形」のように並べられていた。
「こ、こちら守衛!至急、応援を!正面入口前、遺体が多数……!」
無線が鳴ると同時に、数十秒も経たぬうちに署員が次々と駆けつけてきた。
「な、何だこの光景……」
「うわ……何がどうなってる……」
現場に集まった数人の刑事たちが、整然と並べられた死体の群れを囲みながら青ざめた表情で言葉を交わす。
「これ……銀の仮面の仕業か?」
「昨夜の電波ジャックのやつか?あれと……同じ人数だ」
「おいこれ、古賀じゃないか?指名手配犯の古賀亮司もいる。間違いない。……懸賞金、出てたよな?」
若い署員の一人がぽつりと口にした。
「これって……銀の仮面に支払うべきなんですかね。二百万円、だったか……」
空気が一瞬で張り詰める。
「何言ってんだ、お前」
年配の署員が低い声で言い放った。
「相手は正体も不明の仮面野郎だ。法の枠にも証拠の枠にも収まってねぇ。そもそもこれは殺人だ。懸賞金なんか渡したら殺人を警察が黙認したことになるだろうが。馬鹿なこと言ってないで仕事に戻れ」
「……はい、すみません」
署員たちは鑑識と連携して検分を開始しつつも、誰もが心の奥で不気味さを拭えなかった。
「しかし……何で死体をここに置いて行ったんだ?今までは消してたはずだろ?」
「魂だけ焼いたって言ってたからな……まさか、これはわざと残したってことか?」
「古賀は指名手配犯だった。懸賞金もかかってたし……本当に"身柄だけ引き渡した"って事か」
「おいおいなんだよそりゃ、銀の仮面はそんなこともしてくんのかよ。勘弁してくれよ……」
「……気味が悪いな」
空が白み始める中、整然と並んだ十数体の遺体は、まるで害獣を捕獲駆除した記念写真のように、警察署の足元に鎮座していた。
午前六時。
ニュース各局が一斉に速報を打ち始めた。
【速報】新宿署前に十数体の遺体 昨夜の電波ジャックとの関連浮上
【続報】詐欺グループ主犯・古賀亮司、死亡確認 魂のみを喪失か
【注目】“銀の仮面”名乗る人物、公式窓口を設立か
各局のキャスターたちは電波ジャック映像と今回の遺体発見の関係性を示しながら、その異常性を解説し始めた。
「司法解剖の初見では、外傷も中毒もなし。死因不明です」
「映像では“魂を焼く”とされており、それが現実に適用されたと考える他ない状況です」
また、番組の終盤では読み取りコードの解析が始まり、実際に開設された新サイトの存在が報じられた。
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電波ジャック時に銀の仮面が提示した読み取りコードをスキャンすると辿り着く。画面に映し出された新サイトのトップページは、まるで夜明け直前の静けさを宿したようなデザインだった。
背景は深い群青。中央に浮かぶのは、銀の輝きを湛えた三日月の紋章。派手な動きも広告もなく、ただ静かに――そこに“在る”という気配だけが濃密に伝わってくる。
最上部に記された言葉は、一行のみ。
『月は見ている。夜明けを願う人々と、闇に隠れんとす悪を。』
その下に並ぶ七つの項目が、仮面の男が見せ始めた新たな“秩序”の輪郭を描き出していた。
【トップページ】
開いた者に最初に届くのは、銀の仮面本人による短い声明。
「正義とは、力の誇示ではなく、失われた希望を拾い上げる行為である」
そんな言葉と共に、天誅の理念と活動目的が簡潔に示されていた。
【天誅記録】
これまでに行われた天誅の履歴が、日付・対象・罪状・結果と共に記されている。
映像はここでは再生できない。いずれも簡素で、名指しされた者に対する断罪の記録であり、閲覧者にセンセーショナルな刺激ではなく、“理解”を促す形式がとられていた。
【電波アーカイブ】
過去に配信された電波ジャック映像が一覧で並び、再生可能となっている。
視聴には読み取りコードでのアクセスが必要だが、それさえあれば誰でも、いつでも確認できる仕様。
“天誅の正当性”を検証する場でもあり、“偽り”を防ぐための公的記録でもある。
【グッズ】
旧三日月党ホームページのデザインを踏襲しつつ独自性と視認性に振ったレイアウト。まだ商品が一つも登録されていない、空白のページ。
画面中央には「まだ商品が登録されていません。」と案内され、上部には購入会員ログインボタンと販売会員ログインのボタンが二つ表示されている。
【寄付・支援】
