記録99 静けさについて
名目上、すでにこの自由カオラクサはフォーゲルザウゲ伯爵家と戦争状態にある……はずである。たぶん。おそらく。
古式ゆかしい開戦の儀礼を敵方と交わしてから、いまだに一片の戦闘行為もない。城壁の物見塔から常に索敵が行われているが、敵戦闘部隊の姿はいまだにないという。(そんな状態だというのに、ないも変わり映えしない景色を見張り続けるという仕事を実直にこなしてくれているというのだから、兵隊というのは大したもんである)
なんなら、開戦直前の期間のほうがよっぽど物々しかったようにも思える。現在のこの静けさは、なんとも気味が悪い。嫌な連想になるが、あたかも死体のような静けさだ。
当然、市民たちの中にも、拍子抜けしたような空気が流れ始めているようだ。それはそうだろう。一度戦争が始まってしまえば、貴族制などという後進的かつ非効率な迷信深い政治制度を妄信する野蛮な領邦軍の兵士たちが、蛮人の如く雄叫びを上げながら猛然と突進して城壁に体当たりをかましてくる……というようなことを、自由カオラクサ市民たちは恐れていたからだ。
わたしはひとつ、気がかりがあった。つまり、海外領土や帝都での革命を除くと、この大陸の人間は久しく戦争を体験していないということだ。おそらくこれより前の本格的な戦争となると、数百年も前の偽皇帝征伐戦争が最後であろう。
──そんな状態であるから、ひょっとすると、この国の誰もが本当の戦争のやり方というものを、知らないのではないだろうか? 世代交代を経るうちに、われわれはそのやり方を忘れてしまったのではないか?
行政上の手続きについては、記録がある。今回も手続き上はその慣例に乗っ取って、問題なく開戦できた。しかし、戦争そのものはどうだろう。敵方の領邦軍にしても、治安戦ならば経験はあろうが、兵と兵、軍と軍同士の戦いとなると、これが初体験になるわけである。
これはなにか、滑稽である一方で、恐ろしい感じもする。いうなれば、手入れされていない包丁に対して感じるのと同じ恐ろしさだ。刃こぼれし、さび付いているそれは、機能としては非効率に違いが、しかし、その無様な道具が使われるとひどく残酷で無惨な傷口が生じるに違いない……。
さて。
かねてより市政としての対応をしていたおかげで、市内の物資の備蓄にはたっぷりと余裕がある。いましばらくは様子見を続けるつもりである。




