15話 偽りの月・古賀亮司
連載中・純文学〔文芸〕日間ランキングで2位にランクインしました。お陰様で日間PV数が前日比約10倍に跳ね上がりとても驚いております。
評価・ブクマ・応援ありがとうございます。皆様のご愛読、誠に痛み入ります。
桐山貢一の死から幾日が過ぎても、その余波は日本中を静かに、しかし確実に揺らし続けていた。重税政策の司令塔にして、再開発利権の中枢を担っていた元財務省事務次官。その男が、銀の仮面との対話の末、懺悔と共に自害したという衝撃的な映像は、全国の心に深く刻まれていた。
たとえテレビや新聞が桐山の死を軽く扱おうとしても、ネット上では真逆だった。
X、掲示板、動画サイト――いたるところで『銀の仮面』というワードがトレンド入りし、人々はその姿に希望と正義を重ねて語り合った。
動画の切り抜きが共有され、名言がテキスト画像として出回り、加工された三日月のエンブレムがSNSのアイコンに使われることも増えていった。
「内閣は総辞職しろー!」
「「総辞職しろー!」」
「国民に納得の行く説明をしろー!」
「「説明しろー!」」
「財務省は解体しろー!」
「「解体しろー!」」
「国民に負担を強いて私腹を肥やすなー!」
「「私腹を肥やすなー!」」
連日、国会と財務省前には大勢のデモ参加者が詰めかけた。
日を追うごとに規模は大きくなり、およそ数万人もの市民が国会・財務省・全国の財務局を取り囲んでいる光景がSNSを中心に広がった。
だが、それほどまでの規模となっている国会デモ・財務省デモが地上波ではほとんど報道されない。
海外で活躍している日本人野球選手の話や、中国に返還されるパンダの話、芸能人の不倫スキャンダルばかりを取り上げ、マスコミは平気な素振りをして民衆を煙に撒いている。
銀の仮面の天誅を恐れてか、銀の仮面の報道も一通りで済ませている。大臣級が三人も殺されているのに。
当人同士の問題であり、そこまで追い詰める必要がないんじゃないかと思える芸能人の不倫スキャンダルでさえ一カ月二カ月も引っ張ると言うのに、全国的規模となっている国会デモ・財務省デモはOA尺にして約五十秒と言う、マスコミにとっては早く喉元を過ぎたいのが透けて見えている。
七年から八年ほど前に女性被害者救済のために、ジャーナリストや運動家および社会平和党や民主党系の女性議員たちを中心として立ち上がった「#We Are活動」。
性的暴力やセクシャルハラスメントに私たちは屈しないと言う理念の下、多くの著名人が参加した団体及び活動は、痴漢のニュースや草原温泉がある草原市長のセクハラ疑惑の際には大層大声を上げて抗議をしていた。
草原市長のセクハラが冤罪の可能性が高いとの見解が固まった時、また日本人女性が中国・韓国・インド・パキスタン・クルド・ベトナム・駐留米軍などの外国人から性被害を受けた時には、それまでの激しい罵詈雑言を撤回することなく、パタリと口を閉ざし、論点をずらして自己弁護しながら雲隠れする。
この度大臣級の人物が三人殺されているこの状況で、日本人に対して会議室や国会で悪をなす人物が銀の仮面によって天誅されるという認識が広がっても、そうすぐに効果が出るわけもなく、現場で行われる外国人移民の狼藉は撲滅出来ない。
日本人男性が加害者と目された時は苛烈な糾弾と執拗な追及をするのに、不逞の輩によって日本人女性が同様の被害を受けていても、外国人男性が加害者となった時にはなぜか#We Are団体は完全なる沈黙を貫いている。
マスコミも政党も民間団体も、都合と状況によってコロコロ態度を変える、正にダブルスタンダード。
彼ら彼女らは国益の為ではない。
相変わらず、自分の利権の為に動いている。
銀の仮面・正義の代行者。
未来の日本からやって来た救世主、または平行世界の魔法国家日本からやって来た謎の人物、または異世界からやって来た勇者が、絶望に沈むこの日本に舞い降りたという伝説めいた噂は、ただの空想ではなく、日に日に現実のものとして受け止められていった。三枝の天誅の一部始終映像、桐山の涙ながらの謝罪、自害の瞬間までを収めた映像の説得力は、それほどまでに圧倒的だった。
だが、光が強くなれば、影もまた濃くなる。
雨宮の失踪、三枝の天誅、桐山の切腹と共に沸き立つ世論の裏で、人知れず忍び寄る悪意が芽を出し始めていた。銀の仮面を騙る者たち――偽者たちの暗躍である。
