何回会っても好きになる
「あ、貴方は……」
「お、お前も……」
「転生してたのね」「転生してたのか」
◇
それは、王家主催の夜会でのこと。
第二王女の誕生日を祝う会に招待された伯爵家当主である父は、「ちょうど良いから」と一緒に私のデビュタントを済ませることにしたらしい。
ちょうど良いってなんだ、ついで感出し過ぎよ。
いつもよりマシマシに締め上げられたウエストを恨めしく眺め、はふぅと息を吐く。白いドレスは刺繍たっぷりで綺麗だが重く、細いヒールの靴は足を容赦なく痛めつける。
遠い記憶の中のウェディングドレスを思い出し、少しだけ胸がぎゅっとした。
煌びやかな会場の明かりの元、静々と陛下の元へ進む。儀礼通りに挨拶を済ませ、王妃様に花を差してもらい、無事に今日のイベントは完了だ。
当人の私より微妙に緊張感を見せていた父も額の汗を拭い、おめでとうと柔らかく微笑んだ。
まだ16歳だけどいいのかしら、でもまあこの人種は体の成長も早いのよねなどと思いつつ、使用人が差し出したトレンチから軽めの林檎酒を貰う。
シュワシュワと弾ける爽やかな香りに心が弾んだ。なんだかんだで私も緊張していたのだ、自分より固くなっている人が隣にいたから気が紛れていただけで。
「──お父様、これおいし──っ」
振り返るとそこには父ではなく、背の高い見知らぬ男性が立っていて。
赤い髪は清潔感があり、かきあげてセットされているせいか形の良い額が見えている。凛々しい眉も同じ赤で、少しばかり吊り気味の瞳は見覚えのある黒。軍服に似たかっちりとした服が広い肩幅を引き立てて、胸板も厚く鍛え上げられている様が分かる。
歳の頃は20代前半くらいだろうか、実にちょうど良い具合である。
「……」
「……」
互いに黙ったままその瞳を逸らせずにいると、近くで知人と話していたらしい父がおかしな様子に気付いて戻って来てくれた。
「おお、これはアラン殿。美しいでしょう? 我が娘のクレアです。本日デビュタントを迎えましてな、挨拶を済ませたところなのですよ」
「……あ、ああ、久しいですねオークレール卿。卿にこんな美しいお嬢さんがいたとは存じ上げませんでした。──初めまして、アラン子爵が長子ジャクス・アランと申します。軍部に勤めております」
彼はぎこちなく笑みを浮かべた顔をこちらに向けて、紳士然とした仕草で礼をとる。
「……初めましてアラン様。オークレール伯爵家が次女クレアと申します。お会いできて嬉しく思いますわ」
スカートを摘み膝を折り、微笑みを浮かべてカーテシー。動くたびにウエストがぎゅっとなって苦しい。
私たちの様子を僅かに眺めると、父はひとつ頷いて手を打った。
「クレア、父様は少し挨拶に回ってくるから。良かったらアラン殿と踊って来たらどうだい? せっかくのデビュタントだ、美しいお前を父様が独り占めするのも勿体無いからね」
「──アラン様がよろしいのであれば」
「……光栄なことでございます。お嬢様、宜しければ一曲」
差し出された大きな手をそっと握る。父とは違う、戦う人の手だった。
ちょうど切り替わった音楽に合わせて肩に手を回し、ステップを踏む。力強いリードは慣れないけれど、思い切って身を任せてみれば想像以上に踊りやすかった。
「お上手なのですね」
「……練習しましたので」
「アラン様は……」
「ジャクスで結構ですよ」
「……ジャクス、様」
ちらりと見上げればその黒い瞳がじっと観察するように、想像以上の熱量を持って私を見つめていた。
「オークレール嬢は──」
「クレアと」
「……クレア嬢、貴女も」
「ジャクス様、貴方も」
「転生していたのか」「転生していたのね」
ダンス中にも関わらず、私は思わずその逞しい腰にぎゅうと抱きついた。
少しも揺らがずそんな私を抱き留めた彼は音楽に合わせてひらりと腰を持ち上げ回転し、広がったスカートがふわりと膨らんだ。
曲が終わり、礼を済ませた私たちはどちらともなく手を組むとバルコニーへと向かう。人影のないそこは暖かいランプの光に照らされて、春の風が頬を優しく撫でた。
私たちは前世で結婚していた。
私が入社した会社の先輩として働いていたのが彼だ。指導役として毎日を共に過ごし、二人で食事に行くようになり、付き合って2年でプロポーズされ籍を入れた。子供は出来なかったけれど、週末にはよく一緒に出かけたり、長期の休みには旅行へ行ったりキャンプをしたり。
時々くだらないことで口論もしたけれど、翌日に持ち越すこともなく抱きしめあって眠れば仲直りをして。
