記録25 わたしと特務魔術師エウラーリエについて
「修道女たちのいうことを聞くのなら、黒い石碑は埋め戻すか、どこか遠くに廃棄することになるのでしょうね」と、特務魔術師エウラーリエはいった。その声は皮肉気であると同時に、抑えきれない怒りに満ちていた。彼女は露骨に顔を背け、こちらの顔を見ようともしていない。
「特務魔術師殿、今更そんなことはしませんよ。魔術装置による帝都との即時通信は、最重要事項の一つです」と、わたしは努めて平静に返す。
窓の外には、厚い雲が立ち込めていた。降り始めのまばらな雨粒が、時折風に吹かれて窓硝子を叩いた。
執務室の中には、湿気た空気が立ち込めている。
「ではなぜ、あの修道女連中を先に通したのですか。こちらからの定例報告があるというのに。先約はこちらだったはずですが」
「修道女たちをを宥めすかすためです。政策の優先度とは無関係の、単なる順番です」
「単なる順番!」特務魔術師エウラーリエは声を上げて、こちらを睨みつける。その目には、深い憎悪が宿っていた。「執政殿はご存知ないのか、その順番というものがどれだけ我々魔術師に屈辱を与えてきたのか。魔術師は、常に非魔術師から劣後の扱いを受けてきた!」
「……申し訳ない。わたしの考えが足りませんでした。あなたを侮辱する意図はありませんでした。だから落ち着いてください、特務魔術師殿」
「あなたも、わたしを感情的な人間だとお思いか。魔術師というものは感情を抑えきれない未熟な連中だと、見下すのか! ……結局、あなたも他の連中と同じなんだ……他人から嫌悪され、蹂躙される人間の気持なんか、わからないんだ……」
彼女はうつむいた。手を握りこみ、その拳を震わせた。
わたしはアデーラに、執務室の外を人払いし、アデーラ自身も外に留まるようにと指示を出した。
アデーラは一瞬、こちらを心配するような視線を寄こした。魔術師と二人きりの状態にするのを警戒したのだろう。わたしが視線を返すと、ややあってから、アデーラは諦めたような、あるいは呆れたような頷きを返した。
執務室の中は、わたしと特務魔術師エウラーリエの二人きりなった──
わたしは、じっと目の前の特務魔術師を見た。
まだ若く、華奢な女性。軍服のような制服を纏っているが、その顔立ちはどこか美しい少年のようでもあり、なおのこと繊細で、か細く見えた。
いまこのエウラーリエという人間は、対峙しているのだと思った。この自由都市執政に対してというよりも、この国に対しての──この世界に対しての、対峙なのだ。
わたしは、短く息を吸った。
「わたしの母は娼婦だった」と、わたしはいった。
特務魔術師エウラーリエは顔を上げ、驚愕の表情をこちらに向けた。
聖女エレイン、聖女リアナ、聖女ルース、聖女カーロッタ、聖女ドロレス、そして聖女ヘレン。砦の修道会の始祖である六人の聖女は、それぞれ各職業の守護聖女としても定められている。
ただし、この六人の聖女に守護されていない生業もある。それは呪い師と娼婦である。すなわち、この大陸を支配する神学における、紛れもない賤業だ。
「──うそだ」と、特務魔術師エウラーリエは絞り出すようにいった。「砦の修道会が、娼婦の子供を執政として承認するわけがない」
「人別帳の上では、わたしは食い詰めて自由カオラクサに流れ着いた貧農の子供ということになっています。でも実態は、それよりも悪い──いや、最悪の、売女の息子だ。もしもこのことが露呈したら、単なる追放では済まないでしょうね」
「どうして、そんな……」
「あなたを尊敬しています、特務魔術師エウラーリエ」わたしは彼女の顔をじっと見た。「見下してなんかいない。あなたは困難に立ち向かっている人だ」




