第6話 天馬翔天撃
六条の魔光が一点に集中し、大爆発を引き起こす。
それは広大な演習場の全体に小さくない振動を引き起こし、一連の戦いの様子を客席から窺っていたクラスメイト達は思わず近場にあったものを掴んだ。
遠くからは、危険を察知した小鳥が一斉に飛び立った羽音が聞こえる。
「……やったのか?」
呟く教官は眼下を覗き込むが、凄まじい量の土煙が舞い上がり、今一ユートがどうなったのか分からない。
それはその場を取り囲むクラスメイト達も同じようだが、疑う様子を見せる教官とは異なり、彼らはすっかりユートを倒しきったものと信じていた。
「――ははっ、手古摺らせやがって!」
「でも、これだけやったんだもの。さすがにもう死んだんじゃないかしら?」
「俺のガルファードも落ち着いている。恐らくは、奴が消えたと分かっているのだろう」
三者三様に気の昂りを静めていく愛竜を宥めながら、彼らは竜装具の構えを解く。
怒りで大きく威力を上昇させた竜たちの攻撃に、竜装具の全力を重ねたのだ。ここまですれば、肉片一つさえ残っていないに違いない――。
そう油断をしたのも束の間。
段々と収まりつつある土煙の中から突如、一直線に空高くへと光の柱が伸びる。
「――なんだ!?」
そう叫んだのは、誰だったろうか。
何の予兆もなかった突然の異変に誰もが目を見開く中、土煙が一挙に吹き飛ばされる。
「うわっ!? なんだ、この風――」
視界を襲う土煙に、彼らは咄嗟に腕を盾代わりにして目を瞑った。
そして、それが晴れたことを悟った時――再び目を開けた彼らは、視界の先に立っていた存在に気づく。
「なっ……なんだ、あれは!?」
「嘘! どうして……!?」
「あれだけの爆発を受けたんだぞ!? なのになんで、生きてられるんだっ――!?」
「――ユート・サクラ!」
クラスメイト達と教官が驚愕と畏怖の混ざった視線で四方八方から見つめてくる中、ユートは自らの身体がいつの間にか無傷の状態にまで戻っていることに目を丸くしていた。
――だけど、今はそんな事よりさきにやるべきことがある。
細かいことなんて、気にしていられなかった。
先ほどの邂逅が真実なのか否か――確かめるべく、ユートは高らかに叫んだ。
「――来い、ヴィクトリアス!」
「心得た」
短くも力強い、返答。
ユートの足元に、召喚のための魔法陣が敷かれていく。
まるで、閉じていた蕾が花開くように。
純白の光が、いっとう輝きを増して立ち上がる。
その中から徐々に、声の主の輪郭がおぼろげながら見えてくる。
「っ、やらせるか! やれ、ヴェルグス!」
召喚を中断させるべく、正気を取り戻した生徒が愛竜の手綱を引いた。
はっとした竜が再び臨戦態勢を取り、大きく開いた口腔から魔力を纏わせた火炎放射を放ち――着弾。
だが、それを受けたはずのユートたちは、無傷のままだった。
彼を護るように展開されていた穢れなき翼が、取り除かれる。
焦げ跡一つなく火焔竜息を防ぎ切ったその正体を見て、クラスメイト達の中から声が上がる。
「白い翼の馬、だって……まさか、天馬!?」
その絶叫を無視して、ヴィクトリアスがユートに促す。
「乗るが良い我が主。ここからが本番であると、天に知らしめようぞ」
「ああ。行くぞヴィクトリアス。それと、一々我が主なんて呼ばなくていい――俺のことはユートでいい!」
「うむ。ではユート、いざ出陣である!」
ユートが背にひらりと飛び乗ったのを確認して、ヴィクトリアスがその翼を羽ばたかせる。
ごうごうと風を巻き込みながら、力強い足取りで蹄を鳴らし、駆け出す。
その姿を見て慌てたように他の竜騎士たちも動き始めるが、その遅さを嘲笑うかのごとく、ヴィクトリアスは瞬く間に風に乗って流星の如き駿馬と化した。
「――遅い!」
鋭い嘶きと共に、ユートを乗せたヴィクトリアスは第一の目標に狙いを定める。
巨体かつ筋骨隆々だが、その代償として少々鈍重な陸戦型の竜――その鼻先へ、相手が身構えるより早く、突進を叩き込む!