それは最初、ごく些細な兆候として現れた。始めはXやInstagramなどで銀の仮面の名言集botといったファンアカウントが複数作られたのが、やがて銀の仮面(本人)、銀の仮面(本物)、などと銀の仮面を自称する者まで現れ、URLや二次元コードを張って別サイトに誘導する事例が発生し始めた。
匿名掲示板に書き込まれた「銀の仮面と連絡が取れた」「銀の仮面がリクエストを受け付けている」「所在・正体を知っている」という投稿。メールや電話で銀の仮面を名乗る人物から連絡が来たというスクリーンショットや音声。
しかし、それらはすべて精巧に作られた偽物だった。
詐欺グループは銀の仮面の名を騙り、三日月党ホームページにあるファングッズを模倣した品物を偽サイトで販売し、商品は送らずに金を騙し取ったり、似ても似つかないガラクタを送り付けたり、クレジットカード情報を抜き取って不正利用する手口を次々と繰り出した。
子どもの教育支援を偽装した募金、高齢者を狙った医療補助金名目の詐欺、震災支援と偽った仮想通貨での送金依頼。さらには、魔法を使いたい若者向けに「契約の儀式」と称し、個人情報や写真、若い女性に対しては自らの体の写真を送信させるという例まで出始めていた。
当初は極めて限定的な範囲での被害だった。だが、八月も終盤を迎えると、その数は日を追うごとに膨れ上がっていった。
そして迎えた九月一日。
全国の学校が二学期を迎え、生徒たちが夏休みの開放感から切り替わり、再び教室に戻ってくる。その再会の中で交わされる何気ない会話や情報交換が、被害を一気に全国規模に押し広げた。
「おれ、銀の仮面とLINEで繋がってるんだぜ」
「銀の仮面の直筆サイン、実際届いたって人がいた。マジだよ」
「このURL踏めば次に殺してほしい人をリクエスト出来るらしい」
「鑑定料を払うと本人から魔法を授かる申請ができるらしい」
教室内の興奮、部活動での噂、放課後のカフェでの話題、そして何よりSNSでの短文・動画・画像の爆発的拡散。十代の少年少女たちは、桐山の懺悔映像に感動し、銀の仮面に心酔していた。その信仰心にも似た憧れを、偽物たちは容赦なく利用したのだ。
未成年が保護者の財布・口座から金を無断で引き出し、振込を行う事件が相次ぎ、一部では失踪騒ぎにまで発展した。小中学生までもが魔法を授かる儀式に参加すると称して、自宅を飛び出し消息を絶つケースまで発生。
詐欺グループは銀の仮面に会うための試練や試験と称して巧妙に子どもを誘導。
試験を純粋な気持ちで受けていたつもりが、転売屋の行列代行、万引き・窃盗、運び屋や出し子などの悪事の片棒を知らぬ間に担がされていて、警察に捕まった時にようやく自分が騙されていたと気付いた。
そんな被害や悲鳴は牢屋の奥からでは届けられず、SNSにはなお、「銀の仮面から認定証が届いた」「魔力が目覚めた」というフェイク投稿が溢れ、子どもたちの間で新たな都市伝説と化していた。
白田の手元には、掲示板・三日月党ホームページ・Discordなどを通じて、詐欺被害の報告・子供が銀の仮面の修行に行ってくるとして失踪した相談が雪崩のように届き始めていた。
その一件一件に目を通すたび、胸の奥に押し寄せるのは怒りと悔しさだった。
――正義の名が、踏みにじられている。
あの人の名が、信じてくれた人々の善意が、ただの金儲けの道具に使われている。これは、放っておける問題ではない。
白田は唇を噛み、手元の端末を握りしめた。暗号アプリを開き、震える指で蓮に連絡する。
『蓮くん。最近、G名義で個人的に誰かにコンタクトを取ったりしてますか?』
『いや。全く』
『G名義でネット上で呼びかけたり募集したりもありませんか?』
『ありません。ネットは情報収集と世間の反応を見るだけですね。SNSは開設してないです』
『分かりました。今どちらに?』
『荻窪のネットカフェの近くのカレー屋でランチ中です』
『体調や状況に変わりないですか?』
『異常なし。強いて言うなら広い風呂に入りたいくらいですかね』
『広いお風呂。良いですね』
『白田さんはちゃんと寝てますか?また夢中になってない?』
『大丈夫。そこそこ寝てるから心配ご無用です』
『それならOK。また何かあったら教えてください』
『もう知ってると思いますが、最近ネット上で模倣犯が出ています。何かあるとは思いませんが、気を付けてください」
『了解。白田さんも気を付けて』