ビットコインをはじめとした複数の暗号通貨に対応し、完全匿名での支援が可能。
用途は銀の仮面の活動資金の他、日本国内の慈善団体・被害者団体・福祉施設などへの援助と予定されている。
寄付・支援が一定額を超えると特典があるとも記されている。
【詐欺被害補償】
「この度の詐欺被害に遭われた方へのお見舞い」と題して、銀の仮面からの挨拶・案内。
直接の現金による返金や補填は出来ないが、銀の仮面から詐欺グループの代わりに補償を予定していると書かれている。
具体的な補償内容・補償対象・補償時期は明言されていないが、最下部には
「ここを訪れた時点で私はあなたを見つけている。夜明けを楽しみにしていてほしい」とある。
【お問い合わせ】
フォームには"個人"、"法人"、"メディア"、"官庁"、"政府"、"その他"などのプルダウンボックスを始めとして氏名と連絡先と問い合わせ内容・添付ファイルの入力欄がある。
送信ボタンの代わりに読み取りコードへのアクセスが必要となる。
蓮と白田によって立ち上げられたこの「三日月党公式サイト」は通常のブラウザからのアクセスは不可能。
URLも存在しなければ、検索エンジンにも表示されない。
唯一の入口は、深夜の電波ジャックで提示された“読み取り専用のコード”を端末のカメラで読み込むことのみ。
読み取りさえすれば、アクセスは可能だ。この読み取り専用コードは、保存した画像であっても構わない。
しかしサイトそのものをブックマークする事はできず、履歴も残らない。再度アクセスしようとする時は、再び読み取りコードを読み込まない限り接続できない仕組みだ。
この不可解な構造について、警視庁は電波ジャック直後から即座に動き出した。
警視庁地下三階・特捜一課の捜査室の大型ディスプレイには、読み取りコードから展開されたサイトの画面が映し出されていた。
橘は腕を組み、その傍らには電子分析班の精鋭たちが詰めかけている。
「……おかしい。どこにも発信元がない」
一人の分析官が呻いたように呟く。通信傍受装置も、アクセスログ抽出プログラムも、まるで“何もなかったかのように”沈黙していた。
「DNSもIPも存在しない。サーバー経路は一見通常のルートを通ってるように見えるが、記録が一切残らない」
「VPNか?それともトーラス型の分散通信……?」
「違う。そういう次元じゃない。これは……接続そのものが、この世界の回線を使ってない」
室内が沈黙に包まれる。
橘は画面を見つめながら、低く問いかけた。
「発信者特定は?」
「……不可能です。接続した端末からも、通信ログが完全に白紙化されています。まるで……最初から痕跡が残らないことを前提に作られているような」
別の分析官が、蒼白な顔で補足する。
「それどころか、検証中のマシンの一部データが勝手に修復されました。先ほど消しておいたログファイルまで、なぜか初期状態に復元されていたんです」
橘は小さく息を呑んだ。
“修復”。それは意図的に何かが触れてきたということ。つまり――このサイトの構築者は、警視庁の監視体制すら読み切っている。
「これは……現代の情報技術を超越している」
橘は呟いた。
その言葉には、科学の限界を痛感する生身の無力さが滲んでいた。
これまでに捜査してきたどんな犯罪者にも痕跡や取っ掛かりは必ずあった。
しかし銀の仮面にはどこからどんなアプローチをしてもたどり着けない。
そこにいるのに手が届かない。無力感、焦燥感が包む。
「これはもうお手上げかも知れませんね」
分析官の誰かがそう言った。
橘は声の方向を見やり、一喝。
「警察が手を挙げるなど、何があっても絶対に駄目だ。…万策尽きても、職責に殉じることがあっても、警察は悪に対して絶対に白旗を上げてはならない」
橘はなおもパソコンに向かい続ける。
「諦めるものか。私は警視庁捜査一課・電子分析班班長、橘千景だぞ…!」
銀の仮面が電波に乗せた専用の読み取りコード。
何度も注視するうち、別の物に見えてくる。
それは、仮面に隠されたその奥で、"私に辿り着けるものなら辿り着いてみろ"と笑ったような顔に見えて来ていた。
そして、その翌朝――九月十日。
誰にも知られることなく、誰にも気づかれぬまま、ひっそりと奇跡は起きていた。
その一つは、福岡の古びた団地の一室で。
小学六年生の少年・裕太は、半分まどろみながら布団の中でうつぶせになっていた。学校に行きたくない気持ちは、昨日も一昨日も変わらず心の底に沈んでいた。
