1話 ハローワールド
この物語はフィクションです。登場する人物、団体、名称等は架空のものであり、実在するものとは一切関係ありません。
「皆様よいお年をお迎えください」
大浦 盛美は金剛重工研究室の扉を閉めると、逸る気持ちを抑えながら予約してあるタクシーに飛び乗る。時刻は午後8時過ぎなので、もう少しで「明けましておめでとうございます」と新年の挨拶をしていたかも知れないが、何とか年内に終わってホッとしている。
金剛重工の一次下請けであるスワ精密に入社以来品証部一筋で現在の肩書は主任。製品不具合の調査がメインだが、現在は認証チームに抜擢されて試験に立ち会う忙しい日々を送っている。ここ2週間は十分な睡眠がとれていない為、目の下に出来たクマが疲労の濃さを表している。
今日の出張でスカイモービル用の新素材T-CFRP(トランスフォーマブルカーボンファイバーレインフォースドプラスチック)の認証試験も一段落したので、年末休暇と有給を併せて使い、サービス開始に合わせた2032年1月丸々「ミングルワールド」に没頭する予定で、30歳の大台を前に自分探しを仮想世界で行おうつもりだ。
小牧空港から松本空港へと向かう機内で新作VRMMORPG「ミングルワールド」の説明書を読み始め、やっとのことで一人暮らしの自宅マンションに到着したのは午後10時過ぎだ。VR機器のHMDと特注のマットレスはセッティング済みなので、あとは盛美自身の支度と時間の経過を待つばかり。手早く入浴と食事を終え、実家の家族と一人暮らしの祖父にタイマー機能付きのあけおめメールを送付した。年内の予定を全て終えて缶ビールをあおると急激な眠気が襲ってきた。
ヤバい、眠い!でもこの日の為に半年間、身を粉にして働いてきたので、是非サービス開始に合わせてログインしたい。遠くに聞こえる除夜の鐘が30を超えた辺りで徐にHMDを被りベットに滑り込み程なく新年を迎えた。
「ハローワールド、ハロー盛美」
巨大な球体の内部には無数のディスプレイに様々な映像が映し出され、室内には盛美と正20面体のナビゲーターが対面している。ここは確か開始時に案内されるターミナル室だったっけ。
「こんにちは、ナビゲーター」
「初めまして、盛美、ここはターミナル室。自身のアバターとUIを設定してください」
ナビゲーターは空中でスピンしながらそれぞれの面を様々な色に変化させ、ミングルワールドの説明を始める。妄想しながら事前に設定を考えていた盛美は手早くアバターを作成し、ターミナル室を後に開始時に与えられる個室に移った。
大浦 盛美(おおうら もりよし/29歳/男)
アバター名:ウラン/操作方法:脳波/アバター表示:ドット絵/性別:男/年齢:中年/種族:ドワーフ/サーバー:日本/視点:3人称
仮想空間の個室は所謂1kでベットと事務机にデスクトップパソコンが備え付けられた簡素な作りの部屋で、今後ログイン直後の待機部屋でもある。冒険を予感させる勇ましいBGMが不釣り合いな間取りでここだけはゲーム内でも現実時間が併記される。
「もうダメだ、BGMチェンジ、環境音森林」
大浦 盛美ことウランは溜まらず眠りにつく。現実時間8時間を経過した頃、ログ表示される。
「コモンスキル快眠を獲得しました」
16時間を経過した頃再びログ表示される
「レアスキル爆睡を獲得しました」
24時間を経過した頃、ログ表示と共に警告音が発せられウランは目を覚ました。
「レジェンダリースキルヒュプノスを獲得しました。ミングルワールド初達成者ボーナスによりユニークスキル化されました。注意喚起のために強制覚醒させました」
「あー、よく寝たな、今はえっと1時30分か?1時間の睡眠にしてはすっきりした」
ウランもまさか24時間も眠り続けたとは思っていなかったので、眼前に表示される日付が2032年1月2日/2032年1月25日となっていて2度見どころか3度見してしまった。なんせ、24倍速の時間加速機能により、ミングルワールド内では既に24日経過しているからだ。
「あっちゃー、出遅れた。ま、いいか。まだ、30日は遊べる」
ログが点滅して何かを知らせてくれているので確認することにした。文章が有ればとりあえず確認するのが習慣に成っている悲しい職業病だ。
ユニークスキル:ヒュプノス
眠りの神に祝福された人に送られるユニークスキル。睡眠最適化の効果を得るにはゲーム内で8時間の休息が必要。
「えっと、24倍の時間加速だから、現実時間では20分か?ゲーム内で眠らせるってどうなの?」
ミングルワールドではプレイヤーに様々な体験、行動を促すために、スキル創造のシステムが導入されている。加えて、運営がスキル未設定の場合は初達成者に限り、ユニークスキル化され、他のプレイヤーは獲得不可。
「うーん、おなかが空いたし、いったん落ちるか?」
ウランの初日のアクティビティは睡眠であった。
次回 初スキル獲得 です