『はい。ありがとうございます』
白田からの報せを受け、蓮の双眸が静かに細められる。
エルディアでも偽勇者・偽聖女・偽神託に蓮は振り回された。
目立てばその光を悪用しようとする偽者が出てくるのは、古今東西同じなようだ。
店内の一番端の目立たない席で目立たないように食事を終え、目立たないように会計し、店を出る。
何処にでもいる服装の青年は、誰にも気に留められることなく、仮の宿へ消えて行った。
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新宿区の裏通りにひっそりと建つ、老朽化した雑居ビル。その地下にあるワンフロアの空き部屋には、蛍光灯の明かりの下で十数人の男たちが、ノートPCとスマホを手に哄笑していた。
中心に座るのは、三十代後半の男――古賀亮司。詐欺グループの主犯格であり、過去に情報商材詐欺や仮想通貨詐欺で荒稼ぎした経験を持つ。三枝の天誅映像で認知していた銀の仮面がもう一度電波ジャックして、今度は桐山の懺悔と切腹映像を流したそれを見た直後、彼はこう言い放った。
「これは使える。次の飯のタネは銀の仮面だ」
古賀の号令のもと、グループは即座に動いた。電波ジャック終了直後からBOTをフル稼働しSNSに大量のアカウントを作成し、「銀の仮面と繋がれた」「魔力が目覚めた」「認定証が届いた」といったフェイク体験談を流す。
さらに、銀の仮面のファンや検索しようとする人間を誘導するための偽サイトを三日月党のホームページ風に仕上げ、youtube動画やLINEやメッセージアプリ経由で偽の支援申請を展開した。
部屋の隅では若手の詐欺師数名が、変声アプリを使って銀の仮面の声を模倣していた。
「やあ。我の名は銀の仮面、正義の代行者。お前の純粋な心に報いよう」
「君の正義の心は届いている。私が天誅出来るのはその応援のおかげだ。だからこれからも応援してくれ」
「次の天誅は誰になるのか、君が選ぶかもしれない。また話せることを願っているよ」
一回三万円の直接通話料を支払った相手は、言葉遣いや雰囲気を一ミリも疑うことなく、その電子音声をありがたがりながら通話を終える。
「………ぶははは! 完全に信じてやがった!」
「馬鹿過ぎだろマジで!」
「マジでちょろいわ、あのガキ。今日だけで十五万ゲット~」
「俺も二十万ゲット~」
「日給百万も夢じゃねえなこりゃ!ギャハハ!」
「二十五日が楽しみだぜ」
同じ部屋の別の隅では、キーボードがカタカタと鳴る複数の音。
一通千円の課金制で銀の仮面と会話出来るチャットも次々に応募が来る。
「それは辛かったね。もっと君の悩みを教えてくれるかな?」
「それだけじゃないのは私には分かっている。本当の願いを書いてくれ」
「他にまだ聞きたいことはあるかな?何でも聞いてくれて良いぞ」
一通でも多く送らせる為、詐欺師たちはドアに足をねじ込んだまま食い下がる様に、会話を引き延ばし続けていた。
そしてこの部屋では偽ECサイトも運営している。
三日月党ホームページにある、ネット民が苦心して作り上げたグッズの写真をそのまま転載したものや、勝手に銀の仮面の写真をスクリーンショットしたものにサインを書いたもの、銀の仮面そっくりのマスク、マント、コップ、魔法を撃った瞬間の立ち姿を模したフィギュアなどがずらりと並んでいる。
そのどれもが極端に安い物か極端に高い物の二極。
誰がどう見ても買わないガラクタに見えるようなそれも、銀の仮面が関係していると飛ぶように売れる。
「よっしゃ~、これで二百セット完売でござい~」
「こっちももうすぐ完売しそうだな。マジチョロすぎ」
「こっちは保護者の口座から十万送らせた。ま、何も送らんけどな。授業料として諦めるんだな、ボウヤ」
彼らにとって、銀の仮面は信仰対象でも理想像でもなかった。財布を開かせるための便利なただの記号に過ぎない。純粋さ、正義感、希望――すべてを金に変える錬金術。それが彼らのビジネスだった。
「世の中、バカが多い方が儲かるんだよ。正義に飢えてる時代は、まさに狩りの季節だ」
古賀が吐き捨てるように言い放つと、仲間たちは口々に笑い声を上げた。
机の上には、振込明細のスクリーンショットと共に、小中学生から届いた感謝の手紙が無造作に積まれている。
「……“これで弟の手術が受けられます”だとさ。泣けるねぇ」