情熱的な関係ではなかったけれど、ほかほかと心が温まるように、愛しく思う人だった。
その日は高速で2時間ほど走った所にある新しいキャンプ場に行く予定で、お気に入りを並べたBGMをかけ私たちは出かけた。サービスエリアで軽食をとり、ちいさな話題で笑い合って。車窓を過ぎる景色に緑が多くなって来た頃、ちらりとバックミラーを確認した彼が珍しく大きな声を上げた。
「──あぶなっ……!」
引き裂くようなブレーキ音に何かが潰れる低く大きな音と、身体が前に突き飛ばされるような衝撃。
私が覚えているのはそこまでだった。
気付けばこの世界に生まれていて、そしてここは前に暮らしていた世界とも違う別の星なのだということも理解して。
自分が死んだということよりも、転生したということよりも、なにより彼が私の側にもういないんだという事実に絶望した。
就職してからもう15年近く一緒にいたのだ。仕事の間も、家に帰っても、平日も、休日も。
年老いて命尽きるまで一緒に生きようと誓ったのに、こんなに早く別れが来るなんて思ってもみなかった。
もっと一緒にしたいことがあったのに。もっと一緒に見たいものがあったのに。
「……会いたいよ……」
彼のいない16年は、彼と過ごした年月よりずっとずっと長く感じた。
それが。
「……その赤い髪、どうなってるの?」
「……やっと見慣れたところなんだから突っ込むなよ」
「ふふ……ヤンキーみたい」
「お前……言っとくけど、お前の銀髪の方がファンタジー感やばいからな」
「やっぱり? ヒロインみが凄いと思ってた」
「自分でヒロイン言うな」
「ふ……」
「はは……」
「「会いたかった」」
どちらからともなくぎゅうと抱きしめあって、溢れる涙を彼の胸元に押し付けた。頭の上にぐりぐりと頬を擦り付けてくる仕草が前世の記憶と全く一緒で、涙が出るのに笑えてくる。
本当にこの人は、彼なのだ。
「まさかダンスの練習をするとは思わなかったよなぁ」
「この世界のコルセット厳し過ぎるのよ」
「俺なんて軍だぞ、剣だぞ」
「……戦争とかってありそうなの?」
「いや、主に魔物だな」
「魔物って……ファンタジーだよね」
「いやそれな? レベリングし過ぎて俺偉くなっちゃったわ」
「偉くても偉くなくても良いから……死なないで」
少しだけ手が震える。この硬い手は何かと戦うために鍛えられたものなのだ。
「……死なないよ。やっとまたお前と会えたんだから」
「今度こそしわしわになるまで一緒にいて」
「約束する」
「……絶対ね」
「……絶対だ」
ポロリと流れた涙を硬い手が優しく掬う。
近付いて来た赤い髪、凛々しい眉、そして吊り上がった黒い目。
持ち上げられた顎に触れた指が熱く、唇は甘かった。
もう絶対少しも離れませんっ! と逞しい腕に引っ付いた私を引き摺って、ジャクスはお父様の元へスタスタと歩む。力が強くて素敵です。
デビュタントの令嬢が緊張とお酒でヨタヨタするのはわりと見かける光景だからか、周囲の貴族たちは案外微笑ましく見守ってくれる。私たちが婚約者でもなく、今日初めて会った者同士だと知ったらどう思うのだろうか。
「お父様!」
「ああ、クレア──クレア?」
振り向いた父は私たちの様子に驚き、若干引き気味だ。
「結婚しますっ!」
「……婚約の申し込みをさせていただきたく」
「あ、えっ、んー? クレアちゃん、どういうことかゆっくりお父様に教えてくれるかなー?」
「結婚、しますっ!」
ぎゅっ。逞しい腕、素敵です。
「……ああ、えっと、アラン殿?」
「えー、お嬢様に、一目惚れ? しまして。お嬢様も……まあ、このような様子でして。つきましては、婚約の申し込みを、と。そのような次第で」
ずいずいっ。あ、腰に手回してくれた。ぴったりくっついて嬉しっ。
「クレアちゃんったら、デビュタントの日にもう決めちゃったのかい? もうちょっと吟味しても……」
「結婚! し・ま・す!」
翌日に私たちは婚約を交わし、最短の日程で結婚した。お父様はちょっと泣いていた。自分だって娘の相手にちょうど良いから引き合わせたくせに。
「ねえ、もし私たちに子供ができたとしてさ、赤髪と銀髪でしょ? ……ピンク髪になったらどうしよ?」
「ふは! ヒロインじゃん」
「だよねえ? ヤバいかな? ちゃんとお花畑にならないように育てねば……」
「ざまぁとかそういうの、好きだったもんなあ」
「んー、でもね、今は……なんの事件も起きなくて良いから、ただ幸せに二人で生きていけるだけで十分なんだよ」
「……俺も」
お読みいただきありがとうございました