――バキッ!
「なっ、ガルファード!?」
「キシュアアアッッッ!?」
悲鳴を上げて、地竜が地面に蹲る。
その鼻先には立派な一本角が生えていたが、それが無惨にも根元からへし折られていた。
自慢の角を破壊されて荒れ狂う竜はもはや契約者など一切合切気にせず、背に乗っていた相棒を振り落としてじたばたとその場で暴れ出す。
「危な――くそっ! 戻れ!」
巻き込まれることを恐れたクラスメイトが、召喚陣とは逆の帰還魔法陣を発動させる。
光の粒子となって消え失せていったガルファードを見て、ヴィクトリアスがふんと鼻を鳴らした。
「蜥蜴風情が我が蹄に勝てると思うな……どうだ、ユートよ!」
「あ、ああ。驚かされたよ。本当に強いんだな。よくやったよ、ヴィクトリアス」
「であろう? この程度の輩に我らが負ける通りはない――そら、次だ!」
ユートが試しに鬣を撫でてやると、ヴィクトリアスは気に入ったように何度か頷いた。
それから続く第二の敵、水面に顔を出している海戦型の竜へと彼らは向かう。
「このっ……でも、翼があるってことは空中戦が本領でしょう! 水の中なら私たちが有利よ! 沈んで、バフム!」
「バッフォォンンッ!」
ざぶん、と勢いよく水飛沫を上げて海戦型の竜が乗り手を伴って潜水を開始する。
「本物の海ならばいざ知らず、このような偽物の海で我から逃れ得る? 笑止!」
だが、ヴィクトリアスは構うことなく疾走を続ける。
その勢いのまま、翼を一際強くはためかせて――ふわり、と強い浮遊感がユートを襲う。
「うわっ」
地を蹴る振動が消える。
それと同時に、ユートは振り落とされないよう、慌ててヴィクトリアスにまたがる己の太腿をキュッと引き締めた――そう、彼は今まさに宙を飛んでいるのだ。
「飛ぶのは初めてか、ユート!」
「当たり前だろ! 言ってなかったが俺は竜に嫌われてるんだ、乗ろうとしたらたちまち黒焦げだ! この学院に来るときも迎えの竜に乗れなくて、本当なら一日で済む距離を地道に一か月かけて馬車を乗り継いできたんだからな!」
「ならばどうだ、今の気分は!」
ユートは迷うことなく、叫ぶ。
「最ッ高に決まってるだろヴィクトリアス! このままあの空の彼方まで行ってしまいたいくらいにな!」
「いずれはそれも良かろう、されど今はあの水蜥蜴もどきよ! ――風よ、唸れ!」
ヴィクトリアスの号令と共に、水場の上に風が渦巻き始める。
それは初めは木枯らし程度のものだったが、瞬く間に勢いを増して大きくなっていく。
足元に広がる水さえも問答無用で吸い込んで、天にも昇る高さまで成長を続けていく――。
「バフォッ、バフッ!? バホオォォンッ!?」
旋風はやがて水の中に隠れていた海竜さえ引き摺り出し、その勢いのまま巻き上げるように空へと打ち上げた。
そこで風は唐突に止み、水が辺りにはじけ飛ぶ。
残されたのは、全身に滑らかな鱗とヒレを生やした竜の無防備な姿のみ。
自らに有利な領域から解き放たれた相手がじたばたと藻掻く――そこに、ヴィクトリアスは唸り声を上げる魔風の砲弾を五連続で撃ち込んだ。
「きゃっ!?」
「バグォォンッ!?」
竜はたまらず、体勢を立て直せないままに地面へ落下していった。
だが、その途中で体制を崩した生徒が放り出されてしまう。
ユートの目は、彼女の身体から竜騎士専用の強化魔法が消えていることを鋭く捉えた。
あのままでは、地面に衝突した時に死んでしまう。
これまで色々痛めつけられたとはいえ、殺すまでやるつもりは彼にはなかった。
「悪いヴィクトリアス! あいつに風のクッションをやってくれないか?」
「だが、あれはお前を殺しかけた者どもの一味だぞ。このまま死のうと自業自得ではないか?」
「良いから、早く!」
「……承知した」
問答を重ねる時間も惜しい。
ユートの強い訴えをヴィクトリアスは無下にすることが出来ず、渋々ながら女子生徒の身体に衝撃を和らげる風を幾重にも纏わせた。
――ドゴンッ!