「いや、笑えるわ。こっちが手術してぇよ、腹筋をよぉ!」
人の善意を、純粋な願いを、彼らは容赦なく踏みにじった。
さらに彼らは、詐欺を拡大するために“銀の仮面の加護”と称する偽の認定証や祈祷シールを販売する計画を進めていた。カラー印刷されたそれらの小道具には、銀色の箔押し加工や三日月マークが施され、いかにもそれらしい雰囲気を醸していた。
「次は動画だな。銀の仮面本人を装って、“一日一祈”とか“正義の修行”とか言って投稿すりゃ、もっと釣れる」
「やっぱ若いやつらは宗教じみたネタに弱いんだよ。神とか正義とかさ」
「親がうるさいとこは、ガキに支援口座作らせれば済む。中学生でもスマホ一台あれば稼ぎになるんだからな」
「銀の仮面との秘密通信用とか言ってスマホ契約させようぜ。で、いつもの手口で捌こう」
「いいねぇそれアリだわ!」
その悪意には、限りがなかった。
その頃、日本各地の子どもたちは、スマートフォンの画面を前に、ただ困惑と後悔、そして痛みを抱えていた。
福岡の小学六年生・裕太は、三日月のマークが入った画像付きのLINEアカウントから「君の正義を試させてほしい」と届いたメッセージに心を躍らせた。いじめに遭い、毎日の登校をためらっていた彼にとって、それは救いに思えた。
言われた通り、銀行口座と暗証番号を教え、動画で「誓いの言葉」を読み上げた。だが、それきり“銀の仮面”からの返事はなかった。
口座に入っていた、これまでのお年玉の貯蓄十万二千円が、ものの二十分で空となった。
彼は、残高がゼロとなった銀行アプリを見て小さく呟いた。
「……信じてたのに」
千葉の中学一年生、楓は、偽サイトで「正義の修行用グッズ」を購入した。小遣いをかき集めて五千円で購入したが、商品は届かなかった。それどころかサイトにアクセスできなくなっていることに気付き、学校でそのことを友人に話したら、笑い者にされた。
「バカだな、そんなもんに騙されるとか」
教室の隅で、楓は悔しさに唇を噛みながら、銀の仮面の正義の姿を思い出そうとした。
「……本物は、こんなこと、絶対にしないもん…!」
名古屋の小学四年生、翔は、入院中の妹を“銀の仮面が助けてくれる”と信じていた。母親のスマホを使って、支援申請を送った後にコンビニでiTunesカード一万円分を購入し、コードの写真を送付した。だが送った相手は詐欺師。コードを読み取った後、全く連絡が付かなくなった。
何も起きないまま数日が過ぎ、妹は「お兄ちゃん、銀の人は来るの?」と聞いた。
翔は答えられず、服の裾を無念に握り締めていた。
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カーテンは引かれ、蛍光灯の明かりのみが室内を照らしている白田の自宅。
ノートPC三台、外部ディスプレイ二枚、サーバー接続用の小型ユニット、そして自作のファイアウォール装置。観測室は、熱を帯びていた。
机の上では、三日月党のホームページに設置された問い合わせフォームに届いたメッセージが、次々と読み込まれていた。
サイト開設時期に一先ずの体裁として設けた問い合わせフォームには入党希望の物が多かったが、最近は穏やかでない内容が多数寄せられるようになっていた。
対象となるのは、ここ数日間に送られた「銀の仮面を名乗る者に金銭を要求された」という苦情の数々。
フォームの仕様上、相手のIPアドレスや端末識別子までは取得できない。だが、白田はそうした制約を想定した上で、独自のロガーを仕込んでいた。
「……思ったより早かったわね。偽者が動き出すのは」
眉をひそめながら、白田は複数の通信ログを比較していた。
あるLINEアカウントが発したURLにアクセスした小学生のログ。そのURLは、別の偽サイトにリダイレクトされた後、クレジット情報入力画面に誘導される。
「銀の仮面認定プログラム」という名目で金銭を搾取する構造。
その背後にあるドメイン取得情報、サーバーのホスティング元、SSL証明書の一致を軸に照合を進める。
「このドメイン……登録者情報は隠されてる。でも……DNSレコードが甘い」
一つ、また一つと洗い出されていく共通点。
別件の被害者の端末から発信されたメタ情報に共通する端末識別子。
さらに、通信ログの中にあったベース64で暗号化されたパラメータが、簡易的な共通鍵暗号であることを突き止め、復号する。
