記録106 決闘について
まず明記しておきたいのは、わたしは捕虜たちを虐待するつもりも、肉体的に痛めつけるつもりもなかったということだ。彼らに城壁補修の労役を課す決定をしたのは、苦しめるためというよりも、侵略戦争に加担したという自らの行いを、市民たちの厳しい視線にさらされる中で自覚させるためであった。
もしも自由カオラクサ市民たちが捕虜に向かって石なんかを投げつけるようだったらそれを制止するように、衛兵たちには言いつけていた。いたずらに捕虜を傷つけるのは、なにより外聞が良くない。
さて。
実際にこの捕虜たちの労役が始まると、自由カオラクサ市民たちはこぞって見物にやってきた。市民たちは、自由カオラクサに市街戦を持ち込んだこの元義勇兵たちに、罵声を浴びせ、嘲笑を投げかけたという。衛兵がにらみを利かせていなかったら、石なんかも投げつけられていたことだろう。
捕虜たちは自分たちがさらし者にされていると感じ、屈辱を感じていたに違いない。それでも彼らは、文字通り鎖につながれている以上、反抗することも逃げることも能わず、黙々と仕事を続けるしかなかった。どこかの領邦の士族と推定されるこの捕虜たちは、肉体的には申し分なく頑健であり、また集団作業にも長じていた。土木作業を強制されるというのはなおのこと彼らに屈辱を与えていたに違いないが、しかし意外なほどにその城壁補修作業は首尾よく進んでいたという。
自体が急転したのは、夕刻に差し掛かってからだ。
ある一団が、この労役の現場に踊りこんできたという。──組合員からなる民兵組織、組合軍の者たちである。自由カオラクサ市街戦において、組合軍と義勇軍は文字通りの死闘を繰り広げていた。
その組合軍が、かつての敵である捕虜たちの前に現れ、何をしたのか? ……なんと、組合員の一人が捕虜に対して決闘を申し込んだのである!
戦時下の市街戦において殺された親友の敵討ちなのだという。
無論、そんなことは許可されない(決闘禁止令が定められたのが何百年前の話だと思ってんだ!)。それなのに、自由カオラクサ市民たちは事態を面白がり、捕虜の鎖を外して決闘させろと口々にはやし立てたという。捕虜たちからしても、日中の労役によってたまっていた鬱憤が、組合軍に向かって一気に噴き出したという。現場は、最終的にはかなりの騒ぎになった。応援の衛兵がやってきてもなかなか沈静化せず、混乱により多くのけが人も出る始末だった。
……これは、奇妙な逆転現象である。
戦時下においては自由カオラクサの守護者であった組合軍が、戦後のいまになって自由カオラクサの秩序を乱している。
自由カオラクサ市政は組合軍に対して、武装解除を遠回しに要求しているが、現時点で、この要求は組合軍に黙殺されている。