竜は着地の衝撃で深いダメージを受けたのか、そのまま動かなくなる。だが竜とはしぶといもので、あれでもニ、三日すれば元通りけろっと元気になる。
問題はクラスメイトの方だが、彼女は地面に激突する寸前で一度ふわりと浮かび上がり、その後にゆっくりと尻餅をつくように着地していた。「ぷぎゃっ」などと可愛らしい悲鳴を上げていたが、無事でよかったとユートは安堵する。
「よし」
「まったく、ユートは甘い。あのような輩は一度痛い目を見せねば懲りんと決まっている」
「さっきまではそう考えたさ」
ヴィクトリアスと契約を結ぶ直前のユートは、なんとしてでも目の前のクラスメイトを巻き添えにして地獄へ送ってやりたい――そう考えていた。
だが、天馬と契約をして幾分か精神の余裕を取り戻した彼は、考えを改めた。
――それは彼の目指す姿とは真逆の発想である、と。
「それでトラウマを抱えて竜騎士を引退されるよりは良いんじゃないか? 俺にだって非はあるし、生きていればいつかは分かってくれるはずさ。それに、あれで十分怖かっただろうし」
「そのようなものか?」
「そんなもんさ。――さ、残るはあと一騎だ!」
最後に倒すべき相手は、ヴィクトリアスと同じく空を駆けるタイプの竜。
ばさばさと荒々しく翼を広げる向こうは、さすがに立て続けに仲間を倒されたと言うこともあってか、戦意を十分に取り戻しているようだ。
「喰らえ落ちこぼれめ! そんな馬に突貫工事で羽根をくっつけただけの出来損ないを手にした所で、竜には勝てないことを教えてやる!」
勢いよく空を舞いながら、ユートとヴィクトリアスへ向けて火球と竜装具の攻撃を乱射してくる。
「――ほざくな、下衆が」
だが空中を駆ける力を得たユートには、その分だけ新たに回避の選択肢が追加されている。
よほど大規模な攻撃でもなければ、上下左右、複雑な機動を描いて避けられる。
そうなれば残る手は限られてくる――接近戦だ。
「ユート。武器はあそこに落ちているアレか」
「ああ。拾いに行ってくれるのか?」
「欲を言えば我が全て薙ぎ倒したい。しかし、主も見せ場が必要であろう」
「……そうだな。せっかくここまでお膳立てをしてくれたんだ。俺も、君に相応しい主だってことを見せておきたい!」
「下らないことをごちゃごちゃと!」
放たれる火焔の嵐を掻い潜りながら、ヴィクトリアスは眼下へ急降下する。
その背後から、クラスメイトの飛竜が素早く追随する。
構わず、勢いを全く緩めることなくユートたちは地面へ向かう。
「そのまま墜ちてしまえ! そんな勢いで切り返しが出来るもんか!」
「安い挑発だ。だが乗ってやろうとも――ユート、少々厳しい負荷がかかるぞ」
「構わない! そのまま、君の速度で突っ走ってくれ!」
「承った。では舌を噛まぬように気を付けよ!」
加速。
ヴィクトリアスの周囲の景色が恐ろしい速度で後ろに流れていくのを知覚しながら、ユートは地面に転がっている己の模擬大刀へ狙いを定める。
「三、二、一……今!」
ヴィクトリアスが翼を目一杯広げ、急ブレーキをかける。