「“koga\_support”…? コガ……?」
モニター上には、ログインセッション中に残されたURL断片やCookieの情報が浮かび上がる。
白田の眼鏡の奥の瞳が、鋭く光った。
「詐欺師の内部用チャットかしら……アカウント名が複数一致してる」
彼女はそこから関連ドメインを掘り下げ、十数の偽サイトの運用元が全て同一ホスティング業者であることを突き止めた。
さらにVPNを介していた痕跡の一つが不自然に短い接続時間で切断されていたことに着目。そこに残された接続切替ミスの瞬間のIPを引き出す。
「……素人ではない。でも、プロでもない」
全体の構成は、ある程度ITリテラシーのある者が手がけていた。
だがその手口には、金のためなら倫理を踏みにじる無骨な雑さと、犯罪者らしい即物的な効率主義が滲んでいた。
データベースをさらに深堀りすると、三つのダミー名義口座が同一銀行・同一支店に集中していることが判明する。
白田はそこに組み込まれたログインセッションのCookieと銀行連携先IPの照合から、最終的な接続拠点にたどり着いた。
――新宿区、南東の裏通り。
空き店舗として登録されている雑居ビル地下一階。
登記上は空室だが、実際には最近の電力使用量が極端に跳ね上がっており、付近で複数の通信回線が使用中。
そして裏付けとして周辺のお天気カメラ、ビル内エントランスとエレベーターの防犯カメラにアクセスしてそのフロアに入っていく姿を確認。
「……みーつけた」
画面の中央に浮かぶのは、四年前に詐欺で書類送検された男の顔写真。二年前に大きな詐欺事件を起こし現在逃亡中の身。警察からの捜査協力金は二百万円も掛けられている。
捜査当局の手の届かぬ場所で、彼は隠れて再び甘い汁を吸おうとしていた。
「……ここね。古賀亮司。あんたがいたとはね」
白田は手を止め、暗号アプリを立ち上げた。
コード化された読み取り専用通信を介し、位置情報、関係者名、活動内容、詐欺スキームのすべてをまとめて一括送信する。
そこに『次の準備は完了。いつでも行ける』と一言、不思議な模様の画像ファイルも添えた。
返信は、わずか一行。
『了解』
白田はディスプレイを見つめたまま、静かに目を閉じた。
「……懸賞金目当てだったら命は助かったかもね」
「純粋な正義の執行は、それよりずっと重いわよ」
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二〇二五年九月八日。
時刻は、二十三時を少し回った頃だった。
新宿歌舞伎町からほど近い裏通り。昼間でも人通りの少ないその一角は、夜になれば完全に別の表情を見せる。かつては小劇場やゲームセンターが入居していた古びた雑居ビル。いまやテナントのほとんどは退去し、掲示板に貼られた「入居者募集」の紙すら風雨にさらされ破れていた。
だが、その地下――
そこに、罪が巣食っている。
光なき階段を、ひとりの男が静かに下りていく。
銀の仮面と星鎧の礼装。夜の帳に溶け込むような出で立ち。足音はなく、胸に隠したペンダントは仮面の男の存在を限りなく周辺の大気と同等までに薄める。
防犯カメラには透明にしか映らず、そこに人が通ったことは全く察知されない。
手にしたスマホには、白田から送られたビルの配線図と防犯カメラの位置・向き、通信分析に基づく詐欺グループの内部構造が記されていた。
階段の中腹に到達した瞬間、蓮は小さく呟いた。
「―――無界静殻」
瞬間、地下フロア全体を包み込むように、透明の球状結界が展開された。
外界との出入りを完全に封鎖する、静寂と孤絶の殻。範囲は、ビルの地下ワンフロアすべてを覆う。
続けて、さらに低く囁いた。
「―――無音結界」
今度は、音を遮断する気配が空気中に満ちた。
フロア全体が、音の一切を外部に漏らさない無音空間に変貌する。
銀の仮面は結界内へと足を踏み入れる。
扉は施錠されていたが、鍵を壊す必要はない。魔力を指先に集め、扉の隙間に流し込むだけで内部の錠が自然に解錠された。
ドアノブを静かに回し、薄く開ける。
目の前に広がったのは、先程白田の解析で把握していた通りの空間だった。
雑多に並べられた安物の机と椅子。発熱するノートPCが無造作に置かれ、LED照明の下で複数の男たちがスマホとモニターを見ながら談笑している。
「……まじチョロすぎだろ……」
「ガキどもは正義とか神様とかに弱いからな。使い倒してナンボ」
