記録87 魔術師解放について
いつ攻撃を受けるとも分からない状況の中、思索は続く。(いや、むしろ、不安な状況であるからこそ、一種の自己防衛機能として、頭が勝手に詮無いことを考えて、不安を紛らわせているのかもしれないが)
魔術師というのは、理外の存在である。それは非魔術師からすれば道理の通らないものであり、計算できないものである。通常の非魔術師であれば、どれだけの英雄であろうと、人ひとりにできる働きにはおのずと限界がある。しかし、魔術師にはそれがない。魔術師は単身で大火を引き起こして街を焼き尽くし、人びとに呪いをかけて思うがままに操り、嵐を呼び寄せ、雹を降らせ、病をはやらせる──。
なるほど、それは権力を握った統治者にとっては好ましくない存在、事象に違いない。世の大多数を掌握しているのならば、あとは不確実、不確定なことさえ起こらなければ体制は安定的となる──つまり、魔術師というものは本質的に権力者にとっては不確定要素であり、すなわち、排除すべき存在なのだ。
砦の修道会が説くところの、『魔術師王の落とし胤』という観念は、なおのこと、この権力者側の都合に合致している。いや、むしろ、穿ったことを考えるならば、砦の修道会は権力者たちのためにこの教義を作り出して、提供したとさえいえるのではなかろうか……。
さて。
革命後の共和主義者たちは、魔術師解放を唱えた。この大陸においては、過去に起こった魔術師解放運動は全て頓挫しており、共和政府のそれも、一種観念的で非現実的な政策であると、人びとは思っていた。わたしもそう思っていた。
しかしいま、共和政府のもとで、解放された魔術師たちは特務魔術師として、大きな働きをしている。特にこの自由カオラクサがにおいては、魔術装置による遠隔通信が特務魔術師たちにとって運用され、流通と産業構造に大きな変化をもたらしている。
自由カオラクサの市民たちの心の中には、まだ魔術師に対する警戒と侮蔑が残っている──しかし同時に、魔術という替えがきかない独自の技術に対しての関心が芽生え始めている。ここに生じた感情は、いずれ敬意のようなものに成長していく可能性もある。