ユートの身体に慣性の悪魔が襲い掛かる――しかし、彼の身体はこれまでの鍛錬の成果あってか、その中でも問題なく動く。
風圧によって舞い上がった大刀を手に取って、再び上空へ向けて加速。
空へ……今まさに彼らへ一撃を食らわせようと牙を剥くクラスメイトと、その愛竜へ向けて。
白き天馬が、一際強く翼を羽ばたかせる。
「駆けろ、ヴィクトリアス! 行くぞ――これが俺たちの処女凱旋だ!」
「そんな妄想はあの世で見てろ――潰せ、ヴェルグス!」
重力に逆らい、空へと駆けるユートとヴィクトリアス。
その姿は運命に抗う、さかしまの流星の如く。
そして、それを撃ち落とさんとする飛竜とその竜騎士が、一段と勢いを増す。
「なにが天馬だ! 至高の生物である竜の前には、どいつもこいつも有象無象に過ぎないんだよ――!」
「俺たちは決して有象無象なんかじゃない! それを今、その身に叩き込んで教えてやる!」
竜装具を構えて突っ込んでくる相手へ向けて、ユートもまた大刀を構える。
自らを弓に、剣を矢に見立てて。
筋肉と骨の発条を限界まで引き絞り、膂力を充填。
つがえた切っ先の狙いを、一点に定める。
衝突の時まで、後五秒。
「死ねぇぇぇっ――!」
そのタイミングで、相手方の火竜が火焔竜息を放った。
強力な、鉄さえ溶かす竜の獄炎。
同時に、その向こうから竜装具が光を放つのをユートは見た。
「『天馬攻空』――突っ切るぞ!」
「任せた!」
ヴィクトリアスの強化魔法が、ユートの全身を覆う。
尋常ならざる力が身体の奥底から湧き上がってくるのを感じながら、彼は歯を食いしばる。
炎の中へ突入――しかし、先ほどまでは散々熱くて仕方がなかった竜炎が、今はぬるま湯のように感じられた。
すぐさま火焔を抜けて、彼らは敵の真ん前へと躍り出た。
まさか無傷で潜り抜けて来られるとは思っていなかったらしく、相手は驚きに口を開けたまま硬直する。
――そこへ、ヴィクトリアスの加速を乗せたユートの一撃が炸裂する!
「『天馬翔天撃』ッ!」
慌てて相手が竜装具の構えを白兵戦用に切り替えようとするが、遅い。
勢いに乗ったユートは相手との擦れ違いざまに、溜めに溜め込んだエネルギーを解き放った。
解放された力は魔法の加護を得て更に勢いを加速し、大刀の切っ先へ集中。
――バキンッ!
それは、相手が持っていた剣型の竜装具を真っ向から打ち砕いた。
それだけではなく、ユートの放った凄まじい刺突の衝撃波が、相手の乗る飛竜の片翼までもおまけとばかりに貫いた。
「――グギャアアアァァァッ!?」
「なぁっ――お、俺の竜装具が……い、いやそれよりもヴェルグス! まさか飛べないなんて言うなよ!?」
「グギュッ……」
竜は完全に翼だけで飛んでいるわけではない。
周囲に吹く風を上手く操ることで、人を大きく超える巨体を浮かせているのだ。
それらをなんとか駆使することで、飛竜ヴェルグスはゆっくりと地面に落下していく。
その瞳にはもはや、再び天へ舞い上がるほどの気力は残されていないように見えた。
――すなわち、ユートとヴィクトリアスの勝利である。