「次は“修行パス”でも売るか?一日一祈、銀の仮面からのご加護つきでよ~」
くだらない笑い声と共に、金を稼いだ自慢が飛び交っている。
その時、銀の仮面の姿を最初に視認したのは、部屋の隅にいた一人の男だった。
「――あ?」
彼の目が、仮面の奥に光る双眸とぶつかった。
そして、その目が、自分たちが散々利用してきた“あの男”のそれと完全に一致していることに気付くまで、一秒もかからなかった。
「ぎ、銀の……っ! 仮――!」
その声は、最後まで届かなかった。
「―――《重圧呪縛》」
銀の仮面が指を一つ弾いた瞬間、部屋の空気が変わった。
ドン、と重い何かが天井から落ちてきたような錯覚。
実際には何も落ちていない。だが、十数人の詐欺師たちの身体が、一斉に地面に叩きつけられた。
呻き声すら出せぬまま、床に張りつく男たち。重圧は仮面の男の魔力によって細かく制御され、骨が砕ける寸前の絶妙な強度に設定されていた。
逃げようとした数人の手首と足首に、紫電が走る。
「―――《拘束術式》」
バチンという音と共に、男たちの身体が壁に磔にされる。腕を引きちぎろうと必死に暴れる者もいたが、その拘束は一切揺るがない。
悲鳴も怒号も、結界の外には一切届かない。
銀の仮面は、ゆっくりと一歩、また一歩と、地下空間の中央へ進んでいく。
誰も動けない。誰も助けを呼べない。
まるで冥府から現れた裁きの神が、冷酷な秤を携えて歩いているようだった。
そして、部屋の中央で、重圧に呻く一人の男の前に立つ。
――古賀亮司。
すでに白田の資料と照合済み。その顔、オーラ、下品に光る金のネックレス、醜い笑い皺。間違いなく主犯。
何もかも知った上で、蓮はただ静かに問う。
「お前が、“銀の仮面”を騙った張本人か?」
「……ッ、だ、誰だてめぇ……! お、俺は……知らねえ……知らねえよ!」
その言い訳は、審判者には通じなかった。
「お前が古賀亮司なのは分かっている。銀の仮面を騙り、人々から金を巻き上げていることも、二年前と四年前の詐欺事件で二百万の懸賞金が懸かっていることも、三億貯まったらこいつらを切り捨てて、一人でジャカルタに飛ぼうと考えていることも知っている」
「て、てめぇ……なんでそれを……!」
重圧の中で必死に顔を上げた古賀の額に、冷や汗が滲んでいた。
周囲で床に這いつくばる詐欺師たちが、困惑と恐怖に満ちた目で古賀を見つめる。
「……ジャカルタ?切り捨てるって……どういうことだよ、古賀さん」
「おい、マジかよ……。あんた、俺たち裏切るつもりだったのか?」
「……ちげぇ、ちげぇよ!この仮面の野郎が適当なこと言ってるだけだッ!」
古賀は血走った目で叫んだ。だが、声が大きくなるほど、その動揺は明白になる。
「そんなに叫ぶな。君のスマホに残っていた検索履歴とメール、読み上げようか?」
「…フン。そんなの、どうだって捏造できる。どうしたって決定的な証拠にはならねえだろう」
「決定的な証拠、ね。ではこれはどうだろう」
銀の仮面が指を弾くと、天井の配線スピーカーから音声が流れる。
『順調順調。あと二千万で二億だ。この調子で行けばゴールデンウイークはジャカルタかな。俺の手の平で転がされてるとも知らずに……クックック。せいぜい俺の優雅な海外暮らしを叶える手伝いに精を出すんだな。働きアリ共』
――それは古賀の声だった。
「録音、どこで……!?」
「どこ?ここだ。夜中、一人になった時にお前が言っていた言葉だ。記憶に新しいんじゃないか?」
「……う、嘘だ!」
「"三億円 一生遊んで暮らす"、"物価 安い国"、"シンガポール 医療"、"タイ 日本人街"、"インドネシア 平均月収"……やたら物価の安い国を探していたようだが…海外で三億円をどうしようとしてたんだ?」
沈黙。
それは、拷問よりも残酷な空白だった。
床に張りついた詐欺師たちが、じわじわと視線を古賀に向ける。
裏切られた者の目だ。信頼が剥がれ落ち、残ったのは殺気とも怨嗟ともつかぬ感情。
その視線に晒されながら、古賀の口からは次第に弁明の言葉すら消えていく。
「ふ、ふざけるな……!てめえら、こいつの話を真に受けるな!全部ハメだ、罠だ、捏造だっ!」
「……古賀、マジなんだな。全部」
鼻を擦りながら呻くのは、古賀のすぐ隣のデスクにいた、片腕と思しき若い男。
だが、その声にはかつての敬意も信頼も含まれていない。