いじめ。無視。机に貼られる落書き。家では心配をかけまいと笑っていたが、彼の貯金通帳から消えた十万二千円の数字は、現実として彼の胸に重くのしかかっていた。
九日の日中、ニュースで放送された、銀の仮面が深夜の電波ジャックで流したと言う読み取りコード。
彼はそれを読み取りアクセスし、半ば諦めながら詐欺被害補償ページを開き、いつの間にか眠っていた。
しかしその朝――彼は枕元の異変に気付く。
淡く光を帯びた、三日月の形をした銀色のペンダント。
その下に、白い一枚のカードが添えられていた。
『君の正義を、私は見ていた。君の信じる心は間違っていない。どんなに辛くても心が折れない限り、それは負けではない。──銀の仮面』
裕太は、起き上がり、黙ってそのペンダントを手に取った。
胸元に抱きしめた瞬間、何とも言えない温もりと安心が全身を包み込む。
いじめられたことも、騙されたことも、何も解決したわけではない。
でも、あの“銀の仮面”が、自分を見ていた――そう思えたことで、彼は布団の中で涙を零した。
誰にも言えなかった苦しみを、ようやく吐き出せる気がした。
「……『折れなかったら、負けじゃない』…。もう、負けない」
その日、彼は自分の足で、久々にランドセルを背負って登校した。
千葉。住宅街の一角。
中学一年生の楓は、昨夜遅くまでベッドの中でスマホを握っていた。
騙された悔しさと笑われた恥ずかしさに寝付けない日々を過ごしていた彼女が、深夜の電波ジャックで見かけた読み取りコード。
公式サイトの“詐欺被害補償”ページに、恐る恐るアクセスし、買わされた偽グッズの画像を添付して申請を送信した。
「……もう、どうせ何も起きないよね」
そう呟いて眠りに落ちた彼女の枕元に、朝、そっと置かれていたもの。
薄い箱に入った、小さな三日月型のペンダント。
光沢のある銀色に、ほんのりと青い魔力の粒子が漂っているような気がした。
カードには、銀の仮面からのメッセージ。
『笑われても、君の願いは本物だった。私の魔法は教えられないが、君は既に正義の心を手に入れている』
楓は唇を噛んだ。
教室で笑われた悔しさ、友達に裏切られたような気持ち、全部が胸を締めつけた。
でも、それでも、自分の信じた銀の仮面はやっぱり本物だった。
「……やっぱり、信じてよかった」
その日、彼女はペンダントを制服の内ポケットに入れて学校へ向かった。
誰にも見せない、ささやかな自信の証として。
名古屋。
市内の病院。小児科病棟の六階。
小学四年生の翔は、妹の付き添いのため、母とともに病室のベッド脇で眠っていた。
あの詐欺のことを母に話すこともできず、ずっと胸の中にしまい込んでいた後悔と怒り。
朝、妹が先に目を覚ました。
「お兄ちゃん……これ、なに?」
妹の手には、小さな三日月のペンダント。
ベッドサイドのテーブルに、そっと置かれていたという。
翔は飛び起きた。
妹の笑顔。
ペンダントの、淡いぬくもり。
そして、カードの一言。
『君の祈りは、届いていた』
翔は、それを読んだ瞬間、涙がこぼれるのを止められなかった。
「……ありがとう、銀の仮面……」
自分は誰かを助けられなかった。
でも、誰かが助けてくれた。
「お兄ちゃん…だいじょうぶ?」
「ぐすっ……大丈夫。何でもないから。それは……プレゼントだ。おまえが持ってなよ」
だから次は、自分が誰かのために、動ける人になろう。
そう、強く思った。
「きっと、治るからな。信じてたら願いは届くんだから」
全国各地。
それぞれの寝室で、机の上で、布団の傍らで。
銀の仮面から届いた、三日月のペンダント。
それを受け取った者は、数百人から数千人にも上った。
それは金銭の補償でも、謝罪の言葉でもなかった。
ただ、「君の信じた気持ちは、間違いじゃない」と証明してくれる――奇跡のような贈り物。
やがてSNSや匿名掲示板では、そのペンダントの話題が広まり始める。
《枕元に、三日月のペンダントがあったんだが……》
《銀の仮面から、直接補償が来た。これ……本物じゃないのか?》
《三ヶ月早いクリスマスプレゼントって言われてる》
“本物”の存在は、名もなき者たちの心に、静かに、だが確かに刻まれ始めていた。
次話は明日20時投稿予定です。
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