床に押し付けられたまま、怒りに染まった目で古賀を睨みつける。
「古賀……てめぇ……最初から俺らを利用してたのかよ……!」
「“三億貯まったら切る”って、俺たちのことかよ……。お前がジャカルタで女買って豪遊するために、俺たちはどれだけ矢面に立ってきたと思ってんだ……!」
「ふざけんなッ、こっちはカタにされた借金背負って、散々手を染めたのに……!」
「て、てめぇのために、どんだけガキ騙したと思ってんだよッ!」
ついに古賀の顔から虚勢が抜け落ちた。
「―――ああそうだよ!何の取り柄もねぇオメエらを拾ってやったのは俺の駒にするために決まってんだろ!一人じゃなんも出来ねえボンクラ共が。俺がノウハウ教えてやんなきゃ、突っ立ってる事しか出来ねえゴミカスだろうが!これは授業料だ授業料、俺が忙しい時間割いて直接指導してやった対価だ。ジャカルタで優雅に暮らすくらいの金貰ったっていいだろうが。お前らは稼げんのかよ三億。…無理だろ、無理だよなぁ?でもお前らもお前らでそこそこイイ稼ぎになったろ?だったらそのまま続けろや。いつまでも俺がオメエらのケツ拭くと思ってたら大間違いなんだよ!」
その男を、銀の仮面は見下ろす。
氷のように冷たい声が、空間に響く。
「善意を餌に人々を騙し、正義を穢した。……何より、その顔で“銀の仮面”を騙ったこと、許されると思うな」
古賀の肩が震えた。
「お前たちは、ただの詐欺師ではない。人の救いを、信じる心を、弄んだ。希望を盗み絶望に突き落とす事は金銭の詐取以上に重い罪だ。詐欺は法が裁くが、希望を奪う罪はこの日本にはない。ならば―――」
言葉と共に、仮面の奥で光が瞬いた。
そして、蓮はゆっくりと手を上げ――
掌に、淡い水色の魔力を帯びたスフィアを浮かび上がらせた。
「――――幻理綴界」
スフィアが空中で蒼白く輝き、瞬く間に結界の内部に魔法陣を描き出す。
空間に浮かび上がる、スフィアに向かって銀の仮面は口を開く。
銀の仮面が、突如としてこの詐欺グループの本拠から電波ジャックを開始したのだった。
深夜、テレビの画面が突然乱れた。
砂嵐のようなノイズの中から、黒と銀の影が浮かび上がる。音声はなく、仮面の奥に冷たい眼光だけが静かに光っていた。
――画面が切り替わる。
地下空間。磔にされた十数人の男たち。床に這いつくばり、絶望と恐怖に顔を歪める者。壁に縛りつけられ、ただ呻くだけの者。
その中心に――銀の仮面が立っていた。
彼はスフィアに向けて、ゆっくりと語り出す。
『私は銀の仮面。深夜の時間帯に突然、国民の皆様の元へこの映像を送り届けたことを、まずは謝罪しよう。だがこの時を選んだのには理由がある。今ここにいる者たちは、私の名を騙り、人々の善意と信頼を弄んだ者たちだ。このまま見過ごせば、彼らはまた別の誰かを騙し、利用し、絶望に突き落とすだろう。だからこそ、私は今闇の奥底で彼らの罪を暴き、その終わりを全国に知らせる』
仮面の奥の声は低く、しかし明瞭だった。
『この者たちは、自らを“銀の仮面”と偽り、SNS・動画配信サービス・メール・電話等で人々を騙し、金銭を盗み取った。今日、急速に拡大している銀の仮面グッズ関連の金銭トラブル、相談電話・相談チャット利用による高額請求、私に会う為の試練と称して違法薬物の運び屋やATMからの出し子を担わせ、犯罪の片棒を担がせようとする誘導行為、あらゆる名目での募金詐欺。それらのほぼ全てがこの部屋にいる詐欺集団の犯行であったことが判明した。悩み苦しむ者に救いの手を差し伸べるふりをし、絶望の淵に突き落としたのだ』
床と壁に磔になった男たちは、銀の仮面を、スフィアを、苦々しい目で睨み続ける。
仮面の男は、中央に跪く一人の男を見下ろす。
『この男――古賀亮司。“銀の仮面”を騙り、人々の祈りと信頼を嘲笑い、私利私欲のために利用してきた詐欺集団の主犯格だ。指名手配中だが、ポスターなどで見覚えはあるだろうか』
男は叫び、否定し、もがく。
だが、その言葉を打ち消すように、自らの声で語った音声記録が流される――
「働きアリども」――、
「ジャカルタで優雅に」――。
『この男たちは、盗んだ金を既に遊興に使っており、恐らく弁済は出来ない』
仮面の男の背後に、光が集まり始める。
青白く輝く魔法陣。静寂に浮かぶ“裁きの象徴”。
『金は命と同等の価値を持つ。金を失った事で命を絶つ者もいる。贅沢のつもりで盗んだ金は、その人にとっては最後の命綱だったかもしれない。我が国の法律は、盗まれた金銭の被害だけを裁く。だが希望を踏みにじった罪を罰する法律はない。金は戻っても一度失われた希望は戻らない。ゆえに、私がこの手で裁く。この罪は、金で返せないなら命で償う他ない。魂で払ってもらう』
仮面の男が、手を上げた。
『―――幻魂浄滅』
同時に、古賀の身体の周囲に、赤黒い鎖が出現する。
それはまるで、誰かの怒りや怨嗟が形となって絡みついたかのように――重く、苦しく、逃れられぬ裁きの輪。
青白い焔が彼の背後に灯る。物理の火ではない。魂を映す、幻想の炎。
「やめろ……やめてくれ……!俺は……悪くねぇ……金が……金が必要だっただけだ……!」
叫びも、哀願も、全て空虚に散った。
次の瞬間、仮面の男が指を鳴らした。
――そして、炎が放たれた。
焔は古賀の全身を包み込む。
だが、不思議なことに、肉体は焼けず、衣服も燃えない。ただ、魂だけが、確実に、焦がされていく。
映像越しにも伝わるほどの、凄絶な苦痛。
叫び声すら出せず、白目を剥いた男の身体が痙攣し、そして――膝から崩れ落ちた。
仮面の男が、ただ静かに告げる。
『――偽りの名を騙った報いを。人の信頼を喰らった者に、正しき罰を』
続けて、仮面の男は静かに地下に囚われた他の詐欺師たちを見回した。
『この者たちもまた、希望を穢した共犯者。他人の善意を嘲笑し、信じる心を弄んだ者たち』
天井に浮かんだ魔法陣がさらに輝きを増す。
『―――幻魂浄滅』
地を這っていた男たち全員の足元に、青い光が広がる。
それぞれの罪が絡みつくように、赤黒い鎖が湧き出し、魂に巻きつく。
そして、次の瞬間――焔。
それはまさに、地獄の裁きだった。
十数人の魂が、絶叫の中、同時に焼き尽くされていく。肉体は変わらず、衣服も傷つかず、ただ魂のみが、苦悶の中で崩れ落ちていく。
その表情も、叫びも、電波越しに全国へと中継された。
一分も残らず完全に魂を焼き尽くされ、抜け殻となった十数体の遺体。
血は一滴も流れていないが死屍累々とも言えるこの地下室は、銀の仮面一人が立ち尽くす異様な空間となっている。
仮面の男は、真っ直ぐカメラを見据える。
『私は“銀の仮面”を騙り、人々を欺かんとする者は誰であっても容赦しない。もし次もこの日本から希望を奪う真似をする者には、天誅をもって報いよう』
ほんの少しの間の末、強い口調がやや落ち着いたものとなる。
『しかし、偽者の出現台頭を許してしまったのは私にも落ち度があった。救いを求める数多くの人々に向けて、いつでもそこに助けがあると分かる目印を作らなかったのは私のミスだったと認めよう。そのせいで多くの無関係の人々を苦しめてしまった。申し訳ない』
そう言うと、ほんの僅かに銀の仮面がスフィアに向かって頭を下げた。
「今回の一連の事件によって大切なお金を盗まれてしまった方々には、私から近日中にささやかながら現金に代わる物を補償として用意しよう。また、このような偽者の出現を防ぐため、私の方で『公式』を設定することにした。詳細はここからアクセスしてくれ」
銀の仮面は画面右側に動き、空いた画面左側に、奇妙な模様と共にQRコードのような読み取り専用コードが表示された。
「もし私から国民に向けてメッセージを発信したい時には、このページを活用していくことになると思う。連日連夜電波ジャックを続けて国民の皆様に不安を感じさせてしまう事は、本来の私が意図するものではなく、平和で安心出来る日本を再建する私の理想とは離れてしまうと愚考した。我々日本人の穏やかな生活に過度な緊張をもたらしてしまうのは、本意ではない」
そう言うと、銀の仮面は読み取りコードを表示したまま、姿勢を正す。
「私は、日本が安寧に暮らせる日を取り戻すことを願っている。その為には日夜平和を取り戻すために戦う事を厭わない。ただ、今言えることは、この日本から一つの悪が消えたと言う事だ」
そして、背景に三日月の旗が現れ、無風であろう地下室に風が吹く。
「夜分遅くに失礼した。せめて今宵は、良い夢が見られるよう祈っている。―――良い夜を」
銀の仮面の姿が透明になって消える。
電波ジャックの映像は、三日月の旗と読み取りコードを五十秒程映したのを最後に終了した。
次話は明日20時投稿予定です。
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